「えっと、このイブジラストって呪文で組成して、ケタスカプセルが触媒かぁ……、なるほどね」
年も明け、めでたく新年。ハッピーニューイヤー、謹賀新年、ボンアネ。
僕は、お正月から自分の部屋で魔術式の勉強をしていた。
ゴルモアさんに貰った魔界の参考書は、けっこう面白い。装丁も豪華で、まるで百科事典だ。
もっとも、中身は全部魔界語だ。一応、和訳の辞書(マジックアイテム!)もあるが、読み解くのはけっこう骨が折れる。
でも、これを理解しなければ魔術式が作れない。
まるでC++の解説書がラテン語で書かれてるような状況だ。少し読んではまた戻って、本当にちょっとずつ理解していく。
僕は勉強が嫌いじゃない。むしろ、これは確実に役に立つものだから、学校の課題よりずっと楽しい、はずだ、たぶん。そう信じよう。
お姉ちゃんは、あまり魔術式が分かっていないらしい。お手軽に使える、簡単な呪文を数個覚えているだけのようだ。
本人が言うには「あいつらひ弱だからねぇ、肉体言語で語るまでよ」だそうだ。頼もしいが、確実になにか間違っている気がする。まぁ、足りない分は僕がフォローできるようになれれば嬉しい。
そして、僕はまた一つ魔術式を理解した。さっそく試してみよう。
「チエノジアゼピン・ベンゾジアゼピン・デパス・デパス・エチゾラム!!」
ブレスレットから溢れる光が僕を包み、衣装が下から変わっていく。
くるっと回って変身完了。僕は超ミニスカート、網タイツ、レースひらひらの魔法少年になる。
……ちょっと頭を抱える。何をしているんだ、僕は。
でも、魔法を使えるのはあくまで『魔法使い』だけ。『人間』は必ず変身しなければ魔法は使えないというのが世界の法則らしい。
じゃあ、せめて衣装はどうにかならないのかというと、基本的なデザインはこれしか無いそうだ。あとはオプションで色や細部を変えられるくらいで、男子用というものは存在しないらしい。
誰だよ、このブレスレット作った奴!!
もういい。とにかく魔法の練習を始めよう。僕はさっそくステッキを振って、呪文を唱えた。
その時、ガシャンという音と共に、窓ガラスが割れた。
石でも投げ込まれたのかと思ったが、違った。奇妙な物体が凄い勢いで僕の目の前を横切り、壁際の本棚にガツンとぶち当たった。
「ふぎゃあっ!!」
それは悲鳴を上げた。どうやら、生き物らしい。
床に落ちたものには、花弁のような羽根が生えていた。そして、手があって、足があって、頭があって、まるで人形の様だった。
――そのシルエットは、確かに妖精だった。
僕は目をこすって、改めてそれを見た。間違いない、妖精が半泣きでたんこぶをさすっていた。
まあ、魔法使いがいるのなら、妖精がいたって不思議ではないのだが、突然の来訪に僕は戸惑う。しかも、えらく荒々しい。
「……あのぉ、ダイジョブですか?」
僕はおそるおそる声をかける。いや、そもそも妖精って、人間の言葉が通じるのか?
「あだだだだだぁ……、って、あぁ、あああぁーっ!」
妖精の叫び声は甲高く、耳の奥にツンと響いた。
「あなたが『ファンシーチェリー』ね! あぁ、会いたかったよぉっ! 『桃色断頭台』! 『オーバーキルド・ピンク』! 『シングル・アクション・アーミー』! 『神の獣』! やった、よかった! お願い、私を助けてっ!」
……人違いだ。この妖精さん、僕とお姉ちゃんを勘違いしてる。
だいたい僕は男の子だ。どうして見間違うかな……。あ、スカートか……。それにしても、いくつも並べられた不穏な二つ名はいったい何だ? なんかおそろしく物騒なものばかりなんだけど……。
どこから突っ込んだらいいのか分からない僕を置き去りにして、妖精さんはさらにまくし立てた。
「お願い、これを護って欲しいの! 悪い魔法使いが狙ってるの! すごく貴重な触媒! 『賢者の石』!」
「け、賢者の石ぃ……?」
妖精さんの差し出した手には、大豆程度の小さな石が乗っていた。まるで全ての光りを吸収しているような、とても不思議な輝きの石だった。僕はそれを指で摘んで、目の前で眺めてみた。
「これが有名な賢者の石? ハリポタとかに出てきたヤツ?」
「そんなのんきな……! それだけで百人分の命が使われてるのにっ!」
「百人分の命ぃ!?」
「もちろん。魂の結晶ですもの。で、悪の魔法使いがそれを……」
その時、鼓膜が千切れるような爆音が鳴り響き、今度はガラス窓全てが吹っ飛んだ。
僕はあわてて妖精さんをかばい、床に伏せた。壁のコンクリートが砕け散り、ガラスの破片が爆風でグサグサと部屋中に刺さった。
「な、なんだよ今度はあぁっ?!」
大きな穴の開いた壁の向こうに、黒いマントをつけた魔法使いが浮いていた。
背格好は僕に近い。ちょうど同い年くらいの男の子に見えた。ただ、明らかに違うのは耳だ。
黒い三角の耳が頭の上に二つ、ちょこんとついていた。……ネコ耳だ。ネコ耳少年だ。
いよいよ、この世界はなんでもありらしい。
漆黒の総髪が顔にかかり、奥には紅い目が光っていた。まるで猟犬の眼光を思わせる眼差しだった。……ネコなのに。
「『ソリッドエアー』っ!!」
妖精さんは恐怖の叫びをあげ、ガタガタと震えだした。
「返せよ……」
ネコ耳魔法使いの要求は、あまりにシンプルだった。
「……へっへーん、そうはいかないんだから。このお方をどなたと心得る、畏れ多くも、あの『ファンシーチェリー』様よ! あんただって、そう簡単には……」
「違うよ、僕は『タイニータップ』っていうんだ。まるっきり別人」
ようやく訂正できたけど、タイミングは最悪だった。
「……うそぉ?」
妖精さんは小さな目をさらに点にして驚いている。そして血の気が引いたのか、顔が土気色に変わっていく。
でも事実だし。お姉ちゃんは今頃、楽しくデート中だ。お正月だし、初詣かな。
「ふん、当てが外れたってとこらしいな。ほら返せよ」
魔法使いは妖精さんに詰め寄ろうとした。僕は慌てて間に割って入る。
「ちょっと待ってください。この人は……、それにあなたは何者ですか! だいたいこれは……」
「お前には関係ないだろっ! さぁ、それを返せっ!!」
少し頭に来た。争いごとに巻き込まれるのはまっぴらだけど、この妖精さんはお姉ちゃんを頼ってきたのだ。放って置くわけにはいかない。それに、この『賢者の石』は人の命で作られているらしい。
「……あなたは、この石の為に、人を殺したのですか?」
「俺は38人殺した。なんだよ、39人目になりたいのか?」
この瞬間、僕は彼を敵と理解した。なら、とるべき道は一つだ。
「妖精さん、名前は?」
「……キュー・ピー」
「キュー・ピーさん。僕は君の味方だ。どこまでできるか分からないけど、いくよ」
僕は賢者の石を口に入れ、コクンと飲み込んだ。ツルツルな石は食道を滑り、胃に落下した。
「あああぁぁーっ!!」
二人は同時に驚きの声を上げる。オッケー、油断したね。僕はステッキを振り、呪文を唱えた。
「ムコソルバン・アンブロキソール!」
ドンッという噴出音と同時に、僕は宙を駆けた。ソリッドエアーを押しのけて、壁の穴から飛び出した。
手にはキュー・ピーさんを掴んでいた。僕達は空気を切り裂き、東京へ向かった。お姉ちゃんのいる渋谷へ!
