村を去った後、ギュスターヴは東の森へと歩を進めていた。復興の手伝いで家を建てる際、寄ったことがある為、道は大体わかっていたが、砂と化した殺風景な荒れた地は、冷たい追い風と相俟って余計に寒さを感じさせた。

 誰に見られているわけでも無いが、白いフードを目深に被る。防寒対策でもあったが、押し寄せる負の感情を無理矢理、胸の内に閉じ込める為でもあった。

 暗闇の奥深くに潜み、姿を見せなかった『何か』が、頻繁に現れてはギュスターヴを苦しめる。一刻も早く消し去ってしまいたいが、そう簡単には拭えない。現れては、耳障りな言葉ばかり投げかけてくる。

 ――この二ヶ月、お前は何を考えていた?

 「弟のことだ」と即答出来る自信は、今のギュスターヴには無い。

 あの自然豊かで長閑な日常は、自分にあってはならないものだと理解していた筈だった。しかし、脆弱な「ギュスターヴ」の心が安寧を求めてしまった故、気付けば心身共に魅了され、引き込まれていた。

 予定よりも出立が大分遅れているとは、まだあの村に未練があるということだ。永遠に浸っていたいぬるま湯のような暮らしは、人を髄まで腐らせるもので、平穏とは恐ろしい。

 忘れていいのは弟の存在ではない、あの村の存在なのだ…重い足を引き摺るように歩く自分に、そう必死に言い聞かせていた。

 だが「今更、救いに行ったところで何になるのだろう」と、弱気になった「ギュスターヴ」が哀しく笑う。時間の流れは残酷なものだ、もうあれから二ヶ月経った。弟は既に手遅れかもしれないのだ。

 …弟を救いたいという一心で、どうにかして動かしていた歩は遂に止まった。穏やかな日常と荒んだ現実の狭間に、ギュスターヴ自身が迷ってしまったのだ。

 ――あの村で、何もかも忘れて暮らせばよかったのだ。

 『何か』がそうして、ギュスターヴの迷いを後悔に変えようとする。死んだ「ギュスターヴ」は同調するように黙っている。ギュスターヴの中で鬩ぎ合っていた意思は、一つの結論へ急かそうとしていた。

「違う…」

 悲観する自分に恐れて、思わず首を横に振り、ギュスターヴは否定した。違う、そんなものに振り回されてなるものかと、深呼吸をして顔を上げた。

 …正面を向いて、驚いた。視界がぼやけていたのだ。とうとう老いで目がやられたかと思ったが、そうでは無い。手の甲で目を擦ると、湿った感触があった。無意識のうちに、泣いていたのだ。

 次に襲ったのは、あの酷い眩暈と吐き気だった。今までと違うのは、頭痛や胸痛すら覚えたことだ。

 さすがに堪えきれずに蹲り、道端に嘔吐する。吐いても治まる気配が無く、終いには胃液をも吐き尽くした。

 ――惨めだな、そんな思いまでして救おうとするのか?

 救えるわけが無い、弟がこんな自分を許してくれるわけがない…嗤う『何か』と哀しむ「ギュスターヴ」の双方に、暫く何も返せずにいた。

 責苦の中、脳裏を掠めたのは幼い弟の泣き顔だった。いつも泣いてばかりいた弟…美しく成長しても尚、変わらない泣き顔。

 まだ幾分か短い髪を揺らし、自分を呼び慕う幼い弟。二ヶ月前の夜、面と向かって変わらぬ慕情を向けてくれた弟…。

 そう、何一つ変わってはいない。あれはギュスターヴと母ソフィーしか知らない、寂しがり屋の泣き虫フィリップだ。あの涙を止められるのは、泣き顔を晴らせるのは、他の誰でもない自分だけだ。

 二ヶ月前の夜を思い出したギュスターヴは、胸に当てていた手を拳に変えた。

 弟は生きている…自我を侵蝕される苦痛に堪えながら、待ち続けている。

 救えないと決まったわけでもない、許す許さないなど関係ない。深く愛する弟の痛みに比べたら…。

 ギュスターヴの冷えた頭が、漸く治まった胃を落ち着かせようと水筒を取り出させる。水を飲み終えると、深呼吸をして彼らに…自分に言い聞かせるよう、毅然とした態度で言う。

