ボクたちの選択 21


圭介が学校に出て、少しも混乱が起きなかったか?…と言えば、決してそんな事はない。
一週間前まで男だった人間が、ある日突然、可愛らしい美少女になってやってくれば、誰だって驚くし、気味悪く思う。
最初の日は誰も、圭介の体がすっかり女の体になってしまったとは信じていなくて、圭介は学校にいる間中、ずっと珍獣扱いだった。

クラス会議で『普通に接しましょう』と決められた2年C組のクラスメイトはともかく、
他のクラスまでそれは徹底されていなかったから、中には「どこで手術してきたんだ?」と無遠慮に聞く男子もいたし、
擦れ違いざまに胸に触るハラスメントな男子もいた。
もちろん、そういう連中には圭介は全く容赦が無くて、ミニスカートが捲くれ上がるのも構わずにどこまでも追いかけていき、
ぜいぜい言いながら上級生だろうが下級生だろうがキツいケリを食らわせていたりする。
そのあたりは、男だった頃に身長の事で馬鹿にされた時と、ちっとも変わっていない。
けれど、そのたびに由香に窘(たしな)められ逃げ回る圭介は、それはそれでとても可愛らしくて、
特に上級生のお姉様方の間では人気が高かったから、本当に世の中はわからないものだ。


由香が圭介に教える『授業』は、2人が学校にいる間ずっと続き、そのため、休み時間も授業中も、
時にはトイレの中まで一緒に行動しなければならなかった。

その由香の『授業』だけれど、なんだか母が教えてくれた『女の常識』よりも、もっと実践的で、
もっと現実的な女子校生の実体験に基づく教えだった。
圭介がひどく頭を悩ませたのは、男だった頃にはなんでもなかった事が、女になった途端『してはいけないこと』になり、
『言ってはいけないこと』になり、『見てはいけないこと』になったことだろうか。
また、体だけでも不自由なのに、その上、考え方から話し方、男に対する態度から受け答えの仕方まで、
実に多岐に渡って「男に都合の良い女性」「男に好かれるための女性」というものが刷り込まれているかを知ったことも大きい。
由香の『女の子チェック』はそれこそ多岐に渡って、「男子にむやみに触ったりしてはダメ。勘違いする子とかいるから」
とか、
「大きな口を開けて笑わない。みっともないよぅ?」
とか、
「机の上で足を組まない。もっと自分はミニスカート履いてるんだって自覚して」
とか、
「トイレから出たら手を拭いて。それと髪もチェックしてね」
とか、
「お尻をかかない。せめて人が見てないか周りを見るくらいはしてよぉ」
とか、
「鼻を服の袖で拭わないで。ちゃんとティッシュかハンカチで拭うようにね」
とか、
「クシャミする時は手を当てるか、ハンカチで口を当てて。おツユが飛ぶでしょ?」
などなどなど。
数え上げればきりが無いが、それをいちいち覚えていられるような圭介ではないのもまた、事実だった。
それは当然といえば当然の事だ。
17年間男として生きてきた人間が、一朝一夕で女の『仕草』とか『たしなみ』を身につけられるわけがないのだから。
というわけで、圭介の前途は、果てしなく多難だった。

また、『授業』を受けるうちに、女が使う金のほとんどは今よりもっと「可愛くなるため」「綺麗になるため」に消えていき、
それは結局「男に好かれるため」「男に可愛いと言ってもらうため」なんだ…と圭介は知った。
もっとも由香は、
「そんな風に考えないの。自分のためにするんだよ?自分が、あ、これ可愛いな、綺麗だなって思うからするんだよ?
 別に男の子のためにするんじゃないもん。『可愛い自分』って、きもちいいもん。
 ほら、けーちゃんだって、もっと背が高くなったらいーなーって言ってたでしょ?それとおんなじ。
 人よりちょっと…ううん、せめて人と同じくらい可愛くなりたいし綺麗になりたい。それって自然な事じゃない?」
とは言うものの、結局はそれでイイ男に見初められたり、こっちからアプローチする時、
他の女より優位に立ちたいという目的に至るのは変わらないんじゃないか?…と圭介は思うのだけれど、
そういうのとはまた違うらしい(もちろん、自分が男にアプローチするなんて考えたくも無い圭介だったけれど)。
由香にとってはそれが普通の事で、今さら疑問視するような事でもない。
裏を返せば、それは小さい頃から「女の子なんだから」とか「女の子は」とか言われながら、
いろいろな事を制限される事を“当たり前”として生きてきたという事なのだろう。
それに比べて男は、なんて自由で、なんて奔放なんだろうか。
<世の中は不公平で出来ている>
圭介は、それを痛感した。
そしてそれと同時に、今まで自分がどれくらい優位な立場で生きてきたか、それを実感したのだ。
女は、女であるというだけで、今の社会では既にハンデを負っている。
それが、学校に通い始めて2日も経たずに痛感した、圭介の結論だった。


