「総長!」
目聡い、と。
囁いたのは艶やかな黒の長髪、身構えた黒装束を片手で制した。
運転手に頼んで路肩に寄せた車体、後を追ってきた大型バイクが急停止する。
「…困った。お前は免許を持っていないよな?」
フルフェイス、外さなくても誰だか判る。可愛らしいワンコは全部、すぐに判る。
「悪い子だ、カナタ」
「帰りましょう」
降りてきた要がヘルメットを外しながら、真っ直ぐ見つめてきた。
佑壱が他人に愛車を貸すのは初めてではないだろうか。俊ですら、愛車を汚したら睨まれる。
「イチの仕業か。確かに目聡い」
「皆、待ってます。総長」
「我儘を言わないで下さい、青蘭」
「口を挟むな美月。これ以上、洋蘭を刺激しないで下さい。取り返しが付かなくなる」
「吾は正しい事をする。全ては奴らが呼び寄せた事態に過ぎない。汝は無関係ですよ」
「美月!」
「汝は騙されている。だからルークに従っているのでしょう?可哀想な弟よ」
要の手が美月へ伸びる。
それより一瞬早く伸びた手が要の喉を絞り上げた。
「ぐっ」
「李?!青蘭から手を離しなさい!」
「いやだ」
「李っ」
「美月へ仇なす人間は許さない。一人残らず消す」
苦しげな要が、喉を締め上げる手へがむしゃらに抵抗しながらも、ひたすら俊を見つめている。
但しサングラスを押し上げながら、指を鳴らした男。
「Close your eyes.」
ふっ、と。
力を失った要が崩れ落ちた。弾みで外れたらしいピアスの羽根飾りが、アスファルトに舞う。
「お休み、要」
ひらひら・と。
「離せ!」
凄まじい怒号を物ともせず、つかつか歩いていく男は終始無言だ。
ビリビリ大気を震わせる叫びには、半ば殺意が滲んでいる。
「無視かシカトかイイ度胸だ、何処に連れ込むつもりだボケェ!生爪剥いで塩麹に漬け込んで美味しく焼くぞコラァ!!!」
真っ直ぐ向かう先。
とある一室、赤い赤い時計塔の最下層だった。正面玄関からではなく、階段の脇へ足を向けた長身が漸く足を止める。
「失礼を許されよ、義母上」
何事だと目を丸くしている女性が、ソファの上で読んでいた本から手を離した。
ばさり、と。
落ちた分厚い本は有名な童話だったそうだが、この光景はまるで、それに良く似ていた。
「母を訪ねて三千里とは…懐かしい」
「帝都、さん」
「義母上、今宵の贈り物を」
「…その方は?」
どさり、と。
婦人の前に下ろされた男は、乱れた前髪の下、ずれた眼鏡にも構わず呆然と。
ただひたすら、呆然と。
「在るべきものは、在るべき場所へ戻るが宿命」
はらはら、滴り落ちる雫を拭おうともせずに。
「かあさん」
零れ落ちた言葉で。
満足に立ち上がれる筈もない女性は然し、奇跡の様に立ち上がったのだ。
浚われた。
目の前で大の男が一人、お姫様抱っこで連れて行かれてしまった。
暴れると言うものではない暴れっぷりを、然し無表情で抱えていった美丈夫は引っ掻かれ様が殴られ様が蹴られ様が構わず、すたすた歩いていったのだ。
あれは、現実だろうか?