「救える、救えないじゃない…救うんだ。

 俺が助けないで、誰があいつを助けるんだ。」 

 『お前を殺したくない、だから忘れて生きろ』と、残り僅かな理性を振り絞ってまで拒んだフィリップは、おそらくギュスターヴ以外には誰も救えないだろう。否、血の繋がっているギュスターヴすら襲うかもしれない。自らも恐れていたそれが他人に向けられた場合、相手は数秒で帰らぬ人となるだろうから。

 フィリップがあの後にどうなったかはわからない。村を狙ってこなくなったということは、ある程度は理性を保たせて、ギュスターヴの言う通りに耐えているのかもしれない。

 ――その間、お前は与えられた生活に甘えていた。

「そうだ。俺はあの穏やかな暮らしに甘えていた。

 だからといって、そのまま甘えているわけにはいかない。

 俺にとってフィリップを救うことは、生きる為の目的なんだ。」

 自分で口にした台詞は柄でも無い。ギュスターヴの頬が紅潮するが、恥ではない。言葉に出せば出すほど、先程の悲愴な思いとは正反対の、不思議な高揚感に満たされていった。

 …ギュスターヴにとって、フィリップの存在は何なのか。問われれば「かけがえのない大切な弟」と、最初に答えるだろう。だが、今はそれだけではない。ある種において理解を得ていた、余命短い護衛者や、己の半身も同然だった子分を失った今の自分にとって、実弟の存在は一筋の光明でもあった。

 死闘を戦い抜いた中、最期に「生きろ」と言われたから生き延びた。国も、友も、慕ってくれる人々も、全てを捨てて生きてきた。フィリップの存在はそんな底無しの闇の中から、僅かに差し伸べられた「光」だった。己の存在一つで不幸にしてしまった実弟を救う…それはギュスターヴが過去に望んだ贖罪であり、生きる目的を失ったギュスターヴの、新たな道標となった。

 それを頼りに生きてきたのだ、今更になって何を救えないと言うのか。ギュスターヴは己の相反する意思に反駁し、叱咤した。

 すると、それまで身体にも影響を及ぼしていた意思はいつの間にか黙し、眩暈や頭痛といった症状も治まっていた。膝を曲げて起き上がるとすぐに立ち、動かせば嘘のように軽く歩を進められた。

 「病は気から」という言葉は、どうやら本当のようだ。深呼吸し、前向きな思考を心掛けて、ギュスターヴは止めた歩を進める。

 …本来ならば既に森の中なのだが、ドラゴンが焼き尽くし、ギュスターヴ達が村の復興の為に伐採したことから、この一帯は森とは言えない域になってしまった。焼け焦げて、或いは折られて生々しく残る木の断面は、樹液が空気に触れた為か乾いていた。枝の破片がそこら中に散り、踏みしめる度にぱきぱきと折れる音が鳴る。生い茂っていた葉は、大半が燃え尽きた為に残っていない。

 痩せた地は決して癒しを与えてはくれないが、活気を取り戻したギュスターヴは、ただ殺風景だとしか思わなくなった。追い風の冷たさは、紅潮した頬と熱を持った体には丁度良いくらいだ。

 …暫く歩いていくと、漸く森林地帯らしい景色に変わった。鬱蒼と生い茂る木々から漏れる日光が、既に昼の時刻だと知らせていた。意識した腹が音を立てると、つい先程まで曝していた自分の醜態を思い出し、苦く笑った。

 寄りかかることの出来る木を見つけて、その幹に座って背を預ける。すれ違った商人から得た食糧は全て村の者と分け合ったので手元には無く、現在、所有している食糧は旧友バットからの贈り物だけだ。

 降ろした荷から見慣れた瓶を取り出した。円筒型の透明な瓶を鮮やかに彩る中身は、天日干しで乾燥させた果実…所謂「ドライフルーツ」の詰め合わせだ。コルクを簡素な栓抜きで回しながら開封させると、果実特有の甘い匂いが立ち込めた。

