キスの雨を降らせて
「…億泰から離れるな」
咄嗟に口から出た言葉に自分でも驚いた。
目の前にいる少年が首を傾げながら眉を顰める。
彼の視線の先には、無防備にも腹を出しながら幸せそうに眠るもう1人の少年の姿があった。
「どーゆー意図があるのか知らないっスけど、俺は億泰から離れるつもりはねぇっスよ」
躊躇いも動揺もなく、ただただ真っ直ぐに向けられた言葉と瞳。
彼らには必要のない忠告であったことに安心する反面、胸のどこかでは羨ましくも感じていた。
未来の不安に潰されることのない青さ、そしてそれを口にできる素直さ。自分にはなかった眩しさ。
本当にこの言葉を欲していたのは、他の誰でもない自分自身だったのかもしれない。
ことの発端は数時間前のことだった。
杜王町での件も一段落ついて実家に帰ることになった承太郎は、身の回りの整理のために世話になった礼も兼ねて東方家を訪れていた。しかし、事前に連絡してあったわけでもなかったため、急な訪問に仗助の母親である明子は丁度家を空けてしまっていた。そこでその代わりといってはおかしいかもしれないが、仗助とその親友である億泰が共に留守番をしていたらしく、承太郎は少年たちの活気溢れる声によって室内へと迎えられた。
勿論留守番といってもそれらしいことしていた気配はない。ただ単に漫画を広げながらテレビゲームで遊んでいただけだ。現に承太郎が鳴らしたインターホンにも暫くの間応答がなかった。話を聞いたところ、丁度ゲームがいいところだったらしく、2人して手を離すことができなかったという随分と潔い言い訳が返ってきたが。特に戸締りもしてなかったことを思うと、留守番としては全く機能していなかったようだ。
まぁ、だからといってどうというわけでもないのだが…。
ガキ臭く見えても中身はあの吉良吉影を追い詰めるほどのスタンド使いだ。ちっとやそっとのハプニングなら自力でなんとかできるほどの力はとっくに持ち合わせているだろう。おまけに人を思いやれる優しい心も備わっている。母親を悲しませるようなこともしないはずだ。そういった面では2人のことを高く評価している。しかし逆に言えば他の面ではまだまだガキだ。自分たちが熱中してしまえば周りが見えなくなるし、他人への気遣いも若干鈍る。おそらくあのときの2人にとって承太郎の登場は、場を盛り上げるのに都合のいい人間が来たとしか思っていなかったのだろう。承太郎は見事なまでに2人の輪の中に巻き込まれてしまった。
一方で仗助が下手だから代わってくれとせがまれ、一方で自分でも勝ちたいからコツを教えてくれとせがまれ、両方から承太郎さんは器用そうだからとハードルをあげられ、自分が東方家を訪ねに来た用を伝える隙もないままにゲームのコントローラーを握らされた。下手に目を輝かせてくるせいで断る方が悪いようにも思えて、少しくらいならと付き合ってやったのが間違いだった。ゲーム自体はすぐに要領を掴める難易度のものばかりで大したことはなかったのだが、問題はこのガキどもの勢いだ。少しでも上手くプレイすれば、やれこっちのゲームも進めてくれ、やれあっちの敵を倒してくれと躊躇なしに注文してくる。いい加減にしろと軽く声を荒げても、ゲームの進展に大盛り上がりな2人にはどこ吹く風。怯むどころか益々笑顔を輝かせる2人にすっかり気圧されてしまい、とことん付き合う羽目となった。
「あー、そのォ〜〜〜、すみませんでした……」
軽く3時間は経っただろうか。ゲームを終えて、熱の冷めかけた仗助が深く頭を下げる。
承太郎はそれに対して、もういいとだけ返して顔を上げさせた。現役の学生たちのノリに巻き込まれてすっかり疲れてしまい、もはや文句を言う体力も残っていなかった。それに、なんだかんだで自分も楽しんでいたのも事実だ。久しぶりにテレビゲームに触れ、久しぶりにくだらないことで盛り上がった。少しだけ懐かしくも思えたその感覚は、いうほど悪いものでもなかった。
一番騒ぎまくっていた億泰なんかは、見事に力尽きて爆睡してしまっている始末だ。部屋のど真ん中で大の字に四肢を投げ出し、随分幸せそうに眠っている。こうなったら滅多に起きないからと呆れながらもタオルケットをかけてやる仗助を合わせて見ていると、まるで億泰が東方家の一員かのように見える。仗助はそのままぐっすり眠る億泰を暫く見つめ、少し切なげな笑みを浮かべながら「ほんとに幸せそうに眠るんだよなァ」と静かに呟いた。承太郎は返事に悩みつつも「そうだな」と一言返してやった。
