4
「やっほ。智也」
「美奈・・・」
次の日も俺はバイトを休んで薫と二人で家に居た。このままだとバイト首だろう
な。でもどうせ引っ越すんだからいいか。そんな事を考えていたらチャイムが鳴った。
「最近智也から連絡くれないから心配したんだからね」
「み、美奈」
靴を脱ぎ家に上がってくる。やばい、まだ心の準備ができてない。キッチンと
部屋を繋ぐドアが開く。
「ちょっと待っ・・・」
遅かった。美奈と薫。お互いがお互いの顔を見ている。薫は不思議そうに美奈を
みていた。美奈の顔はうかがう事ができない。
「美奈・・・これは」
「やっぱりそうだった」
「え?」
不意に美奈がこちらに振り向く。微笑んでいた。
「私ね、智也とそこの子が公園で遊んでるの見てたんだ」
「・・・・・・」
「あんなに楽しそうな智也の顔、二年間で見た事なかったな」
唖然とする俺の横を美奈がゆっくりと歩いて通り過ぎる。
「最近智也が元気になったのってあの子のおかげだったんだよね」
振り返る。美奈が見つめている。
「私、智也が元気になって本当に嬉しかったんだ」
「・・・・・・美奈」
「でも悔しいなぁ」
美奈が顔を背ける。
「私も、智也が元気になるように一生懸命頑張ってきたんだけどなぁ」
「美奈、お前・・・」
近づこうとして息を呑む。・・・・・・泣いてる。
「ごめん、今日は帰るね」
「お、おい美奈!」
俺が止めるより早く美奈は出て行ってしまう。くそっ!俺はなんてバカなんだ!!
「美奈っ!!」
部屋を出て叫ぶ。美奈が涙を拭いながら走って行く。俺は追いかける事が出来なかった
「お兄ちゃん」
部屋に戻ると薫が不安そうにしている。
「ごめんな。何でもないよ」
薫の頭を撫でる。このままじゃダメだ。美奈とちゃんと話しをしないと。
「くそっ。どこ行ったんだよ」
走る。薫にすぐ帰ると伝えて留守番させて美奈を探している。携帯には出てくれ
なかった。
「美奈・・・・・・くそっ」
俺は最低な男だ。二年前、何かと俺の事を気にかけてくれた美奈。俺がどんなに
冷たくしても笑顔で受けとめてくれた美奈。腐ってた俺と一緒に居てくれた美奈。
そんな美奈を俺は・・・・・・俺はっ!
「くそっ!くそっ!くそっ!!!」
電柱を殴り付ける。皮膚が破け血が滲む。かまわず殴り続ける。
「くそっ・・・・・・たれ」
俺は・・・最低だ。
結局、一駅離れた美奈の家にまで行ってみたが美奈は居なかった。無力感に苛ま
れながら自分の家のドアに鍵を刺し込む。・・・鍵が開いている?おかしいな。
鍵をかけ忘れたか?
「薫?」
日も暮れていると言うのに部屋に明かりがついていない。薫のやつ寝ちまった
のか?
「おい、薫」
部屋に薫の姿がない。胸が押し潰されそうな不安が込み上げる。
「薫!隠れてるのか!?」
押し入れを開ける。いない。トイレ、風呂。どこにもいない。
「そんな・・・まさか」
家を飛び出す。比良坂の屋敷に向って走った。
「美津子さん!薫!!」
呼び鈴を押し門を叩く。くそっくそっ!油断した!俺の居ない時を狙って薫を
連れて行きやがったな!!
