せつなさより遠くへ
「……もう、この城も落とされるだろう……その前に、ジルとピリカだけは逃がしておきたいんだ…頼む……」
苦しそうな声。
今にも泣き出してしまいそうな顔。
皇王としての最後の命令を下した長い銀髪の少年は、
崩れそうな体をどうにか支えながら言った。
「……わかりました」
クルガンが返事を返す。
ジョウイの姿に意識が向いていたシードは途端に引き戻され、
一礼をして先を歩き出したクルガンの後を慌ててついて行った。
どこまでも真っ直ぐな廊下を二人は歩いて行く。
「ごめんなさい……」
二人の背中を見つめながら小さく呟かれたこの声は届いたのだろうか。
内宮に入る一部屋手前の所で、同盟軍が来るのを待ち伏せする事になった。
出来る事ならば来ないで欲しいという願いと来るなら来いという心構えが入り交ざって妙な感じがする。
「……シード」
「ん?」
隣で沈黙を保っていたクルガンが口を開いた。
「……いいのか?」
「何が?」
心配そうに尋ねられても何の事かわからない。
「……いや……お前がいいのなら、それでいい。だが今が最後のチャンスだぞ」
―――ジョウイに自分の気持ちを伝えられる、最後の。
「……いや、いい」
小さく首を振る。
この思いだけは隠しておかねばならないと頭のどこかで警鐘が鳴っていた。
「………そうか」
再びクルガンは黙り込む。
ふと、ジョウイに初めて会った時の事を思い出した。
「観念しろよ、ジョウイ。あ、シード様。こやつが同盟軍のスパイに侵入いたしまして……どうしたものでしょうか?」
ラウドが連れてきた少年は散々痛めつけられたのか身体中傷だらけでぼろぼろだったが、
意志の強そうな瞳は真っ直ぐ自分を見据えていた。
「ああ、わかった。行っていいぞ」
「はい」
ラウドが一礼してテントから出て行くと手錠を嵌められた少年は目を逸らした。
「名前は?」
「……ジョウイ・アトレイド……」
「……俺じゃあどうしていいかわかんねえしなあ。クルガンはいねえし。こういうのはルカ様に聞かなきゃなんねえんだ」
もしかして殺されるかもな、と言いそうになって口を噤んだ。
「……僕は別にどうなったって構わない……だけどあいつに殺されるわけにはいかない」
意志の強い瞳が再び自分を捉える。
今までの捕虜は死にたくないと泣き叫ぶばかりだったのに。
ジョウイのその視線は、しばらく記憶から消える事はなかった。
ルカがどのような処置を下したのか、ジョウイがどう考えを変えたのかはわからなかったが、再び会ったのはそれから一月後だった。
ハイランド側についたばかりのジョウイの指導にはクルガンが当たる事になり、
いつも一緒に行動しているからかシードもジョウイと顔を合わせる事が多くなった。
「なあ、クルガン」
「何だ?」
「何であいつ、捕まった時一人だったんだ?」
ずっと引っかかっていた疑問。
「幼馴染と来たらしいが、逃がすために残ったらしい。そのようにラウドから聞いたが」
「じゃあ今、そいつは?」
「……同盟軍の方にいるんだろう」
――何が彼をこうした?
――何故彼は自分の身を盾にしてまでも守った大切な幼馴染を裏切った?
