「静かにしてくれないか」
その声は、気絶しかけの俺の耳に凛と響いた。
折れた指の激痛も一瞬忘れかけた。

あの人の持った筆に染み付いた青。
俺にほんの少しの間だけ注がれた視線。
深く昏い瞳。

「病院に行ったほうがいい傷だな」

あの人はそう一言だけ残して、俺の前から姿を消した。


Rapturous Blue

あれからずっとあの人のことばかり考えた。
ー桐山。桐山、和雄。
こんなにも一人の人のことを考え続けるなんて、初めてのことだった。

クラスで最初にあの人が紹介されたときは、別に気にも留めてなかった。
どうせ俺とは住む場所の違う、ただの大人しいお坊ちゃんだと思っていたから。
あんなすごい力の持ち主だとは思っていなかったから。


あの大して大きくない身体のどこにそんな力があるのだと思われるくらい、
見事な戦いぶりだった。
俺はただ、見とれているしかなかった。

あの人は俺を助けてくれた。
でも、あの人が滅茶苦茶にやられた俺に同情して手を貸してくれたのだとは思えなかった。
ほんの気まぐれ。―三人の上級生をあっという間に倒して、俺の目の前から消えたあの人が、
倒れた俺にほとんど興味を見せなかったことからもそれはわかった。

だけど、俺は助けて貰った。
あの人がそれをどう思っていようが、それは事実なんだ。




俺が登校して来た時、桐山和雄は教室の一番後ろの席に座って、何かの本を読んでいた。
背筋を伸ばし、詰襟のホックをきちんと上まで留めたその姿は、如何にも真面目で優等生らしく見える。
声をかけ辛い雰囲気。ーでも俺は、勇気を出して、声をかけた。

「よお」

桐山は、広げていた本からすっと顔を上げた。長い前髪がさらさらと揺れた。
俺の顔を見て、それから、俺の包帯の巻かれた手に視線をやった。
俺はちょっと力の無い笑いを浮かべて、言った。

「…病院、行ったんだ。やっぱ骨折れてた」
「そうか」
今思い出しても、この人と初めて会った時の俺はーどうしようもないくらい、格好悪かった。
それが恥ずかしい気がした。あの姿で、自分がこの人に記憶されているのかと思うと。
「…あの時は、ありがとな」
「いいや」
桐山は静かな表情を崩さなかった。じっと俺を、その真っ黒な瞳で見ていた。
少し、緊張した。
次の言葉がなかなか出てこなかった。

「…あんた、すげえな」
「何がだい?」
「何って…あんた、あの時三人も一人で片付けたじゃん。すげえよ」
「…そうなのかな」
桐山の反応は薄かった。俺は少し拍子抜けした。


それからもたくさん桐山に質問を投げかけた。
小学生のときはさぞかし名が売れてたんだろう。
空手の大会が何かで優勝したんじゃないか。
そんな喧嘩の仕方、どこで習ったんだ。

桐山を質問攻めにすることで、少しでも桐山の強さの秘密を知る。
ー今思えば馬鹿なことだけどーその時の俺は、あさはかだったし、
何でもいいから桐山のことを知りたい、と言う気持ちでいっぱいだった。

桐山は答えをきちんと返したり返さなかったりした。
桐山が沈黙したときは余計な詮索をしたかと不安になったけど、桐山は別に怒っているわけでもないらしかった。
ただ答えないだけ。何か理由があるのかもしれなかったけど、それまでしつこく追求するほど、俺は馬鹿な真似
をしたくはなかった。

暫く話した後、桐山は「…お前は変わっているな」一言呟くように言った。
「え?」
「俺にこんなに話しかけてきたやつは、今までにいない。なぜ、お前は俺のことをそんなに知りたがる」
桐山は心底不思議そうな顔をして、俺に問いかけてきた。

俺は一瞬何て答えていいか、わからなくなった。
ーどうしてだろう。
単に桐山の強さに興味があったから。最初は確かにそんな気持ちから、純粋な好奇心から、桐山に声をかけたのかもしれない。
でも、考えてみると、良く分からなかった。
途中から、強さとはあんまり関係ない質問をしたような気もする。