学校といえば、圭介のトイレと体育の授業の際の着替えには、ちょっとした騒動があった。
クラスだけでなく、他のクラスの女子生徒も男としての圭介を知っているだけに、こんな時どう接すればいいのかわからず、
「今は女の子なんだから一緒でいいんんゃない?」派と「心はまだ男なんだから冗談じゃないわ」派に分かれ、
ホームルームの時間いっぱいを使っても結論は出なかった。

結局、最初の日は混乱を避けて、「管理・学習交流棟」にある教員用のトイレと、ソラ先生の根城の保健室を使わせてもらう事で
一応の解決を見たのだが、圭介としては、別に男に混じって用を足そうが着替えようが一向に構わなかった。
…のだが、彼の主張は、ほぼ全ての女子生徒の反対に合って、たちまち却下されてしまったのだった。


それでも、そんな生活が3日も過ぎると、まだ少し気味悪がられたりする事もあるけれど、徐々に「元男」ということで、
“彼氏の気持ちが知りたい女の子”の相談などを、なしくずしに受けさせられるようにもなり、
なんとなく女子生徒の中では受け入れられているような気が……しないでもない感じがし始めた。
女子生徒達の言い分では、「教室棟I」のトイレを使わせてあげるから、その交換条件に…という事だけれど、
圭介としては、そもそも自分も生徒の一員なのだから、どこのトイレを使おうが勝手……と思っていたのだが、
群れを成した女は怖い…という認識をここ2日で新たにしていたので、彼女達の進言を大人しく聞く事にしたのだった。
それでもまだ着替えは別々にさせられていたから、ひょっとしたらまだ交換条件を隠しているのではないか?
と勘ぐってしまって、ちょっとビクビクしてしまう圭介であったのだけれど。


困ったのは、彼女達の相談があからさまで、羞恥心ゼロなタイプが多かった事だろうか。
時々、圭介にも答えられない相談を受ける事があった。

「やっぱりキスした時の顔って自分じゃわかんないっしょ?ヘンな顔になってたらもう2度とキスしたくなくなっちゃう?」
たぶんその時は、自分も目を閉じてるからわからないに違いない。

「彼、一度に何回も何回も求めてくるの。そういうのって、普通?」
まだ一度もしたことない自分に、そんな事を聞かれても困ると思った。

「彼が口でして欲しそうなんだけど、やっぱり男の人って口でしてもらったら嬉しいの?」
もう自分にはついてないから想像しようがないけど、自分がする事を考えたら吐き気がした。

「カレのアレがナニでさ、アソコが痛くなってくんの。アレの大きさって自分で調節出来ないもんなの?」
アレがナニってのはよくわからないけど、一度大きくなったら制御出来ないから『男』なんです。

「パイズリしたくてもアタシちっちゃいからさ、出来ないんだ。男って胸でっかいのが好きじゃん?
 アタシみたいなのって、やっぱり穴だけ利用されて捨てられちゃうのかな?」
……パイズリってなんですか?

…聞いてるだけで頭痛がしてきた。


最初の頃はいちいちなるべく親身になって、答えられる範囲で答えていた圭介だったが、とある女生徒の相談に
「で、結局、相手とどうしたいんだ?別れたいの?続けたいの?」
と逆に聞いた途端、相手が怒り出すに至って、ようやく圭介も彼女達の真意がわかるようになっていた。
彼女達は、何も本気で答えを欲しているわけではなく、ただなんとなく話を聞いてくれる相手が欲しかっただけのだ。
それならば校内のソーシャルワーカーというかセラピストというか、そんな立場でもある保険教諭のソラ先生がいるのだけれど、
彼女達にすると
「先生に相談するのは恥ずかしい」
らしい。
………自分に相談するより、もっと親身に話を聞いてくれそうなのに。

ただ圭介は、彼女達の相談を受け、その悩みに触れるたび、思う事があった。
男だった時、彼は、『女』というのは男とは全く違う別の生物なんだと思っていた。
同じ人間でありながら、考えている事がさっぱりわからない。
理解しようとしても、相手はその理解の範疇を軽々と飛び越えて、こちらが思いもよらない場所に着地してしまう。
だから、なるべく関わらないようにしてきたし、由香を除いて特別関わりたいとも思わなかった。
けれど、こうやって彼女達の一番近い場所で彼女達に混じっていると、女とはこんなにも打算的でずるくて、
そして可愛くて愛すべき生物だったのか、と改めて思ってしまう。
それに対して、男とはこんなにもバカで騙されやすくてどうしようもなくて、
それでもやっぱり憎みきれない可愛い生物だったんだな、としみじと思う。
バカ話で「彼女は俺にベタ惚れだ」だの、「俺のテクニックで離れられなくしてる」だの言っているのが、
どうにも子度っぽくて可笑しくて、そしてほんのちょっと可愛く感じられるのだ。
彼らは、その影で自分の彼女から数倍の情報量でもって観察され、数十倍の観察眼で絶えず批評されまくっている事に気付いていない。
女は別れた後でも自分の事をずっと好きでいてくれるなんて本気で信じているし、同時に何人もの男とは付き合えないと思っている。
馬鹿馬鹿しい。
女は過去の男なんて3日も経たずに忘れられるし、いつも他の男をチェックして、
自分の男が少しでも自分のターゲットから外れると、あっという間に好きじゃなくなってしまう。
それは、今の自分が力においても金銭においても、男に頼らなければならないと知っているからだ。
自分にとって、より意義のある相手…言ってしまえば、より『利用価値』のある男を探さなければ、安心出来ないからだ。
もちろん圭介は、全ての女子がそうであるとは思わないし、そればっかりでもないと思っている。
自覚している女生徒は、たぶんほとんどいないだろう。
けれど、自分の生き残りをかけて伴侶を探すそのいじましさ、貪欲さは、生物としては愛すべきものだと思うのだ。