疑問は尽きなかったが本人に聞くのもはばかられて結局うやむやになってしまった。
処分されたソロン・ジーの後釜としてグリンヒルを落としにも行った。
名乗りを挙げたジョウイについて行ったが、それは予想外に静かなものだった。
てっきり中に乗り込んで行くものだと思っていたのに連れてきた兵はたった五千、
それは幾ら何でも侮り過ぎだと思っていたら、グリンヒルを包囲しただけだった。
その後は全く動く気配を見せないまま市内では食料を巡っての争いが起こり、一週間ほどであっさりと陥落した。
「死者は出なかったそうです」
偵察の兵からの報告を受けたジョウイが僅かに安心したような表情を見せた。
「……しかし、何故です?中に乗り込めばもう少し早く落とせたんじゃないですか?」
戦い好きなシードとしてはやや物足りないものがあった。
無論、無駄な戦いをする必要はないのだが。
「………それではルカと同じです」
ジョウイはやや自嘲気味に微笑んで答え、グリンヒル内の把握のために自ら出向いて行った。
ずっと疑問だった。
誰よりもルカを憎んでいるはずのジョウイが何故ハイランド側へついたのか。
でも、今回の事で少しわかった気がする。
ジョウイは、とある一つの目標のためにこちらに来たのだと。
グリンヒル陥落を名乗り出たのに血を流さない方法を取る。
つまり戦いは望んでいない。
ルカが戦いに取り付かれてしまっているような中、彼は必死の抵抗をしているのだ。
ルカに罵られても、例え身を挺して庇うような大切な幼馴染を裏切る事になっても……
それでもその目標のためには自分の手を血で汚さなければならない。
あの時折見せる寂しげな笑みは、それを自覚した上での覚悟が決まったものからではないのか。
―――彼になら託せる。彼ならあの狂皇子を止められる―――
ジョウイの後ろ姿を見つめながら、心の中で確信していた。
「グリンヒルの市民の皆さん、聞いて頂きたい」
軍団長のジョウイの声はけして大きくはないがよく通る声だ。
「……我々は死体に報酬を払うつもりはない」
ジョウイの話を広場で聞いていた市民達がその報酬の大きさに裏切りを企てている。
その光景を見て溜息をついた時、目の前に懐かしい姿が現れた。
「ピリカ!?」
顔を上げるとナナミとエンジュがわけがわからない、と言った顔で自分を見詰めている。
「……ジョウイ……どうして君は……」
悲痛な声。
それに対して何も答えられない。
今こうして自分がここにいる事を説明したくても、説明できない。
してしまえば自分の大事な幼馴染は何がなんでも自分を守ろうと必死になって、戦いに余計に巻き込んでしまうから。
自分の大切な親友を傷つけたくなどないから。
フィッチャーの鶴の一声で広場に騒ぎが起こり、エンジュ達はそれを利用して逃げて行く。
それを追いかけられない自分が悲しかった。
「追わなくて、いいのですか?」
エンジュ達の姿から目を逸らしているジョウイにクルガンが声を掛けた。
「……ラウドが追っている…任せておけばいい」
自分がこの立場でいなければ、自分はすぐにでもあの幼馴染の所へ行っただろう。
いや、行きたかった。が、時、既に遅し。
もう自分は、彼を追いかける事は出来なくなってしまった。
ジョウイは一つ溜息をつくと門からでて森の抜け道に向かう。
あらかじめグリンヒルを調べ尽しているため、エンジュがどの道を通って逃げ出すかの予測が容易くついた。
はっきりしないままでは苦しい。
かといってはっきり決別してしまうのも苦しい。
相反する自分の気持ちに活を入れて、ジョウイは頭に叩き込んだ地図を思い返しながら歩いて行った。
「……どうかした?」
森の抜け道を王国兵の追手を倒しながら駆けている中、ナナミがふと足を止めた。
「……どうして…ジョウイが、どうして……」
やっと会えたジョウイは、何故自分達を対立しているハイランドの軍団長になっているのか。
パーティーのみながナナミを囲んで黙った途端ピリカが先を走り出した。
「あ、ピリカちゃん!!」
姿が見えなくなったので追いかけると、ピリカの後ろにはジョウイがいた。
「……ジョウイ」
エンジュが悲し気な瞳でジョウイを見る。
居たたまれなくなって、目を逸らした。
「……エンジュ……同盟軍のリーダーなんてやめて、逃げるんだ」
―――戦火の届かない所へ。
「それは僕達に降伏しろってこと?」
ルックが冷たく尋ねる。
頷いたジョウイに、ナナミはすがり付いた。
「でも、ジョウイはルカを憎んでいるんでしょう!?だったらどうして!?どうして……」
「ルカのすきにはさせない」
真っ直ぐな瞳。
何も答えられなくなって黙ったナナミをエンジュが俯きながら引っ張った。
「エンジュ……嫌だよ、ジョウイにせっかく会えたのに!ねえエンジュ!ジョウイ……」
ナナミの悲痛な声。
何も言わずに行ってしまったエンジュの悲しみが伝わってきて余計に居たたまれなくなり、ジョウイは目を伏せた。
「……さよなら、エンジュ」
―――僕はもう、後には戻れないのだから―――
ジョウイの後を追いかけていたシードとクルガンは、遠くの方からエンジュ達の声を聞きつけて慌てて茂みの中に気配を消した。
「なあクルガン。今あいつらやっちまえば楽なんじゃないのか?」
今にも出て行こうとするシードを押さえつける。
「今のジョウイ殿にはあの少年が必要だ」
今のジョウイを支えているのはたった一つの目標と大切な幼馴染。
―――苦しめているのも彼らに他ならないが。
「……わかってるさ」
エンジュ達の気配が遠くに去り、再び奥の方へと進むと、今度はねちねちとしたラウドの声が聞こえてきた。
「私の部下がこちらに来るのを見ていましてね……私はルカ様にあなたを監視するように命令されていたんですよ。
