STORY_2
風の鳴く音がした。隙間のある窓のサッシなんかに風が吹き込むときの、低かったり高かったりするそれが遠くで鳴っている。風春が最初に感知した音はそれだった。 「……しまった…こりゃ大変な事に…。」 風春のぼやけた意識の外で声がしていた。どちらかと言うと年長の、使い込まれた声帯の上げる音だ。 知らない女の声に、風春は目を開けた。頬に当たる冷たい感触は石畳の所為らしい、先ず最初にその鼠色をしたそれらが見えた。床にベッタリと倒れこんでいる自分に気付くと、彼ははっと起き上がった。 散らばった山程の本に棚、散乱する何かを収めた瓶。荒らされた、と言うより嵐でも起こったような状態の部屋があった。 石造りの骨董のような部屋の隅に彼は居た。 後方に大きな窓があり、風春は思わずそこからの景色を凝視した。恐らく三階くらいの高さの場所で、周囲にも城壁の建物が並んでいる。裏道なのだろうか、洗濯物が風の合間を踊っていた。 その情景は確実に、彼が今までいた場所とはかけ離れていた。 「不完全な魂を10も…拾い出したねぇ…どうしたもんか。拡散しちまった。」 部屋に視線を戻すと散乱した本や瓶は、部屋の真ん中の一部だけ侵していない。その限られた領域を見下ろしながら、声の主と思われる黒服の女がぶつぶつと洩らしている。 状況がのみこめない。風春は混乱したまま呆然としていた。 自分は先程まで見慣れぬ雑木林の中で泥沼に嵌った筈だ。何時の間に、何故、こんな場所に倒れているのか。そもそも意識を失った記憶がないし酒は入っていない。意識がはっきりしているからこれは夢ではない。 状況確認と不条理の入り混じる意識で、風春は一言も発せぬまま呆然と座り込んでいた。 「いや…魂だけじゃないな…何か塊も引っ張ったよーな…。」 女は黒髪を掻き毟ると、額に手を当てて記憶を探るように考え込んだ。 「…ああ。塊はお前さんだな…?」 静かに目を開けて女は、風春を見た。暫く呆然としていた風春だったが、漸く意識を無理矢理整理して女に尋ねた。女はじろじろと彼を見たが、必死な風春には気に掛らなかった。 「…俺なんでこんな所にいるんだ?」 女は質問を聞いているのかいないのか、ぺたぺたと石畳を歩いて風春の前で片膝をつく。何事かと風春が後ずさりかけた時女が口を開いた。 「すまん。お前さんを誤召喚で引っ張ってきちまった。」 風春は再度混乱の淵に立たされようとしていたが、なんとか要点だけを纏める。気持ちを落ち着けるように一旦深く息を吐くと、何時も座るようにして胡坐を掻いた。 「…俺がここにいるのはアンタの所為なんだな…?」 「ああ。そうだ。申し訳ない。」 女はまるで、西洋の騎士がするそれのように膝をついたまま、顔を伏した。纏め上げ、前髪は正面で分けていた。髪の合間から鼻筋の通った顔が見える。黒髪だが東洋系ではない、だか多種族とも思えなかった。顔は中々の美貌だが、化粧気の無さと無骨な物言いは女ではないな、と風春は混沌する意識の中で思う。 「ここ何処だ?アンタ何モンだ?俺に何をした?」 女は先程の謝罪と同じ調子で、その質問に淡々と答えた。 「ここは、お前さんの居た世界とは違う世界だ。世界の名前はダルカード。」 「い、みが…解らない…。一体何の冗談だ?ここは?」 「…私はワルトバイラー。この町で雑貨屋と人形師をやっている。」 色々と説明しなければならないな…。と女は呟くように続けて立ち上がった。一方風春は状況が飲めないまま、女に恐れでなく憤りすら覚え始めた。この部屋にある窓から覗く日はもう高い。彼の認識では既に一日経っている事になる。 ワルトバイラーと名乗る女は散乱した紙屑や本を蹴散らしながら扉を開けた。 「こんな部屋では話もし辛い。居間で座ろう。」 「そんな事如何でも良い、…俺を元居た所へ戻せ!」 風春は噛み付くように叫んでいた。眼前の女の落ち着き払った様子が余計に彼を煽った。相手が女性だという事も構わずに、追いかけ肩口を掴み上げる。彼女は途端に手で何か印を切るようにすると風春にその手を押し当てた。 「……―――ッッ!?」 全身の力が一気に抜けていく。風春は膝をついて倒れ込んだ。どうやっても力は入らない。異常な状態に動揺と恐怖が過る。 「…てめぇ…何しやがった…っ」 「護身の為の術式だ…手荒な真似はしたくないが、どうか落ち着いて欲しい。」 力の入らない体ともがきながら、風春はワルトバイラーを睨み付けた。 「…戻す事だが…残念ながら出来ん。そしてこれは私の意図でなく事故だよ…。」 申し訳ないと思っているがね、そう言うと女は扉の向うに歩き去る。風春は何とか立ち上がって、廊下に出たワルトバイラーの腕を思い切り掴んだ。だが力は入らない。 「どういうつもりだ…っ!!返せっつってんだよ、こっちは明後日から仕事で…」 「だから、それが如何に不可能で私が無能だという事をこれから説明し照明しなきゃならん。」 言葉を塞ぐようにワルトバイラーは言った。溜息交じりの不愉快そうな声に含まれている呆れと憤りは、風春にではなく、寧ろ自身へ向けられている様に見えた。 「…取り合えず来てくれ。文句も罵りも後で幾らでも聞く。話がしたい。」 風春は為す術も無く、ゆっくり力を失うようにワルトバイラーの腕から手を離した。ワルトバイラーも手が離れると同時に、彼を導くように歩みを進めた。 変わった家具、家の造り、俯いた風春には何も見えないまま、日当たりの良い部屋へ案内された。 先程の冷たい石畳とは違って、廊下からは既に木の床になっていた。部屋も暖かい木の色で、そもそもの日当たりの良さも反映して部屋は綺麗に見えた。 ワルトバイラーが椅子を引いて席を勧めると、風春は何時の間にかぐったりとした様子で座っていた。造りの確りした椅子は軋む事も無く風春の体を預かる。ワルトバイラーも向かいに座る。 「…先ず説明したいが、その前に尋ねたい、いいか?」 「……好きにしてくれ。」 気力を失ったように風春は机の上だけを見ていた。ワルトバイラーも仕方なく、そのまま話を続けた。 風春が気力を失ったのは、恐らく彼女の能力による拘束だけではないだろう。 |