STORY_3

小一時間だろうか、お互いの名前や仕事や年齢を言い、差しさわりの無い話に終始していた。恐らくワルトバイラーの気遣いもあるのだろう。
余り刺激の強い会話は風春の逆上を買うと思ったのか、彼女は遠回りに質問を続けていた。
その御蔭かは測れないが、風春の気分も最初に比べて落ち着いてくる。
ワルトバイラーはそれを見極めた。

「お前さんの世界はなんと言う?名前とか、特長とか。そんなことで良い。」
ワルトバイラーが風春の落ちた視線を掬い上げるように見ると、風春は一度溜息をついて言葉を紡いだ。
「…世界に名前なんかあるのか?」
「お前さんの世界にはないのか?」
風春は改めて言われて、その事について説明するのに如何したら良いかと考えた。随分難しい、と思った。
地球、というのは世界の名前ではない。星の名前である。ある一定の定義、定理、法則で成り立っているあの「世界」を、彼の知る範囲の言葉で見付ける事は出来なかった。空蝉、とかworldとか出てきたが、その言葉は何だかしっくり来ない気がして、風春は説明に困った。
「…言葉は有るにはあるが、俺の国の言葉じゃないし…」
そもそもそういう概念が違う。と、告げると頬杖をついていたワルトバイラーは愕いたような困ったような顔をした。ああ、コミカルな美人だ、と風春は思った。そして自分が大分落ち着いてきているとも思う。
「かわったところだねぇ…、その世界でどんな術をつかったりする?」
「…術って…さっきみたいなのか…?無いぞ、そんな魔法みたいなもん。」
今度は風春が同じような顔をしていた。ワルトバイラーは少し愕いた様子で、ないのか…?と頬杖をやめた。
「術とは、…このダルカードでは複数の種族、部族、それらの持つ術がある。」
わかるか?とワルトバイラーが訊ねると、まあ、信じ切れないけどな、と風春はおぼろげに答えた。
「私が使うのは精製術と憑依術、世界の狭間、空間の狭間を彷徨う力や意識体の欠片を精製し凝固させて魂に変える。その魂を人形やバイツ…えぇと…まあ道具みたいなものだな、それに憑依させる。簡単に言うと人形に命を吹き込む。………大丈夫か?」
ワルトバイラーが見ると風春は腕を組んだまま唸っていた。別に彼に話が理解できなかった訳ではない、寧ろ信じ難い宗教染みたそれに当惑していたのだった。
「…そもそもスタンスが違うからな。」
「…すたんす?」
「俺の世界で使うのは、そういう魔法みたいなものじゃなくて科学ってモンで…。」
「かがく?」
ワルトバイラーが聞き慣れない言葉を反芻する。風春は何処から説明したら良いものか、と考えて、ふとテーブルの上にあった空の小瓶を拾い上げた。段々言葉に気力が出てくる、もうやけなのだろう。説明に集中して場に飲まれたいと風春は心底思った。
「例えばこの瓶。手を離すと床に落ちるだろ。」
ワルトバイラーの目の前に、風春は小瓶を突き出した。
「ああ。落ちるな。」
女が頷くと、彼はその小瓶を引っ込めて一度高く投げ上げると、机の表面擦れ擦れで取る。
「何でだと思う?何故床に物は落ちる?だとしたら何故鳥は飛べる?」
「…何故そんなことを聞くんだ?」
質問の意図がわからずワルトバイラーは頬杖を再開した。どうやらこれが彼女の癖らしい。
「アンタたちの術に空を飛べる術とかあるのか?」
「専門外だが…あるにはあるぞ。」
「でも俺達はそれがない。でも空を飛びたい。空を飛ぶ方法探すだろ?」
「だろうな。」
女の相槌は段々意味を理解し始めたようで、理解の色を帯びてくる。風春は続けた。
「じゃあ先ず何故空を飛べない?理由は?」
「…何故地面に人が落ちるのか、何故鳥は飛ぶのか…か。成る程な。」
そういうことか、とワルトバイラーは興味深げに笑う。風春も答えに近付いて初めて笑んだ。笑うと印象が変わると、お互いがお互いに対して思った。
「そうしていくと、俺の世界には色々な法則があって成り立っている事が解ってくる。それに則って、飛べない理由を排除していけば空を飛べる計算になる。そういう、世界の法則を使うのが科学だ。」
「ほう…例えばどんな事をするんだ?」
説明自体は上手く行ったらしいが、どうやら例が浮かばないようだ。風春は考えると、服を探った。何かあっただろうか。と、ジーンズからライターが出てきた。これは良い。
「これは一寸した火を点ける道具で、中に燃料が入っていて…ほら、これ、この透明な液。これを燃やしてこっから火が出る。」
「わっ!」
軽く擦ってシュっと火を点けるとワルトバイラーが少し愕いたように体を引っ込めた。
「…はぁー…一々術式を書かなくていいから便利だなぁ。入れ物も綺麗だ。」
水色で半透明のライターを渡す。ワルトバイラーがそのライターをまじまじと見ながら全体を確かめるように撫でている。
「硝子じゃないのか…。」
「ああ、硝子より軽くて、硝子みたいに高温にしなくても融ける。これもその法則にしたがって作ったモンだ。」
「その科学が…術代わりと言う事か。」
納得したようにワルトバイラーがライターを風春に返す。
「私等術師は、術式を構築して火を起す。式によっては起す火の種類も違う。」
「種類って…色とか?」
思い当たる種類が見当たらずに風春が訊くと、ワルトバイラーがぎょっとした。意外な質問だったらしい。
「…お前さんの世界じゃ火の色が沢山あるんだな…。」
「…燃える物が違けりゃ火の色も変わるときあるぞ…まあいいや…続けてくれ。」
風春が両手を挙げるとワルトバイラーは気付いて脱線を修正した。
「ん、ああ…そうだな。例えば術者をかない火と、術者すら焼く火。熱くない光だけの火とかな。まあ使い様によって色々だ。…やって見せよう。」
風春がリアクションを取る前に、ワルトバイラーは指で印を切るような動作をすると掌を引っ繰り返した。ゆらりと火が上がる。
初めて実際目の当たりにする不可思議な力に、風春は手品でも見ている気持ちになったが、改めた。冗談ではない。
「これが術式を使った火だ。」
「…熱くないの?」
風春がその手を覗き込んだ。近付くと確かに火で、揺らめく熱気が頬に熱い。ワルトバイラーはにやりと笑んだ。
「まさか…術者を焼く様な火じゃあないさ。」
まるでオイルライターの蓋でも閉じるように、軽い動作で手を仕舞うと火も消えた。握りこむ瞬間火が小さくなるのがわかったから間違いない。
「お前さんの世界とこのダルカードの相違がこれでわかったな…。」
「…御蔭で本当に俺が違う世界に来たって解った…。」
「…。」
話が一段落すると、少々の沈黙があった。大分話したので風春もワルトバイラーの一息ついた。
話を再開しようとした風春の前でワルトバイラーは立ち上がった。
「おい…。」
「咽喉が渇いた、茶でも飲もう。…あ、忘れてる様だけど時間の事は気にしなくて良い。説明し辛いが兎に角時間は大丈夫だ。」
あ、と風春は、自分が明日までに東京へ戻らなければならない事を思い出した。が、ワルトバイラーの言葉を思い出す。
「……まあ、信じた方がいいのか…この場合。」
遠ざかっていく足音をバックに、風春は椅子に座り直した。

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