愛 は 屋 上 の 烏 に 及 ぶ
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「――アンタ、誰?」 「は?」 ガチャン、バタン、ドンドンドン! まるで火災でも起きたかのような慌てた音をさせ、力任せに部屋のドアが叩かれた。木更津淳と柳沢慎也は互いの目を見合わせる。音の距離からして、隣の住人だとは思うのだが、ここまで慌てた様子で来訪されたのは初めてだった。隣人は二人いるが、これだけガサツな行動に出る人物は決まりきっている。疑いもせずに、相手の名を呼び木更津がドアを開けた。 しかしドアの向こうに立っていたのは観月はじめのほうで、予想の外れた木更津は少なからず驚く。 どこか青褪めた顔の友人は、縋りつくようにして叫んだ。 「赤澤が?」 「記憶喪失なんです!」 「は…?」 あまりに突拍子も無い台詞に、木更津は目を丸くする。観月は苛立ったように、その襟ぐりを掴んだ。 力任せに引っ張られると、首が絞まって苦しい。酸欠に喘ぎながらも、木更津は隣部屋まで連れていかれた。柳沢も同じく、鳩が豆鉄砲でもくらったかのような顔でついていく。 面倒を起こす、と前提に迎えられた赤澤だが――、現在は惚けた顔でベッドに座り込んでいた。訝しげな表情で、三人を見ている。 「見た目だけだと普通だーね」 「見た目から変わったら、速攻救急車呼んでますよ」 「こんな時でも突込みの鬼だね、観月」 当事者を無視する三人に、赤澤は「あの〜」と声をかけた。 あっさりと木更津が問う。赤澤は困ったように、後頭部を摩った。 「うお、本当に記憶喪失だーね。その後、ここはドコって聞くんのがお約束だーよ」 「えっと、ココハドコ」 「お黙りなさい!」 スパーン、と小気味良い音をさせて、観月が柳沢の頭を叩く。 「はは、手首捻れてたね」 「木更津も何を暢気な…っ」 「あのう…誰か質問に答えてくれよ」 「そうだよねえ。赤澤、ここは聖ルドルフ学院の学生寮だよ。きみはそこの生徒で寮生。ついでにテニス部部長」 赤澤の前に膝をつくと、木更津は面白がるようにその顔を覗き込んだ。 「オレは木更津淳、アヒルが柳沢慎也、そっちが観月はじめ。みんなテニス部部員でタメだよ」 「誰がアヒルだーね!」 「アヒル…」 「赤澤もじっとヒトの顔を、口元ピンポイントで見るのはヤメルだーね!」 「笑いごとなんですか? この状態で笑えるんですか!」 「混乱、してるのかなあ〜? あ、アヒルはわかるぞ」 「う…バカ澤…っ」 目に涙を溜めた観月が「記憶なくしても、受け答えはやはり似たりよったり」と顔を伏せる。 真面目な顔で首を傾げた赤澤に、泣いていた観月は怒りのあまりその襟首を掴んで締め上げた。 「そろそろ離してあげないと、記憶がどうのこうのという前に死んじゃうよ」 「こいつじゃない。観月です!」 「はい。観月さん」 「おお、躾は最初が肝心」 感心する柳沢を無視して、木更津は話を進める。 「そもそもさ、なんで記憶喪失になったわけ?」 これは当事者よりも、原因を目撃したとみられる観月に対して問いかけたものだ。観月はうっと詰まると、口ごもった。 「なんかオレ、でっかいコブができてるんだけど…」 ベッドの上で正座していた赤澤が、痛みを訴える。柳沢が見せてみろ、と近寄った。 「いてっ! 触るなよ!」 「大丈夫…ですか。なんか冷やしたほうがいいですかね」 「がーん! 寮内殺人未遂事件。カソリック中学における少年達の苦悩。神は子羊を救えなかったのか。とかいった文句が紙面を飾るだーね」 「アホか、おのれら〜」 ダブルスプレイヤー同志、息の合ったボケで畳み掛けられ、観月は怒髪天をつく勢いで青筋をたてる。 「やっぱりオレ、観月さんに恨まれてたわけか」 赤澤が火に油を注いだ。 「やっぱりってなんですかっ!」 「だって、さっきから怒ってばかりじゃん」 斬りつけるように睨まれて、赤澤はおどおどと答える。確かに、先ほどからの観月の態度だけを見ていれば、恐いとしか形容できないだろう。 「すみません…。混乱してました。