その年は一日が日曜だったので、始業式は二日から始まった。
桐山は新学期だからと言って、初日くらい遅刻せずに行こう、などとは思わなかった。



何となく学校に行く気がしなかった。

何となく。

あの時の充の顔を思い出した。
酷く辛そうな顔をしていた。

そんなに嫌だったのだろうか?

自分を抱く事が。

ああ、

「普通」なら、男が男を抱くなどという事は、
ご法度なんだったな。

桐山自身は、その事に特に抵抗は無かった。

今まで色々な人間に、犯されて来たから。

男にも。
女にも。

それは「特殊教育」の為に付けられた家庭教師であったり、
使用人であったり、
父親の取引先の人間であったりした。

父親は桐山が犯されている事を知っていて、わざと黙認している様だった。
桐山はその様な目に遭っても、特に何も感じなかった。

来る者は拒まず静かに受け入れた。
身体を傷つけられても。
ただ静かに。
じっと耐えていた。

一度抱かれてしまえば、二度とその相手に抱かれる事はなかった。
それが何故かは分からないが。
いつも、そうだった。

そのうち、僅かではあるが、抱かれている間に、快感の様なものを覚える様になった。

だが、それは本当に一瞬の事。

相手は桐山が何を感じていようが、全く気にせずに、自分の快楽を満たすと、さっさと桐山の前から姿を消した。

そうしていつも一人桐山は残された。

特に何も感じない。

ただ、
胸のあたりで、何かが疼いた。

抱かれている最中は、少しだけそこが満たされる様な気がした。
自分には足りない何かが、
その間だけは。



だがそれはやはりほんの一時の事。
取り残された桐山の心には、また空虚が拡がるのだった。
みんな、同じだった。

誰も自分のこの空虚な部分を、完全に埋めてくれはしないのだ。

悲しみでも無い。
怒りでも無い。

絶望するわけでもない。
それを感じる事は、出来ないのだ。桐山には。
ただ、この空虚を埋めたいと、ずっと思って来た様な気がする。

充なら。
あるいは、自分の空虚を満たしてくれるかも知れないと、
桐山はそう思った。

充は他の人間とは何かが違っている様な気がしたから。

だから、充に抱かれてみたいと思った。

本当に、ただそれだけだった。


自分から「抱いてくれ」などと言ったのは初めてだった。

しかし充はそれを拒んだ。

充も、自分から離れていくのだろうか。

桐山はこめかみが疼くのを感じた。

ふと、時計を見た。
もう九時半。

学校はとっくに始まっている。
充はもう学校にいるのだろうか。

そう思っていた矢先、ピピピ、と電子音が鳴り始めた。
音がする方に目をやった。
綺麗に整頓された机の上、そこにあるのは携帯電話だった。

桐山は「一応持っておけ」と言われたからそれを持っているに過ぎなかった。

ただ、いつか充の前で電話を受けた時、
「ボス、俺にも番号教えてくれよ」
とせっつかれたので、充にはその番号を教えた覚えがあった。
家の者以外でこの番号を知っているのは充だけ。

桐山は机の上から携帯をそっと取り上げた。

画面に映っているのは、やはり充の名前。
通話ボタンを押した。
「あっ…もしもし…!ボス!?」

上擦った様な充の声。
「どうした?」
桐山は充が電話をかけてきてくれたからといって、「嬉しい」などとは感じなかった。
そんな感情を抱く事が出来ないからだ。
ただ、「安心」はしたのかも、しれない。

「今日、学校…来ないのか?」

充の声は酷く弱々しい。

「何となく行く気がしなかったんだ」
桐山はいつもと変わらない調子で答えた。
「そっか…」
「何か問題があるのか?」

少しの間、充は黙っていた。
「ボスに…会いたいんだ」
少し遅れて返って来た答えに、桐山は僅かに眉を上げた。
「ごめん…何か勝手だよな俺。いいんだボス、忘れてー」

「今から行く」
充の言葉を遮って、桐山は言った。
また少しの間があった。
「大丈夫、なのか?」

先ほどより少し震えた様な充の声。
「ああ。充は教室にいるのか?」
「ううん…屋上」
「わかった。今から家を出る」
「あ…ボス」
「どうした」
「やっぱり、後でいいや。気をつけてな」
「ああ」

桐山は通話ボタンを切ると、携帯を鞄の中にしまった。
洗いたての半袖のシャツに腕を通す。

もちろん洗顔の後、髪をオールバックにセットするのも忘れなかった。


桐山が登校して来る頃には、もう始業式は終わってしまっていた様で、
掃除当番の生徒がせわしなく教室を出入りしていた。



桐山は教室の中には入らず、真っ直ぐ屋上を目指した。
充の待つ、屋上に。




屋上のドアを開けた。
充が一人で座って居た。

「充」

桐山が声をかけると、充ははっとした様に振り向いた。

「ボス…」
充は困った様な顔をして俯いた。

そして、言った。「ごめんな、わざわざ来させちまって」
「いや」

桐山は一言だけ返した。
充は顔を上げた。
桐山の顔を見つめた。
桐山も、充を見ていた。

少しの間、見つめあった後、充が腰を上げて、桐山の方へと近づいて来た。

「あの時は、ごめんな」
「俺は別に気にしていない」

充は即答されて、少し言葉に窮した様だ。
また少し俯いたまま、言った。
「俺、あの時、嫌じゃなかったんだ。ほんとは、凄く、嬉しかった」

桐山は黙ったままーしかし少し驚いたのか、数回、瞬きをした。

「でも俺―どうしたらいいのか、わかんなくてさ…それに、俺・・・
俺なんかが…俺みたいな奴が…ボスにそんな事…していいのかって…」

充はたどたどしい口調で続けた。
「だから…あの時…あれ以上の事…出来なかったんだ。本当ごめん。あれからずっと、後悔してた」
普段の充とは別人の様に、今の充は弱々しく見えた。

桐山はそんな充を、やはり静かに見つめていたが、
やがて、少しだけ俯き、こめかみの辺りを触った。

桐山は顔を上げた。そして、言った。

「充、今なら、俺を抱けるか?」

充は驚いた様な顔をした。

大きな目を、さらに大きくした。

「こ…ここで?」
「鍵は閉めて来たから、誰も入って来ない」

充はまた顔を真っ赤にした。

桐山は無表情だった。

桐山は手を伸ばした。

桐山の真白い手が、そっと充の頬を包み込んだ。

桐山の唇が、充のそれに重なる。
桐山の目と充の目が合った。

唇が離れた。

「ボス…」
充が切なげな声で、桐山を呼んだ。

ゆっくりと視線を戻しかけた桐山を、充は強く抱きしめた。
今度は充の方から桐山に口付けた。

そうして、そのまま、
充は桐山を、押し倒した。


つづく





後書き+++かなり長すぎたので、後編と分けてしまいました。
同時に後編もアップしましたが、そっちは...
18禁ぎりぎりです。
それをご了承の上、ご覧下さい。
言い訳その他は、後編で...


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