独り言のつもりだったのか、反応があったことに驚いたように仗助がこちらを振り向く。いつになく柔和な態度の承太郎に仗助の緊張の糸も解けたのか、仗助は再び言葉を紡いだ。
「…コイツ、こんなに幸せそうにしてるけど家じゃほとんど独りなんスよね。俺が億泰だったら自分家でもこんな風に寝れるのかなァ〜〜、なんてたまに柄にもねーこと思ったりしちゃって……」
そう言って少しばつが悪そうに頭の後ろを掻く。
仗助は何も言わずに黙っている承太郎に、少し気まずさを感じるような素振りを見せつつも話を続けた。
「丁度この前、億泰と話してるときに兄貴の墓の話が出たんスよ。お袋の方に一緒に入れてやるか、杜王町で新しく建てるか、建てるならどう手配するのかって。自分のこと馬鹿だって言っときながら、向き合わなきゃいけねーことにはちゃんと向き合ってて、でもやっぱり普段は馬鹿で…。もしこれが俺だったらどうしてんのかなって」
「…………それは億泰への同情のつもりか?」
承太郎の急な返しに仗助の表情が強張る。
ひょっとしたら仗助は軽い気持ちで聞いてもらうつもりだったのかもしれない。なんとなく分かってはいたものの、承太郎の中で仗助のこの吐露はどこか引っかかるものを感じていた。いいようのない不鮮明な何かが胸に詰まるかのような圧迫感。承太郎はただ静かに仗助の答えを待った。
「…そりゃあまあ親父さんもあんなだし、頼りだった兄貴もいなくなって実質1人なんスから、他の奴らと変わんないなんて風には思ってないっスよ。だから少しくらいは可哀想に思うところもないわけじゃあないっスけど…。でも全て同情かって言われるとどうっスかねェ〜。億泰も理解してる通り、形兆の件は自分が蒔いた種みてーなところもあるし、なんだかんだであの親父さんとも上手くいってるらしいし、俺はコイツのことを哀れに思ったことなんてないっスよ。それにそんなこと言ったら俺だって訳ありな家庭になるじゃないっスか。けど俺も億泰もそんなこと置いといてフツーに毎日楽しく暮らせてるんだし、同情だのなんだのっつーのはあんま考えたことねーかなァ〜」
飾りっ気も格好つけもない、等身大な仗助そのままの言葉は承太郎の胸に痛いほど響いた。
水を差すようなこと言って悪かったと詫びを入れると、仗助はすぐに笑顔を見せた。
「いやァ〜〜、俺の言い方も変でしたっスから。なんつーか、いつか俺の方が置いてかれちゃいそーかもって変に焦ったりだとか、コイツこんなに頑張ってるんだなって素直に認めたかったりだとか、俺にもよく分かんねー気持ちなんスよ。今の時点ではっきり言えることなんて、ずっと億泰と一緒にバカやってたいってことくらいっスかね。どんなに先のこと考えようと思っても、結局この答えしか見つからないっていうか、本音言うとあんまり先のこと考えたくねーかなとも思ったりで…。やっぱりよく分かんないっス」
「………………そうか」
承太郎が複雑そうな表情のまま、目線を余所に落として黙り込む。
「……って、こんなこと聞かされても知るかって話っスよねェ〜〜〜!!なんか今日は色々とすみませんッ!!整理っしたよね、整理!!俺も手伝うっス!!」
わずかな沈黙の隙に少し落ち着いたのか、軽く頬を赤らめて恥ずかしそうに笑う。
しかし、承太郎の表情は変わらない。なんの反応も示さないまま思い詰めたように一点を見つめる。
そんな承太郎にさすがの仗助も違和感を覚えたのか、その様子を心配そうに窺う。今一度声をかけ直そうかと悩んでいると、ゆっくりと承太郎の口が開いた。
「…仗助。決して億泰から離れるな」
重苦しい面持ちで放たれたそれに、仗助は首を傾げながら眉を顰めた。それでも承太郎の急な返しに慣れてきたのか、何も言わずに問いに集中し始める。そこからふと視線を移し、改めて気持ちよさそうに眠る億泰を見つめた。そして何かを強く確認したかのように小さく頷くと、引き締まった顔つきで再び承太郎へと向き直った。
「どーゆー意図があるのか知らないっスけど、俺は億泰から離れるつもりはねぇっスよ」