「非常識ですよ」
「美津子さん!」
門が開き美津子さんが出てくる。
「薫を・・・返してください」
「それはできません。近く、薫の婿となる方が薫を迎えに来ます」
「そんな・・・・・・美津子さんはそれでいいんですか!?」
「薫のためです」
門を閉めようとする美津子さんを止める。
「薫の気持ちはどうなるんです!!」
「貴方には関係の無い事です。お引取りください」
門が締められる。
「・・・・・・・・・なんだよそれ」
全身から力が抜けていく。空を見上げる。雪が降り始めていた。
「くそったれーーーーーーー!!!」
暗い部屋。薫が居なくなってから三日が過ぎた。俺はバイトも行かずに一人部屋
でうずくまっていた。結局、俺は美奈も薫も失ってしまった。お笑いだよな。
『プルルルルルル、プルルルルルル』
家の備え付けの電話が鳴る。今日何度か鳴った気がした。
『プルルルルルル、プルルルルルル』
耳に呼び出し音が入ってくる。入ってくるだけで出ようとは思わない。何もした
くない。うるさい。早く諦めてくれ。俺は出たくないんだ。
『プルルルル・・・・・・』
電話が鳴り止む。暗い部屋をただ睨み付ける。腹が減った。食欲はない。このま
ま俺なんて死んじまえばいい・・・・・・。
『・・・・・・ルルル、プルルルルルル』
何時の間にか眠ってしまっていたらしい。電話の音で意識が戻ってくる。
「もしもし」
電話に出る。バイト先からの苦情かな。
『・・・・・・』
「もしもし?」
何も話さない。いたずら電話か?
「なんだってんだよ」
『・・・智也さん』
受話器を置こうとした時に小さく声が聞こえた。ギクリと身体が竦む。
「・・・美津子さん?」
『・・・・・・』
「美津子さんなんですね・・・。今更俺になんの用ですか」
『薫が・・・』
「もう俺には関係の無い事のはずでしょう。切りますよ」
『薫が倒れました』
「・・・なんだって!?」
『もう・・・長くありません。あつかましい願いだとは思いますが、薫に会って
あげてください』
そんなバカな。あんなに元気だったじゃないか。美津子さんはきっと俺をから
かっているんだ。
『智也さん?』
受話器を放り出すと俺はコートも着けずに雪の中に飛び出した。
比良坂の屋敷。薫が目の前で眠っている。三日前とは比べ物にならないほど痩せ
こけている。肌の色も危ういまでに白い。
「なんで・・・」
声が出ない。なんで・・・どこでこうなっちまったんだ?
「昨日、家元の方が迎えにこられる前に・・・」
薫を挟んで向いに座っている美津子さんが伏見がちに口を開く。
「貴方の所から連れて帰って来た後ぐずって部屋に閉じこもっていました。その
後から急に容態が悪化して昨日・・・」
辛そうに口を紡ぐ。
「薫は・・・どうなってしまうんですか?」
「お医者様のお話しだと・・・もう・・・手遅れ・・・・・・だと」
目の前が真っ暗になる。そんな・・・嘘だ。
「ありえない・・・あんなに元気だったじゃないですか!」
「・・・薫の体は四年前からある病魔に蝕まれていました」
美津子さんが淡々と語りだす。
「四年前・・・その病魔から薫を救うために空気の清浄な場所へ連れて行き必死
で治療しました。その治療には莫大な費用がかかりましたが比良坂流の全てを犠
牲にする覚悟で治療を続けました・・・」
「そんな・・・事が」
「ところが比良坂家が傾きかけるほどの資金をもってしても足りなかった・・・
そんな時、宗像の流派の家元がその資金を援助してくれたのです」
「薫の結婚相手・・・ですか」
「はい。その見返りとして薫との結婚を提示してきました・・・。その費用も持つ
と。私も薫の病気が治るならばと・・・・・・断る事ができませんでした」
そうだったのか・・・・・・。
「じゃあ、その病気は治ったんじゃなかったんですか?」
「私達もそう思っておりました・・・。しかし」
美津子さんが嗚咽を噛み殺す。
「私達は薫の体に残っていた病魔を見つける事ができませんでした。こちらに