 量としては一日分だが、これでは足りない為にもう一瓶、荷から取り出す。同じ型だが、こちらは封をピンで留めている。珍しい造りの封を開けると、中身は先程の瓶とは違い、ナッツの詰め合わせだった。栄養価の高い組み合わせであり、旅先で食すには贅沢すぎる食糧だ。同封されていた手紙の一文を幾度も読み返し、交易船の船長として貫禄のついた旧友を思い浮かべながら、改めて感謝の意を表した。

「…頂きます。」

 自然の恵みと旧友に手を合わせて、食事前の挨拶を済ませると、先ず紫色の果実を一つ摘んで口にした。中で広がるまろやかな甘味はレーズンのもので、馴染み深い甘さは共に食すパンやクッキーを彷彿とさせた。懐かしくなって欲した舌を満たす為に、今度は皮を剥いたナッツを摘む。広がった独特の風味を噛み締めながら、渇いた喉を水で潤した。

 何種類あるのだろうと食べながら数えて、ギュスターヴは種類の多さに驚いた。果実はレーズンの他、フィグ、ブルーベリー、クランベリー、プルーン、アプリコットが入っており、ナッツはカシューナッツ、アーモンド、ピスタチオ、マカダミアが詰め込まれていた。摂取しすぎれば有毒な物だが、過酷な旅を共にするには非常にありがたい食物だ。

 空腹を満たす為に咀嚼する音だけが、空間に広がる。襲撃の際に逃げたのか、或いは死に絶えたのか、虫の鳴き声や小鳥の囀りは聞こえてこない。初めて訪れた者は「死の森」とでも呼ぶのではないか。

 …想像しているうち、瓶の半分を食して満腹感を得たギュスターヴは「ご馳走様でした」と、再び手を合わせる。満腹になった胃を落ち着かせる為に、暫しの休息を憩うと荷を片付け、立ち上がり、進行方向に歩き始めた。

 既に荒れ果てた地からは遠く、辺りを見渡せば同じような緑青が広がっている。迷わぬよう、もう己の手には小さすぎる手製の短剣で、木に目印をつけて進む。地図も無い…否、地図にすら載っていない土地では、己の勘を信じながら手探りで道を辿らなければならない。

 ――迷ってはいない筈だ。

 半世紀を生きた己の勘を信じ、ギュスターヴはただ歩き続けた。先に進むことを諦めたくなるくらいに、行き先には同じ色しか存在しなかった。生い茂る木々の種類で判断出来ればよかったのだが、生憎、植物に疎いギュスターヴにはどの木も同じように見えた。生え方の違いのみで同種であるかもしれないし、別種だとしてもどう違うのかなど、説明されたところで知識として蓄えるのも面倒だ。

 木につけた目印が見えないことで、かろうじて違う方向に進んでいるのだとわかるものの、どう進んでいるのかはわからない。地図にしてみるものの、想定外の広さに完成させる気も失せた。視界が不明瞭な暗闇に包まれては身の危険が迫っても対処が難しい為、出来れば日が沈む前に辿り着きたかった。

 …平坦な、緑しか無い世界。気が狂いそうで、いい加減にうんざりしてきていた周囲に、変化が訪れた。

「羽音…?」

 ギュスターヴの耳に、羽をばたつかせるような音が聞こえたのだ。それは少なくとも、虫が集ったものでは無く、鳥が必死にはためかせているような音だ。疑問符を浮かべる間もなく、悪臭とも言える鼻につく生臭さが、流れの変わった風に乗ってきて、思わず口元を手で覆う。

 ふと地面に目をやったギュスターヴの視界に、赤が飛び込んだ。見慣れた景色に不釣り合いな、鮮やかな色に思わず退くが、その色が何であったのかは、風に乗る悪臭や豹変した空気ですぐに把握出来た。

 ――血。

 屈んで、道を作っている血液を確かめた。付着した草に触れると、汚れて赤くなる…真新しい鮮血だ。

 この先で何が起きているのかなど考えたくも無いが、最悪の事態を想定しながら、ギュスターヴはゆっくりと血痕を辿っていく。先に進むにつれて、鼻につく嫌な臭いは、血のものだと嫌でもわかった。辿る程に、流血の痕が酷くなっていったからだ。

