いつものようにベッドのカーテンを引いて順番に着替えると、圭介は由香に、先に教室へ帰っているように言った。
けれど彼女は「待っている」と言って聞かないため、仕方なくこのまま保健室で待っていてもらう事にして、
そして圭介と美智子は隣の学生相談室へと移動した。
そこは、ソラ先生のカウンセリング用の部屋でもある性質上、防音と機密性は保健室よりもずっと高かった。
美智子に続いて相談室に入り、圭介が椅子に腰掛けようとした時、彼女は窓のカーテンを半分だけ閉めながら
「どうだ?『星人』(ほしびと)として目覚めた気分は?」
と、言った。
まるで、「今日の朝飯は何だった?」と聞かれた気がして、圭介は一瞬呆けてしまう。
「え?」
「ま、半分とはいえ、『星人』の血を引いている以上、仕方ないわな」
「……は?」
絶句、した。
無理も無い。『星人』云々の話は、まだ誰にも言っていないし、言うべきものでもないと思っていたから、
圭介は健司にも由香にも秘密にしてあるのだ。
それを、どうして一介の保険教諭が知っているのか。
美智子はにやにやと笑うと、椅子に腰掛けて高く膝を組んだ。
今日は八分袖のカットソーと黒のスリムジーンズという出で立ちだ。
カットソーはグレイッシュブラウンで、襟回りはハトメ使い…という、スリムでスタイリッシュな美智子には良く似合っている。
もっとも、圭介にはただ、くすんだ色の袖が中途半端な長さのシャツと、細い黒ジーンズ…という認識でしかなかったけれど。
美智子は、上に羽織った白衣のポケットからシュガーレスのチューンガムを取り出して、2粒ばかりを無造作に口に放り込んだ。
「ん?」
「噛むか?」という意思表示なのか、美智子は口をもごもごさせながら、メタリックに輝く包み紙を圭介の目の前に差し出す。
圭介は機械的に一つ受け取って、ただ機械的に口に入れた。
そうしていながら、視線は美智子から離れない。
圭介は初めてこの教師の“得体の知れなさ”に不安を覚えていた。
「まあ、そう警戒すんな」
ニヤニヤと笑う美智子は、しれっと無理難題を言った。
自分の、誰にも明かせぬ秘密を知っていた人間に対して、警戒するなと言う方がおかしい。
それをこの保健教諭はわかっているのか。
「…言ってる意味がよくわかんねーんだけど」
圭介は当然の如く、美智子の言葉を否定した。
彼女はしばらく圭介の顔を見ていたが、
「そうだな。いきなりこんな事言われてハイそうですかって、納得しろって方がおかしいわな」
そう言うと、安物のパイプイスの背もたれに身を預けて、すぐ側の机の上のノートパソコンの電源を入れた。
そしてフォルダをいくつか開き、一つのテキストデータを展開する。
彼女はそれを、無表情に淡々と読み出した。
「山中圭介、実年齢17歳。
父親は山中善二郎、実年齢42歳。
母親は山中涼子、主観年齢32歳。
●●●高校2年C組、出席番号28番、美術部。女性経験無し。交際歴ゼロ。
通学時間徒歩およそ15分。住宅街一戸建てに住む3人家族の一人息子。
女性化前の身長は154.9センチ、体重46キロ、血液型B型、誕生日は5月3日。
小学2年生の5月27日に肉体変化の兆候により高熱を出し、その際の短時間に性転換を4度経験。
男性体で一応の固定化をみる」
「ちょ…ソラ先生、それって…」
誕生日までのプロフィールは、ちょっと調べればすぐにわかる事だった。
けれど、5月27日の事は圭介と彼の家族しか知らないはずだ。
そして、その衝撃が強過ぎて、彼女が母親の年齢を「主観年齢」と読んだ事に、圭介は気付かなかった。
「まあ待て。まだ続きがあるんだ。
ええと…肉体変化の直接の原因となったのは、当時クラスメイトだった神蔵椎奈(かみくらしいな)、7歳への初恋と思われる。
以後、一周期ごとに発熱を繰り返すものの、何らかの要素が障害となり肉体変化まで進行しなかった」
「…な…なんでそんな…」
かあああっ…と圭介の顔が赤く染まる。
初恋相手の名前まで知られている事の衝撃に、言葉も無い。
「もちっと聞きな?
…が、今年5月29日に再び発熱し、3日間昏睡状態に陥る。
6月1日に女性体へ半固定化。母、山中涼子から自分の体についての詳細を教えられる。
同日17時24分に、同級生の川野辺由香と谷口健司が自宅を訪問。同2名、18:53分帰宅。
6月2日。17時32分に、担任の坂上はるかが自宅を訪問。18:11分帰宅。
6月3日。20時12分に、谷口健司が自宅を訪問。20時34分帰宅。
6月4日。14時29分に外出。街に行き、その後、谷口健司、川野辺由香の自宅を訪問。
6月5日。登校。
6月6日。この日より、バイオリズムに変化。再転換の兆候有り。
6月8日。昼休みに私と接触。肉体に“ゆらぎ”を発見。
同日、19時4分に屋内プールへ向かう。19時23分、帰宅。肉体から派生する波長に一定のパターンが認められる。
6月9日。胸部特定の肉体変化有り。要観察。
6月10日。胸部に著しい変化。
6月11日。更に変化。今に至る。
質問は?」
絶句する圭介を前に美智子は、『にーーっ』と、茶目っ気溢れる教師が、お気に入りの生徒にいぢわるする時のような笑みを浮かべた。
揃えた足の上で握り締めた手の平が、じっとりと汗で湿っているのがわかる。
目の前に座る、中性的な保健教諭の意図が見えない。
ここまでどうやって調べたのだろう?
いや、それ以前に、なぜ“それ”を知っているのだろう?
圭介は、重たい胸の谷間に流れる汗を感じながら、じっと息を詰めて床を見ていたが、
やがて観念したように吐息を吐くと、ゆっくりと美智子を見た。
「どこまで…知ってるんですか?」
「全部」
即答された。
「オレが…その…宇宙人……あ、えと…『星人』と地球人のハーフだってこと…も?」
「ああ」
あっさりと言う。
「いつから?」
「いつからもなにも…私をこの学校に赴任するように仕向けたのは、涼子さん…お前の母親だからな」
「はあ?」
どうしてここで母の名前が出て来るのか。
「言ったろ?お前は私達の希望なんだ」
美智子は、圭介の母が言ったあの言葉を、ひどく真剣な眼差しで口にした。