フルーティー

 一階上の夫婦が子どもを
大声で叱るたびに
  私の心はみじめになる
 ちぢこまりむりやり
  血をせき止めて
 道でないところを乗り越えて
     胸や手首やいろんな
    節々に正座をさせて
   ひとときの壊死を
   強制する

  ハンバーガー屋さんに行くときだけ
  甘えるのかい?
  きみはいつの日か
 マリワナにむせび泣くときがくる
 コインの光がけむりをてらして
 いろいろな思い出を
   うかびあがらせるよ

 いろいろな根っこからしぼった
   甘い液体をいろんな
  ところに注射して
 甘ったるい夢を見るんだよ
 そうしたら忘れるよ

  ゆっくりゆっくりと
   バチスカーフが浮かび上がって
   海の色がいくつあるのか
   数えている途中に
    またあの大きな声
   お皿が割れる音に
 びっくりしてきみの心がまた
   きみの知らない
     ところへにげこんで
        しまわない
          限りだよ

きみは海の色を思い出すかもしれない
そして飲み干して体いっぱい焼けただれて
ハッカを舐めても間に合わなくて顔にまでしみ出して
そのために頭に瘤がたくさんできて上せっぱなしになって
緑茶が切れるまでそれだけ飲み続け舌に苔が生えて
褐草が出す小さな泡のようだったきみを思い出す
いつもショートブーツで歩いていた季節は気温だけが残り
鬱蒼と茂った紅いツタの葉っぱの裏には甘い蟻がたくさんいる
まるで注射したみたいな甘さで体がだるくなって
 気がつくと目の前にまたバチスカーフがハッチを開けて待っている
 きみはさっきまで一緒に海の色を飲み干していたきれいな女の話を思い出す
  きれいな人だった
  季節違いの花を摘みに行くといっていた
  クロゼットの中に入ったままもどってこなかった
  波の音が聞こえなくなる最後の一歩を踏んだのかもしれない
 きみは波の中に入っていく 子供のころ作った海の色図鑑を逆になぞりながら
  火星の氷河期に見られたプラチナのように輝く銀盤は夜の中にあった
  人間が精霊の軌跡だと思い込んできた半透明の原始生物は新たな色彩だった
  コンクリートの色はどこにもなかった 探してもお皿の砕ける音が響いた
 その度に耳がよく聞こえなくなって その度に図鑑を見つめ直す その度に...
 外に広がる色彩の中に何かを見つけられるはずだった それは予感だった
   山奥の陋屋で煙に巻かれてはお皿の破片に待ったをかけた
    破片No.17、120分の1インチ接近 意識を集中せよ
    破片群のベクトル垂直方向へ修整 注意を網状にした
    運動エネルギー拡散粒子はもう使い切ってしまった
      あとは距離の分割を無限に続けるんだ
       破片は届かない
       音も届かない
      距離が半分になった でもまだ半分ある
      その半分は半分だけしかなくならないからまだ半分残ってる
      これが無限なんだ 煙が渦巻く秘密がそこにある無限なんだ
      絵本を開けばいつもそこにある黄色いバターなんだ

 気がつくときみは煙に息を引き取らせた夜の湿った空気をまとって震えていたね
 見なかったはずなのに夕焼けのような紅が頭の中に広がった気がする
 無限は続かなかったのかな
 海はまだ明るくて無線にも雑音が入ってくる 誰も寝ない時間だ
 ...ドラム缶にあいつを詰めて殺してしまおう......殺してから....しまおう
 酵素が......いるねえ.........そう、そう......だからね......
 ルームモニターだった

 きみは深く潜りすぎたのかもしれないよ 甘ったるい夢はとっくに醒めていて
 冷たい氷の海の下に入ってしまったのかもしれない
 そこでは世界中の悪意が漏れ聞こえてくるそうだから ルームモニターだから
 ウインドウショッピングの途中にきみの骸に出会うかもしれないんだ

 海の色はもう数えられない
 そこは海にぜんぜん見えない光沢の世界だから
 新しいページもめくれない
 航海日誌はここで終わってしまう


1997.7.23(水)


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