最初に謝るべきだったんです。そのコブは僕のせいです」 「アヒルと双子、ハモるな! 話を聞いてください!」 「双子って…別に好きで双子なわけじゃないんだけど」 「それを云うなら、オレも好きでアヒルなわけじゃ…じゃなくて、アヒルじゃないだーね!」 「だまらっしゃい!」 「いや、だから観月もいちいち突っ込むからいけないんだよ」 焦れて赤澤が横から促した。 「誰が人殺しだ! じゃなくて――その、ちょっとあなたと僕とでケンカになっちゃったんですよ」 「じゃあ、動機は痴情の縺れだーね」 「また? 痴情?」 「赤澤に変な刷り込みするのは止めてください! 話が進まないのは絶対あなた達二人のせいですよ! あーもう、人選間違えた!」 「あーしかも、一番下の引出し空いてるじゃん。もしかしてここにもダブルで?」 「そうかあー、記憶ないのは自業自得なんだー」 「そこで納得しないで下さいよ。僕もいけないんです。本当にすみませんでした」 「ダメだこりゃ」 「やはりバカ澤だーね」 「普通リセットされたら、その分要領が増えるもんじゃないんですか?」 「そこまで酷くは…と、思いたいんですけど。その場合も責任持つのは僕ですよね」 しんみりと漏らすと、三人ははっと口を噤み、哀れみの眼差しを向けてきた。 「それって普通の励ましとして受け取っていいのかなあ」 「責任はきちんと取ります。礼儀、作法、常識、片っ端から教えてさしあげますから」 よしよしと頭を撫でられ、赤澤は観月の肩口に額を擦りつけた。 「毛並みの良い赤澤…ちょっと見てみたいかも」 その時、コンコンと扉を叩かれた。近くに立っていた木更津が、応答しながらドアを開ける。立っていたのは不二裕太だ。 「丁度、ここの真下ですから」 「あーもしかして、同室のヤツに静かにするよう云われてきた?」 奥から観月が謝罪した。 「あ、いえ。本当にただ心配で、来ただけですから!」 ドア口に立っている木更津を避けて、裕太は中を覗きこみ――硬直した。 こっそりと木更津に聞く。裕太の位置からだと、観月に縋り付いて泣いているように見えたのだ。木更津はたまらず噴出した。 「違いましたか。ごめんなさい!」 慌てて前言を撤回する。確かに先輩相手に使う台詞ではなかった。 腹を抱えて笑ったあとで、木更津は部屋へと誘う。 訝しがりながらも、先輩達の中にひとりで放り込まれた裕太は居心地悪そうに簡易テーブルの前に座った。 改まって木更津に紹介されてしまった裕太は、益々疑わしげな顔付きになる。 目をむくと同時に赤澤を凝視した。途方に暮れたような顔で返され、冗談や揶揄でないことを知る。 悪気ない様子で決め付けられ、観月は気色ばんだ。 「や、だって赤澤部長の首元、赤くなってますから」 「本当だ。これだけ見たら、本気で痴情の縺れだーね。今が休みだからいいけど、その間に消えないとあらぬ噂を立てられるだーよ」 「違いますよ。どついたらこのバカは大袈裟に転がって、愚かにも机に頭をぶつけたんです」 観月の豹変ぶりに、赤澤がショックを受けた。慣れている裕太は気にせず「へえ」と納得する。 初耳の木更津が食いついた。裕太は先日起きた出来事をかいつまんで説明する。 「本気じゃないです。お遊びですよ」 「つーかそんな前例を知りながら、記憶の無い赤澤の再教育にばかり熱心だったって辺りが鬼だよね」 「鬼嫁だーね」 「首切って血抜きしますよ。柳沢」 「ひぃぃいいいい――っ!」 「そうと決まれば! 明日、ストリートテニスコート行きましょう!」 「え、別に学校でいいんじゃ……」 こうと決めたら猪突猛進。裕太は観月の声も聞こえない様子で、爽やかな笑顔を残し「おやすみなさい」と去っていった。 木更津の根拠の無い慰めは、見事に当てにならなかった。 翌日。まんじりともしない夜を過ごした観月の前に、それは天使の如き微笑を称えた不二周助がラケットを持って現れた。 「兄貴、全国前なのにごめんなー」 「いいんだよ。この間はウチの後輩が世話になったし。ねえ、観月」 「いやあ〜どうせなら、熱い試合のほうがいいだろうなって思って。黄金ペアなら文句なしじゃないですか。