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000002
UP's
2025�6 4月 12日 18時:45分
シナリオ研究ノート
作者:手塚 勉
□ストーリー設定
・ホラーアドベンチャー and ミステリー
□キャラ設定
キャラ設定をもう一度考えてみる。
・今までに使い古されていない設定であること
・多くの人が興味を持てる設定であること
・面白げであること
・好感が持てること
☆人気のある探偵キャラとは?
ミステリーの主役キャラとはどんな人物か?
見たことのあるやつをピックアップ。
・シャーロック・ホームズ
・エルキュール・ポアロ
・コロンボ
・明 智 小五郎
・金田一 幸助
・工 藤 俊作
・古 畑 任三郎
・山 田 奈緒子
・工 藤 新一
・金田一 一
・三毛猫 ホームズ
他に何かありましたっけ?
主人公の内面の分析は後にするとして、
改めて見回してみると、ほとんどが男で
女性(か動物?)を主役にすると新しげであると言える。
1月9日終了。
□主人公
主人公を女性にすると新しいと言ったが、
考えてみると、トリックなど女性が探偵のドラマやもあるし、
ゲームでも、女性が主人公の設定などいくらでもあるようだ。
要するに、性別では差別化はできないようだ。
□職業
一歩、踏み込んで、どんな人間であるかを考えるとするならば、
職業を決定するのが手っ取り早いだろう。
では、今までの探偵役にはどんな職業があるだろうか。
ホームズ - 探偵
ポアロ - 探偵
コロンボ - 刑事
明智 - 探偵
金田一 - 探偵
工藤 - 探偵
古畑 - 刑事
山田 - マジシャン
コナン - 小学生
はじめ - 高校生
三毛猫 - 猫
ということで、やはり探偵と刑事が圧倒的に多い。
基本敵に殺人を捜査するので、ある程度の知識がなければ
話にならないこともあるのだろう。
見ている人間が、この主人公なら捜査し、犯人を追いつめることができる。
と、思えなければならないので、警察に近い人間か、友達が警官という
設定が多いのだろうが、逆に全く警察とは関係ないが、そういう理由なら
捜査したりできるよな、という理由があれば新しい面白さが引き出せそうだ。
ということで、前から考えていた政治家の秘書に決定。
1月21日終了。
□葛藤
ストーリーの核として、主人公の葛藤が必要だと思う。
主人公は葛藤ゆえに、犯人を捜そうとするという設定にすれば
見ている人は、ストーリーの中にジワジワと入っていくことができると思う。
□何を葛藤させるのか?
羊たちの沈黙の中で、スターリング捜査官は子供のころのトラウマを克服しようと
犯人逮捕をしていると告白する。このシーンで見ている人間は完全にスターリングに
感情移入できたと思う。人間誰しもトラウマを持っているものだし、それに共感したから
からこその感情移入だと思う。
そこで、ターゲットを20代から40代の日本人に設定するとするなら
彼らが共感できうる葛藤とは何かを考えてみた。
女性の場合は恋の悩みなどが直ぐにでも考え付くところだが、ゲームという
性質上性別を絞ってしまうのは損な方法だと思うので、男女が共通して抱えている
悩みを葛藤の中心部とするのが最適だと思う。
そこで、自分の身の上も含め最も切実なのが、将来への不安ではないだろうか。
自分はこのままで、いいのだろうかという不安を描きたいと思う。
彼女は親のいいなりになっている。
↓
だが、物語の最後には自立して光り輝く自分の道を歩き出していることだろう。
注:白い巨塔のパクリだろとか詮索しないように。
1月26日終了。
□ミステリー
さて、シナリオを書こうと思ったのだが、ミステリーとはどのようなものなのかを
全く知らないことに気がついた。探偵が謎を解いて犯人を捕まえれば良いというもの
でもないだろう。そこで少し調べてみた。
http://mysdic.zero-yen.com/
http://homepage2.nifty.com/mysterybest/flame03.htm
http://www.studioarcadia.com/mystery/index.php
http://members.tripod.com/~yoshino/confess.html#_1
