STORY_1
風春は日暮れの駅に停車した高速バスから降りた。 冷房は効いていたものの密閉された空気の悪い車内から出ると、温んではいるが良い風が吹いてくる。 都会の夏に比べればその風は咽喉に優しい。 八月も終わり頃、盆も過ぎた辺りで漸く有給を取る事の出来た彼は、実家の長野へ遅い帰省をしていた。 降りた駅は実家の茅野とは反対方向の駅で、電車で一時間ほど掛る場所だった。 地元で就職した旧友や既に帰省していた友人と、母校の近くで一席設ける予定なのだ。 駅から歩いて十五分程の母校への道は、彼が学校を卒業してから数年の間に微妙な変貌を遂げている。 違和感やノスタルジーの交互しながら、彼は母校を目指した。 高校生時代を懐かしく思う。あの頃は本当に幸せだった気がする。卒業後碌な事が無かったと、風春は思っていた。 一度夢を追いかけたりもしたが結局挫折し、何時の間にか仕事に追われて気がつけばもう言い年になっていた。 なるべくならこの休暇が何時までも続けば良いと思いながら、普通の生活に戻ってからの仕事の事を神経質に考えている自分のギャップが風春には不快だった。 自分にはもう仕事しかないような、そんな偏屈で陰鬱な精神状態を、あの頃は嫌悪こそすれど危惧すらしなかった筈なのだ。郷愁はいつか彼の精神を屈折させ、その作用に気付いて風春は考えを止めた。 今日は旧友と心行くまで飲み明かす心算だ。それだけ楽しみにしていればそれで良い。次の日は実家に帰って寛ごう。そう意識を切り替えた。 工場や自動車修理所が点在する道を上っていくと、よく寄り道したコンビニまで辿り着いた。余り好きでなかった態度の悪い店長の頭が、昔より禿げ上がっていてそれに苦笑する。店内を見ると、客はいるものの学校帰りの学生は見当たらなかった。 風春は思い出したように携帯をジーンズから引っ張り出すと、小窓の液晶を見た。時刻は五時頃。この時期のこの時間帯、帰宅部の生徒はもう授業が終れば帰ってしまっているし、部活をやっている生徒は六時を過ぎないと帰宅しないので下校する後輩を見かける事はない。 早めのバスしかなかった事もあったが、約束の時間は七時だったので随分と待たなければいけない。OBとして部室に顔を出そうかとも考えたが忙しいこの時期にそういう行為は憚られた。 学校の前にラーメン屋、道を上がればビデオショップがある。別のコンビニも直ぐそこだ。流石にラーメン屋は飲み会前に行くのも気が引けたので、一時間ぐらいは潰れるだろうと見込んでビデオショップへ方向転換した。 ビデオショップまで辿り着くと、手前の広い駐車場には車が一つも見当たらなかった。よく見ると当てにしていたビデオショップは改装中、その手前にあった筈のコンビニは何時の間にか新地に変わっていた。如何したものかと思ったがふと、違和感を覚えてコンビニのあった筈の新地を見た。 驚いた事にその新地に木まで生えている。植えたのだろうか何なのか、そこに忽然と雑木林が出来ていた。普通有り得ない状態であるが、雑木林の前には新地と赤い字で看板が刺さっている。どうやら本当に新地のようだ。 少ししかない筈の雑木林は、周囲が夕焼けに赤暮れているのに何故かそこだけ非常に薄暗く、風が吹いても不気味なほど静かだった。 風春は持て余した時間の所為か、興味を引かれた。追い風、引っ張られるような感覚があったが、興味本位がそれらを全く感知しないまま、風春はその雑木林へ踏み込んだ。 踏み込んだ雑木林は静かだった。少し狭いが人が通れるほどのスペースはあって、さくさくと風春はその中を進んでいく。外の温んだ空気と違って中は涼しい。歩いている間に少し掻いた汗が冷えてくる。よく見ると足元はふかふかと土やコケの感触がある。やはり異常だった。 一度屈み込んでしっかりと地面を見る。彼の体ほどの、この雑木林で一番大きな木が生えていた。根は確りと地面を食って落ち着いている。 少なくとも五、六年前にはこの地面にコンクリートの基礎やアスファルトがめり込んでいた筈なのだ。こんな栄養の多そうな土が敷き詰り、大きな木が根を張る訳がない。 風春はもう一度周囲を見回そうと、立ち上がろうとした。足に力を入れて状態は持ち上がる筈だった。視線は変わらなかった。 そして異常に気付くのには遅過ぎた。地面にすっかり両脚が埋まり、あまつさえずぶずぶとその中にめり込んでいく。沈んで行く体はもがけばもがくほど深みに嵌って戻る事は無かった。 「畜生っ!?…沼か?」 何とか沈まぬように手の届きそうな木へ手を伸ばしかけた瞬間、風の引き込まれる轟音が鳴った。同時に突風が吹き荒れる。 そしてその突然の音と突風に愕いて手が止まった瞬間、一瞬にして風春は全身を地面に引き摺り込まれた。暗闇へ落ち酸欠になる。不思議と泥が口には入ってこなかったが、窒息と混乱で意識は次第に薄れていった。 |