金田も呼んだし、あの時の試合再現って感じですよね! あ、でも大石さんはいきなりで都合がつかなかったんだそうですけど、兄貴がいますんで」 「ふふふ。この時期にわざわざ、英二連れてきたんだから。感謝して欲しいよね。赤澤の記憶喪失の原因はきみなんだろ?」 「菊丸くん…。なんか新鮮な響きだにゃ〜」 「赤澤部長…オレ、オレ絶対記憶が戻るよう、頑張りますから!」 「呼び捨ててください〜!」 赤澤の背中を追ってきた金田は、自分の存在を綺麗サッパリ忘れられているということに、多大な衝撃を受けて泣きそうな顔になっていた。 「赤澤、早く記憶が戻るといいね。裕太の兄、周助だよ」 「よろしく…」 「……僕のこと、本気で忘れちゃったんだね」 握手した手をやんわりと握りこまれて、赤澤は戸惑う。 「他人行儀にされると切ないな…観月にはタメ口なのに僕には敬語なの? やはり…記憶を失くしても観月を選ぶんだね」 愛しそうに握った手を摩られ、赤澤は現状が理解できずに間抜けな返事をした。 菊丸は感心し、金田と裕太はどう割って入るかで悩んだ。 周囲に放っておかれる、赤澤の困惑は増すばかりである。 「赤澤―! 試合始めるよ。英二もおいで」 なし崩しに、試合へと縺れ込んだのであった。 ――結果。 6―3で赤澤・金田ペアの惨敗に終る。記憶もさっぱり戻らないままで終了してしまった。 やはり不二だけは敵に回すべからず。と、菊丸は脱兎のごとく逃げた。修羅場に巻き込まれて楽しむ趣味はない。 「あなたの『これっぽっち』の基準は日本の国土以上でしょう。大体僕達の仲を誤解してませんか、きみは」 振り返った観月の背後にナマハゲが包丁を振り回している幻影を見てしまった裕太は「悪い子ですみません!」と、泣いて金田の背後に隠れた。男子中学生の頭中では、東北名物は一緒くただ。もちろん、一部秋田県民と一部山形県民の間にある深い溝は知りようがない。 「う…、そ、それは。目にゴミが入ってただけですよ!」 「うるさい! 手塚くんを押し倒したところを弟に見られたあなたよりはマシです!」 不二の気配がざわりと蠢く。盾にされ、変わりにその眼光を浴びた金田は石化した。 非友好的な雰囲気を撒き散らす二人に、赤澤が身を呈して止めに入る。 「いや、どう見ても赤澤巡って争ってるようにしか見えないから」 「赤澤の『記憶』を巡って、でしょうが!」 「うん? 何が違うんだ?」 「あーもう、あなたは黙ってらっしゃい!」 キーっと、観月がヒステリーを起こした時だ、携帯の着信メロディが鳴った。 断りを入れて、不二が携帯に出る。 「――着信メロディがジョーズのテーマソングだっただーね」 ぼそぼそと、柳沢と木更津が噂した。 「…え? なんで知ってるの。ってか、すぐに行くよ。……英二だね? そう…ふふふふ。それでわざわざ電話くれたんだ、手塚」 「それってどういう選曲かな…」 終話すると、不二は「呼び出されたから、今日は帰るよ」と結局状況をややこしくするだけして去っていった。 どうせならば、きちんとどの辺りの兄の行動について謝ったのか。せめて赤澤だけにでも説明をすればいいものを、裕太は居た堪れないといった様子で走り去ってしまう。 仲間であり友人でもある金田はもちろん、あとを追った。むしろこの場にひとり残るほうが恐い。 「もう知りません!」 寮への道のりを、顔を真っ赤にして帰った。 部屋に戻ると、ベッドに倒れこむ。観月は心の底から疲れていた。 じわり、と涙腺が弛んだ。 波のように痛みが襲う。悲しくて胸が潰れそうだった。 ぐっと涙を我慢する。刹那、ドアが開かれて心臓が跳ね上がる。気配だけで――誰だかわかった。 一番不安なのは、なんの記憶も持たない赤澤だろうに。こんな時でさえ最終的には自分を気遣う相手に、なんともいえない感情が込み上げてきた。 「謝るなよ。なんていうか、観月さんにへこまれると、オレすげえ辛いんだ」 「――じゃ…」 「え?」 「観月…さんじゃない。あなたは、観月って…そう呼ぶんです」 (――このひとに、忘れられた。