「ねえねえ充ちゃん」
「ん?」
放課後。
やけに機嫌の良さそうな月岡の声に呼ばれ、充は顔を上げた。
月岡の声が甘ったるいのにはもう慣れたものだが、それにしたって
今日は一段とトーンが跳ね上がっている。
その表情も何だか嬉しそうだ。
「何だよ、ヅキ」
「お花見行きましょうよ」
「へ?」
「こんなにいい天気なんだもの」
月岡は目を輝かせていた。
充はそんな突然、と言いかけ、やめた。
花見か。

ついこの間まで蕾だった桜は、今ではもうほとんど満開の状態で、既にその花びらを散らし始めている。
今見とかないと後悔するかも、な。
充はちょっと考えた後、その結論を出すに至った。
「ああ…いいかもな。だけど…」
充はちらっと自分とは少し離れた位置に座っている桐山の方へと視線を移した。
「ボスは…」

「桐山くーん、桐山くんも行きたいわよね?お花見」
充が話し終わる前に、月岡は桐山の方へとにじり寄って、懇願するようにそう訊いた。
ね、いいでしょう?甘えたような声で言い、桐山を上目遣いに見上げる。
桐山より月岡の方が背も高く体格も良いので、その様子は酷く滑稽なものだった。
桐山はそんな月岡を無表情で見詰めていたが、やがて「ああ。悪くないんじゃないか」と
静かな声で答えた。
月岡の顔がぱっと明るくなった。
「嬉しいわvじゃあ、決まりねv」
ファミリーのリーダーたる桐山の許可が降りたのに満足してか、月岡はひどく嬉しそうに
笑ってそう言った。
「竜平ちゃんも博ちゃんも行くわよね?」
「ああ。面白そうだよな」
「俺も」
反対する者は誰も居なかった。

一旦家に帰ってから、夕方、毎年花見の出来る森林公園で待ち合わせる約束をした。

待ち合わせ場所に到着した充は、先に到着していた月岡の姿を見て、ちょっと驚いた。
「おいヅキ、その荷物どうしたんだよ」
「あら、これ?お花見に行くって言ったらお父さんがくれたのよv」
月岡は得意げにウインクして、片手に持った大きな鞄を持ち直した。
充はすぐにその鞄の中身が何なのかを察した。
まあ花見と言えば、それだよな。
ここは月岡の用意の良さを賞賛するべきだろう。

やがて黒長、笹川もやって来た。
「あとはボスだけだな」
約束の時間は笹川達がやって来た時点で五分ほど過ぎてしまっていたが、一向に桐山が
現れる様子は無かった。
ー途中でやっぱ嫌になったのかな。
充は少し不安げな表情になる。
桐山の気まぐれは今に始まった事ではない。
だが桐山はここ最近になってからは、ずっと自分の誘いを断らずに、ちゃんと来てくれていたのに。
「もう桐山くん、何してるのかしら…」
月岡がついに不満げな声を洩らした。
しかしすぐに月岡はあら、と言って目を丸くし、次の瞬間には手を振り上げた。
「桐山くんv」
充ははっとして顔を上げた。
「ボス!」

桐山は特に急いだ風も無く、こちらへと歩み寄って来た。
服装は黒い上等なカッターシャツに、下はレザーパンツと言う組み合わせ。

「あら桐山くんたら、格好良いわねv」
「そうか?」
月岡に言われると、桐山は首を傾げた。
月岡はそんな桐山に、含み笑いをしつつ言った。
「充ちゃんが照れてるわよ?」

桐山はゆっくりと視線を充の方へと動かした。
桐山と目が合うと、充は思わず顔を紅くした。
「て…照れてなんかねえよ」
嘘だった。
充は見とれてしまった。
普段とは違った雰囲気の、桐山の姿に。


もう六時を回ったというのに、空はまだ随分と明るい。
五人は森林公園の中、落ち着ける場所を求めて歩いていた。
もう少し早い時期に来たなら、この辺りにも毎年夜店が出ていたのだが、
それらも既に引き払ってしまったらしい。
人通りはほとんど無く、辺りは閑散としていた。
五人だけが際立っていた。

