生命賛歌






「どうしたポルナレフ、寝ねぇのか。そんな格好で夜風に当たってると風邪引くぜ」

「おぅ、もう寝るぜ。……それにしてもこの辺全然変わってねーよな」



そう言ったポルナレフは窓を閉めたあとも側の壁に寄りかかり、承太郎に背を向けたまましばらく外の景色を眺めていた。各部屋に1つずつ設けられているその大きな窓からは、心許無い灯りに照らされた薄暗く閑静なカイロ市内の街並みが見える。賑やかな人混みの中を乾いた熱風が吹く昼間とはうってかわって、窓から入り込む夜風は震えを感じる程に冷たい。昼は昼で灼熱地獄だというのに、夜は夜で結構な寒さをおぼえるというエジプトならではの気候だ。


そしてこの独特な気候を2人は既に経験していた。


ほんの数年前だ。様々な仲間たちと出会い、共にDIOを倒すための旅をしていたのは。
50日あまりの僅かな期間だったにも関わらず、それはそれは壮絶な日々で、多くの出会いや思い出と共に多くの犠牲も生まれた旅だった。そして現在、承太郎とポルナレフは当時と同じ場所を旅している。
 









2人が「弓と矢」の存在を知ったのは最近のことだった。SPW財団がエジプトで新たな資料を見つけたのだ。
正義のスタンドの使い手、エンヤ婆が所持していたでと思われる謎の弓矢。何に使っていたのか、何処へ消えたのかもわからない不気味な存在。SPW財団はこの弓矢の存在を危惧した。そこで頼りとされたのがかつて彼女らと直接対決した経験を持つ2人の戦士だった。以前の旅での別れから僅か数年。承太郎とポルナレフはSPW財団の仲介のもとで再会を果たすこととなった。そして消えた弓矢の行方とその正体を調査するために、多くのスタンド使いの巣窟、もといDIOの本拠地であったエジプトを再び訪れるに至ったのだった。



「今は暗くて見えねーけどさっきまではここから砂漠の方も見えてたんだぜ。観光スポットも増えてねーし、マジで変わり映え無さすぎンだろ」

「ここは先進国じゃあねぇからな。ほんの数年しか経っていないとなるとそんなもんだろう」



承太郎がそっけなく答える。


 「分かってるけどよォ〜〜、折角少しは落ち着いて見て回ってるっつーのに全然観光してる気分になんねぇンだよなァ〜〜。トイレも相変わらず綺麗なトコ少ねーし、乞食に財布は盗まれるし、やっぱり居心地わりぃぜ。つくづく俺みたいなナイスガイには相応しくない国だ。まぁ一部の料理は認めてやってもいいけどよ、露店なんかは相変わらずぼったくりだらけだし文句の一つくらいは言いたくなるぜ」


承太郎に背を向けたままぶつくさとエジプトへの不満をくっちゃべるポルナレフを横目に、承太郎はベッドへ寝転がった。エジプトの景色も数年じゃ殆ど変わらないが、ポルナレフのこういった性格も景色と同様に変わっていなかった。承太郎は何も言わずに目を閉じ、時折同意を求めてくるポルナレフに適当に相槌を打っていた。


 「…………………まぁ、静かにはなったけどな」


ふいに声のトーンが落ちて呟かれたポルナレフの言葉に承太郎は目を開けた。
依然景色を眺め続けているポルナレフの背中が、さっきよりも少し小さくなったように見えた。
夜風に吹かれ冷えた身体に前回の旅と変わらない風景が沁みたのか、感傷に浸ったように呟かれたそれに、承太郎はとっさに返事を返すことができなかった。


以前の旅には他にも仲間がいた。アヴドゥル、花京院、イギー。ジョセフは今も健在だが、歳が歳なだけに今回の調査には参加していない。承太郎とポルナレフだけの旅は以前の旅に比べるとかなり静かなものだった。勿論2人でもそれなりに会話は弾むが、5人と1匹でいるときの賑やかさには敵わない。然程時間が経っていないだけに、一度でもそのことを意識すると亡くなった友との様々な思い出が鮮明に蘇った。そしてそんな皆と歩いてきた場所を現在は2人で歩いているという現実が急に重みを増してのしかかっってくるのだった。


特にポルナレフは目の前で友の死を見ている。それも自分を庇っての死だ。
承太郎も同じように友を亡くした悲しみを背負ってはいたが、幸か不幸か誰の死の瞬間にも立ち会うことがなかった。ポルナレフが感じる負い目は自分より大きいものであるかもしれない。そう考えると、そんなポルナレフに承太郎が簡単にかけられる言葉など思い浮かばなくて2人の間に沈黙が流れた。










 「……なーンてな!!俺はお前との2人旅も十分楽しいぜッ!!!」


それなりに長かった沈黙はポルナレフが自ら破った。
しんみりした空気を払い除けるかのように、勢いよく承太郎の方へ振り返ったポルナレフはいつも通りの笑顔を浮かべていた。