 辿り、地面に横たわった鳥の亡骸を見たギュスターヴは、凄惨な光景に思わず目を逸らした。羽音が聞こえなくなってから、ある程度は予測出来ていたことだ。その惨たらしい死に様以外は。

 …目を逸らしていても仕方が無いと、意を決して踏み込み、鳥の亡骸を調べる。周囲には、最初に見たものと同じ血が亡骸から流れ出ていた。鳥独特の小さな三つ指の足が片方、失われている。背から羽にかけて、肉が裂けて骨が見えていた。

 辺りに飛び散った羽毛は僅かなもので、先程はたつかせて抜けたものだろう。もがき苦しみ、死んでいったその最期を想像して、ギュスターヴは唇を噛み締めた。鳥の死を悼む思いと、この光景を作り出した主が誰かわかってしまうことへの恐怖が、足を竦ませた。

 せめて土に還そうと抱えた亡骸には、鋭利な牙で咥えられたような痕跡があった。旅先で出会った商人の、村人の言葉を思い出しては首を横に振る。

「…違うと言ってくれ…」

 亡骸を端に埋めてやったギュスターヴは、手に付着した血を落としながら、呻く様に呟いて先に進む。知ってしまったのだ、あそこで血痕が絶えたわけではないと。その先に広がる光景は、鳥のそれよりも悲惨なものだろう。

 元凶が特定出来てしまうことへの恐怖と不安に、足取りは再び重くなった。村を出た当初と同様、足を引き摺るように歩いていく。次第に差し込んでくる光から、開けた場所に出るのだとわかった。しかし、暗赤色の古い血痕も入り混じって辿り着くその場所を、本能が警鐘を鳴らすよりも早く拒絶していた。

 この先に行ってはならない、行ってしまえば壊れてしまう…そんな危うさが、激しい動悸となってギュスターヴを止めようとする。だが首を横に振り、震える足を前に、前にと動かした。

 一際、強くなる血生臭さと圧迫されるような空気に怯えた本能が、目を強く瞑らせた。瞼の裏を通して、眩しい光が照らしていることに気付くが、どうしても目を開けることが出来なかった。

 怯えているのだ、予想もしたくない現実に。弱い自分を笑いながら、意を決してギュスターヴは目を開けた。

 ――ああ、やはりそうだったのか。

 目を開かなければ良かったという後悔よりも、惨い現実に悲しむ気持ちの方が勝った。

 森の中継地点であろう環形の場に、差し込んだ光の色は綺麗な橙色で、眩い日は夕刻を報せていた。その夕陽の光に混じって、夥しい量の赤が地面を埋め尽くしている。来た位置から続いているはずの緑は、塗り潰されたような赤で全く見えない。

 赤い沼には柄のように、大量の骨や肉が散りばめられている。獲ったばかりか、血と肉の色が混じる新鮮なものから、腐敗が進んでいるもの、人間やそれ以外の動物のものまで、多種多様だった。

 踏み入ったときから聞こえる咀嚼の音は、中央に佇むドラゴンから発せられていた。尖鋭な角に、鋭利な牙と鉤爪…紅の鱗。十余年前の儀式で、最後に見た弟と同じ姿だった。当時と違うのは、一見して何処から何処までが鱗なのか、区別もつかないほどに血で汚れて…獰猛な肉食動物になってしまっているということ。

 ――お前が弟を、こんな姿に変えたのだ。

 呆然と立ち尽くすギュスターヴに『何か』が言う。脆弱な「ギュスターヴ」の心はその一言で壊れて、頭の中が真っ白になった。しかし一方で、頭の片隅では「予想していたことじゃないか」という、楽観的な言葉すら出てきていた。

 「こうなることはわかっていた、本人が言っていたことじゃないか」と、片隅で出てきた言葉は続けられた。

 …それでも尚、助けたいと思ったから来たのだろう?