「ほんと誰もいねえな」
「あら、これでいいのよ。うるさい酔っ払いもいないし」
月岡がそう言って微笑むのを横目に、充は隣を歩く桐山の方を見た。
桐山の端正な横顔が視界に収まった。
他の四人の服装がごくカジュアルなので(最も月岡はどこかずれた格好をしていたけれど)
桐山の姿は特に目立っていたが、それはそれで様になっていた。

「あそこは駄目かな」
「―え?」
桐山が突然此方を見て、言った。
桐山は自分の斜め前にある大きな木を指差していた。
「あそこがいい」

充は少し驚いた。
桐山がこんなにはっきりと自分の意見を言う事は珍しい。
桐山はじっと此方を見ていた。
充の答えを待っているようだった。

「いいと思うよ、俺も」
充はそう言って桐山に微笑みかけた。
「お前らもいいだろ?」
後ろを歩く笹川や黒長にそう言うと、二人はいいんじゃねえ?と返した。
この二人は特にこだわりを持って居ない様だった。
しかし問題は。
「ヅキ、いいよな?」

急に黙ってしまった月岡にちょっとおびえながら、充は尋ねた。
普段うるさい分、黙った時の不気味さは底知れない。
月岡はじっと桐山の指定した場所を眺めていたが、やがてやっと相好を崩した。
「うん。いいんじゃない?」



月が桜の枝の隙間から覗いていた。
欠けた所の無い、見事な満月。
はらはらと舞い落ちる花びら。

春は桜が舞い落ちる季節。
冷たく凍っていた空気が柔らかく溶けて温まる、
そんな季節。
充は春が好きだった。
温かい気持ちになれる春が大好きだった。

充は軽く溜息をついた。
視界の先、顔を耳まで真っ赤に染めた黒長が気持ち良さそうに寝息を立てている。
空になった酒の瓶がいくつか転がっていた。
博は酒弱いんだから、ヅキもあんまり飲ませる事無かったのにな。

その月岡はと言えば、まだ余裕たっぷりの様子で新しい焼酎の蓋を開けている。
バーの息子とはいえ、中学生でこれほど飲めるやつも珍しいだろう。
充が半ば呆れたようにそんな月岡を眺めていると、突然後ろから抱きつかれた。
「充ぅ」
「わっ…なんだよ竜平…」
月岡に勧められて、自分の限界も考えず飲み続けたやつが、ここにももう一人。
振り向くと、笹川はじっと充を見詰めた。
やべ…こいつ…完璧目据わってる…。
ちょっとたじろぐ充を離さずに、笹川は甘えたような声で言った。
「なあ充ー、やっぱ俺お前しかいないや…」
まるで女を口説くような口調。
充は呆れ返った。
「おい竜平、俺は女じゃないぞ、とっとと離れろよ」
あくまで冷静な声で充は言い放った。
笹川は酔っ払うとたちが悪いのだ。
「何言ってんだよ、俺、女なんかよりずっとお前の方が…」
そう言って笹川は充の耳元に唇を寄せて来た。
「てめえ、馬鹿、やめろ!」
キスまでしかねない勢いの笹川を、やっとの思いで引き剥がした。

充に引き離されて、きょとんとしている笹川に、月岡が気の毒そうに声をかけた。
「あらあら、竜平ちゃん、振られちゃったのね」
「ヅキー、俺…俺…」
笹川は泣き上戸だったようだ。
月岡に縋って、情けなくもすすり泣き始めた。
月岡はそんな笹川を、よしよし、とでも言うように宥め、背中を撫でてやっていた。

ったく、酷い目にあった。
充はまた溜息をついた。
せっかくの桜なのに。
まあ、このメンバーで静かに花見をするというのは無理な相談なのかもしれないけれど。

ん?そう言えばボスは…。
充は桐山を探した。
つい先程まで、桐山もやはり月岡に勧められて飲んでいたのだが、充が笹川と揉み合っているうち、
何時の間にか姿を消していた。