躊躇いも動揺もなく、ただただ真っ直ぐに向けられた言葉と瞳。その答弁には僅かの翳りも見られなかった。
逃げも隠れもせず、嘘偽りもなく、純に澄んだ黒が心臓を貫く。承太郎は単純に、あぁ、これが違いだったのだと思った。そして同時にこれが痛みだったのだとも思い知らされた。承太郎の心中を不透明に渦巻いていた何かが、徐々に濁りを失っていく。
未来の不安に潰されることのない青さ、そしてそれを口にできる素直さ。自分にはなかった眩しさ。
もし当時の自分もそんな光を持っていたら、この今という未来を変えることができたのだろうか。
本当に些細で小さな未来。ひょっとしたら今隣にもう1人だけ人が増えるだけかもしれないような、そんな未来。あのときたった一言呑み込んだ言葉を吐き出せば、叶えられたかもしれないほど近かった未来。そして、そんなちっぽけな未来に手を伸ばせず、今になってどうしようもない後悔をしている現実。そのくせこの選択は間違いではなかったと自分を認めさせたくもあって、それでもやっぱり自分が許せないという不条理な感情。
結局のところずっと分からないままここまで来てしまったのだ。この目の前の少年が抱える歯がゆさのままに。
それでもこの少年は違った。彼は分からなくても逃げなかった。不明瞭なものに向き合いながら一番大切な思いだけは失わずに、その思いを吐き出すことを抑えずに、どこまでも無垢だった。彼の想いはきっと相手にも伝わっていることだろう。
共に過ごした時間は短かったかもしれない。距離もここまで近いものではなかったかもしれない。でも抱いた想いはこの少年と同じものだったに違いない。自分にはそれを上手く表現できるほどの器用さはなかったが、その眼差しや面影は十分に昔の自分と重なった。
「…もし聞いちゃいけねーことだったら答えてもらわなくて結構なんスけど、承太郎さん、さっきからどうかしたんスか?」
当然の疑問がようやく投げかけられた。これまた見事なストレート球だ。
それでも承太郎の意思を尊重することを忘れない辺りはさすがの人格者っぷりといったところか。
承太郎は自分の無茶振りに素直に答えてくれた仗助への礼と、誰かに聞いてもらいたかったという少しの我儘を込めて、ある人物との話を打ち明けた。
それはどことなく億泰と似た雰囲気を持った友の話だった。
その人物とは、以前の旅で共に死線を越えて闘い抜き、共に重き荷を背負い、そして何より共に笑って支え合った仲だった。彼は重い過去を打ち消すほどに前向きで、危なっかしいほどに直情で、出会ってそう経ってないのにとても身近に感じられた存在だった。2人のように青春を謳歌するような関係ではなかったものの、ありきたりなことで笑ってくだらないことで盛り上がる日々はとても楽しいものであった。旅の終わりでは、互いに未来を思って別れることになってしまったが、後にも先にも人前で涙が零れ落ちそうになったのはそのときだけだった。
それは壮絶ながらも賑やかだった旅の終焉を思ってのものだったに違いない。けれど心のどこかでは、お前が思うように、これから先もずっと一緒にいて楽しい日々が続けばと願っていたのだろう。そのとき確かに寂しいという感情を抱いたことを今も覚えている。その証拠に今でもその友が旅の最後に見せた笑顔の潤んだ瞳が忘れられない。と、承太郎は所々掻い摘みながらも、なるべく鮮明にその人物について語った。
「承太郎さんに億泰みたいな友人ってなんか意外っスね…。そーゆータイプの人には『うっとおしいぜ!』とか、こうバシッと言っちまうもんだと思ってました」
仗助の率直な物言いに思わず苦笑する。
確かに初対面のときは、その馴れ馴れしさにやかましいと突っぱねたことを思い出した。それこそ最初は気の変わりようも早くてよく分からん奴だと思っていたが、旅を共にしている内にだんだんと気が合うことが分かっていった。実際に話してみるとよく分からないどころか、分かりやすすぎるくらいに直截簡明な奴だった。常に陽気で能天気に見えつつも、時折その背中が寂しそうに見えることもあって、それでもすぐにケロッとしたりと実に忙しない奴だったとは思う。だからこそ無茶をしたら目が離せなくなって、そんな大人のようで子供っぽい親しみやすさが案外心地よかった。
「あの騒がしさは悪くねーと思ったな。気付けばうっとおしさは微塵も感じなくなっていた。向こうのペースに巻き込まれただけかもしれんがな」