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~katsurou/rule/rule.html
調べる中で古典作家らによって、推理小説を書く上での「お約束」のようなもを取り決められたものがあるようだ。
その中のヴァン・ダインの二十則とロナルド・ノックスの十戒を見ることにする。
□ヴァン・ダインの二十則
「名探偵読本II エラリー・クイーンとそのライヴァルたち」原文を引用
1、謎を解くにあたって、読者は探偵と平等の機会を持たねばならない。
すべての手がかりは、明白に記述されていなくてはならない。
2、犯人や探偵自身にたいして当然用いるもの以外のぺてん、あるいはごまかしを、
故意に読者にたいしてもてあそんではならない。
3、物語に恋愛的な興味を添えてはならない。恋愛を導入することは、純粋に知的な実験を、
筋ちがいな情報によって混乱させる。当面の課題は犯人を正義の庭にひきだすことであり、
恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。
4、探偵自身、あるいは捜査当局の一員が犯人に豹変してはならない。
これは、厚顔な詐術であり、ぴかぴかの一セント銅貨を五ドル金貨だと称して
ひとに与えるのと同然である。
5、犯人は論理的な推理によって決定されねばならない。
――偶然とか、暗号とか、無動機の自供によって決定されてはならない。
後者のような犯罪問題の解決法は、読者を故意に無用の暗中模索に狩りたて、
それが失敗に終わるのを待って、おまえが捜しまわっていたものは、
はじめから、おれの懐のなかにあったと告げるに等しい。このような作者の態度は、
わるふざけ以上のものではない。
6、推理小説には、そのなかに、探偵が登場しなくてはならない。
そして、探偵しなくては探偵とはいえない。その任務は手がかりを集めて、それによって、
最後に、第一章で悪行を働いた人物を突きとめるにある。探偵がそれらの手がかりを分析して
結論に到達しないなら、その探偵は算数の本の巻末を見て解答を知る小学生と同じで、
問題を解いたことにはならない。
7、推理小説には死体が絶対に必要である。死体がよく死んでおればおるだけいい。
殺人以下の小犯罪では不十分だろう。殺人以外の犯罪のために三百ページを割くには大げさすぎる。
要するに、読者の手数と精力の消耗は報いられなくてはならぬ。アメリカ人は本質的に人間的であり、
したがって、凶悪な殺人はその復讐心と恐怖心をかきたてる。
加害者を正義の手に渡したいと望む。
≪いかなる場合でも非道な殺人≫(ハムレット)が行われたときには、ひと一倍温厚な読者までが、
このうえない正当な情熱をもって、その追跡に当たることができる。
8、犯罪の謎は厳密に、自然な方法で解決されねばならない。
真相を知るのに瓦占い、コックリさん、読心術、水晶占い等々の方法を用いるのは禁忌である。
読者は合理的推理によって知能を競うときはチャンスがあるが、霊魂の世界と競争し、
形而上の四次元の世界を漁り歩かねばならないとなると、ab initio(出発点からして)負けている。
9、――探偵はひとりだけ――つまり、推理の主人公はひとりだけ――deus ex machina(詩の氏神)
はひとりだけでなくてはならぬ。ひとつの問題を扱うのに、三人、四人の探偵、
時としては探偵の集団の頭脳をもってくるのは興味を分散させ、論理の脈絡を断ち切るばかりでなく、
発端からして、自分の頭脳を探偵のそれと取り組ませて、知能的戦いをする心がまえの読者に、
不当な不利益を与えることになる。
ひとり以上の探偵がいると、読者は、その相手とする推理者がどれであるかわからなくなる。
それは、読者をリレー・チームと競争して走らせるようなものだ。
10、犯人だと判明する人物は物語のなかで、大なり小なり重要な役割を演じた人物でなくてはならない
――つまり、読者になじまれ、関心をいだかれていた人物でなくてはならない。
最後の章で、局外者あるいは物語のなかで全然重要な役割を演じなかった人物に罪を着せる作者は、
読者と知能を競う能力がないことを告白するものである。
11、作者は使用人――執事、馬丁、部屋男、猟番、料理人等々のごとき――を犯人として選んではならない。
それは高尚な問題の論点をごまかすことである。あまりにも安易な解決である。
