アリスの娘たち〜  フレイ/永遠の時とともに(5)

公園で姉に誤解されてから、それまでは何も言わなかった教授は、"無用な詮
索を受けるから"という理由で、フレイとは一緒に寝ないようになった。フレイが
夜中にそうっと忍び込んだが、気づかれて追い出されたこともあった。フレイに
とって、いちばん心の安らぎを感じるリズムを聞くことができたのは、教授が昼
食後に執務室のソファで仮眠をとる時だけだった。もちろん、添い寝することな
どかなわなかった。フレイは執務室で一緒に食事をしたあといったん部屋を出
て、教授が寝入った頃にそうっと戻った。そして起こさないようにゆっくりと教授
の隣に座り、気づかれないように慎重に教授の手に自分の手をそっと重ねた。
そして2人の心臓の音まで聞こえそうな静かな部屋の中で、時間が過ぎていく
のを惜しんでいたのだった。教授のセットした目覚まし時計の表示を時々気に
しながら、時刻が迫ると静かに部屋を抜け出し、ドアの外で教授が目覚めるの
を待った。秘密の行為は、執務室付の助手たちの誰もが知っていたが、フレイ
の大切な時間を邪魔するようなことはしなかった。むしろ昼寝中にもかかわらず、
教授の手を煩わせようとする者を阻むために、積極的に協力してくれたのだった。
しかし、そんなささやかな時間もすぐに終わる時が来た。ついうっかり教授の寝息
にフレイも眠気を誘われ、アラームが鳴るまで眠り込んでしまったのだ。慌てて
飛び起きて教授のそばを離れたが、明らかに教授は気がついていたようだった。
顔を真っ赤にしてうつむき、なんと言い訳したものかわからず、フレイはもじもじし
ていたが、教授はにっこりとしながらこう言った。
「せっかくの昼寝なのに、目覚ましの音で起きるのも無粋だな。助手がいるのだ
から、時間になったら起こしてもらうことにしよう。私は眠りが深いので、起こすの
は大変かもしれんが、頼むよフレイ」
フレイは、言葉が出ないながらも何度も大きくうなずき、これで"一緒に昼寝して
も怒られない!"と思い、嬉しくなって部屋を飛び出していった。暫くして執務室
の外から、何人かの歓声と拍手が聞こえてきたが、教授は何を騒いでいるのか
見当がつかず、気にしないことにして、大量に溜めてしまった事務作業を再開した。

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公園での一件から1週間後、再びフレイの姉が教授を訪ねてきた。
先日の失礼な言葉のお詫びにと、手作りの菓子を持ってやって来た。
教授は、"娘たちはこんなものも作るのか"と感心したが、自分も昔アリスの娘と
一夜を過ごした時に、手作りのチョコレートをもらったことを思い出した。
「フレイはいま実験中だが、もう終わってる時間だと思う。直ぐに結果を報告に
やって来るはずだ。座って待っていなさい」
教授はそういってソファを勧め、自分も向かい側に座った。それならお茶会にし
ましょうと姉がいうので、助手にお茶の準備をさせた。
ふと、思うことがあって教授は尋ねた。
「君は、まさかカフェインとか大丈夫だよな?」
「ええ、ご安心ください。多少でしたらアルコールも平気ですから」
「そうか、ならば良かった。フレイに誤解されるようなことがあっては大変だからな。
ははは」
「まぁ、フレイのヤキモチはご迷惑ですか?」
「そのことなんだが……。よく解らんのだが、やはりフレイには……、いや、君たち
娘には特定の異性を独占したくなるとか、つまり、恋愛感情というか……、そういう
のがあるのかね?」
ヴィジホンなどでのフレイとのやり取りから、教授の人となりをなんとなく理解して
いた姉は、不躾な教授の不器用な質問に、苦笑しながらもはっきりと答えた。
「それはもちろんあります。教授にはございませんの?」
「いや、愚問だったな。忘れてくれ」
「お疲れのようですわね。来週中央ブロックの食堂で、恒例のクラブが
開かれる予定になってますわ。もちろん私もホステスを務めることなっております。
たまには羽を伸ばされてはいかがですか?たっぷりとサービスしますわよ」
「いや、その手のイベントは苦手でね。実は艶事もあまり興味が無い。つまらん
人間だと思うかもしれんが、私は何か物を作ったり調べたりする事の方が好きで
ね。だからこんな管理職よりも、ただの研究員に戻りたいと思うことがよくあるよ」
「科学技術部にはそういう方が多いようですわね。ふふふ」
「まぁな、しかし笑い事ではなく、最近のあの子にどう接していいのか、良くわから
なくてな。アリステアみたいなAI人格なら、都合が悪くなったら、リストアしてやり
直しもできるんだが……」
「フレイはコンピュータではありませんわ」
「それはそうだ。フレイも公園の一件以来、以前と比べ物にならんほど明るく、
社交的になったのはいい。が、その一方で気に入らないことがあると無言で私を
攻めるんだよ。思い当たることが無いので、どう対処したものか……」
「どんな風に、ですの?」
「先日、昼寝から目を覚ましたら、フレイが真っ赤な顔をしてそばに立ってたんだ。
時間が来て目覚ましが鳴り続けていたのに、なかなか起きなかったらしくてね。
それで笑ってごまかそうとしたのだが、今にも泣き出しそうなほど怒っている様子
だったので、"これからは時間になったら、フレイが起こしてくれ"といったら、余計
に腹に据えかねたのか部屋を飛び出して行ってしまってね。
それ以来、昼寝から私を起こすのはフレイの役目になったのだが、あの時いったい
何の用事があって、私が起きるのを待っていたのか、未だに言ってくれないんだ」
「まぁ……」
"教授の昼寝事件"の事は、その当日にヴィジホンでフレイから聞いていた。
しかし、同じ出来事でありながら、半ば興奮して嬉しそうに話してくれたフレイと、
今目の前で頭をかきながら悩み事を打ち明けている教授とでは、どうしてこんな
にも食い違った話をしているのだろう。そう思うと姉は、こみ上げてくるものを抑え
切れなくて、とうとう腹を抱えて笑い出してしまった。

「笑い事ではないぞ……」
教授の抗議にもかかわらず、たっぷり1分以上は笑いが止まらなかった姉は、
何とか呼吸を整えて座りなおし、咳払いをひとつした。
「失礼いたしました。でもそのことでしたら、お気になさることはありませんわ」
「君は、何か知っているのかね?」
「いえ、別に何も……。そうですわね、フレイのご機嫌を治したいのでしたら、
いっそのことお抱きになってはいかがですか?」
教授は手に持ったカップを取り落としてしまった。
「まぁ大変、やけどしてしまいますわ」
そういって姉は持ってきていたハンドタオルを出して、教授の濡れてしまった部分を
拭き始めた。
「いや、自分でやるから……」
教授はそういって姉の手からハンドタオルをとろうとした。
「あら、遠慮なさらなくて良いのに……」
その時、ドアが開く音がしたので教授がそちらを見ると、フレイが呆然と立ちつくして
いた。
教授は立ち上がって声をかけようとしたが、フレイは目から大粒の涙を流し始めた
かと思うと、抱えていたファイルを放り出し、走っていってしまった。

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