『週刊ぼくのおにいちゃん・小山内勇魚(おさないいさな)編』

 頭の中がキリキリと痛い。身体が熱くて、とてもだるい。もうパジャマなんか汗だくで、布団の中はサウナみたい。
 朝に計った熱は38度8分。クスリを飲んで少し下がったけど、昼過ぎにはまた上がってきて、さっき計ったら、まだ38度6分。
 一日寝て、これしか下がってないんだ……。
 やだ、苦しい……。僕はパジャマの一番上のボタンを外す。
 もう、天井も見飽きてしまった。目をつぶるのも退屈だ。それでも体は動かないし、かといって眠ることもできない。
 熱い……。明日もこんな調子だったら、僕は本当に死んじゃうかもしれない……。
 トントントンと、階段を上がる音が聞こえてきた。ノックもなしに、ドアが開く。
「勇魚、どうだい具合は?」
「お兄ちゃん……」
 お兄ちゃんが学校から帰ってきた。家に着いて、ここまで直行、ランドセルも背負ったままだった。
「熱はちょっとくらい下がったか?」
「2分……」
「下がってねえじゃん……。お前、ちゃんと寝てた?」
 トイレ以外は布団から出ていない。僕はしかめっ面をおにいちゃんに向ける。
「……悪い」
 少しバツが悪くなったのか、お兄ちゃんは顔を背けた。
「とりあえず、プリントとか預かってきた。母さんに渡しとくな。宿題はないってさ」
 お兄ちゃんはそういうとランドセルを下ろして、僕の布団のとなりに座った。
「顔、まだ真っ赤だな……。どこか痛いか?」
「頭痛が痛い……」
「また、ベタなネタだな……」
 よく分からないことを言うと、お兄ちゃんは僕の額に手を乗せてきた。
 お兄ちゃんの手の平は、外から帰ってきたばかりなので、とても冷たかった。氷のようなお兄ちゃんの手に、僕の熱が吸い込まれていく。
「うわ、すごい熱いな……。やっぱ寝てないとダメだわ。こりゃ」
 お兄ちゃんの手の平はとても気持ちよかった。それはクルッとひっくり返され、硬い手の甲でも僕のおでこは冷やされた。
「それ、気持ちいい……」
 僕は目を閉じて、そっと肺にたまった空気を吐き出した。なんか体の悪いモノが、全部はきだされていくみたいだった……。
 ちょっと脱力。今日初めて、僕は気分がよくなった。
「……い、いさな?」
「ん……?」
「俺、何かできることないか?」
 お兄ちゃんは僕に手を当てながら聞いてくる。なぜか頬がちょっと赤い。
 できること? ……そうだね。
「パジャマ着替えたいの……。体拭いてよ」

 僕は布団から這い出て、上を脱いだ。お兄ちゃんは洗面所からタオルをとってきてくれた。
 一日寝っぱなしだったから髪はボサボサになっている。顔は真っ赤になってるのに、体は白い。なんだか、病気って不思議だ。
 ズボンも脱ぐ。白いブリーフも汗でグチャグチャだ。脱ぐ。火照ったからだが全部、部屋の濁った空気にさらされる。
 寒い……。汗を拭かなくっちゃ。
「お兄ちゃんは背中拭いて……。後は自分でやるから」
「あ、あぁ……」
 僕は足から体を拭いていく。太もも、股間、お腹。脇の下も汗がたまっちゃってる。クニクニと念入りにぬぐっていく。
 お兄ちゃんは背中を拭いてくれる。うなじ、肩、背筋。その手つきはとても丁寧で、僕はちょっと嬉しい。
 タオルがお尻に触れる。そこでお兄ちゃんは手を離した。
「お、終わったよ……」
「ん、ありがと」
 僕は脇にたたまれていた着替えに手を伸ばす。パンツをはいて、パジャマに着替える。新しいパジャマの乾いた生地がサラサラで心地いい。
 袖に手を通す。その時、後ろのお兄ちゃんから、ゴクンという唾を飲む音が聞こえた。
「……どうしたの?」
「いや、なんでもない」
 お兄ちゃんの顔がさっきより赤い。……どうしちゃったんだろう?
「お兄ちゃん……。もしかして、うつっちゃった?」
「え?」
「風邪……」
 僕は心配になって、お兄ちゃんの顔をのぞき込む。お兄ちゃんの顔は本当に真っ赤っかで、呼吸も荒くなっている。
 コツン。
 僕はお兄ちゃんのおでこに、自分のおでこを重ねる。
 僕達の時間が少しだけ止まる。心臓のリズムが重なる。
「あは、僕の方がよっぽど熱いね」
「……あ、あたりまえだろ! 別にうつってないよ、早く寝ろっ!」
 なんだかお兄ちゃんは慌てて僕から離れる。なにも、そんなに気持ち悪がらなくてもいいじゃん。
 でも、気持ちよかった。お兄ちゃんの冷たい体は、とっとも気持ちいい。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだよ……」
「お薬、塗って」
「え?」
「これ、お腹に塗って欲しいの……。お願い……」
 僕は枕元に手を伸ばして、風邪塗り薬のビンをお兄ちゃんに差し出した。