不満感を与え、読者をして、時間を浪費したと感じさせる。犯人は絶対に、相当な人物
――ふつうでは、嫌疑をかけられない人物でなくてはならない。犯罪が召使風情の下劣な仕事であれば、
作者は、それを記録にとどめるために、本の形にまでする必要はないからである。
12、いかに多くの殺人が犯されるにしても、犯人はただひとりだけでなくてはならない。
もちろん、犯人は端役の協力者または共犯者を持ってもいい。
しかし、全責任は、ひとりの人物の双肩にかからねばならない。
読者の全憎悪は、単一の邪悪な性質の持ち主に集中するようにされねばならない。
13、秘密結社、カモラ党、マフィア党(ともにイタリアの犯罪陰謀団)等々は推理小説に持ちこんではならない。
その場合、作者は冒険小説やスパイ・ロマンスの分野にはいって行くことになる。
魅力ある、ほんとうにみごとな殺人は、このような十ぱひとからげの有罪性によって、償い得ないまでに汚毒される。
たしかに、推理小説中の殺人は正々堂々としたチャンスを与えられてしかるべきであるが、
(いたるところに避難所を持つとか、集団的保護を与える)秘密結社に逃避を許すのは行きすぎである。
第一級の自尊心ある殺人犯人はだれしも、警察との一騎打ちにおいて、このような優位を欲しないだろう。
14、殺人の方法とそれを探偵する手段は、合理的で、科学的でなくてはならぬ。
つまり、えせ科学、純粋に空想的で、投機的な手法はroman policier(探偵小説)では許されない。
たとえば、新しく発見されたと称する元素――超ラジウムといったような――で、
被害者を殺すのは推理小説として正統な手段ではない。また、作者の想像のなかでのみ存在する珍奇で、
未知の毒物を服用させてはならない。推理小説の作者は、毒物学的にいえば、薬局方の範囲内にとどまらねばならない。
ひとたび作者が、ジュール・ヴェルヌ式の空想世界にあま翔り、野放図もない冒険の領域に跳躍すれば、
推理小説の埒外に逸脱する。
15、問題の真相は、終始一貫して、明白でなくてはならぬ
――ただし、読者が、それを見るだけの鋭敏な目をそなえていることを要する。
ということは、読者が犯罪の解明を知ったあと、もう一度、、その作品を読みかえして、解答は、ある意味で、
面前で読者を凝視していたこと――すべての手がかりは、事実上、犯人を指向していたこと――
読者が探偵と同じように頭がよかったならば、最後の章にいたらずとも、自分で謎を解き得たことを悟ることを意味する。
賢明な読者がしばしば、このようにして問題を解決することはいうまでもない。
推理小説についての私の基本的理論のひとつは、推理物語が公正に、正統的に構成されていれば、
全部の読者を相手に解決を防止することは不可能だということにある。
作者と同じ程度に俊敏な読者が常に相当数いることは避けがたいだろう。
作者が犯罪とその手がかりの叙述と提出のしかたについて、適当なスポーツマンシップと誠実性を示せば、
これらの洞察力をもった読者は分析、消去法、理論を駆使して、探偵と同時に犯人を指摘しうるだろう。
そして、そこにこのゲームの妙味がある。
また、そこに、ふつうの≪大衆≫小説を鼻であしらう読者が、顔を赤らめないで推理小説を読む事実の説明がある。
16、推理小説には、長たらしい叙景の章節、わき道にそれた問題についての文学的饒舌、精緻をきわめた性格分析、
≪雰囲気≫の過重視があってはならない。そのような事柄は犯罪の記録と推理では重要な地位を占めていない。
筋の運びを抑止して、主目的と筋違いな問題を導入する。推理小説の主目的は、問題を提出し、これを分析し、
成功裏に結論に導くことである。
もちろん、物語に、真実性を与えるためには、適当な叙景と性格描写がなくてはならぬが、推理小説の作者が、
迫真の現実感を創り出し、登場人物と問題にたいする読者の興味と共感を獲得する程度まで文学的才能を発揮したら、
それでもって犯罪事件の記録が必要とする、正当で適正な、純≪文学的≫技法は尽くされたとすべきである。
推理小説は冷厳な仕事であり、読者がこれを手にするのは、文学的扮飾や、スタイルや、美しい叙景や、
にじみ出る情緒にひかされたためではなく、
――ベースボールの試合や、クロスワード・パズルに熱をあげるのと同様に――頭脳の刺激と知能活動のためである。