「よく、わかんねえ…ただ、あんたのことが知りたかった。気を悪くしたんなら、ごめんな」

結局、曖昧な答えを返した。俺は自分で自分の気持ちが、良く分かっていなかった。
桐山は「いや。」とだけ言って、俺を暫くじっと、観察するように見詰めていた。
それから手元の本に視線を戻した。
桐山は不思議な男だった。
でも、何故か気になって仕方なかった。

それからも俺は良く桐山に話しかけた。
ある時には一緒に下校した。桐山は入学とほぼ同時期に県外から引っ越して来たとかで、このあたりのことをあんまり
知らないみたいだった。俺はいろんなところに桐山を連れて行った。桐山は、いつも静かな表情で、黙って俺についてきた。
中には桐山みたいないい所の子どもが入るべきじゃない場所もあったけど、桐山は別に構わないみたいだった。
俺は何だかそれが嬉しかった。








「なあ、髪型とかー変えてみる気とかないか」
あの時の指の傷が癒える頃、俺は桐山に提案した。桐山はちょっと怪訝そうな顔をした。

「あんたー強いんだからさ。そういう普通の髪型よりもっと迫力ある髪型にしたほうが絶対似合うと思うんだ」
自分の好みを思わず口にしてしまってから、俺ははっとした。
…怒ったかな。
黙り込んだ桐山を見て、俺は不安になった。
余計なお世話だったかもしれない。ー俺の悪い癖だ。
俺の考えを人に押し付けるのは、傲慢なのに。


「…俺は別に何でもいい。好きにしたらいい」
俺ははっとして、桐山を見上げた。
桐山は相変わらず無表情だった。
「…ほんとか?」
「…任せても、いいのかな」

俺は力いっぱい頷いた。


次の日の放課後、俺は桐山の「改造計画」を実施した。
下校時刻を過ぎた教室には誰もやってきそうになかった。
整髪料は、昨日薬局で何度も迷った挙句に決めた、少し値の張るものを持ってきていた。
自分が使うものとは違うから。

俺の前に座った桐山の髪にそっと櫛を入れる。
艶のある黒髪は少しもひっかかることなく櫛を通した。
桐山は「好きにしたらいい」と言った。
だから俺は俺の思ったとおりに、桐山の髪型を変えようとしている。
前髪を梳かしているとき、桐山は目を閉じていた。


ーとても綺麗な顔をしていた。
男の俺から見ても惚れ惚れするような顔。
とてもあんな力の持ち主だとは思えない、至極大人しそうな、上品な顔。
俺は、そんなこの人を「こちら側の」世界に引き込もうとしてる。
それはいけないことかもしれない。ーこの人にとって、何の特にもならない、
でも。

黒髪を後ろに撫で付けた。白くて綺麗な額が露になった。
大分前、格好つけてやっては見たけど俺には全然似合わなくてーすぐに諦めた髪型。

ー俺はこの人を、俺が立っているのと同じ世界に立たせたかったのかもしれない。




「いいよ。この方が全然いい。ボス。コワそうでさ」
「…ボス?」
桐山ーボスは、ちょっと驚いたような顔をして俺を見た。
きっちりと整えられた、後ろ髪が少し長めのオールバック。
髪型一つ変えただけで、完全に「こっち側」の人間になったように見える。
それが何だか嬉しいような気持ちだった。
恐ろしいほど良く似合う髪型。

「…今日からあんたは、俺のボスだ」
俺は膝をついて、ボスに頭を下げた。
下らない事かも知れないーでも、これは儀式だった。
俺が俺の上に立つ、たった一人の人に忠誠を誓う儀式。
「俺はあんただけに従う。王は一人でいいんだ」
ボスは目を丸くして、俺を見詰めた。
俺は少し顔を上げて、笑った。




おわり

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「Rapturous Blue」
Pocket Biscuits のアルバム「Colorful」より。

2004/08/04

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