この事を報告すれば、どうなるとお思いですか?」
「以前の自分の部下が上司になった事を妬むとは感心できませんね」
クルガンの静かな声が響く。
「俺達も一緒にいたがそんな奴等は通らなかったぜ」
クルガンに合わせてシードも言う。
それにたじろいたラウドは逃げるように悔しがりながら市街の方へと戻って行った。
「どうして……」
自分の後ろから来ているのだから見かけたはずなのに。
泣き出しそうな顔のジョウイにシードは明るく言った。
「俺はねえ、ハイランドって国が大好きなのさ。戦いが終わってみたら焼け野原ってんじゃ困るんだよ」
な?とクルガンの方を向く。
「あなたの望みは知っています。我らをあなたの下で働かせて下さい。あなたに忠誠を誓います」
恭しく二人に一礼されて言葉が出てこない。
自分の望みなど誰にもわからないと思っていたのに……自分を理解してくれている人間がいた事に涙が出そうになった。
「お二人のお気持ちは無駄にはしません。ありがとう……」
それがやっと出た言葉だった。
それからはとんとん拍子に出世し、ルカをエンジュ達に倒させてその後釜に座るのに半年もかからなかった。
そんなジョウイを、誰もが強いと称えた。
今の座に就くまでの犠牲に目をつぶるわけには行かないがこれで平定してくれるだろう、と。
果たしてそうだろうか、とシードはいぶかしんだ。
強い人間が、あんなに悲しそうな瞳をするだろうか、と。
そんなことを考えながら言いつけられていた書類を抱えてジョウイの執務室まで来ると、何とか抱え直してノックした。
「ジョウイ様、シードです」
しばらく待ってみたが返事がない。
仕方なくドアを開けると、ジョウイがぐったりして椅子に凭れ掛かっていた。
「ジョウイ様!!」
顔色は真っ青である。
ジョウイの崩れ掛ける身体を、シードは持っていた書類を放り投げて辺りに散らばるのも構わず抱え上げ、彼の寝室へ向かった。
「極度の過労と精神的なものでしょう」
ジョウイの寝室に向かう途中で会ったクルガンが呼んできた医者はジョウイを診察した後ぼそりと言った。
「……極度の……過労?」
「恐らくはこれでしょうな」
不思議がったシードに、医者がジョウイの右手を取って見せる。
そこに宿る黒き刃の紋章。
「……恐らくは、これの使い過ぎでしょうな。後は連日の長時間の仕事。しばらくは養生が必要ですな」
医者は一礼するとゆっくりと出て行った。
―――紋章の使い過ぎ?ジョウイが紋章を使う所など見た覚えが、いやこの頃は篭ってばかりだったのに?
「……シード…?」
日が沈んだ頃ようやく目を覚ましたジョウイは、心配そうに自分を覗き込む人物を呼んだ。
「……突然倒れられたので、驚きました……」
「……すまない……」
じっと見つめてくる瞳に耐え兼ねて、ジョウイはそっとシードから目を反らした。
「……紋章、使われていたのですか」
小さく尋ねる彼に、ジョウイが視線を戻す。
「大したことには……」
「……ハルモニアの神官に聞きました。ジョウイ様の紋章は、元々一つだったものを二つに割ったんだって」
いつものシードらしくなく淡々と語る様子にジョウイは黙り込んだ。
「それを何に使っていたのか、俺はついさっきまで知りませんでした……」
封印されていた、ハルモニアから譲り受けた獣の紋章。
ルカが自らの血を捧げ眠りから起こしたそれは、
ミューズ市民の命を貪り喰ってもまだ足りないらしく、時に暴走しそうになる。
それを紋章で抑えていたのが、ジョウイだった。
「紋章を使えば、どうなるかくらいご存知だったのでしょう?」
その言葉に、肯定する代わりに目を伏せた。
「……それは、今ごろエンジュも同じだよ……何かを犠牲にしなければ、先には進めない。僕の命は、その為にあるんだから」
目標のために、自らも捨て駒にしようとする。
「……確かに、平和にはなって欲しいです。でも、あなたは…?」
―――あなたが望む世界には、あなただけがいない―――
ジョウイは小さく首を振った。
「いいんだよ」
いいはずがない。
誰よりも大切なもののためにあえてこの道を選び、自らを戒めているというのに。
「……でも、あの少年は許さないでしょう。それから、俺も。皇王ではないあなたがすきなのですから」
その一言に、ジョウイの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
布団をかぶって声を押し殺して泣くジョウイをそっと抱き寄せる。
ジョウイはしばらくシードにしがみついて泣いていた。
「……僕は、何をしてきたのかな」
ジルとピリカを信頼の置ける護衛に任せ、ジョウイは自室のベットに座った。
自分がしてきた事は何だったのか。
こうなる事はある程度の予測がついていた。
こうなる事を望んでいたのかもしれないが。
自分は、理想の国を作ろうと必死になった。
スパイとして捕まった時に魅せられたルカの力に縋り付いてそれを奪い取って。
その力を使えば、何だって守れると思った。
だから自分は……でも自分は非道になりきれなかった。
エンジュと対峙する事がわかっていて、それを避けるような選択肢ばかりを選んできた。
そんな自分を何度嫌悪しただろう。
何度罵っただろう。
もう駄目だ、何度もそう思った。
それでも、あの倒れた晩に抱き締めてくれたシードの暖かさが、もう一度自分というものを思い出させてくれた。
彼が何を望んでいるのかわかりきっているのに自分はそれを支えにしていた。
いつのまにか、それなしでは崩れてしまいそうなくらいに。
自分がジョウイを必要としているのはわかっていた。
自分達を導いてくれる皇王として……しかし彼の本当の姿を見た時、自分は思わず彼を抱き締めた。
忠誠愛?