ポロ・グラウンド球場(ニューヨークの)の試合最中に、自然の美しさについての講演は、しのぎをけずる、
ふたつの野球チームの死闘への興味を高めるにはいささかも役立たないだろう。クロスワード・パズルの鍵のなかに、
語原学や綴字法についての講釈をさしはさむことは、言葉を正しく組み合わせようと努力している解き手をいらだたせるだけだろう。
17、職業的犯罪者に、推理小説中の犯罪の責任を負わせてはならない。押し入り強盗や山賊による犯罪は警察の領分であり
――推理小説の作者や明敏な素人探偵の扱う分野ではない。そのような犯罪は、警察の殺人課の日常の仕事に属する。
真に魅力ある犯罪は、教会の重鎮とか、事前事業で知られた独身婦人によって行われたものである。
18、推理小説の犯罪は、おしまいになって、事故死とか、自殺となってはならない。
探偵推理のオデュセイアをこのような竜頭蛇尾で終わらせるのは読者にたいして
許すべからざる欺瞞行為を行なうことである。もしも、本の買い手が犯罪がいんちきだったという理由で、
二ドルの返還を要求した場合、正義感をもつ法廷だったら、原告に有利な判決を下し、善意をもって信用した読者を、
このようなぺてんにかけた作者に厳重な戒告を加えるであろう。
19、推理小説における、すべての犯罪の動機は個人的なものでなくてはならない。
国際的陰謀や戦争政策は別の部類の小説――たとえば、スパイ物語に属する。
しかし、殺人物語はいわばGemutich(心情)を含んでいなくてはならぬ。読者の日々の経験を反映し、
読者自身の抑制された欲求と感情に、ある程度はけ口を与えねばならない。
20、そして、私は(私の≪信条≫の項目を偶数にするために)自尊心のある推理小説作家ならだれしも、
今では、使うことをいさぎよしとしない、いくつかの手法のリストをここに掲げる。それらの手法は、
あまりにもしばしば使用されてきて、文学的犯罪の真の愛好者すべての馴染みとなっている。
それを使うことは、作者の無能と独創性の欠如を告白するものである。
イ、犯罪の現場に遺棄されていたシガレットの吸いさしと、容疑者のふかしている銘柄を比較して、
犯人の正体を決定すること。
ロ、えせ降霊術で犯人をおどし、自供させること。
ハ、偽の指紋。
ニ、替え玉によるアリバイ。
ホ、犬が吠えないので、侵入者が馴染みのものだとわかる。
ヘ、ふた子とか、嫌疑はかけられているが無実な人間と瓜二つの近親者を最後に犯人として取り押える。
ト、皮下注射器や即死をもたらす毒薬。
チ、警官が現実に踏みこんだあとでの密室殺人。
リ、言葉の連想反応実験による犯人の指摘。
ヌ、最後になって、探偵が解読する文字または数字による暗号。
□ロナルド・ノックスの十戒
「幻影城」
(1)犯人は小説の初めから登場している人物でなくてはならない。
又、読者が疑うことの出来ないような人物が犯人であってはならない。(例、物語の記述者が犯人)
(2)探偵方法に超自然力を用いてはならない。(例、神託、読心術など)
(3)秘密の通路や秘密室を用いてはいけない。
(4)科学上未確定の毒物や、非常にむつかしい科学的説明を要する毒物を使ってはいけない。
(5)中華人を登場せしめてはいけない。(西洋人には中華人は何となく超自然、超合理な感じを与えるからであろう)
(6)偶然の発見や探偵の直感によって事件を解決してはいけない。
(7)探偵自身が犯人であってはならない。
(8)読者の知らない手がかりによって解決してはいけない。
(9)ワトスン役は彼自身の判断を全部読者に知らせるべきである。
又、ワトスン役は一般読者よりごく僅か智力のにぶい人物がよろしい。
(10)双生児や変装による二人一役は、予め読者に双生児の存在を知らせ、
又は変装者が役者などの前歴を持っていることを知らせた上でなくては、用いてはならない。
□研究その2
自分で調べるのも時間がかかるので、まとめてあった論文を見て考えてみたいと思う。
http://members.tripod.com/~yoshino/confess.html#_1
から引用、(原文まま)
(1)犯人は冒頭から登場すべし。かつ共感できぬ人間たるべし。
(2)超自然的な要因は持ち込むべからず
(3)二つ以上の秘密の部屋や通路は不可。
(4)未発見の毒物や長い解説のいる装置は不可。