戻って来てから・・・急激にその進行が進んで・・・」
「おにい・・・・・・ちゃん?」
「薫!」
薫が目を覚ます。美津子さんが涙を拭う。
「薫さん、智也さんが会いに来てくださいましたよ」
「あは、お兄ちゃん・・・ボクがおびょうきでねてると・・・ぜったいきてくれ
るよね」
嬉しそうに微笑む。胸が苦しくなる。そんな笑顔見せないでくれ・・・。
「当たり前じゃないか」
涙が溢れてくる。助からないなんて嘘だ。薫は絶対に良くなる。
「お兄ちゃんないてるの?」
「バカっ・・・俺が泣くわけないだろ」
涙をごしごしと拭き無理やり笑顔を作る。くそっ。情けない。
「お兄ちゃん。ボク、おそとでたいな」
「何言ってんだよ。そんな事・・・」
美津子さんが無言で一度頷く。
「・・・わかった。ちょっと待ってろ」
薫を抱き上げる。・・・軽い。涙がまた溢れそうになる。
「わあ、ゆきだよお兄ちゃん」
「ああ」
庭に出る。雪が降り続けて一面真っ白になっている。
「ねえお兄ちゃん・・・またいっしょに・・・・・・ゆきがっせんしたい・・・ね」
「ああ、ああ」
なあ神様。あんたもうこいつから色々取ってったじゃないか。もうこれ以上・・・
何も持っていかないでくれよ・・・・・・・・・。
「ボクも・・・お兄ちゃんもびしょびしょになって・・・おかあさまにおこられたよね」
「ああ、・・・ああ」
俺の命だってくれてやるから・・・薫はダメだ。頼むよ。薫からはダメだ。
「お兄ちゃん・・・・・・おきたらまた・・・・・・・・・いっしょに・・・」
「おい薫?おい」
ウソダ
「おい薫って。一緒になんだよ」
うソダ。ウそダ。うそ・・・だ
「なあ薫。こんな所で寝ると風邪悪くなっちまうぞ」
うソだうそダうソだうそダウそだうそだ
「薫って・・・・・・・起きろよ。おい」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嘘だろ?神様
「うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
その後の事はあまり覚えていない。どうやって家に帰ったのかも覚えていない。
その日はいつもより多めに・・・睡眠薬を・・・・・・飲んだ。
あの日から二ヶ月が経ち、俺は死に損なっていた。俺の家に来た美奈に睡眠薬
を飲んで倒れているのを見つけられた。病院のベットで目覚めると美奈に泣き付
かれてしまった。その後、俺は美奈に全てを話した。そして俺は泣いた。生まれ
て初めて号泣した。美奈も俺と一緒に泣いてくれた。そして泣きながら、薫がも
う居ない事を強烈に理解した。
病院で目覚めた次の日、美津子さんが俺の病室にやってきた。そして薫が四年
間俺宛に書いたと言う手紙の束を俺に渡すと『ごめんなさい』とだけ言って帰っ
て言った。
手紙には拙い文字で自分の事、俺の事、遊べなくてつまらない事、俺に会いたい
事、色々な事がとりとめなく書かれていた。手紙を持つ手が震える。最後の手紙
を開く。
『お兄ちゃんおげんきですか?ぼくはげんきです
はやくおびょうきおなおしてお兄ちゃんといっしょにあそびたいな
お兄ちゃんもおからだにきおつけてください
かおる』
俺はまた泣いた。大声で泣いた。何もできなかった自分が情けなかった。不甲斐
なかった。
まだ雪の残る街を美奈と二人で歩いている。なあ薫。俺、看護師になる事に
したんだぜ?四月から専門学校にも入学が決まってる。美奈は全てを知った上
で俺と一緒に居る事を選んでくれた。結婚・・・はまだ早いけど美奈に伝える
つもりだ。
なあ薫。俺、お前は助けられなかった。何もしてやれなかった。けど、お前
みたいなヤツの力に少しでもなれるように看護師目差したんだぜ?俺頑張るか
らさ、見ててくれよ。なあ、薫・・・。
やばい、また泣きそうになっちまった。美奈にバレないように目をこする。
解け残った雪が太陽を反射してキラキラと輝いている。その道を、俺は美奈と
二人で進んだ。