「ヅキ、ボスは?」
「さあ?」
月岡の返事は素っ気無かった。
今は笹川に膝枕をしてやっている。

充は桐山を探した。
ここがいい、と言ったのはボスだったのに。
そう思いかけ、充はふと思った。
もしかしてボスも静かに桜見たかったのか…?
辺りを見回した。
ボス、どこに…。

充は必死に桐山を探した。
急に不安になった。

桐山の顔が見たかった。

その時。
やっと充の視線は、探し求めていた人を捉えた。
「ボス―」

声をかけようとして、充は息を飲んだ。

はらはらと舞い落ちる花びらの下。
桐山は少しだけ顎を持ち上げて、空を見ていた。
桜の枝の間から零れる、朧月の柔らかな光が桐山の端正に整った顔に絶妙な陰影を作っていた。

不思議な光景だった。
まるで桐山だけが、別の世界に存在しているかのように。

どこか翳りのあるその顔には、いつもとは異なった憂いが含まれている様に見えた。
充は、思わず呼んだ。
「ボス―」
また、不安になった。
桐山が自分の届かない所に行ってしまったように思えて。

しかしどうやらそれは考えすぎだったようだ。

桐山はゆっくりと此方を向いた。
充はほっとした。
自分の声は、ちゃんと桐山に届いていた。

「充」
桐山は、此方に右手を差し出した。
「こっちへ来ないか」



桜の花びらが絶え間なく舞い落ちる。
もう数日と経たないうちに全ての花びらは散ってしまうだろう。

桐山と充は二人並んで座っていた。
舞い落ちる花びらを見詰めながら。
ふいに桐山が、そっと充を抱き寄せた。
「ボス!」
充はびっくりして桐山を見た。
あいつら来たらどうするんだよ。
充はそう桐山に抗議しようとした。
しかしそれは叶わなかった。
声が、出せなかった。

柔らかい何かが、充の唇を塞いでいたのだ。
桐山は、充を抱きしめる手に優しく力を篭めた。
充はついに観念した。
桐山の腕の中で体の力を抜いた。
彼の抱擁は優しかった。
けれど。
充は桐山を見上げた。
相変わらずの無表情な顔が、そこにはあった。

―ボスもきっと酔っ払ってるんだ。

でも酔っ払ってるなら、もう少し位あったかくてもいいじゃないか。
どうして、ボスは…。
どうしてこんなに、冷たいんだろう。
桐山の周りだけ、冬の真っ只中にあるかの様に。
桐山の身体は冷たかった。
思わず充は、桐山に抱きついた。
「寒いんだよ。充」
桐山が耳に良く通る、しかしとても静かな声で言った。
「充は温かいから。充に触れていたいんだ」

桜が散る季節になったのに。
桐山の肌は冷たいままだった。
決して温まる事がない。

「…ボス」
充は桐山を見詰めた。
「ボスがそうしたいならいい」
桐山の冷たい背中をそっと撫ぜた。
「ボスが寒いんなら」

―俺と居て、ボスがあったかくなれるんだったら。

充は桐山の胸に顔を埋めて、桐山をぎゅっと抱きしめた。
桐山を少しでも温めてあげられるように。

体の熱が奪われていく。
ただ、それはきっと桐山に伝える事が出来ているから。
桐山の腕にも力が篭められたような気がした。

「ずっと、傍に居るんだろう?充」
睦言の様に、桐山は充に囁いた。
「うん。ずっと」
表情の無い桐山に、充は微笑みかけた。

柔らかい感触が額に触れた。
少し驚いて見上げると、今度は唇に。

二人の周りには薄桃色の花びらが敷き詰められていた。
柔らかな月明かりが二人を包み込んでいった。



おわり



++後書き++

桐ファミお花見+桐沼小説。
久々にカップリング書きました。
これは桐沼っぽいなと思ったので桐沼。
沼桐バージョンも書きたいな。
微妙に充モテモテを狙ってみた。
楽しかったのはヅキ笹と笹沼です(笑)。

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