永劫回帰 |
ゆっくりと景色が傾いて行き、直に逆しまになる。 落ちる、と思った。 高さは知れているのに、衝撃が襲うまでえらく時間がかかることだ、と不思議に思った。 危ない、と誰かが叫んでいる。 咄嗟に手を伸ばそうとしたが、身体が巧く動かない。 こんなにゆっくりと落ちていると言うのに。 どうっという音がして、地べたに叩きつけられた。 世界が、暗転した。 何の前触れもなく、歳三の目がポカリと開いた。 「トシっ!」 勝太は半泣きになりながら歳三に呼びかける。 その心情を知ってか知らずか、 「…何?」 歳三は素っ気ない返事を返した。 「お前、大丈夫か?どっか、痛めてないか?」 身体のあちこちを探る手つきからして、骨折を心配しているらしい。 歳三は引っくり返ったまま、軽く手足を動かしてみた。両手も両足も、問題なく動く。 ズキズキする側頭部に手をやると、みごとな瘤ができていた。 そろそろと起き上がってみる。眩暈もしないし、歯も折れていない。 まずは、無事といって良いだろう。 「痛い!」 「い、痛いのかっ!」 無情にも、慌てて顔を覗き込んでくる勝太の額をぴしゃりとはたき、 「勝ちゃんが掴んでるトコが痛ェよ!」 そう勝太を怒鳴りつけた。 「…この野郎!心配させんなッ」 安心したのか、勝太は額を押さえながらへなへなと座りこむ。 「あぁ…俺、落ちたのか」 どうやら落馬したらしい、ということに歳三は漸く思いあたった。多少は混乱していたらしい。 「落ちたというか、落とされたというか…」 ため息が混じった勝太の声に被さるように、遠くで馬が嘶いた。 土方家で荷駄運びや耕作に使っている馬だ。 歳三が乗馬の鍛錬をするのだと言って、内緒で連れ出してきたのである。 勝太も歳三も、生まれは百姓ながら武士になる夢を持って大きくなった。半ばそれを叶えた勝太以上に、歳三の夢への執着は激しい。 「アイツ、俺らを馬鹿にしてやがるな!」 「なぁトシ、そろそろ諦めようや」 「勝ちゃんは悔しくねェのかよ!?」 「そりゃ、悔しいけどよォ」 また、馬が鳴いた。麗らかな気候と相まって、よりいっそう長閑に聞こえてくる。 「畜生め!俺を嘗めてやがるな!」 つい先ほどまで失神して伸びていた歳三は、ガバリと勢いよく立ち上がった。 「お、おい、トシ!」 「手前ェーッ、太鼓にしてやる!」 そう叫び、歳三は遠くで草を食む裸馬めがけて走りだした。 後には唖然とした面持ちで立ちすくむ勝太が取り残される。 「そりゃ、俺らが下手ってのもあるけどよぅ」 歳三には聞こえないことを承知で、勝太は呟かずにはいられなかった。 「仕方ねェと思うがなぁ。だってアイツは、人を乗せるように仕込まれてねェもん」 常に、共にありたいと願っていた。 二人で武士になる…その願いは叶った。だが、自分たちが作り出した柵が、共にあることを妨げた。 そして遂には、幽明界を異にすることとなる。 小さい、しかし燃え上がる灼熱の塊が体躯を突き貫けた。 それに続いて、乾いた破裂音が耳に届く。 突き飛ばされるような衝撃が土方を襲った。取り落とした手綱を手繰ろうとしたが、指先に力が入らない。 直に、ゆっくりと景色が傾いでいくのが見えた。 遠くに、敵が逆しまに映る。銃を振り回して小躍りするものが居た。珍妙な踊りに、覚えず笑いが漏れる。だが、その踊り手も一瞬の硬直の後に崩れ落ちた。 いかん、落馬するようだ、と土方は人事のように思った。 ゆっくりと、地面が己に近づいてくる。 身体を貫く熱さを痛みと呼ぶのだと、漸く気がついた。 どうっという音がして、地べたに叩きつけられる。 世界が、急速に暗さを増した。 早く目覚めなければ。土方は、そう思った。 目を開けばきっと、半泣きになりながら己の顔を覗き込む幼馴染の顔がある。歳三は、それを知っていた。 明治二年五月十一日、 土方歳三はあらゆる柵から解き放たれ、共にあるべき者との再会を果たした。 |
永劫回帰 2004.05.11 |
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