忘れてしまうわけにはいかない。忘れるということは許すことになるからだ。
この記憶は私にしかない。私の生命そのものだ。
あいつらを殺してくれと、誰かに頼んでみることもできないが、私が犯罪者になるということが、この記憶を人類のありのままの姿の一つとして、私一人で背負うことから解放する唯一の方法であるならば、私はやはり殺さなくてはならない。
私は今たしかに生きている。それは昔から生きていたからだ。しかし、悔いることを知らない愚か物は、私は最初からいなかったと、したがっておれたちはなにもしていないのだと言い張っている。
自分と他人の区別がつかない病人なのか、
そうだとしても、記憶が私によって保有されていることを批判できるのか
すべておまえが始めたんだ
おれが生まれる前に
その責任は誰にある
過去をすべて自分の責任に基づいて語る勇気を持たぬ者は
誰に裁かれるのか
自ら裁く勇気のない者は
一人きりで死ね
どこに書いてあるのだと
苛立つ者は
明日のことを語るな
恥知らずの一つがいを殺してしまった。
本当は殺していない。私に忘れてしまえといったから、嘘をついた。
きみにはわからないことがある。おれじゃないから。この記憶を分かち合う術などないから。
検察官は唯一、愚か物の人間性を問う裁判を請求できるが、そのことは私には、時効が成立してしまう前に、犯罪を正当に断罪してもらう権利がないということを告げている。
しかし、あいつらはそれだからこそ、あんなことができた、そう思いたい。
法は人間しか裁けないというのなら、人の姿をした鬼畜はどうすればいいのか。鬼畜に囚われ、死ぬか墜ちるかとさいなまれた私は。