乞ひ |
〜出逢い〜 嘉永四年、初冬。天然理心流の稽古場に、日野の佐藤家が設けた道場が加わった。佐藤家は代々日野宿寄場名主を務める名家である。 義父・近藤周介の供をして佐藤家へ出向いた島崎勝太は、通された座敷で一人の青年を紹介された。 「彦五郎の義弟で、歳三と申します。どうぞお見知りおきください」 佐藤家の現当主・彦五郎に伴われた若い男は、周介と勝太に頭を下げた。 男にしては色の白い、どちらかと言えば女性的に整った容貌の男。おそらくは自分と同い年くらいだろう、と見当がついた。 「確か若先生よりもひとつ年下であったと・・・歳三、生まれはいつだったかな?」 彦五郎の問いに応え、歳三の唇が動いた。艶やかに、まるで薄紅を注したかのように優しげな色合をしているが、きりりと引き締まった口角が女々しさを感じさせない。 「天保六年、未の生まれでございます」 「あぁ、間違いありませんね。私は午ですから」 年齢はひとつしか違わないが、二人の体格にはかなりの違いがあった。がっしりとして大柄な勝太に対し、歳三はひょろりと華奢な身体つきをしている。また、勝太は既に変声を終えて野太い“男”の声になっているが、歳三はまだ女子のように可愛らしい。 今はまだ容貌も少年の域を抜け切っておらず、どちらかと言えば可愛らしさが目立つ青年だが、すぐに役者顔負けの色男になるだろう、そう勝太は思った。 「実は先生、歳三も稽古をしたいと申しておりまして」 つらつらと互いの近況について語りあった後、ついでといったふうに彦五郎が切り出した。 「ほう?」 出された茶を一口啜り、周介が面白そうに問い返す。 「えらく可愛らしい見目だが、大丈夫なのかね?知ってのとおり、天然理心流の稽古はきついよ」 「先生、こいつは優しげな面立ちをしておりますが、どうして手に負えないところがありましてね」 日野宿の名主を務める彦五郎が、悪童の顔でニヤリと笑った。 彦五郎は未だ二十代の半ばであるはずだが、当主となって既に十年を越える。父が早逝したとかで、家督を継いだ時はほんの子供であったらしい。人望も厚く、勝太は密かに尊敬の念すら抱いていたのだが、その彦五郎の見慣れぬ表情に、おや、と思った。 「つい最近まで『バラガキのトシ』ってのが通り名のようなものでした」 「つまり、そっちの面でもお前さんの弟分ってこったな」 洒脱な口調で、周介が彦五郎をからかう。周介は朴訥とした、どこにでも居そうな容貌をしているが、何気ない仕種や会話に伊達男振りが垣間見える。弱小流派の道場主であるにも関わらず、男に対して目の肥えた江戸の妓たちに持て囃されるのは、何も金払いの良い上客だからというだけではないだろう。 「ま、そう言うことです。兄貴分としましては、可愛い弟分の願いを是非とも叶えてやりたいと思いまして」 先ほどの表情とは打って変わって、彦五郎はシラリと澄ました顔で周介の冷やかしを受け流した。 この人はこういう茶目っ気のある人だったのか、と勝太は内心驚きつつ、しかし表には出さない。威厳がある割に親しみやすい人であるのはこういう訳かと、妙なところで感心した。 「どうでしょう、こちらで稽古させてもよろしゅうございますか?」 「ふむ・・・」 膝の上に置かれた歳三の拳がぎゅっと握り締められるのを、勝太は視界の隅で捉えた。 それを知ってか知らずか、周介は歳三にのんびりとした口調で話し掛ける。 どうやら義父は歳三に対して好印象であるらしい、と勝太は思った。 ここ最近になって解ってきたのだが、周介は人の好悪が激しい。女子供ではないから一見してそれと判る訳ではないが、気に入らない者に自分から話し掛けたりしない。そういう時には必ず勝太が応対をさせられ、周介は勝太の問いかけに対して鷹揚に返事をするだけなのだ。相手には勝太が取次役に、周介の子供っぽい態度が威厳に見えるらしく、然したる問題にもならずに済んでいる。