「ちょっとは勉強したからね、すぐにお姉ちゃんの所に着くよ。そうすれば……」
「甘いよ! あいつからは逃げられないんだってば! だってあいつは……」
高速で飛ぶ僕の目の前に一陣のつむじ風が舞い上がった。それは、大きく膨らみ、扇状に広がった。
ネコ耳の魔法使いが、マントを広げて待ち伏せていた。
「なっ?!」
僕は止まることもできずにソリッドエアーに突っ込んでいく。いや、勢いにのってこのままブッちぎれば、あるいは……!
ソリッドエアーは空中で前転し、突入する僕に合わせて踵を振り上げた。
バゴオオォッ!!
「がああぁっ!」
鋭い蹴りが肩を砕き、僕は斜めに落下した。目には赤牟丘陵の森が広がり、僕は轟音を上げて斜面に墜落した。
「あいつは『風』を操るの。空気のある場所で、距離をとっても無駄なんだよぉ!」
「……そっか、また失敗しちゃったなぁ」
状況は絶望的だった。左肩は大きくへこみ、折れた鎖骨が肉を突き破っていた。……複雑骨折だ。
地面に強く打ちつけられたため、全身打撲。擦過傷多数。コスチュームも土だらけでボロボロだ
もう、ピクリとも動けなかった。僕は濡れた地面に横たわって、ただ薄い呼吸をくり返すしかなかった。
ここまで重傷だと、痛みってあまり感じないらしい。単に熱いって感じがした。意識もはっきりしない。
「……あのさぁ、……渋谷って分かるかな?」
「人間界には、何度か来たことあるから……」
「……そこに、すっごい魔力を放出してる人がいると思うんだ。それが、ファンシーチェリーだよ。……呼んできて」
「でも、あなたは……」
「……いいから! 君だけでも逃げて!」
「うん、分かった! じゃあねーっ!」
「え?」
キューピーさんは森の奥へ、鱗粉のような光りを残し消えていった。思ったよりドライな性格らしい。
まあ、いいや……。それより今は、目の前に上がったつむじ風の心配をしたほうがよさそうだ。
黒いマントが空気を孕み、丸く広がった。そして、ネコ耳の少年が中から姿をあらわした。まるでテレポーテーションだ。
「お前、馬鹿かよ。相手の能力も測らないで突っ込んだりして。まるで素人だぜ?」
彼は紅い目で僕を藪睨んだ。しかし、ここまでこてんぱんにやられたら、腹もすわる。
「……そうだね、魔法使いになったのなんて、ついこの間だし。……でも、許せないんだよ。人殺しって」
僕は吐き捨てるように言った。そんな僕を見て、ソリッドエアーはどこか寂しそうに笑った。
「羨ましいな……。そんな感情、俺はずいぶん昔に無くしちまった」
彼は指を一本振り上げた。ヒュッとかまいたちが走り、衝撃波が僕の正中線を突き抜けた。
死んだと思った。けどそれは、僕の衣装を切り裂いただけだった。服は真ん中から線が走り、本を開くように割れていった。
僕の胸、おヘソ、そしてあそこが順次剥き出しになった。さすがに背筋が凍りつく。
「なぁ、『賢者の石』返してくれないか? そうしたら、命は助けてやるよ」
「……お腹の中だよ? 吐き戻す魔法なんて知らない。……腹でも斬れば?」
「できれば、それはしたくない……」
彼は本当に困ったって顔をした。おかしいよ、そんな能力があるなら、とっとと殺せばいいのに。
やがて、彼は呪文を唱えだした。
「トクレス・トクレス・カルベタペンタン・ペントキシベリン・スパンスール……」
知っている。これは『魅了』の魔法だ。僕も先日勉強した。彼はどうしても、僕におとなしくいうことをきかせたいらしい。
でも、これは油断だ……! 知ってる呪文なら『分解』できる。だから、高度な魔術式を組むことが必要なのに、これは初歩の呪文をそのままだった。
「トクレス・トクレス・スパンスール・イブジラントっ!」
「なにぃっ?!」
僕は彼の呪文に上乗せし、魔法を分解、反射した。二人の間で光りが弾け、魔力が拡散した。
「ぐうっ!」
「あぁっ!」
成功したと思った。ソリッドエアーのかけた『魅了』は跳ね返り、効力は全て彼に降りかかるはずだった。
僕はソリッドエアーの顔をのぞき込んだ。目から猟犬の光りがなくなり、顔はとまどいの表情を浮かべていた。
彼はとても優しい目をした、普通の少年になっていた。こころなし、頬が紅く染まっているように見えた。
しかしその瞬間、僕の心臓もドクンと跳ね上がった。唇が震え、なぜか目まで潤んできた。
「あ、あぁ……? 失敗……かなぁ」
「やって、くれたな……」
ソリッドエアーが呟き、恨みがましい目で僕を見た。そして、一歩一歩、僕との距離を詰めてきた。歩みが少しずつ進むごとに、僕の鼓動も速まっていった。
「でも……、お前もかかったな……。二人して、同じ魔法にかかっちまった……」
ソリッドエアーの顔が、僕の目の前まで近づいた。熱い呼吸が鼻先にかかる。
「……なにやってんだ、俺たち。素人が、こんなことするから……。まったく、馬鹿みたいだ……」
「はは、……君も魔法、……あんまり得意じゃ、……なさそうだね」
僕は精一杯強がってみせた。でも、もう理性は限界だった。次に何か言われたら、とても逆らえそうになかった。
強烈な、凶悪なほどの被愛欲求だった。それが魔法のせいだと理解はしていても、体はふわふわと、勝手に彼に近づこうとしていた。
はっきりしない意識に、さらに霞がかかった。視界がライトフォーカスで、ソリッドエアーの顔がとても柔らかく見えた。どんどん高鳴る心臓が、身体をブルブルと震わせた。
「……俺は、『風』を操る才能があるってだけだから。……でも、基本は知ってるぜ」
彼は口の中で呪文を紡ぎ、キスしてきた。
「ふうぅっ……! う……、うぅ…………」