そんなんじゃない。
この国をジョウイが支えなければ崩れ去るように、誰かがジョウイを支えてやらなければジョウイは壊れてしまうと思った。
口では冷たい事を言っていても淋しい瞳は変わらないのだと。
どうにかしたい、そう切実に思った。
しかしそれを伝える事ははばかられた。
自分は彼にとって一人の部下に過ぎないのだから。
彼のためなら幾らでも剣を振るおう。彼が望むなら幾らでも。
そうして気付いた。
自分は、ジョウイの事を皇王としてではなく、ジョウイ・アトレイド、いやジョウイ・ブライトという人間の事を……
真っ向から向かってくるエンジュ達に肩先が切られるのも構わず切りかかる。
隣にいたクルガンが倒れたのに目をやった次の瞬間、雷撃球がシードを直撃し倒れた。
もう、立ち上がる力は残っていない。
悔いは残っていない。
自分はジョウイのために必死に戦ったのだから。
敗北宣言をし、目を伏せて先へ進むエンジュ達を倒れたまま見送ると、シードはクルガンを見た。
「なあ、俺達、頑張ったよな」
「……ああ…この国と命運を共にするのも……悪くなかろう……」
クルガンの呼吸が浅くなり、やがて静かになる。
涙が出そうになるのを堪えると、ジョウイの姿が目に浮かんだ。
「……シード!!」
幻かと思えば、ジョウイ本人がそこにいた。
「シード!!」
「……ジョウイ様…なんて顔をなさっておられるのですか……」
シードの脇に座り込んで覗き込んでいるジョウイの瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。
シードは手を伸ばすと優しくその涙を拭った。
「シード、ごめんなさい……」
顔をくしゃくしゃにして泣きながら流水の紋章を使おうとするジョウイの手を優しく止めた。
「……俺は、精一杯戦いました。その結果なのだから、俺は何の悔いもありません……」
「でも僕は!あなたが望んだ事は何も…!」
「……俺が望む事はただ一つ……あなたが幸せである事、それだけです」
ジョウイがいやいやを言うように首を振る。
「嫌だ……シードも……」
今度はゆっくりとシードが首を振る。
目を開けていられるのはもう少しだと気付くと、ジョウイの頬に手を添えた。
「……最期に一つだけ言っていいですか?」
その言葉に、ジョウイが涙を拭いてシードを見る。
「……なんですか…?」
「………ジョウイ様……俺は皇王ではないあなたを、愛してます……」
しばらく待ってもそれきり続きを言わないシードを揺さぶる。
「シード、シード!!」
幾ら揺すぶっても、声を限りに泣き叫んでもシードはそれきり動かない。
左手の紋章を向けてみても何の反応もない。
「……嫌だ…こんなの嫌だあ!!」
幾ら泣き叫んでももう届かない。
ねえ、どうして?
自分がこうなるように命令したのにどうしてこんな事に?
「……嫌だ…やだよシード……」
愛してるなら置いて行かないで。
涙が止まらない。
崩れ落ちてくる天井の瓦礫を避けようとした時、緑色の光が辺りを包み込んだ。
見るとシードの手には守りの天蓋の札が握られていた。
幾ら練習しても大地の紋章だけは発動させるのに時間がかかっていたため戦闘中に唱えたのが今頃発動したのだろうか。
それとも彼にもこうなる事がわかっていた?
ジョウイは城が崩れ落ちるのを聞きながら、シードにしがみついて泣いた。
―――戦う事しか出来ない僕がやっと手にした真実をあなたは知る事はないだろう。あなたを愛していると叫ぶ僕の声は、もう、あなたには届かない―――
○ あとがき
………微妙にゲームの筋に合わせてみたりした跡が……シードさんが倒れるシーンは、毎回駄目です……