こんな性格でよくも稽古場を増やせたものだ、と勝太は常々不思議に思っていた。 「で、肝心のお前さんはどうなんだね?本当に稽古したいのかね?」 「はいッ」 間髪入れず、とは当にこれであろうと言う勢いで、歳三が肯定する。勝太はふっ、と微笑ましい気持ちになった。 それは周介とて同じであったらしく、 「ほう、何で稽古したいんだね?」 歳三に問いかける声音が優しく聞こえた。 周介が問いかけた瞬間、勝太には歳三の顔色が変わったように思えた。 短く、しかしはっきりとした答えが返る。 「強く、なりたいからです」 「強くとは?腕っ節が強いってのが強いってことじゃないぞ?そういうことが目的ならやめておいたほうが良い」 違う、と言いたげに歳三がかぶりを振る。 「私はッ!」 思わず発した自分の声で冷静さを取り戻し、歳三は膝に目を落としながら淡々と答えた。 「何事にも動じない、そんな強さが欲しいのです」 きゅっと唇を噛み締め、思い詰めたように自分の膝を睨み付ける。握り締めた両こぶしが微かに震えていた。 「つまり、精神の鍛錬ってこったな。だったら坊主になるのでも良さそうなもんだが?」 「そっ、それは…ッ」 途方にくれたような目をして、歳三が周介を見遣る。泣き出しそうと言うわけではないが、必死の面持ちが勝太の心持を刺激した。 (やれやれ、気に入った者を弄りたがるのは義父上の悪い癖だな。まったく、気に入ったならさっさと許してやれば良いのに) 周介は気に入った者には態とああいう態度を取るのだ。勝太はそれを知っているから良いが、歳三は堪らないだろう。理由は解らないが、生半可な気持ちで入門を希望しているのではないことは火を見るよりも明らかなのだ。 偏屈爺め、と心中で毒づきながら、助け舟を出してやろうと勝太が口を開きかけた時、彦五郎の手がつい、と上がった。 「歳三はこんなに小さな頃から…」 背丈を表現しているのだろう、彦五郎が自分の頭上に手を翳して見せながら口を挟む。 「武士になりたい、武士になるんだと申しておりました。僧になりたいなどとは、終ぞ聞いたことがございませんなァ」 「ほう、そうかね」 惚けた調子で答えた周介は、視線を彦五郎から歳三へと移す。つられて勝太の視線も移った。 膝の上で拳を握り締め、唇をきゅっと噛み締めた歳三が、挑むような目をして周介を見ていた。それに気付いた周介は一瞬、苦笑のような表情を浮かべ、次いで彦五郎に視線を戻す。 「よろしい、早速にも稽古を始めると良い。彦五郎さん、あんたに預けるよ」 そう、笑いながら快諾した。 短く息を吐いた勝太の肩からも力が抜ける。知らず知らず、我が事のように緊張していたものらしい。 「有難うございます、承知いたしました」 「有難うございますッ」 軽く頭を下げた彦五郎の隣で、畳に頭を擦りつけんばかりにして歳三が礼を言う。 勝太も自分の稽古始めを思い出して、何やら懐かしい気分になった。その勝太に、思いついたと言った口調で周介が声を掛ける。 「そうだな、勝太。まずはお前が手解きしてやれ」 「承知いたしました」 「さて先生、夕餉の前に風呂を使われては如何です?」 一仕事終えた、といった風情で、彦五郎が座を仕舞いに掛かる。 「あぁ、すまんね。では、先にいただくとしよう」 「若先生も続いてどうぞ」 「ありがとうございます」 勝太は彦五郎の勧めに素直に答えた。下手に遠慮するとかえって迷惑を掛けるのだと、義父の供をすることで学んでいる。 「先生、こちらへ…トシ、若先生のお相手を頼んだよ」 はい、と歳三が返事をしている。周介と彦五郎は座敷を出て行き、後には勝太と歳三だけが残された。 座敷から湯殿へと向かう途中、日暮れとともに忍び寄ってきた冷気に首を竦めつつ、周介はその足を止めた。 「なぁ、彦五郎さんよォ」 はい、と後方から彦五郎が返事をする。周介は半身ばかり振り返り、心中にふぃと浮かんできた問い掛けをしてみることにした。 「お内儀の弟ってこたぁ、お大尽さんとこの子かい?」 