緊張でこわばった筋肉から、残らず力が抜けた。それは、今までの行動が信じられないくらい、とても優しいキスだった。
「……うぅっ?」
僕は回復魔法をかけられていた。体が光りに溢れ、傷がふさがっていった。まるで、エネルギーが体の芯からわき出てくるようだった。
しばらくすると、僕はの体は全快した。
しかしそのまま、僕達のキスは続いた。動くようになった腕は、自然と彼の首に巻きついてしまっていた。
柔らかい舌が、僕の口に滑り込んできた。僕もそれに応えてしまった。互いに唾液をたっぷり含ませながら、グチュグチュと絡め合った。快感で背筋が痺れた。
彼も僕の胸を抱きしめていた。僕達は体を密着したまま、肌をこすりあい、唇を吸いあった。
魔法のせいだと分かっていても、こみ上げてくる圧倒的な多幸感には逆らえなかった。心が通じあってると感じてしまった。こんなに幸せなことはないと思ってしまった。
ソリッドエアーは、キスしたまま僕の体を持ち上げた。薄く霧のかかる静かな森で、僕達は抱き合ったままひたすらキスを続けた。
ついに、窒息するというくらいお互いを求め合った末、僕達は離れた。
「はあぁ……、はっ……、はあ……、うあぁ…………」
あまりの気持ちよさに、僕には息を整えることさえ難くなっていた。しなだれかかる僕を抱えて、ソリッドエアーは耳元で囁いた。
「……服は、……元に戻さなかったぜ」
確かに、魔法少年のコスチュームは、直線に切られたままになっていた。でも、僕は全然気にならなかった。むしろ、もっと見て欲しいというか……。やばい、僕は本当におかしくなっている……。
ペニスが痛いくらい勃起していた。とても恥ずかしかったけど、今の僕には、元に戻すことなんて不可能だった。
「……仕事はやり遂げる。……それが、俺の矜持だ」
ソリッドエアーはそう言うと、おもむろに僕のお尻をまさぐり始めた。
「なっ……! なにするの、や、やめて! お願いやめてぇ!!」
「言うなあぁっ!!」
ソリッドエアーは絶叫した。高圧的な言霊が、僕の耳をつんざいた。僕は何も言えなくなってしまった。
「お前に何か言われたら、もう、逆らえないんだ……。だから、何も言うなっ!」
ソリッドエアーの呼吸も荒くなっていた。彼自身も圧倒的な快感に震えているようだった。それでも、彼は魔法に抗い、必死で仕事を遂行しようとしていた。
一方、僕は未熟だった。彼のたった一言だけで、僕は口を開けることさえできなくなってしまった。
同じ魔法をかけられて、僕だけが無力だった。ただ、一時的な悦楽に流され、快感を貪っていた。
「くっ、くうぅっ……!」
細い指が一本、僕の窄まりにねじ込まれ、入り口近くの粘膜を擦った。僕は小さく呻く。
不意に、何かが奥まで入りこみ、ボコボコとお腹が音を立てはじめた。これは……、
「か、風を……、僕の中に……?」
「賢者の石を取り出さないといけないからな……、我慢してくれ……」
突然の空気浣腸に僕は戸惑った。まるで、一斉に腸内が危険なガスで満たされたかの様だった。泡沫が膨れて汚物を割り、腸壁を圧迫しながら次々に爆発した。
ボコオォッ! グギュウウゥッ! ブボオォッ! ギュルルルウウゥッ! ブビイィッ!
「ひっ、ひぎいいぃっ! うっ……ぐうぅ」
……苦しかった。全身から脂汗がジワリと滲み出た。
僕はただ歯を食いしばるしかなかった。命令のせいで抗議の声も上げられなかった。ソリッドエアーの背中に爪を立て、体を震わせた。
「うぅ、ううぅっ…… 、ふぐううぅぅ………」
僕はいつのまにかすすり泣いていた。弱すぎる自分がとても悔しくって、でも、彼の体温はとても暖かくって……。それがまた悲しかった。僕は喉をひくつかせ、グズグズと鼻をすすった。
ソリッドエアーは、そんな僕の頭を片手でそっと抱きしめた。
「ごめんな……」
耳に口をつけられて、静かに囁かれた。ゾクッと背筋が痺れた。気持ちよかった。それがまた惨めで、でも嬉しくて、もう僕はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。
「……名前、教えてくれよ」
僕は、逆らえない。
「桜庭……拓海……」
「……俺は、ラウっていうんだ」
僕は驚いた。魔法使いにとって『真の名前』はとても重要なものだからだ。呪式に使われることもあるから絶対に人に知られてはいけない、血を分けた兄弟にだって絶対に秘密という代物だった。
僕は人間界で本名さらして生きているから構わないけど、ソリッドエアー、いやラウの場合は……。
「なんで……、そんな大切なこと……」
「お前には知っていて欲しかったんだ。いいよな。今だけ、恋人でも……」
魔法に浮かされた、馬鹿な発言だと思った。……でも、今の僕には嬉しかった。死ぬほど嬉しかった。
「いいよなって……、逆らえないって……分かってるくせに……」
僕は笑って見せた。せめて、彼にかわいく見えるように努力してみせた。……僕も馬鹿だ。
「拓海……」
上唇を吸われた。一回、二回。舌が歯列をなぞり、唾液がトロトロと流れ込んできた。
「ラウぅ……」
僕も求めた。ラウの柔らかい唇が愛おしかった。積極的に吸いまくり、舌をそっと噛んだ。
その時、強烈な便意が僕を襲った。
「うああぁっ!!」
思わず、唇を離してしまった。しかし、ラウはまだ求めてくる。お尻の指も抜いてくれない。
「ふぶうぅっ……、ら、ラウっ……、ううっ……、うぐうぅ!!」
暴れる僕を、ラウは無理矢理抱きしめた。キスは強引に続行された。
僕は彼にだけはウンチしているところなんて見られたくなかった。どうにかそのことだけでも伝えたかった。
……お願い、お願いだから、汚い僕を見ないでぇ!!