「ポルナレフ……」

「しばらくは会うこともねーと思ってたしな。まぁ本来ならそっちが正解なんだろうが、またこうしてお前と無事に会って話せたことに関しては素直に嬉しいと思ってるぜ。どうせ向こうじゃ独りだしよ、調査とはいえ今回の旅はそれはそれで結構楽しみにしてたんだ」



そう言って少し恥ずかしげに笑うポルナレフに、承太郎もほっと胸を撫で下ろした。
そして一言、俺もだと言葉を返した。決して多くは語らない承太郎だが、その表情は言葉以上に優しいものだった。


「ううっ…夜風にあたりすぎたのかちと寒いぜ。おい承太郎ッ!自分だけズリィぜ、俺も入れろッ!!」


承太郎の言葉にパッと表情の明るくなったポルナレフが、承太郎のベッドに飛び込むように潜り込んだ。
そして承太郎が独占していた1人用のブランケットをグイッと引っ張ると、背を丸めてその身を縮み込ませた。
自分から夜風に当たって感傷に浸っていたくせにこれだ。相変わらず切り替えの早いポルナレフに半ば呆れながらも、承太郎は拒むことなくスペースを空けてやった。侵入してきたポルナレフの身体は承太郎が若干の冷気を感じる程に冷えていた。
やれやれだぜ…。そう心の中で呟き、ポルナレフにブランケットを多めに掛けてやったときだった。


「…………承太郎。生きててくれてありがとな」


それは同じベッドで寝てなければ聞き取れないほどに小さく掠れた声で、承太郎にとっては初めて聞くポルナレフの声だった。少しうわずったその声は、ブランケットで顔を隠していてもどんな表情をしているのか容易に特定できた。










ポルナレフは既に両親を失っている。そして最も愛情を注ぎ慕っていた妹も若くに失った。
そして1人で母国から旅立ち、様々な経緯を経て一行と出会った。だが、その後も大切な仲間であるアヴドゥルとイギーが自分を救いながら命を落とし、なんでも言い合える親友だった花京院も亡くなってしまった。本人曰く自分には悲しい友情運があると語る中で、唯一生きててくれた愛する親友。それが承太郎だった。
以前の旅の終わり際にはジョセフから共に暮らさないかと誘われた。けれど母国の存在、そして自分の悲しい友情運のことを思うとその誘いを受けることができなかった。それでも今、こうして再び承太郎と出会い触れ合うことができる。それがポルナレフにとっては何よりもの幸せだった。


そんなポルナレフの思いを承太郎はどこまで感じ取れたかは分からない。
けれど確かに何かを悟った承太郎は、ブランケットにうずくまるポルナレフの身体をぐっと胸に引き寄せ抱き締めた。
思ってもなかった承太郎の行動に一瞬身を固くしたポルナレフだったが、それが厚情によるものからだと察すると承太郎の背中に手を回した。それを確認した承太郎が腕の力を少しだけ強める。冷えていたポルナレフの身体が徐々に温もりに包まれていく。


「安心しろ、ポルナレフ。この空条承太郎はそう簡単には死なねぇぜ」


間近で見てたろ、と言葉を続けるとポルナレフの顔が見えるようにブランケットを捲った。
ポルナレフの少し赤く潤んだその瞳には、涙で滲みながらも優しくて、温かくて、力強い笑みを浮かべる承太郎がしっかりと映り込んでいた。



「……っ………メルシー、承太郎。お前にはいつも助けられてばかりだ」

「俺はいつも誰かに生かされてる。花京院、イギー、アヴドゥル、ジョースターさん。誰か1人でも欠けてたらとっくの昔に消えてた命だ。そして承太郎、お前には一番多く救われてきた。しかも命だけじゃあねぇ。こうしてる今もお前は俺の心まで救ってくれてる。感謝してもしきれねぇ…」



そう語ったポルナレフの顔には再び笑みが戻っていた。


「今日だけでいい。このまま寝かせてくれ…」


最後に一言そう告げると、ポルナレフは承太郎の腕に包まれたままゆっくりと瞼を閉じた。
今まで人に甘えるということを知らなかったポルナレフが初めて人に甘えた瞬間だった。










こんなこととても口に出しては言えねぇが、あの辛い旅が最後には楽しかったと思うことができたのは直情で前向きなポルナレフ、てめーがいたからだぜ。それにこんな俺に飽きもせずうっとおしいくらい絡んできやがって…おかげですっかり忘れられねぇ存在になっちまった。そのくせじじいの誘いは断りやがるし、学業で忙しい中結構無茶して計画したこの旅をそんな風に思ってたなんて分かったら喜ばねぇ奴はいねぇ。


「…やれやれだぜ」


承太郎の心の中で紡がれたポルナレフへの思いはたった一言、いつもの言葉にたっぷりの愛情と共に詰め込んで昏々と眠るポルナレフへと投げかけられた。


いつか終わりの来る旅だと最初から分かっている。
けれどどうかこの体温だけはこの後もそう簡単に冷めないでくれと願うかのように、2人はお互いを温めあった。


このまま永遠に時が止まればなんてことは望まない。
ただひたすら互いの無事と幸せを願う、それだけだった。





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