例えば今日のお前たちのように、と付け加えて笑いかける。仗助はそんな承太郎の表情に目を丸くした。
大方、未だかつて見たことのない柔らかな笑みだったのだろう。それは年下の少年たちに向けたものというよりも、承太郎の等身大の笑顔、とでもいえばいいのか。それはまるで、承太郎が若き頃はこんな風に笑っていたのではないかと思わせるような生き生きとした表情だった。
「ほんとにサイコ―なダチだったんスね」
「向こうはどう思ってるか知らんがな」
「大丈夫っスよ!聞いてる限りその友人さんもぜってー特別に思ってますって!!」
「…だといいがな」
「…もしかしてその人と離れちまったことが気がかりなんスか?」
あんな言い方をした後に、そんな友人の話をすれば必然的にその答えに辿り着くだろう。
承太郎はその問いを予見していたものの、いざはっきり問いただされると幾ばくかの動揺を覚えた。
そんな必要はない。奴はそんなやわな男ではない。連絡がつかないからといって、すぐに野垂れ死ぬような人間でないことは誰よりも近くで見てきた。俺は奴のことを、ポルナレフを信じている。
ポルナレフを信じていることに一切の偽りはない。それを証するように、連絡がつかなくなってから数年間経ったが、今まで一度もポルナレフが死んだと考えたことはない。何かに巻き込まれた可能性は高いと踏んでいるが、例え情報が皆無だろうと、訃報がないということは情報を隠さなければならない事態だということだ。つまり、ポルナレフは今もまだ闘っていると考えていい。俺が離れたからといってそう易々と死ぬ人間ではない。そしてポルナレフは必ずその闘いに勝利するだろう。根拠はないものの、奴はそう思わせる何かを持っている。
とはいえ、慕っている人物なだけに不安要素が一つもないわけではない。
ポルナレフは確かにタフだ。肉体だけでなく精神的にも、闘いの勝利を確信するほどには頑強だ。
しかし、だからこそ奴は我が身を顧みないところがある。どんなにボロボロになっても引くことを知らない。ましてや闘いに際して、相手に背を向けて逃げるなんてことはもってのほかだ。そして何より、1人になったポルナレフは助けを呼ぶことが不得意だ。呼ぼうと思っても気付いたらもう呼べない状況になってた、なんてことは旅の途中でもザラにあった。何度かそんなポルナレフを自力で捜して救援に向かったことがあったが、そのときのポルナレフはどんなに不利な状況であっても決まって敵に立ち向かい続けていた。だから、その状況だけが気がかりなのだ。
もしポルナレフが1人で闘っているのなら、俺は奴を捜し出して無理をするなと言ってやらなくちゃいけない。反射的にそう思ってしまっている自分と、思いながらも何もできない自分との板挟みに遭っているのがこの現状だ。出来る限りを尽くしても、捜す当てとなる情報すらつかめない己の無力さが至極もどかしい。もしポルナレフが向こうで仲間を見つけていたとしたら、それが今考えられる限りでの最善に違いない。しかし、その立場が自分ではないことへの憤りも同時に生まれることだろう。他人が駆けつけれて何故自分が駆けつけられないのかと。ポルナレフが生き抜くということは信じている。だが、そのために身を削りつつ傷だらけになるポルナレフはもう見たくない。
あの別れの日、そう思いつつも俺はその想いを口に出せなかった。
ポルナレフの方から俺たちと共に過ごしたいと言ってくれないだろうか、じじいの誘いを素直に受けてくれないだろうかと、今思えば相当な他力本願だった。ポルナレフはそう簡単に他人に甘えないと知っていただけに、ガキ臭い感情で煩わすなんてみっともない真似はできないと当時は思っていたんだろう。案の定、ポルナレフはじじいの誘いを断った。そりゃあ元は不本意ながらもDIOに屈服した身で、旅の間共に支え合った仲間たちも死んだってのに、故郷も捨てて生き残った者たちで幸せに暮らしますだなんてできるわけがない。ポルナレフの性格を考えれば、尚更俺たちにそれ以上迷惑をかけたくなかっただろう。けれどこうなる日がいつかくると分かっていたのなら、あのとき多少なりとも流れに抗っているべきだったと真に思う。まだこの先何が起こるか分からねぇ。ここはじじいの言う通り、暫くは近くで暮らしていた方が互いのためだと思うが。とでも言えていたら。仮にそれが拒否されようとも、では自分がフランスにいこうとでも言って、無理矢理でもポルナレフの側から離れなかったら。こんな後悔はしなくて済んだのかもしれない。