不意に、彼の口から『風』が流れ込んできた。それは食道を抜け、僕の胃に圧力を加えた。十二指腸にものすごい力がかかり始めた。
ようやく僕にはラウの考えが分かった。彼は「上」から僕の全てを押し流すつもりだ。
「んんっ……、うぅ……、んぐううぅぅっ……!」
僕はただ、きつくラウに抱きついた。高まっていく体内の空圧に、僕は恐怖を感じていた。
今の僕は空気入れで膨らまされた、ペットボトルのロケットのようなものだ。指を抜かれたら、ウンチを一気に噴き出してしまうだろう。
怖かった。そんな事をされたら、自分がどうなってしまうか想像もつかなかった。でも、猛烈な排泄欲求はギチギチと僕の理性を軋ませていた。
重ねたラウの唇が熱かった。胸が熱かった。股間も熱くなっていた。彼の興奮は僕にも全身で伝わってきた。
……僕は、彼を信じた。そしてついに、指が引き抜かれた。
ゴボオオォッ! ブリュビュビュビュビュビュビュウウゥッ! ブビュ! ビュリュリュリュリュウゥッ!
ブボオッ! ブッ! ブビュビュリュリュリュウッ! ブビババババアアァッ! ブシャアアアァァッ!
「ふぐううううぅぅっ!!」
逆さにした噴火のように、大便が噴き出した
口を塞がれていなかったら絶叫していた。お尻が爆発したみたいだった。背筋が反り返り、ラウの胸を限界まできつく抱きしめた。
こんな状態でも、僕達のキスは止まらなかった。口は少しの隙間もなく塞がれ、その中で僕達の舌はお互いを激しく求め合った。
脱糞は延々と続いた。まるで蛇口を限界まで開いた水道のような勢いだった。胃の未消化な内容物まで一気に押し流すつもりのようだった。大腸の大便、小腸の軟便が順次、凄まじい速度で押し流されていった。
僕はラウの口内でひたすらに呻いた。排泄の圧倒的な快感と、口内の出鱈目な陵辱が脳をとろけさせた。
勝手に体が揺れた。僕達は張りつめた陰茎を重ねあい、さらなる快感を貪った。
体内の空気が放出と同時に爆ぜ、下品な放屁の音が連続で鳴り響いた。未消化のベチョベチョな汚物が霧散した。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい!
「うぐうぅぅっ! うぅ……、うううぅぅっ!!」
ラウの腕の力もさらに強くなった。僕達はお互いを絞め殺そうとしているかのように抱き合った。
苦しい、苦しい……。でも、ああっ、気持ちいいっ!!
「……んぐうぅっ!! ……うぅっ!! うぐうぅぅっ!!」
ドビュビュビュウウゥゥッ! ビュリュリュルルウゥッ! ドビュウゥッ! ビュルルゥッ! ビュルッ!
排泄と陰茎の快感に負け、僕は体を硬直させながら脱糞と平行して射精した。精液は密着した腹にビュルビュルと吹きかかった。
膝がガクガク笑いだした。僕の足は自分の体重に耐えきれず、身体がズルズルと下がっていった。ラウはそんな僕を抱え続けた。
膝立ちになり、アーチ上になった僕の身体を、ラウはキスしたまま抱いていた。僕は泣きながら、大股を開いてウンチを噴き出し続けた。
ブッ、ブブウゥッ……、ブバァッ、ボバアァッ!!
ついに、腸にへばりついた宿便までが全て抜けきり、目的の石も地面に転がり落ちた。
ラウは僕の痩躯をそっと地面に置いた。僕はただ惚けながら、ヒクヒクと快感に震えていた。
黄土色をした不浄の海に、賢者の石は夕日の赤を吸い取りながら、キラリと光っていた。ラウはそれを掴み、一陣の風を起こして汚れを弾いた。
「……悪かった。…………本当に、ごめんな」
ラウは謝りながら、石を懐にしまった。
そして、冷えた空気がラウを中心に集まり始め、流れは渦を作っていた。彼はこのまま消えるつもりのようだった。
「……ま、……待って」
僕の魔法は、まだ解けていなかった。
……まだ足りなかった。僕はもっと愛されたかった。……彼を、ここで帰すわけにはいかなかった。
僕は力の入らない足を強引にM字に開き、両手で限界までお尻の割れ目を広げた。
「ダメなのぉ…………、まだ、行かないでぇ……。もっと、愛してぇ……」
「拓海……」
「お願い……、今だけ……僕達……恋人でしょ……? お願い、抱いてぇっ……!!」
「………………っ!!」
「魔法のせいだけどさぁ、君のこと……好きなんだよぉ! 分かっているけど、止められないんだよぉっ!! お願い、僕を犯してぇ! これ以上せつなくさせないでぇ!! メチャクチャにしてえぇっ!!」
もう、恥も外聞もなかった。僕はデタラメに喚き散らした。
周囲は大量の排泄物で溢れかえり、飛び散った精液が僕の腹や胸を汚していた。そんな中、僕は猥褻なポーズをとって少年を誘っていた。
あぁ、ダメかなぁ……、嫌われるかなぁ。……当たり前だ、……こんなの、最悪じゃないかぁ!!
「ああぁ……、うあぁ……、うわあああぁぁぁっ……」
僕は泣き出した。自分のあまりの馬鹿さ加減にあきれかえり、ボタボタと涙を流した。何をしているんだろう、僕は。馬鹿だ、本当にバカだ!
