STORY_6

自分の今迄を諦めた風春は、まるで重荷が取れたような感覚に見舞われた。何故かは解らない。仕事に追われるのは苦痛だったが嫌いではなかった。ある意味そういう部分で彼はマゾヒスティックだったかもしれない。
最初で最後の夢を挫折した日からそうだったと、風春は思った。好きなものに対する欲求を仕事で解消し、解消できない分は見ない振りをしていた。
救いでありながらそれは重荷だったのだと、彼はその時初めて気付いた。
確かに不安ではあった。これから先、この見知らぬ世界の中でこれから一生過ごすのだろう。
苦労だけしか掛けられなかった家族の事は心残りだったが、そういう大事なところは兄や姉が何とかしてくれるという考えで留めた。もう如何にもならないのだ。今頃何をしてるのだろう…、そう考えてふと思い出し、風春はワルトバイラーを呼び止めた。
「おい、そういや俺時間が大丈夫な事と言葉が通じる事の説明してもらってなくないか?」
「あぁ、忘れていたなぁ、そんなこと。」
ワルトバイラーも思い出した様子で歩みを止めた。そこは木の廊下を抜けた辺りで、その先は屋根の無い渡り廊下だった。空が青い。しかも下は石畳の道が走っている。様々な人間が往来しており、まるで積み木の様に沢山の店や家がごちゃごちゃに立ち並んでいる。素晴しい光景だった。
「うわ…すげぇ…。」
色彩は見なれたコンクリートジャングルとはかけ離れ、何もかも見たことの無い世界だった。最初に居た部屋から見えたのは裏通りで、人影は無かったし何より心境的にそんな状態ではなかった。
「?ああ、この街は何時だってこうだ。店が多いんで人も多い。」
へー、と感嘆の声を上げる風春はふと、その人々の姿に目を奪われた。向いの店の前で変わった模様の織物を選んでいる人物は、厚着でストールを被っているから男女の区別は解らないのだが、背中から半透明の蜻蛉の羽が生えている。よく見ればその手は間接が昆虫の節々と同じだ。
歩いているのは二足歩行の黒い犬。しかも対人物比から考えても大きいその犬が器用に荷物を縛りなおして担ぎ上げている。
露店を出しているのは蛇のような姿で、時折ちろちろと二股の舌を出していた。
「…なあ…あの犬みたいなのとか虫みたいなのとか…人間なのか…?」
「…狗者や羽人は珍しいのか?」
「ああ…そういう種類であってちゃんと人間なんだな…?…なあ、あいつらも喋るんだよな?」
「そりゃ喋るさ、地方の部族だと言語形態は違うが、言葉は持ってるぞ。向いのスウェッターラなんか三言語も…お?」
回答している最中にワルトバイラーは何かに気付いたらしい。下の石畳を見下ろした。風春もつられてその下を見る。ワルトバイラーは何かを見つけたらしく手を振って呼びかけた。
「おーい!!タンタック!!」
タンタックと呼ばれたのはあの荷物を担いだ犬だったらしい、彼も気付いて上を見上げ、開いた片手で手を振り替えして来た。
「ワッツねぇさーん!頼まれたもん持ってきましたぜー!!」
犬が喋った、と風春は思ったが聞えていそうなので感嘆として口には出さなかった。風春の動揺とは裏腹に、ワルトバイラーはその犬と話していた。
「ちょっとごめんよー。」
人込みの中でタンタックと呼ばれた狗者は、一瞬屈み込んだと思うと、隣の店の壁に思い切り飛び上がった。壁を足で蹴り上げ更に上に上がり頂上付近を一蹴りすると、風春の上をその狗者は通り過ぎてワルトバイラーの隣に静かに着地した。荷物は持ったままだ。
風春にとっては最高の驚愕だったが生憎、驚きの余り声も出ない。
「受け取り印と配送料金が5の5ですけど今日は5の4に負けときますぜ。」
「おお悪いね!!…えーっと5の4か。」
手摺りに盆を置いてワルトバイラーが袖口を探る。何処にそんな物を入れておいたのか、中から変わった色の四角い塊が出てきた。色からして金属なのだろうか、おそらくこの世界で言う通貨に当たるのだろう。文字の彫られた板状の塊を四枚渡すと、タンタックは模様の描かれた紙をワルトバイラーに手渡す。
「ん?ねえさんその後の御人は?」
目が思い切り合って、風春は一瞬背筋から汗が噴出すのを感じた。タンタックの琥珀色の双方が、風春のそんな不信な様子を凝視する。一方のワルトバイラーは少しぎこちなく笑顔を作ったが、直ぐに回答した。
「あ…ああ。ついさっき店員で雇った…えーと名前は…ああ!!ザゼル、ザゼルさ、…サードラーの田舎から来たんだってよ。」
「へぇ、ワッツねえさん突然店に人雇うなんざぁ、如何したんです?」
「いやぁ、一人でやってくにも年取っちまってさ。」
冗談交じりに芝居をするワルトバイラーの言葉をはらはらしながら聞いている風春だったが、どうやら上手く誤魔化せたようだ。安心しているとタンタックがその爪の長い黒手を握って風春の肩を叩いた。間近で見るその姿はやはり着ぐるみではない。
「俺ぁタンタックだ。まあいきなりこっちで大変だろうががんばんな。」
どうやらそれが挨拶なのだろう。風春はすこし躊躇したが、その風習に習わず頭を下げる事にした。なんとなく、この他民族の世界で自分も自分を貫いてみたくなって来たのだ。
「宜しく頼む。」
短く言って顔を上げると、タンタックは犬顔で面白そうに笑んでいた。ワルトバイラーを見ると安心したように苦笑している。
さて、と改めてワルトバイラーは、先程渡された紙を右手に握り込んで、左手で二回叩いた。手を開いて出てきた紙の模様は、先程とは違うものに変わっている。彼女は紙を綺麗に広げてタンタックに手渡した。
「毎度どうもー。店まで運びやしょうか?」
「いやこれから未だ配達あるだろ。暇な時頼むさ。」
「すんませんねぇ。じゃ。」
一塊の荷物だけ残すとタンタックは梯子のある建物の屋上へ飛び降りていった。
「…今のは…?」
「配達屋のタンタックだ。うちの店の在庫配達とか、この辺の店は大体世話になってる。結構有名だぞ?」
彼女がそう言っている間にもタンタックは屋根を飛び越えてもう小さくなっていた。何時もあの調子なのだろうか、周囲の人間は全く無反応である。
「へぇー…も…しかして他の種族って大体あんななのか?」
「まあ種によりけりだな。慣れとけよ…その調子で暫くこっちで暮らすとなると愕いているだけで日が暮れちまう。」
さて、この荷物だが…と重そうな包みを持ち上げようとしている彼女に気付いて、風春はそれを制すると荷物を持ち上げた。荷物は思ったとおり重く、麻布のような粗い袋の中には、木箱だろうか、固い感触があった。
これを持ったままあのタンタックという配達屋は10メートル程を飛び上がったのかと思うと恐ろしい愕きがあった。
「ありがとうよ、じゃあそれはとりあえず屋根の中へ。」
ワルトバイラーは手摺りの盆を持ち上げ、渡り廊下の続く先を目指した。

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