(5)中国人を登場させてはならぬ。
(6)探偵は偶然や不思議な直感の力をかりてはいけない。
(7)探偵が犯人であってはならぬ。
(8)手がかりは直ちに公開せよ。
(9)ワトスン役は思ったことを隠してはならぬ。かつ読者の知能よりわずかに低かるべし。
(10)双生児や犯人のそっくりさんは不可。
もちろんこれらのルールは必ずしも厳密に守られているものではなく、
いくつも立てられているルールの条項のなかには背反するものもあり、
他のルールの中には例えば犯人への共感を積極的に推奨するものもある。
また(3)(4)(5)(7)(10)はそれぞれ1920年代末によく読まれていた
「通俗」作家の作風を暗に指している意味で、安易なクリーシェの使用禁止と言い直すこともできるだろう。
だが、これらいくつかのルールの中から、推理小説に前提されているルール、
いわば推理小説の掟を抽出するなら、「フェアプレイの原則」と一般に言われている約束事に収斂する。
まず、手がかりは常に読者の前にさらされていなければならないし(ノックスならば8)、
それらを組み合わせていく推理は「論理的」で(2、6)、
一応の知力を持つ読者なら到達可能でなければならない。また、犯人は通例最初の事件の前に登場し、
少なくとも謎解きの場面を迎えた読者にとって既知の人物でなければならないし(1)、
推理の過程で浮かび上がる「犯人かもしれない人々」は
ある限定された被害者と関連した共同体の中に向けられることになる。
結末において探偵によって謎があかされ、それは犯人による告白、
あるいは自殺や逃亡などの行為によって保証されなければならない。
つまり、読者が探偵と競争しながら犯人を追い、結末において明快な回答を得ることもでき、
少なくとも結末でアンフェアだという印象を受けないように構成されなければならないのである。
またその結末は、読者が理解できかつ「意外性のあるもの」、
読者も自力で至れたかもしれないが読者が思いつかなかったような結末でなければならない。[高橋;1989,p22-23]
この原則は、いくつかのサブルールを要請する。
ルールブック以後の典型的かつ古典的な「本格」推理小説の粗筋を考えてみよう。
殺人が起こる。
殺人によって結ばれる共同体が描写される。
共同体は、山火事で孤立した別荘に閉じ込められた人たちや、
国境を越えて走る急行列車に乗り合わせた乗客のような具体的に閉ざされた共同体であってもいいし、
犯行の可能性をもっていることによって被害者を中心に結ばれた共同体であってもいい 。(注5)
「犯人でありうる人々の共同体」の中に探偵が登場する。
探偵は、精神分析医にしばしば比較されるほど巧妙にこの共同体の外すれすれに立ちながら、
関係者に事件に関する証言を求め、一見事件とは関係のなさそうな情報をあさる。
探偵は、話し手や読者とともに、犯人が計画した、あるいは偶然に生じた偽の手がかりに惑わされたり、
確実な証拠がないために推理を進めながらも話し手と読者の前では示唆に止める。
第二、第三の殺人が起こる。
その中で推理を組み上げた探偵は皆を集める。
探偵はその「皆」の中に含まれていた犯人を告発し、
犯人は犯行を告白して準備よく携えていた毒薬や銃で自殺するか、逃亡するか、警察に引き渡される。
この筋書の中から、いくつかのサブルールが書き出せるだろう。
例えば、「犯人でありうる人々の共同体」を限定する必要故に孤立した状況設定(「嵐の山荘」)が多くなり、
そのような設定を取らない場合には、
被害者の生前の交友関係や利害関係が可能な「犯人」を減らすために限定される。
「謎」を強調するために「密室」を典型とするような不自然な他殺が必要となる。
用心深い犯人のわずかな痕跡を集積しなければならないために「連続殺人」を扱うものの比重が
きわめて高くなる。共同体のパニックは時には信じ難いほど抑えられ、
現実では捜査の担い手である警察は私人である探偵に従うかそもそも現われない、といった。
これらはすべて「フェアな」方法ですべての細部を犯人の名「フーダニットwho's done it」という謎に
収斂する投射線として、あるいはそこからそらすための偽の手がかり整序づけるために存在する。
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