――衣擦れの音が聞こえた。マントをはずす音、シャツを脱ぐ音、そしてズボンを下ろす音が聞こえた。
見れば、ラウは全裸になっていた。
引き締まった体が夕日を受けて赤く染まっていた。肌の輪郭や耳の産毛が美しい光りの線になり、森の影の中に浮かび上がっていた。
綺麗だった。こんな愚かで醜い僕なんか霞んで消えてしまいそうだった。
「拓海……、分かってるだろう?」
ラウは歩み寄り、僕の前にひざまずいた。そのまま、僕の顔を撫で始めた。
「……逆らえないんだよ、……俺だって」
「あ……、あぁ……」
僕は小刻みに震えるだけで、それ以上何も言えなくなってしまった。彼の果実を扱うような丁寧な愛撫に、胸が詰まってしまった。
指先が涙をすくい、そっと僕の口に運ばれた。僕は吸いついた。汗と涙の辛みがジワッと口内に広がった。
ラウの指が僕の口を掻いた。僕の舌がそれを追い、絡みついた。唾液が溢れ、口の端からダラリと落ちた。
汚汁にまみれた肉環も、ラウの指にまさぐられていた。少し曲げられたまま上下に出し入れされ、脱力した尻肉が反射的に跳ねた。
僕の腕はまだ、尻肉を割ることに集中していた。それ以外の動きがとれなかった。ただ、力のうまく入らない筋肉が快感で勝手に痙攣し、陰茎がいよいよ硬度をまして腹まで反り返った。
「好きだよ。俺だって、好きなんだよ……。お前がさぁ……」
「あぶうぅ……、んむぅ……、んあぁ」
「でも、今だけなんだろ……、こんな想いも……、今だけなんだろぉっ!!」
「いひよぉ……、いみゃ……、うあぁ……」
僕は口を犯されながらも強引に喋った。この気持ちだけは伝えなければならなかった。
指が引き抜かれた。僕はグダグダの鳴き声で、とにかく言葉を紡いだ。
「……いいんだよぉ。……今、だけでもぉ。たとえ……あした、殺し合うことになってもぉ。……せめて、後悔しないように、……今だけ、……今だけえぇっ!!」
唇が塞がれた。僕達は再び、とても熱いキスを交わした。
イヤらしい粘着音が、上からも、下からもピチャピチャと聞こえ始めた。脱力した僕を、ラウは優しく愛撫した。
肋骨をそっとさすられ、乳首が親指で押された。ゆっくりと薄い肉を揉まれ、僕はまた呻いた。
穴に指を入れられたまま、尻肉もこね回された。太ももの窪みが、すごく感じた。
唇が離れ、ラウの濡れた舌は首筋を這い始めた。そのまま下に降り、鎖骨を柔らかく噛まれた。
「ふうぅ……、いい……よぉ……、気持ちい……いぃ……、いいよぉ…………」
女の子みたいな声が出てしまった。とてもイヤらしい、男の子を誘惑するような声色だった。
「拓海、かわいいな……」
ポツンと言われた一言に、体中が反応した。それだけで気持ちよかった。全身をくすぐられているみたいだった。
頭がクツクツと煮込まれているように熱くなった。背筋が細かく震え、足の指先がこわばった。
おちんちんからは、ヌルヌルの液まで垂れ始めていた。先っぽから溢れる透明の雫が、お腹の上に小さな粘着質の水たまりを作っていた。。
「ねぇ……、ぼく、もぉ……、げんかいぃ…………、きもちいいのぉ……、ぼく、もぉ……、もぉ……」
「ああ、……拓海、気持ちいいんだ」
「うぅっ! そうなのぉ……、お願いぃっ……入れて……欲しいのぉっ! …………ぼくと、……つながって欲しいのおぉっ!!」
僕は強引にセリフをノドから絞り出した。もう、あまりの快感で息が詰まっていた。
ラウは僕の右足を少し持ち上げた。ふくらはぎを脇で軽く抱え、僕の体は横向きになった。お尻がちょっと持ち上がった。
腸液と汚物でドロドロに溶けた穴に、ラウの熱い亀頭が押しつけられた。
ついに、ラウはそのままゆっくり進んできた。僕の直腸はそれを柔らかく包み込んでいった。形がはっきり分かるくらい、僕は感じてしまっていた。
「ううぅっ……、ラウ……すごいぃ……、おしりぃ……熱いよぉっ……」
「あぁ……、拓海ぃ……、拓海の中も……、あ……熱い……」
ラウの声もすごく震えていた。ラウが感じていることが分かっただけで、僕は嬉しくなった。
僕はこみ上げてくる喜悦で、顔がだらしなく緩んだ。ラウの体温が暖かく、突き入れられたペニスは焼けるように熱かった。
「うぅっ……、ラウ……動いてぇ……。僕……もう……壊れちゃいそうだよ……、だから……、このまま壊してっ……! 僕を……もっと……幸せにしてぇっ!!」
何を言っているのか自分でも分からなかった。ただ、想いだけは通じたみたいだった。ラウは猛烈な抽挿を開始した。
ジュブウゥッ! グブゥッ! ブブゥッ! グボオォッ! グボオッ! ゴボオオォッ!