せめて、旅が終わるまでの間に、この先もずっとお前の側にいたいとポルナレフに伝えられていたら…。
「承太郎さんは旅での出会いだったっつーのも大きいでしょーね」
「一理あるな。だが、側にいたいという気持ちは当時既に実感していた紛れもない真実だ。それを伝えられなかったのは他でもない俺の力不足でしかない。ガキの頃の俺は…いや、今でもだがお前ほど素直じゃなくてな……。仗助の気持ちは当時の俺によく似ている。だからこそ何があっても億泰から離れるなと忠告した。まぁ、そんなのは杞憂だったがな」
「俺たちと承太郎さんたちとではだいぶ違うと思うっスけどねェ〜〜。俺の場合は離れたくても離れらんねーっつーか、億泰もそのポルナレフさんって人ほどしっかり者じゃあねーし、ただ単に俺が離れられるようなキャラしてねーだけっスよ。コイツは」
仗助はそう言うと、歯を見せて笑いながら億泰の頬を軽くつっついた。
起きる気配はさっぱりないものの、一瞬クシャっと顰められた億泰の顔に仗助が吹き出す。
何がだいぶ違うだ。似たようなこと言ったり、同じようなことしてるじゃあねぇか。
承太郎には、そんな目前での2人のやり取りが以前の自分たちの姿と重なって見えた。そう可愛げもない顰め顔を見て喜ぶ叔父の姿に、どことなく血の繋がりを感じて口元が微かに緩む。自分のよく分からないツボはじじいのせいかという若干の嘲笑も交えながら。こんなとき、隣にポルナレフでもいたらきっと…。
これもあの旅を終えてから何度思ったことだろうか。なんだかんだでポルナレフが側から離れて耐えられなくなったのは自分の方かもしれない。奴のピンチには誰よりも自分が側にいたい。普段のなんでもない日常でも側にいて笑いかけてほしい。つまるところ、正真正銘ただの我儘だ。当の本人からも忘れるなと煽られただけに、忘れられねぇから早く責任を取りに来いと声を大にして言いたいところである。
「でも承太郎さん、きっとポルナレフさんはよっぽど承太郎さんのことが好きだったに違いねーっスよ」
仗助の悪戯っぽい笑みが承太郎に向けられる。承太郎もそんな仗助に驚いたのか顔に困惑の色を見せた。
「だって承太郎さん、ポルナレフさんの話してるとき今までで見たこともねーような笑い方するんスもん。今日何べんか見てて思ったんスけど、その笑い方って俺が億泰に向けて笑いかけるときとそっくりなんスよねェ〜〜〜〜。こう、懐かれすぎてこっちが身を引きそうな感じっつーんスか?そーか、そーかって言ってやるよーな慈愛?ってゆーんスかね。それってよっぽど向こうから好きっつーオーラ出されねーとできねー笑い方じゃあないんスかねェ?」
ホラ、俺らに似てるんなら尚更と、キラキラした笑みを浮かべる。
するとそんな仗助の声が届いてか知らずか、頬をつつかれてモゾモゾと体勢を変えていた億泰が横に座っていた仗助の腰にガバリとしがみ付いた。結構な力で巻き込まれたらしく、仗助がうおっと姿勢を崩す。仗助が起こさないようにと気を付けながらしがみ付きやすいように体勢を整えてやると、億泰はまた心地よさそうな笑みを浮かべて大人しくなった。するとまた仗助の頬が緩む。そしてそのまま「ね?」と言いながら承太郎の方に振り向いた。なるほど。確かにお前のその得意げな表情も、満面の笑みで俺の名を呼ぶポルナレフに対する自分の顔によく似ていたかもな。承太郎はそう思いながらも声には出さずに、帽子のツバで目元を隠しながら笑った。
どうやら仗助の方が一枚どころか、何十枚も上手だったようだ。
やれやれ、この様子じゃあどこまで気付かれているだろうか…。
わりと抑えめに語ったつもりだったが、他で話したことがないだけにひどく露骨な話し方になってしまったのかもしれない。自分でも言い過ぎたかとは思っている。けれど誰かに聞いてもらいたかったのもまた事実だった。よっぽどのところまで勘ぐられていない限りはまぁよかったということにしよう。