それが一番悲しかった) そう、苦笑しながら呼ばれ。込み上げてきたのは愛しさだった。胸にもたれるように、頭を抑えられる。汗と赤澤の匂いがした。 重なった唇は、最初は窺うようにぎこちなく触れ、拒絶されないと知ると、再度深く合わせた。何度か角度を変えると、唇を薄く開かれたのに気をよくし、舌を差し入れた。深く、味わうように丹念に。観月がそれに応えると、赤澤はそれが合図としたかのように体重をじょじょにかけていった。 時折漏れる声が、自分でも恥ずかしいほど甘い。観月は紅潮する。気づけばベッドに押し倒されていた。口づけは深くなる一方で、自然背が弓なりになる。この熱と重みを心地よいと感じてしまう己を恥じるも、手放す気持ちにはなれなかった。 吐息にのせ、男が呼ぶ。赤澤は指をシャツの裾から入れると、滑らかな肌を確かめるように触れていく。そのつど他人に触れられることに慣れていない躰は、びくびくと震えた。唇が首筋から鎖骨へ。シャツの上から胸の尖りを噛まれれば、熱い息とともに声が出てしまう。赤澤は観月のスラックスのベルトを外しにかかった。難儀して外すと同時に、一気にジッパーをおろされ直に触れようと指が動く。 観月の脳裏に、昨日の記憶が生々しくも蘇った。 そもそも何もかもを忘れてしまっている赤澤には黙っていたが、キスなど今まで何度もしている仲だった。ただ、そこから先はまだで、昨夜とうとう焦れた赤澤がむりやり―― 我に返って突き飛ばした。 あ、っと思った時には遅かった。昨日とまるで同じ場面を、スローモーションで見ているかのように、赤澤は後ろへと倒れた。まさかそこで拒絶に合うとは思っていなかった赤澤は、気構えなどできているわけもなく昨日も勢いよく吹っ飛んだのだ。そして今回も、やはり机の角に頭をぶつけた。 「赤澤!」 マズイと、観月は上体を起こし、倒れた赤澤を窺う。足を縺れさせながら、側に駆け寄った。 「いってぇ〜!」 顔を顰めて、うめく。意識のあることに、観月はほっとした。 まさか恐かったとは云えず、口篭もる。 「は…ずかしい…んです」 「そっか…急ぎすぎたんだな。悪い」 首まで真っ赤になって俯く姿に、赤澤は目を細めた。後頭部の痛みに耐えながらも、抱き締める。 過去形な台詞に、観月が鋭く突っ込む。赤澤はうろたえた。 「当たり前だろう。忘れるかよ。初っ端から胡散臭気にオレを睨んだ挙句にケンカ売ってきたくせに」 「え? あ、そういやそうだな」 「記憶戻ったことにさえ気づかないとは…本当に呆れたおバカさんですね」 「あなたは…! 僕がどんなに心配したかっ」 「うん。わかってる。ごめんな、観月」 押し退けていた手を掴まれて、額に額を合わせられる。戯れるように何度も軽いキスをされた。観月はますます赤くなる。 「また、なんかやったの? 凄い音したけど」 ガチャリ、とドアが開かれた。 思わず視線を出入り口に向けてしまった観月は、木更津とおもいきり目が合ってしまう。 「あっそう。で、今は仲直りの最中?」 「おう」 「お邪魔さまでした」 バタン。とドアは何事もなかったように閉められる。 「さあ、これで邪魔者は消えたぜ」 「――――っ!」 翌日。 傷だらけになっていた赤澤に、記憶が戻ったことを告げられた後輩達はあまりに恐ろしい想像しか浮かばず。触れるもの皆傷つけるギザギザハート並に機嫌の悪い観月に、どのようにして記憶が戻ったのかを聞くこともできなかった。 それもまた、屋上の上の烏にまで及ぶ愛のなせる技だろう。 |
■愛は屋上の烏に及ぶ■
【その人を愛すると、その人が住んでいる屋上の烏にまで愛が及ぶという意味】
去年の冬コミで出したコピー本です。
『赤澤くんの彼女の事情』とは繋がってませんが、同時期に書き始めてたので
最初のほうが似ているんですよね。
途中で赤澤くんの〜が煮詰まって、急遽方向転換してできたのがこっちの話でした。
アニメベースの話です。
何話か忘れましたが海堂が記憶喪失になったあとの出来事と思って下さい。
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