「ふぐううぅっ!! うぅっ……、ひあっ! あっ……あぁ…………、あああぁぁっ!!」
僕は歓喜の雄叫びを上げた。自分の耳にもそれは、はしたなく淫らに聞こえた。
「ううぅっ……、た、たくみぃっ!! あぁっ……あっ……うあぁ……!! いぃ……いいよぉっ!!」
ラウも自分の快感を隠そうとはしなかった。男の子とは思えない嬌声を上げながら、必死に僕を攻め続けた。
片足を上げた卑猥な体位は、僕の身のねじりと共に、より獣的な後背位へと変わっていった。
ラウは改めて僕の腰を掴み、さらにストロークの長い挿入をくり返した。
「あっ!! ……あぁっ! ああぁ! うあっ! ……うぅ、うぐうっ!!」
全体重をのせた一撃一撃に僕は吼えた。ガツガツと一番深い秘芯を押され、どうしようもないくらい感じてしまった。
手は何かに捕まろうと、地面に爪をたてた。しかし、その行為は空しく土塊が掘り起こしただけだった。
ゴツゴツと頭が地面に打ちつけられた。痛いはずなのに、僕は気持ちよすぎて、なにが起こっているのか分からなかった。
ついに、僕の上半身は地面にへばりついた。腕に力が入らず、体を支えられなくなってしまった。僕は腰を抱えられたまま、ただラウ犯される人形になった。
ラウはただひたすらに、僕を責め立てた。そこにはテクニックも何もなかった。彼は自分の快感は相手の快感だと信じて、獣のように腰を振り続けた。あまりに幼い性衝動だった。
僕達のセックスは、はたから見れば犬の交尾以下の代物だっただろう。本当に、ただの間抜けな体の重ねあいだった。
本能のみに従った、倒錯の交歓だった。デタラメな純愛の形だった。
ラウは上半身を僕の背中にすり寄せた。僕のお腹を抱きながら、カクカクと腰を動かし続けた。
僕にはラウの気持ちがよく分かった。……不安なんだ。とにかく体をくっつけていないと怖いんだ。
この魔法は、いつ効果が切れるか分からない。この想いが今にも消えてしまうのかと思うと、本当に背筋が凍る。
だから、ラウは少しでも触れ合う面積を増やそうと、必死に努力をしていた。摩擦で熱を持つほど、僕の背中に体を擦りつけてきた。
……大丈夫だよ、僕はどこにも行かない。
僕は、精一杯の力で右手を伸ばし、ラウの体に触れようとした。それは、お腹を抱えた左手に当たった。
僕の指先を感じ、ラウも左手を絡めてきた。指と指とを重ね合い、僕達は心から安堵した。
……深々と抉られた直腸、……折り重なる腰、……さすられる背中、……うなじへの熱い息、そして、つながった右手と左手。
僕達は一つだった。この幸福の一瞬は、きっと消えてなくならないと僕は思った。
……愛してる。……本当に愛してる! 魔法のせいだなんてもうどうでもいい……。僕は愛してる、君を愛してる、愛してる!
ラウは僕達の手を、そっと後ろに下げていった。
僕の掌と、ラウの掌の間に、脈動する包茎ペニスが挟まれた。
……本気なの? こんなことされたら、僕は本当に狂うよ。
震える肩に、ラウが頬をすり寄せた。……あぁ、僕は君を信じられる。
そうだね、二人で狂おう。僕は頷く。言葉も交わさないで、僕達は通じあう。
二人で、一つの肉筒を力いっぱいシゴき始めた。
「うあああぁぁっ!! ひぐううぅっ! ら、ラウうぅっ……、う、うぅっ! ふああぁっ!!」
「たくみぃ……! ううぅ……、しまるよぉ、拓海の中ぁ、吸い付くうっ!!」
二人がかりの不器用なテコキは、なんとか根本から先までをこすり上げていった。僕は快感曲線を急激に上昇させた。
僕達は呼吸を合わせた。二人で同時に達することを願った。この瞬間をただの夢ではなく、永遠に続く絶対的なエクスタシーにすることを望んだ。
僕達は同時に登り詰めていった。自我まで重なっていくのを確かに感じた。ついに、本当の意味で一つになろうとしていた。
「あひゃあぁっ! うぅ、ふうぅっ! イく……、イ、イくううぅっ。ぼ、ぼくっ、イくうぅっ!!」
「たくみいいぃっ! だ、出すよっ! お、おれぇ……、で、出るっ! ふあぁっ、で、出るうぅっ!!」
ドビュウウゥッ!! ビュルルルウゥッ! ドビュビュビュウウゥッ! ビュルビュリュウゥッ!ビュクン!
ビュウゥッ! ビュブブブゥッ! ビュボバアッ! ビュリュウウゥッ! ビュクン! ブビュウゥゥッ!
僕の中に灼熱の白濁が打ち込まれ、同時に僕も大量の精液を吐き出した。
もの凄い快感だった。今まで欠けていた、大切なものを埋め込まれたような気持ちだった。本当の自分が完成したような感覚だった。
僕は泣いた。感動していた。絶頂で真っ白になった心のまま、ガクガクとアゴを突き上げて震えていた。
ラウも僕の背中に抱きついたまま、ビクビクと痙攣していた。喉からは、嗚咽が漏れていた。
全身の硬直がしばらく続いた後、僕達は一切の力を失った。二人で泣いたまま、黒い土の上に崩れ落ちた。
ラウはヨロヨロと体勢を立て直し、泣き続ける僕の上に覆い被さってきた。
ラウの顔もグシャグシャだった。涙と汗で綺麗な肌がベトベトに汚れ、耳も垂れ下がっていた。指先は小刻みに震えていた。
彼は、なにも言わずにキスしてきた。
もうお互い、呼吸する力も残っていなかったため、ただ舐めあうだけのキスになった。それでも体は甘く痺れ、僕達の胸は幸せでいっぱいになった。
「……信じてくれるかな。ホントは、……人なんか殺したくないんだ」
「……信じるよ。……そうか、そうだよね」
「……殺したくない、……殺したくないんだ。……もう、イヤなんだ。こんなことぉ」
僕はラウを抱きながら、彼の懺悔を聞いていた。震えるラウは、本当に怯える子猫のようで、僕はまた、とても愛おしくなった。
人を殺す理由はついに聞けなかった。彼がそれを話すこともなかった。それは最後の一線だった。お互いが大切だからこそ、そこに踏み込むワケにはいかなかった。ただ、彼は謝り続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさいぃ……、ごめん……。うぅ……、うあぁ……」
僕は泣き続けるラウの頭を撫でた。柔らかい毛が掌を滑り、とても気持ちよかった。
彼は強くなんかなかった。強くあろうとしただけだった。それだけでも、とても強かった。僕も、そうなりたいと思った。