だが圭介はその考え方そのものが、母にひどく似ている事に、まだ気付いていなかった。


そして4日が過ぎ、木曜日になった。
わずか4日で、圭介は男と女の、両方のいい所も悪いところも全部知ってしまった…と思った。
変わらないのは、幼馴染みの健司と由香への印象で、特に健司は、いかに裏表無く正直に付き合ってくれていたのかを、
今更のように思い知ったのだった。


この4日間で圭介が驚いた事が、もう一つあった。
“あの”アナゴの変化だった。

それは火曜日のことだった。
あの小憎らしい居丈高の中年教師は、圭介が女だったと知ると(事実はどうあれ、学校では教師も生徒もそう思っている)、
昼休みに生徒指導室へ圭介を呼び出し、
「いろいろ悪かったな」
と詫びたのだ。

教師が生徒に、しかも、あのアナゴが圭介に詫びを入れるなんてのは、天変地異の前触れでも無い限り起きる事は絶対に無い…
と信じていた圭介だったから、アナゴが気まずそうにそう言った時、今すぐここから逃げようかと本気で思ったものだ。
「…どういう風の吹き回しだよ」
制服のブレザーを脱ぎ、丸襟ブラウスと紐タイとジャージズボン…という妙な出で立ちで、圭介はパックミルクを飲みながら聞いた。
内心ビビッて、いつでも逃げ出せるように椅子からお尻を浮かしているのが可笑しい。
アナゴはそんな圭介の様子には気付かず、窓の外を見ながら無精髭の生えた顎を撫でた。
「…………俺は俺が教師らしくないと気付いたから、それを正したまでだ」
「んなことに気付くのに1年半もかかったのか?」
「ま、そう言うな……お前が女だと、もっと前に知っていたら、あんなに陸上に戻れなんて言わなかったよ」
「オレはオレの意志で陸上をやめた。男だからとか女だからとか、そんなのはカンケーねぇよ。
 それに、女なら陸上にはいらねーっての、そっちの方が失礼じゃねーのか?」
「そう突っかかるなよ。……俺は、お前のバネに、瞬発力に惚れてたんだぞ」
「はぁ?」
圭介は指導室備え付けのパイプ椅子の上で呆けたように口をぱっくりと開け、アナゴを見た。
「中学の県大会で初めてお前を見た時、うちに来るような事があれば真っ先に声をかけてやろうって手薬煉(てぐすね)引いて待ってたんだ」
「………嫌ってたの間違いじゃねーのか?」
「……坂上先生にも言われたよ。『どうして高尾先生は山中クンをいぢめるんですか?』ってな。
 俺はいじめてるつもりは無かったんだが……傍(はた)から見ればそう見えるらしい」
「ありゃどっからどう見てもいじめだっただろうが。オレは本気で世を儚(はかな)んで自殺しようかと思ってたんだぜ?」
「本当か?」
「ウソだよ」
「だろうな」
くくく…とアナゴがだぶついた喉を震わせて笑う。
「だが、俺がお前の体のバネを惜しいと思ったのは本当だ。
 身長を気にして陸上をやめたんなら、こんなバカな話はないって思ったからな。もともとお前は短距離向きなんだよ」
「ンな事、初めて言われたよ」
「でも、ま、肉体的な問題が原因なら、仕方ねぇわな」
そういうわけでは決してないのだが、何か言うと話がややこしくなりそうだったので圭介は黙っていた。
何か誤解があるようだけれど、あのアナゴが謝るのなら、もうそんな事はどうでもいい…そんな風に思えたのだ。
「まあ、そういうワケだ。確かに謝ったからな」
「その顔で言われても、ちっとも謝られた気がしねーよ」
圭介の口元に笑みが浮かぶ。
あんなに憎々しく思っていたアナゴが、今ではもうそんなに嫌だと感じなくなっていた。
「話はそれだけだ。教室に帰っていいぞ」
「へーへー」
「あ、それとな、山中」
「へ?」
「その格好…どうにかならんか?」
「うるせー。よけいなお世話だ」
圭介は空になった牛乳パックをゴミ箱に投げ入れると、なんともいえない顔をしたアナゴを残して生徒指導室を出た。




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