 『約束』を思い出して、ギュスターヴは獲物を咀嚼するドラゴンへと、慎重に歩み寄る。

 原型を留めない肉の塊は、何であったのかはわからない。近くまで来たギュスターヴは立ち止まり、それを噛み合わせて飲み込む一連の動作を、じっと見つめていた。二ヶ月前のあの夜、大人になった弟が初めて、自分の前で涙ながらに語ったことを思い出す。

 約束をした日から二ヶ月が経った。その二ヶ月の間、どれ程に悩み、苦しんだろう。村を襲わずにいたのは、やはりここでずっと耐えていたからなのだ…察したギュスターヴは、穏やかな暮らしに戻ろうとしていた己を呪った。

 食事を終えたドラゴンが、目の前のギュスターヴを捉える。ぎろりと睨む瑠璃色の瞳は、飢えて餌を求める肉食動物の如く澱んでいる。

「…フィリップ。」

 唸り声を上げるドラゴンに、ギュスターヴは呼びかけた。

 認識しなくてもいい、その食欲が満たされ、理性を取り戻せるのであれば…そんな思いを胸に、静かに話しかける。

「フィリップ…悪かったな、遅くなって。

 つらかっただろう。

 もう、大丈夫だ。」

 しかし、既にその声は聞こえていないのだろう。ドラゴンは凄まじい速さでギュスターヴに近付き、差し出された腕に思い切り噛み付いた。鋭い牙が食い込み激痛が走るが、気にも留めなかった。

 息子を殺され、ドラゴンに姿を変えた弟の痛み。醜い姿で生き続けなければならず、人の肉を食うことも躊躇わなくなってしまった自分への嫌悪、葛藤…それらを思えば、自分の傷など、大した痛みでは無かった。

 次第に痛覚が麻痺してきたギュスターヴは、穏やかに微笑んだ。もう片方の手で、ドラゴンの輪郭を撫でると

「よく、耐えたな…頑張ったな。

 二ヶ月だぞ…二ヶ月も、村を襲わなかっただろう?

 俺の言うことを聞いてくれたんだって、あのとき、嬉しかったんだぞ。」

 子供に聞かせてやるように、優しく言葉を紡いだ。

「フィリップ…俺はお前に、謝らなきゃいけないんだ。

 村で過ごすうちに、お前のこと…忘れてもいいと思った。

 勿論、今はそんなこと無い。

 でもな…そのせいで、お前をこんな目に遭わせた…。」

 流血している為か、体が芯から冷えていくのを感じ、添うようにドラゴンに寄りかかる。

「本当に悪かった、フィリップ。

 お前は俺のことを、心配してくれていたのにな。

 約束、忘れたくなんかなかったのにな…。」

 謝罪の言葉を口にして、寂しそうにギュスターヴは笑った。そして目を逸らすことなく見ていた折…その瞳に、僅かな理性が戻ったことを察知する。

 見守っていると、ドラゴンから低い呻き声のようなものが聞こえ始めた。変化に凝視しつつ、腕を噛み砕こうとした牙の力加減が弱くなったのを、麻痺した痛覚の中で感じ取る。

 ――思い出してくれるのか、こんな俺を?

「フィリップ、お前…」

 見出した希望へ、縋るように呼びかける。すると、ギュスターヴの言葉に反応して、ドラゴンは鋭い牙をゆっくりと腕から剥がした。

 緊張から解かれたことで腕が脱力し、だらりとぶら下がる。肉が裂け、血が滴り落ちた。だがギュスターヴの目は、心は、ただ一点に注がれていた。

 向けられた視線から、先程のような敵意は感じられない。瞳の奥に深い悲哀の色を宿し、表情を曇らせたドラゴンを見て、ギュスターヴは確信した。

「お前…理性が戻ったんだな…」

 希望が叶い、ギュスターヴは安堵の笑みを浮かべた。対して、自我を取り戻したドラゴンは悲しそうに見つめる。

 自分がしたことを悔やみ、気にしているのだろう…見上げて、笑みを深めた。

「…大丈夫だよ、俺は。何とも無い。

 だから、そんな顔をするなよ。

 フィリップ…。」

 力なく垂れたドラゴンの頭を撫でて、その手で自分の胸に抱き寄せる。ドラゴンの尖った鉤爪は地に降ろされ、その身は屈むような姿勢でギュスターヴに委ねられていた。

 ――ああ、やっと会えた。

 充足感を得て気が抜けた反動か、ぷつりと眼前の景色が切れる。ギュスターヴの意識は、闇に落ちた。

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