「で、この激萌えな光景はいつまで続くのぉ?」
突然の来訪者の声に、ラウは弾けるように振り返った。
そこには、お姉ちゃんがいた。
桜庭桜子は薄い桃色の衣装を着ていた。月明かりに照らされたレースが闇夜に透けていた。彼女は『ファンシーチェリー』に変身していた。
その指には、賢者の石があった。
「これが賢者の石か。『ループホール』のヤツが精製してるって噂は本当だったわけね、ふーん」
「返せよ……」
ラウは立ち上がった。その声は、まるでナイフのような冷たさだった。目も紅く光り、顔は猟犬の形相に戻っていた。
「ら、ラウっ……」
僕の制止も聞かず、ラウは一直線にお姉ちゃんに向かっていった。風に乗った走行は、凄まじい速度だった。
しかし、お姉ちゃんは何も慌てることなく、ターゲットに合わせて中段の蹴りを繰り出した。それも槍のような一撃だった。
「だ、ダメえぇっ!!」
僕は叫んだ。ラウが殺されると思った。お姉ちゃんは変身していなくても、魔法使いを倒せるだけの力を持っていたからだ。
しかし次の瞬間、信じられないことが起こった。ラウは蹴りを裏拳で反らし、さらにその足に膝蹴りを入れてきたのだ。
「なっ?!」
お姉ちゃんは慌てた声を上げながら、体勢を大きく崩した。しかも驚きはそれにとどまらなかった。
ラウの足は返す刀でお姉ちゃんの伸びきった軸足を狙っていたのだ。まともに喰らえば間接が逆に折れることは確実だ。
「くっ!」
お姉ちゃんは崩れたバランスにそのまま身をまかせ、地面に倒れた。ラウの蹴りはお姉ちゃんの膝からわずかに外れた。みっともないかわし方だったが、どうにか危機は脱した。
お姉ちゃんは鞍馬の選手ように足をぶん回し、体勢を立て直した。一方、ラウも構えをとった。
体を半身に傾け、両腕を広げた。伸ばした指からは、鋭い爪が光っていた。
「以膝頂膝……、『劈掛拳』かぁ」
お姉ちゃんの声は、なぜか嬉しそうに弾んでいた。そして、改めて拳を握り直し、構えをとった。
「仕事はやり遂げる。それが俺の矜持だ」
ラウはジリジリと間合いを詰めた。その重心は低く、確かな功夫を感じさせた。
「そんなおいしそうなモンぶら下げて、かっこつけられてもなぁ、シシシ……」
お姉ちゃんの挑発は下品で最低だった。
二人は睨み合った。僕はその間に割り込むこともできず、ただ成り行きを見守るしかなかった。
僕には、どっちの味方をしたらいいのかも分からなかった。それに、あんな戦いに巻き込まれたら、死ぬであろうことは確実だった。
僕は非力な自分を憎みながら、二人の間で歪む空気を見ていた。
ヒュッと、突風が森に吹いた。
ラウが猛スピードでお姉ちゃんに突っ込んだのだ。まるで弾丸。腕が大きい弧を描いて、凄まじい一撃を打ち込んだ。
お姉ちゃんは真横に飛び、紙一重でかわした。逃げ遅れた後ろ髪が直線に切り取られた。
ラウの攻撃はさらに続いた。二つの腕が竜巻のように振り回され、そのスピードは『風』で上乗せされた。まさに魔法と体術が一体となっていた。
しかし、一発で骨ごと持っていかれるであろう攻撃を、お姉ちゃんは全てかわし続けた。体を反り、ひねり、ときには上に跳ね、猛追を反らした。持っている技術を全て駆使しての応戦だった。
「ハッ!!」
ラウは腕を回し、真上から鋭い掌を打ち込んだ。遠心力を最大限まで利用した必殺の一撃だった。
「烏龍盤打か……!」
お姉ちゃんは、あえて腕で受けた。ギュンと肩や二の腕をひねり、ついにはラウの力を外側に大きくはねかえした。
隙をついて、お姉ちゃんはラウの懐に潜り込んだ。そこは回転する腕の攻撃範囲外だった。
しかし、体勢を大きく崩したラウも、さらに一歩、震脚を踏んだ。そのまま、背を向け、肩の後ろで突っ込んだ。
鉄山靠だ。僕でも知ってる八極拳の絶招技だ。
二人の激突と同時に、凄まじい炸裂音が響いた。衝撃波が森を同心円状に駆け抜け、まるで爆発が起こったようだった。ドオッと噴煙が上がった。
煙幕から、人影が吹っ飛んだ。
地面と水平に飛んだ肢体は、やがて落下し、ゴロゴロと森の土を巻き上げながら転がった。ついに、太い木の幹にぶち当たることで止まった。
「ごぼぉっ!!」
ラウが、口からおびただしい血を吐き出していた。
お姉ちゃんは、拳を前に突き出したまま、荒い息を吐いて固まっていた。
お姉ちゃんの出した技は、寸勁だった。間合い無しで拳を打ち込む、ブルース・リー得意のワンインチパンチだった。
「……やっぱりねぇ。ロングレンジの『劈掛拳』とショートレンジの『八極拳』を同時に習得する人もいるって聞いたことがあるけど……、警戒してて大正解だぁ」
ラウの背中は、一点が大きく潰れていた。そこは、間違いなく心臓だった。お姉ちゃんは背後からのハートブレイクショットを敢行したのだ。
ゴボゴボと血を吐くラウに、お姉ちゃんは大股で近づき始めた。
「……や、やめてえぇっ!!」
僕は慌ててお姉ちゃんとラウの間に駆け込んだ。両手を広げて、お姉ちゃんの行く手を阻んだ。
「拓海、邪魔する気?」
「邪魔も何も、もう決着は着いたじゃないか! もうこれ以上はやめてよっ! ラウが死んじゃう!!」
「あいつが悪い魔法使いの手先だってことは、理解してる?」
「してるよ……、で、でもさぁ!! もう、お姉ちゃんの勝ちじゃないかぁ!!」
「……いや、……俺の勝ちだね」
背後から聞こえたのは、弱々しい、今にも消え入りそうな声だった。
見ると、ラウが青ざめた顔で立っていた。しかもその指には賢者の石が光っていた。
「あぁっ?!」
僕達姉弟は同時に驚きの声を上げた。ラウはいつの間にか、お姉ちゃんの持っていた石を抜き取っていたのだ。
あの烈火のような猛攻は、その為のものだった……。
「ちっ……」
お姉ちゃんは舌打ちと同時に駆け出そうとした。僕は咄嗟に抱きついた。
「なっ、ちょっと拓海、離しなさいっ!!」
「だ、駄目ぇっ!! ラウ……、は、早く……、早く逃げてえぇっ!!」
言われなくてもそうするつもりだったのだろう。ラウの足下から、旋風が巻き上がった。
「た、拓海……」
ラウの目は、とても優しいものになっていた。満身創痍の体で、無理に笑顔を作っていた。
「また、逢おうな……」