そうして、無事朋子が帰ってくるまでに整理を終わらせ、朋子本人にも世話になった礼を伝えることができた。最後に仗助と億泰とゲームをできたことも、事件後のもの悲しさで締めくくるよりはいい思い出になったことだろう。最後の最後には、仗助と貴重な話ができたことも含めてだ。今回の別れには思い残すことはなにもない。そうして承太郎が東方家を後にしようとしたときだった。仗助と億泰が見送りに駆けてきた。
「承太郎さァ〜〜ん!!今日はありがとうなァ〜〜!!俺、途中で寝ちまったけどよォ、すっげー楽しかったぜ!!また来てくれよなァ!!」
「ほんとっスよ、次は康一も連れてきて対戦っスからね!」
「仗助ェ、オメーまだあのゲーム諦めてなかったのかよ…」
「ったりめーだ!練習付き合えよ!!んで、ぜってー承太郎さんやっつけるッ!」
2人の輝かしい眼差しに、承太郎は力強く頷いた。了承を得て舞い上がる2人を暫く眺めると、その情景に満足げな表情を浮かべながら帰路へと向かって歩を踏み出す。2人に背中を向ける承太郎を、すかさず仗助が呼び止めた。
「ポルナレフさんに再会したら連絡待ってるっス!!今度会うときは告白の結果も聞かせてくださいよォ〜〜〜!!」
思わぬ叫声に、承太郎の肩がビクッと波打つ。
後ろの方で、ポルナレフって誰だ?承太郎さんの女か?という億泰の声が聞こえる。それに対して、みてーなモンだととんでもない答えを返す叔父の声に、承太郎はついに振り返ることもできなかった。してやられたと思った。わざわざ別れ際の、しかも億泰もいるこのタイミングで言ったのは、己の本音に否定や言い訳をさせないためだろう。なんという機知の持ち主だと改めて思い知らされる。もしあと少しでも杜王町にいる期間が長かったら、十中八九口止め料としてのアイスを2人分は奢らされていたことだろう。
やれやれ、完敗だ。そう心の中で呟くと、承太郎は2人に背を向けたまま、スッと片手だけ挙げて歩き出した。
その姿に仗助がニシシと笑う。こっちはこっちでしてやったりとでも言いたげな表情だった。
「…やっぱ素直が一番だよなァ〜〜〜。背伸びしたところで、伝わるような相手でもねーしよォ〜。俺も余計なこと考えるのはやーめたっと!」
大きく伸びをする仗助を、億泰がキョトンとした顔で見つめる。そんな顔がどうしようもなく愛しくて、仗助は億泰に飛びついた。今日はどうしちまったんだと慌てふためきつつも、少し照れくさそうにしている億泰の様子に、やっぱり俺はコイツから離れられそうにないなと再認識した。
それぞれに事情があって、先のこともまだ全くといっていいほど分からないままだけれど、今はただ承太郎さんの願う通りにひたすら自分の素直な気持ちをぶつけておこう。そしてありったけの今を存分に楽しもう。きっと承太郎さんは旅の間にポルナレフさんとありったけの幸せを共有したんだろう。でなければあの承太郎さんがあんなにも笑うはずがない。よほど一緒にいたいと思ったからあそこまで悩まされていたのだろう。
自分は億泰から離れるつもりはない。けれど承太郎さんが想うポルナレフさんと同じくらいには、億泰のことを強く想っていたい。吉良と闘ったあの日、初めて億泰が側から消える未来を考えた。受け入れることもできないような恐ろしい未来だった。でもそんな経験があったからこそ、億泰が自分にとっていかに身近で、いかに大切な存在だったかということを痛いほどに感じさせられた。案外、一度後悔してみなくちゃ気が付かないことなのかもしれない。あまりにも当たり前になりすぎて、いなくなるなんて考えもしなかったから、いざというときにどうしたらいいのか分からなくなる。承太郎さんも例外ではなかったはずだ。おそらくポルナレフさんと別れる直前まで、旅の終わりのことなど考えてもいなかったのだろう。それが今になって後悔の種になったのかもしれないが、それは当時の2人がとことん楽しい時を過ごしたという紛れもない証拠でもある。辛い旅路の中で築き上げた絆はそう簡単に途切れはしないだろう。承太郎さんとポルナレフさんはきっとまた出会える。
俺は承太郎さんやポルナレフさんほど丈夫にできてねーから、ぜってーに離れんじゃあねーぞ。
億泰を抱きしめる腕にギュッと力を込めてそう願う。
そんなにくっつかなくてもどこにも行かねーってばと呆れる億泰に、仗助はこの上ない幸せを感じ取ったのだった。