「ああ、東條君。やっと見つけたよ」
聞き覚えがある声に振り返り、思考回路がまともに働いていない事を再確認する。
ああ、これは自治会役員の一人だ。一瞬でも誰だったか思い出せなかった。
「自治回線の調子が悪いみたいなんだ。繋がらないから探しちゃったよ」
「繋がらない?何かあったのか?」
「雷の影響で、サーバーが落ちたみたいだね。職員室に理事が居たから、何とかしてくれるって」
クラスメートすらも判らなくなる程の混乱を宥めながら、何の用かと話を促した。今はこんな所に居る場合ではない。
「グランドゲートにお客様が来てるんだ」
「客?こんな時間に」
「それがどうやら西園寺学園の方らしくて、理事長か神帝陛下を探してるんだけど…」
漸く話が見えてきた。
帝王院と同じく、専科制の進学校である西園寺学園は、土日もカリキュラムを組んでいる。こんな夜間か早朝でもない限り、外出するのは難しいのだろう。
「西指宿会長は相変わらず行方不明だし」
「イーストを見つけ出すのはツチノコを探すより難しい」
「最近は一年の山田君にハマってるみたいだけど、いっそ付き合ったら良いのにね。身を固めたら落ち着くと思うんだ」
山田とは誰だと考えて、ああそうか左席副会長だと考え至る。これは、ほぼ全校生徒が知らないに違いない。別の意味で有名な左席副会長は、本人自体は取り立てて目立つ人間ではなく、どちらかと言えば地味な人間だ。
Fクラスのフォンナート一派を従え、夜間の校舎を徘徊しているだとか、カルマを脅しているだとか、様々な噂が流れている。
何せあの叶二葉が、自ら頻繁に構いたがる相手だ。日向と佑壱、二葉と山田の小競り合いは日課に近い。
学園七不思議に認定されるのも近いのではないか。
「残念だが陛下は外出中だ。理事長は…良い、俺が迎えに行こう」
「あ、本当?僕、買ったばかりの新刊が部屋で待ってるんだ」
「新…?」
「え?何でもないよ。じゃあ頼むね東條君。西指宿会長も安部河君も隣に居ない事が残念でならないけど、お休み」
にっこり笑顔で去っていった背中を何ともなく見送り、正門目指して振り返れば、エントランスゲートの街灯を浴びた人影が見えた。
「出迎えが遅い」
きらきら、と。
余りにも神秘的に煌めくホワイトブロンドに、一瞬息を呑む。
良く見れば僅かばかり青みを帯びたアイスブロンドだ。それに、神威より幾らか背が低い。
「私は弟以外に待たされる事が何よりも許せない男だ。貴様ら帝王院が与えた侮辱に対する処遇は追々考えるとして、…久し振りだな、東條清志郎」
懐かしい事を思い出した。
彼の声に、あの人はとても似ていたのだ。
「かずか、か?」
「親戚同士、感動の対面は後にしろ。西園寺学園生徒会長としてわざわざ足を運んだんだ」
傲慢なまでの美貌が街灯に照らされる。神々しいまでの美貌は吊り上がった双眸を眇め、真っ直ぐ、射抜く様に痛々しいまでの視線で。
「左席委員会現生徒会長の元に案内して貰おうか」
「何故、お前がそれを知っているんだ。学園の機密に触れる、それを」
「何故?判り切った事を聞くんだな、君は。今、君が呼び捨てにした私の名を知らないのか」
「…まさか」
ああ。
あの人はきっと初めから、判っていた。何も彼も全て、判っていたんだろう。
「帝王院財閥の子息には、数年前の初対面で散々煮え湯を飲まされたからな。二度と会いたくない」
「お前にも苦手なものがあったのか」
「真顔で言うな、殺したくなる」
「冗談だろう。お前は道場で一番強かったじゃないか」
「合気道は、な。空手も柔道も弟の方が強い。もう師範ですら組み手の相手は出来ないそうだよ」
騙されていたとは思わない。けれどもしかしたら、誰よりも悪い人間なのかも知れなくて、彼は。
「どうせ同じ『苦手な人間』なら、血が繋がってる方が些かマシだ。貴族の外人なんざロクなもんじゃない」
「お前が言うと説得力に欠けるんだが…」
「私の中身は十割日本人だ。弟にハァハァする恙ないブラコン、弟以外はぶっちゃけどうでも良い」
「…はぁ。残念ながら、マジェスティも猊下も外出届が出されて、」
警備員らしき男達がバタバタとアンダーラインに向かって走っていった。会話の途中で眼鏡を押し上げた男が素早く振り返り、並木道をじっと見つめている。
「誰か居るな、そこに」
「和歌、下がっていろ」
警戒しながら近付いた。
気配はないが、彼が言うなら間違いないだろう。傲慢ブラコンだが、信頼に値する相手だ。