ラウの体が風に呑まれ、消えた。後には、巻き上げられた木の葉と、真っ赤な血の跡だけが残った。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。でも、僕……、ぼくぅ……」
「んー、いいのよぉ。気になさらんな」
お姉ちゃんは先程までの殺気が嘘の様に笑いかけた。
「実は、あたしも限界だったしねぇ。ほら」
お姉ちゃんは左手で、自分の右腕を指さした。
「え……? う、うわああぁっ?!」
お姉ちゃんの右手は、まるで絞った雑巾の様にねじられていた。肉がひしゃげ、白い骨が血にまみれて飛び出している。あと少しでも力を加えたら、本当に千切れてしまいそうだ。
「あ、そんなに心配しなくてもいいよ。痛みはないの。感覚を遮断する魔法使っているから」
「見ているこっちが痛いよぉっ!!」
「まぁ、車の正面衝突を殴ったようなもんだしねぇ。正直、止めてくれて助かった」
今の言葉を信じるなら、お姉ちゃんは車を殴って十メートルはぶっ飛ばしたことになるのだが……。
「と、いうわけでぇ、お姉ちゃんは回復魔法なんかかけてくれると嬉しいなぁ」
「えっ……?」
「えーいっ♪」
僕は唇を押しつけられたまま、地面に押し倒された。
キュー・ピーさんは罰を受けている。
家に帰った僕達は、反省会を行った。場所は我が家のリビング。槍玉に上げられたのは、この小さな妖精さんだった。
彼女が全ての原因だった。『ループホール』と呼ばれる悪の魔法使いから、お金になりそうくらいの気持ちで『賢者の石』を盗み出し、捕まりそうになったので慌てて『ファンシーチェリー』の家に転がり込んだというのが事の真相だった。
「悪いヤツからものを盗んで何が悪い! 悪の悪は正義なんだーい!」
「誰から盗んでも悪いものは悪いだろぉっ!!」
まあ、ヤクザの上前をはねるようなもんだしなぁ。最悪だよ……、キュー・ピーさん。
と、いうわけでお仕置き決定。キュー・ピーさんはおもむろにお姉ちゃんに掴まれ、頭からパクッとくわえられてしまった。
「んぐううぅぅっ?!」
口内からくぐもり声が聞こえたが、お姉ちゃんは構わず舌でキュー・ピーさんをこねくりだした。
小さな妖精さんしばらく足をばたつかせて、暴れていたが、やがてその力も薄れていき、三分ほどでぐったりと動かなくなった。
ちなみに、お姉ちゃんは舌でサクランボのヘタを固結びにすることができます。
やがて、キュー・ピーさんはビクビクと体を痙攣させ始め、ついにはプシュッっとオシッコを噴き出した。
「うわあぁ……」
どうやら、あの中では恐ろしいまでの陵辱が行われているようだ。ようやく吐き出された頃には、キュー・ピーさんは気を失い、絨毯の上で白目を剥きながらピクリとも動かなかった。
……合掌。
一方、僕にはもう一個の大問題があった。『魅了』の魔法が解けないのだ。一向に……。
「おかしいよ、これ……。そんなに強い魔法じゃないはずじゃん……、やっぱ迂闊に魔術式をいじったのがいけなかったのかなあ?」
「ちょっと目を見せてみるゾナ」
ゴルモアさんはテーブルの上に乗って僕の顔をのぞき込んだ。
「かかってないゾナ」
「……はぁ?」
「おそらく、完全に魔法は跳ね返したゾナ。よく勉強したゾナね。短い時間でたいしたものだゾナ」
言っている意味が、よく分からなかった。
「……いや、だからかかりっぱなしなんだってば、『魅了』の魔法が。ずっと胸がドキドキしたままで、ラウのことを考えただけで溜め息がでるんだ。すっごくせつなくって……、これはなんで?」
「魔法とは無関係だゾナ」
「…………むかんけい?」
ポンと、お姉ちゃんが僕の肩を叩いた。うつむいたまま含み笑いをし、突然吹き出し、終いには高笑いになった。
「だははははは、拓海、あんた最高! 超萌え! 激萌え! あーっ、なんなのよぉっ!!
かわいいなぁ、もうっ!!」
僕の両肩をバンバン叩いて、お姉ちゃんは言った。
「初恋おめでとうっ!!」
お姉ちゃんはついに腹を抱えながら床に倒れ、ケタケタと笑いながら肩を震わせた。
「はつ、こい……?」
はてさて、僕は今までの経過を思い出してみた。ラウが魅了の呪文を唱えた。僕はそれを返した。ラウはかかった。その時僕は……、優しい顔をしたネコ耳少年に…………、一目惚れしちゃったのかあ!?
頭が事態を理解すると同時に、僕は空気が漏れたタイヤのようにヘナヘナと脱力し、床に突っ伏した。
「……魔法に、……かかってなかった。……じゃあ、その後の僕の行動は?」
僕は思い出す。……言われるままに命令に従って、ウンチ漏らした。……股を広げて、おねだりした。その他恥ずかしい行為のエトセトラ、エトセトラ……。
「ふ……、ふぎゅううぅぅ……」
僕は潰れた。立ち直ることは不可能だった。僕……、僕って……、あ、あぁ……、死ぬほど恥ずかしいじゃないかぁっ!
床で引きつるキュー・ピーさん、笑い転げるお姉ちゃん、頭を抱えて悶絶する僕。そんなリビングの光景を、ゴルモアさんはテーブルの上から眺めていた。
僕の小さな胸はひび割れていた。一滴の涙が染みこんだだけで、ズキズキと痛んだ。
――せつない。これが恋か……。
本当に皆、こんな思いをしてきたのだろうか。地球人類全員、思春期にはこんな体験をしているのだろうか。
僕にはとても信じられない。なんでみんな平気なんだ? 僕は今にも胸が潰れて、窒息してしまいそうだ。
お正月の澄んだ空気は、冬の夜空を限界まで高くしていた。いくつかの星が瞬き、僕はそれを、魔法で修復された部屋の窓から眺めていた。
涙が滲んで、空が歪んだ。……僕は、本当に大変な魔法をかけられてしまった。
「『また、逢おうな』か……」
彼の言葉を思い出しただけで、悲しくなった。僕はしばらく、この言葉にすがって生きていくことになりそうだ。まったく情けない。
……そうだね、もう一度逢えるなら、その前にもっと強くならないとね。
この空の向こうに彼がいるわけじゃないけど、僕は綺麗な夜につぶやいた。
「うん。……また、逢おうね」
僕は再び辞書を片手に、重たい魔界の本を開いた。
すこし開かれた窓から、夜風が優しく吹き込んだ。僕の濡れた頬が、そっと撫で上げられた。
(了)
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