「はい、土方家の末子でございます」 「確か、大店へ奉公に出たと聞いていたが?」 彦五郎は「よくご存知で」と言いたげな顔をしたが、方々の道場に出掛けていく周介の耳には様々な話が集まってくる。石田村の土方家と言えば、知らぬ者とてない豪農だ。名家・佐藤家へ次女・のぶを嫁に出していることからも、それに釣り合うだけの家柄であることは想像に難くない。 一口に奉公と言っても、どのような家の子供でも大店へ上がれるという訳ではない。大店へ奉公に出ようと思えば、それなりの実家でなくては雇ってもらえないものなのだ。当然、お大尽の末子が大店への奉公を許されたという話は、羨望の念を込められて石田村周辺に広がっていた。 「実は、暇を出させまして」 「出させた?」 言葉後を聞きとがめて、思わず周介は彦五郎に正対した。 「表向きは、歳三が同輩の女子に手を着けたと言うことにしてございます」 「表向きってこたぁ、理由は他にあるってことだが?」 「先生にはお話ししておきますが…」 彦五郎の声が低くなり、周介の耳元へ何事かを囁いた。途端、周介の眉が顰められる。 周介は一つ大きな溜息をつき、肩を聳やかした。 「…そういう事かね。そりゃ、難儀だったろうなァ」 「我慢することはないと歳三に申しまして、引き上げさせました。今は家伝薬の行商をさせております」 「あぁ、あの打ち身の…石田散薬かぃ?」 「はい、それから当家の虚労散なども」 石田散薬は土方家に伝わる接骨・打ち身の薬であり、虚労散は佐藤家に伝わる、胸の薬である。奉公先から戻って以来、歳三はそれらを入れた葛篭を背負って彼方此方を行商しているのだという。 「しかし、何だな」 重苦しい空気を追い払うかのように、周介は彦五郎にニヤリと笑いかけた。 「えらく入れ込むじゃねぇか、彦五郎さんよ。お内儀の弟に惚れたかね?」 「やれやれ、際どいことをおっしゃる」 苦笑しながら彦五郎はツルリと己の顔を一撫でしてみせた。 「あ〜…」 歳三に呼びかけようとして、勝太は口籠もった。何と呼べば良いのか、咄嗟に思いつかなかったのだ。 似たような年齢であるが故に「歳三さん」では余所余所しかろうし、「歳三」と呼び捨てるのは権にかかった気がする。 「トシと呼ばせてもらっても良いだろうか?」 何を言いつけられるかと身構えた歳三は、いくらか面食らった。 「は、はい。若先生のよろしいようにお呼びいただければ」 律儀に返事をした歳三に、勝太はさらに注文をつける。 「その、先生ってのは止めてもらえないか」 「では、なんとお呼びすればよろしいでしょう」 「トシの好きに呼んでくれたら良い」 「好きに、と言われましても…」 困った顔をして、歳三が小首を傾げる。先ほどまでのハキハキと大人びた仮面の下から、あどけない素顔が覗いて見えた。 「俺はまだ先生って呼ばれる立場じゃないんだよ…彦五郎さんはそう言ってくれるけど、実はちょっと重荷でさ」 照れて苦笑する勝太に、歳三がいっそう顔を曇らせる。余程、彦五郎から言い含められているのかもしれない。 「そうだなァ、幼馴染は今でも『勝ッちゃん』って呼ぶんだが」 「…私にもそう呼べと?」 「義父とは師弟だけど、俺とは相弟子になるわけだから問題ないだろ」 「それは…まぁ」 「な?呼んでみてくれよ」 膝を崩して胡坐に組みなおしながら歳三の顔を覗き込むと、キュッと閉じられた唇が薄く開かれるのが見えた。 「…か、勝ッちゃん?」 恐る恐る、といった態で、歳三が呼びかける。言われるがままに呼んだは良いが、気紛れに咎められては敵わないといったところか。 「おう、よろしくなッ、トシ」 ニコリと笑ってやると、ようやく歳三も安心したらしい。柔らかく微笑をかえしてきた。顔立ちが顔立ちだけに、花がほころぶようだ。勝太はふと胸中に不埒なざわめきを感じてしまい、慌てて咳払いに誤魔化した。 |
乞ひ〜出逢い〜 2004.09.09 |
目次 半醒半睡 |