 僕は布団の上に体を投げ出して、パジャマの裾をめくった。
 スルスルと胸の上までもちあげると、お腹やおへそが空気に触れて、やっぱりちょっと寒い。
「ねえ、それ塗ったら、もう寝るからさ……。早く……」
「……あ、あぁ」
 お兄ちゃんはカラカラとクリームの蓋を回す。開くと、ハッカのような刺激臭が僕の鼻に流れてくる。
 僕はこの匂いが嫌いじゃない。スーッと熱くなった頭に清涼感が染みこんで、僕の心はちょっと落ち着く。
 お兄ちゃんは指で薄青のクリームひとすくいし、僕の胸に寄せる。
「じゃあ、塗るぞ……」
「うん」
 なぜかお兄ちゃんは少し緊張している。僕は目をつぶって、お兄ちゃんの指を待つ。
 クチュッっと、お兄ちゃんが僕に触れる。
「ん……」
 僕は小さくうめく。お兄ちゃんは丁寧な手つきで僕の胸の上を撫で、薬を広げていく。
 右胸を塗り終わると、またビンからクリームをとって、左胸を撫でる。お兄ちゃんの指が冷たくって、気持ちいい。
 またクリームがのばされる。今度はもっと優しく、手の平で、胸からお腹にかけて……。
「はあ……、は……あぁ……」
 火照った身体が冷たい粘液で覆われていく感触に、僕は喘ぐ。こわばった筋肉から力が抜けていく。クテッとした手足が布団の綿に吸い込まれていく。
「……勇魚、終わったぞ?」
「えっ? ……あ、ありがとう」
 僕はお礼を言って、寝間着を直し、布団に潜り込んだ。

 やっぱり熱のある身体は、布団に入れば新しい汗をかく。僕はまた、かけられた毛布の中で蒸されていく。
 お兄ちゃんは僕の肩の上の布団をそっと直してくれる。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「ん、どうも……」
 やっぱりお兄ちゃんの顔はまだ赤い。僕はまた少し心配になる。
「お兄ちゃん、もし、うつしてたらゴメンね……。その時は、僕が看病するから」
「大丈夫だよ。お前は寝てろ」
 お兄ちゃんはポンポンと僕の布団をはたく。そして、なぜか僕から目を反らす。本当にどうしちゃったんだろう、お兄ちゃんは耳まで赤くなっている。
 僕は今日のお兄ちゃんがよく分からない。でも、今日のお兄ちゃんは優しい。
「お兄ちゃん……」
「なんだ」
 僕は布団の端から手をだして、手の平を見せる。さっきタオルで拭いたばかりなのに、そこはもう汗で濡れている。
「へへ……、もう、こんなになっちゃった」
「ああ、もうちょっと汗をかけば、熱も下がるさ」
「うん、そうだね」
 僕は笑う。さっきまでの締め付けるような頭の痛みは、今は痺れに変わっている。僕は少しだけ楽になった。これは、お兄ちゃんのおかげだ。
「勇魚……」
 お兄ちゃんは僕の手の平に自分の手を重ねてきた。そっと手が合わさった後、指と指がからんで、僕達はギュッと手を握りあった。
 お兄ちゃんの手が、僕の汗で濡れていく。僕の熱がお兄ちゃんに伝わっていく。
「え……?」
 お兄ちゃんはもう片方の空いた腕で、僕の頭を抱きかかえた。
 フワッと、真綿で包まれたような感触だった。お兄ちゃんの腕はとても優しくて、とてもとても暖かかった。
 お兄ちゃんの頬が、僕の頭にあたる。そのまま、ほおずりされる。僕の心はどんどん落ち着いていく。
 眠い……。
「おに……い……ちゃん。ぼく……ねむ…………」
 僕の意識は光に溶けていく。身体はまだ熱いけど、もう大丈夫。僕は、このまま眠れる。
「ああ、お休み」
 お兄ちゃんが僕から離れる。握られていた手は静かに布団の中に入れられる。
 お休み、お兄ちゃん……。
 意識が途切れる寸前、ほっぺたになにかが当たった。
 柔らかくって、ちょっと濡れている、何かだった。
 ………………。
 僕は心の中でお礼を言って、そのまま眠りについた。

「37度1分」
「あら、下がったじゃない。明日は学校にいけるわね」
「うん」
 日も沈み、時計は7時。お母さんが仕事から帰ってきて、我が家は夕ご飯の時間になった。
 食卓には、もうお兄ちゃんが座っていた。お茶碗にはご飯が盛られている。
「勇魚はもう食べれる? 少なめにしとこうか」
「うん」
 僕は椅子を引き、お兄ちゃんのとなりに座る。お兄ちゃんはなぜかじっと冷蔵庫を見ている。
 まるで、僕と目を合わせたくないみたいだ。
「お兄ちゃん」
「なんだよ」
「もう大丈夫だよ……」
「よかったな」
「うん」
 お母さんが僕の分のご飯をよそって持ってきた。
「あら、勇魚。本当に大丈夫?」
「え?」
「まだ顔、真っ赤じゃない……」
 そうなの? 自分では分からない。僕は自分のほっぺをさすってみる。確かに熱い。
 お兄ちゃんは、まだそっぽを向いている。でも、やっぱり頬が赤い。

 うつしたのは、たぶんお兄ちゃんだ。まったく、変な病気になっちゃった。

(了)

[未投下]

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