「誰だ」
「おわ!ちょ、しーっ」
植え込みを掻き分けた瞬間、伸びてきた手が口元を押さえてきた。振り払う前にそれが東雲村崎だと気付き、肩から力を抜く。
「堪忍してやっ、見付かってまうやろ…!」
「東雲先生…?理事長室に向かったんじゃ?」
向かったと言うより、お姫様抱っこにされた男の手に捕まって、引きずられたと言うか。
「マジェスティの手回しで逃げ延びたんや。あかん、あの人だけ連れて行かれてしもた…!」
「…」
「ゼロの奴も電話出ぇへんし…何しくさっとんねん、あん餓鬼ぃ」
ガシガシ頭を掻いている村崎を何事かと見つめれば、また。バタバタ駆けていく足音。
「誰だこの変質者は」
「…和歌、教師を変質者と言うな」
「あん?誰や?うちの生徒…や、ないな。その制服、西園寺やろ。遥の学校の生徒、違うか?」
「ふむ、我が理事長を呼び捨てとは…成程。東雲財閥の跡取りがコレか」
「コ、コレて…」
汚いものを見る様な目に、痙き攣った東雲が東條を見る。が、力無く首を振った東條は素早く辺りを見回し、弾かれた様に正面玄関方面を見た。
「東條?」
「リムジンの音が近付いてくる」
「ほんまか?」
呟いたのは東條。
植え込みに潜り込む東雲を横目に、携帯を開いたもう一人の男がまた、汚いものを見る様な目で受話器に耳を当てる。
「何だロイ。…は?道に迷っただと?使えない金髪だな貴様は、もうそこで息絶えろ。は?知るか、ヒッチハイクで帰れ役立たずが」
軽やかに並木道を突き進んできた黒塗りの車が停車し、黒一色の男が降りてくる。
僅かに緊張を走らせた東條の傍ら、通話の途中で満面の笑みを浮かべた男と言えば、
「久し振りじゃないか、帝王院」
いっそ清々しい程の大声で、握っていた携帯を投げ捨てた。弾き転がった小さな機械が長身の足元で止まり、小首を傾げた男が柔らかく笑む。
「おや。これはこれは…何処かで見たお顔ですねぇ、陛下」
先に降りた二葉が、リムジンの後部座席へ愉快げに微笑み掛けた。二葉の手に掴まって降り立った男は東條らを一瞥し、微かな息を吐く。
「…そなたは記憶力が良いな、セカンド。私には見覚えがない」
「いやですねぇ、あれは清廉の君ではありませんか。紅蓮の君に続いて、二年御三家の一人…自治副会長ですよ」
痙き攣ったのは東條の傍ら。
携帯を投げた拳を震わせながらも、麗しい笑みは崩れていない。
「侮辱には乗らない。…年上じゃなかったら生かしてないんだがね、帝王院生徒会長」
つかつかと、神威へ近付いた男が青みを帯びたブロンドを優雅に掻き上げる。
「少しは他校生の来訪を、喜ぶ素振りだけでもして欲しいね」
冷たい金属の仮面を纏う長身は興味がないとばかりに背を向けたが、
「確かに、我が校の生徒ではない様だ。然し我が校に制服着用義務はない」
「服装だけじゃ判断は難しい?ふん、なら改めて名乗ろう。西園寺学園生徒会長、遠野和歌」
「とおの、…遠野?」
「覚えて貰う必要はないが、便宜上、貴様が職務放棄するならこちらにも考えがある」
振り向いた神威がぽつりと呟いたが、気づいた者は居ない。面倒臭いとばかりに欠伸を発てている二葉と言えば、腕時計を一瞥し『良い子は寝る時間』とほざいた。
「よそ様の坊や。もう夜も更けました、話の続きは後になさい」
「随分世話になってるそうだね。西園寺ではその噂で持ち切りだ」
二葉の軽い皮肉では表情一つ変えない男は真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐ神威だけを見ている。
何か恨みでもあるのか、それとも余程苦手なのか。目を逸らしたら負けとばかりに、真っ直ぐ。
「鬼神を怒らせた庶民、生贄に選ばれる、と。…笑わせる」
笑顔を忘れた二葉が恐る恐る神威を見上げ、諦めた様にもう一度息を吐いた神威が、仮面へ手を伸ばした。
「アレの扱い難さは天下一品だろう?当然だ。私にしてみれば、君より余程アレの方が面倒臭い」
外した仮面を二葉に押し付け、優雅に優雅に、前髪を掻き上げた長身が満面の笑みを滲ませる。
「…良かろう。心より貴殿の来訪を歓迎しよう」
「初めから素直にそう言えば、」
「但し」
「何か?」
「今後一切。そなたが朝のない眠りを遂げるまで、永劫」
街灯を逆光に。
真っ暗な闇を従えて、凍える笑みを。
「そなた如きが軽々しくアレ呼ばわりするでない、────下等生物が。」
世界を従える、囁きと共に。