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日本人
- 日本では、個人は自分の感情や考えを抑えて、周囲の人に合わせることが良いことだ、と大多数の人々が言い続けてきています。
- 日本では、個人の主体性を消し去った、滅私奉公(めっしぼうこう)の教育が、庶民の間で行き渡ってきたのです。
- 年長者や目上の人にただただ従い、組織の中に、どっぷりとつかるので、集団は、そのメンバーの利益のためにのみ存在します。
- これを、機能集団に対して、共同体と呼ぶことにします。
- 共同体は感情的つながりを基盤とします。
- 共同体では、感情的なつながりの人脈があり、お互いに、助け合ったり、コントロールしあったりします。
- 感情やしがらみと、それをさばく談合や調整がはびこって、個人の主体性はますます失われるのです。
- 共同体内部には公式のルールや役割では制御できない、それをこえた動きが生じます。
- この動きの中からうまれた非公式の権力は誰も制御できません。
- 日本人は感情と論理を分けることができない。
- 日本人は考え方の違いをはっきり自己主張されただけで傷つくほど、自我が無防備です。
- と同時に、日本人は感情と論理を分けることができないほど、自我が未発達です。
- 相手から自分の矛盾や弱点を言われただけで感情的になってしまい、相手を全否定してしまいがちです。
- 「気分は悪いけれど、言っていることは正しい」という思考はできません。
- 感情によって思考が停止され、思考力が衰退します。批判と中傷とは区別されるべきです。
- ぼかしのコミュニケーション
- 相手から感情的に嫌われるのを避けるために、ぼかしのコミュニケーションが発達しました。
- いったん相手に嫌われたら、状況が不利になったり、人間関係がギクシャクしたりするからです。
- 日本人のコミュニケーションは、互いに矛盾を指摘し合うことはなく、論理の整合性・説得力を競うのでもありません。
- 日本人のコミュニケーションは、逆に、矛盾をとるに足らないものであるかのごとくあいまい化し、たがいの一致を仮構します。
- 人はそれぞれ違いがあります。しかし、その違いにはなかなか気がつきません。相互理解は難しいものです。
- だから、おたがいに理解しあうために、ひんぱんにコミュニケーションすることが大切です。
- タテマエと本音の使い分けをする。原則と例外はない。
- 日本では原理原則と矛盾することがあると、その矛盾を個人の内面に抱え込むタテマエと本音が生じます。
- 見て見ぬふりをしてあいまい化されます。
- 日本人のタテマエとホンネは矛盾をぼかして問題先送りを続けているうちに、突然タテマエとホンネが逆転することがあります。
- どこにホンネがあるのか本人にもわからなくなってしまうのです。
- 日本人のタテマエとホンネの使い分けは、矛盾をあいまい化するので、極限に達すると、観念の絶対化が起こります。
- 俗世間の原理原則が、ときに絶対的なものになりやすく、批判することさえタブーになることがあります。(中山治氏の著書を参考にしました。)
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