1――
イヴァンはカウンターに使われている大理石がお気に召さない。真っ白でつるんとしていて、夏はひんやりと冷たい表面。温かい飲み物を振舞う場として、これ以上に相応しくないものはないと言い張る。君の入れた飛び切り優しい紅茶が可哀想、言ってはパシパシとカウンターを叩いた。
イヴァンの横でその大理石にラップを敷き、クッキーの生地をこねているギルベルトの耳にはいい加減タコが出来そうだ。
「例えば、お前が出窓に並べたプランター」
だからギルベルトは生地から目を離さない。ココアとバニラで市松模様にするつもりのクーラーボックス、きっちりさっくりと焼き上げるまで一瞬の油断も禁物なのだ。
「お前はガザニアを植えたな、黄色に濃いオレンジの斑が入ったガザニアな。この喫茶店の壁は水色だ、俺は蔦を這わせて白いクレマチスを沢山咲かせたいと言ったけど聞かなかった」
水色の壁に、淡いクリーム色の屋根。逆の方が絶対に良かったと、この小さな町の住人達が口を揃えて言う配色。ぼやぼやとした色合いは曖昧で、バスの停留所の傍にある割にはさほど客足が多くない。
それならば白を多くして、その奇妙な配色を少しでも柔らげればいいのではないか。それがギルベルトの意見だった。けれどイヴァンは、ぱっと目を引く色を下の方に置いて、皆が上を見ないようにすればいいと言った。
どちらがいいとは言えない。両方試してみたわけではないから、正しい答えなんて出なかった。
「紅茶が冷めやすいなら、俺はそれに気を配る。大理石のまな板なんてものをうちのオーナーは買ってくれないから、こうやってカウンターでクッキーの生地を練る」
喫茶店の屋根のようなクリーム色の生地が丸められ、ラップで包まれる。その次はこげ茶色のココア生地。ふたつのそれを手に取って、漸く生地から視線を開放したギルベルトはイヴァンに向けてニィと笑った。
猫が笑うみたいな顔
猫が目を細めてにゃーと鳴く、その寸前の顔
イヴァンが好きだと思うその顔で、笑ったギルベルトがちゅっと触れるだけのキスをする。唇ではない、頬に。
「こんな事も出来るんで、俺は結構気に入ってるんだけどなぁ」
クスクスと笑みだけを残し、言葉だけを残し、生地を冷蔵庫に入れるべくカウンターの奥に入ってしまった彼に、イヴァンは言い返すタイミングを逃してしまった。
別にいいけど…
口の中でそう呟いて、背もたれに凭れかかる。どっしりとした樫の椅子がキシリと音を立てた。
少し背の高い樫の椅子。常連客が勝手に置いていくクッションが、柔らかく背を守ってくれている。これはお前用とわざわざ直接渡された、ヒマワリの刺繍が入った大きめのクッション。
「やっぱり市松模様じゃなくて丸くして、渦巻きにして」
言い返すタイミングを逃してしまったから。それでもクスクスと、イヴァンもまた笑みが漏れてしまったから。別に拘りのない、どうでもいい指示を。出せばギルベルトが、カウンターの向こうで笑っていた。





「そういうのさ、出来れば営業時間中にやんないで欲しいな〜。隠れてコソコソする方が、女の子達の内緒話にも花を添えられるし話題性抜群だと思うんだよね。だから隠れてやって?寧ろ人前ではやらない努力をして?」
そのとき声を張り上げた人物がいる。駄々をこねるように少し神経質な声で、けれどけして責めているわけではないとわかるほどには柔らかい声。
見ると丸テーブルに頬杖をついたフランシスが、頬を膨らましている。そういえば、作りすぎたからといってミントのゼリーを沢山持ってきてくれたんだった。クッキーを作っている最中だからと、窓際の席に座らせたんだっけ。
常連の中で、いつの間にかお菓子担当になってしまっている花屋の店主。こんな真昼間にお店を放置しててもいいんですか?
「あれ、まだいたんだ〜」
本当に忘れていたイヴァンが、少し張り上げた声を出す。それに合わせてギルベルトの笑い声が店内に響いた。よく見れば、まだお茶すら出していない。
「待ってろフラン、今焙煎したてのコーヒー出してやる。ついでに昨日の残りのクッキーな」
2人はもう、フランシスを常連とは思っていない。アルバイト達に恭しく差し出すデザートを作るついで、三軒隣のこの喫茶店にどれだけ前から大量の甘味を捧げている事か。一応買い取りにしているから、文句があるはずもないのだけれど。
樫の木で出来たベンチに座り、ふかふかのクッションを抱きしめて。酷い、横暴、言って泣き真似をするフランシスには、どちらも優しい言葉なんてかけない。
「表面に巻くの、白と黒どっちにする?」
薄手のビニールの中で生地を引き伸ばしながら言ったギルベルトは、もうフランシスにコーヒーを出す使命を忘れ去っていた。聞かれてううんと悩みだしたイヴァンもまた、フランシスの存在を忘れ去るだろう。しばらくして焦れたフランシスが自分でコーヒーを入れ始め、そうなるとギルベルトとイヴァンもそのご相伴に預かる事になる。
常連客が見かねて手を出してしまう喫茶店。店にいって必ずあるものはコーヒーと紅茶とクッキーだけ。後は毎日適当に、適当なものがあるその店のオーナーは言う。
お客様は神様です




2――
なんだか日本的なものが食べたいよね
そんなイヴァンの一言に、ギルベルトは頭を悩ませた。日本的なものといえば、テンプラ、寿司、ラーメンくらいしか思い浮かばない。どれも面倒くさそうだ。それ以前にどれもある一定の修行が必要なのではないか。イヴァンが食べたいと言って思い浮かべているものは、なんちゃって、ではない。しかも食べたいと言った本人が、驚くほどの行動力をみせ近隣のアジアンマーケットに出向き材料を調達してきてしまった。
大根、練り物、卵、あぶらげ、ニンジン、餅、昆布、鰹節、醤油、味醂、日本酒
ギルベルトは困惑した。これで何を作れと言うのだろう。正直日本食などほとんど食べたことがない、なんちゃって寿司くらいしかない。
困惑し続けるギルベルトの横で、イヴァンはてきぱきと準備を進めていた。一番窓に近い席にカセットコンロを置き、丸い網を上に置く。餅を乗せる。窓を大きく開けてからコンロに火をつける。
少し火に近すぎる気もするけれど、餅は順調に焼けていった。裏面がほんのり狐色になったところでひっくり返し、同じくらい焼いていく。反対側も狐色になったところで、イヴァンは皿に垂らした醤油と刷毛を握り締め、驚くほど真剣な顔で餅の表面に醤油を塗り始めた。おいおい、初めての告白の時だってお前そんな顔しなかっただろ、ツッコミたいほど真剣な顔。
やがて満遍なく醤油を塗った餅がもう一度ひっくり返されたとき、辺りには香ばしい醤油の香りが立ち込めていた。カセットコンロに乗せられた3つの餅から、ジュウジュウと小さな音が鳴る。なんとも食欲を刺激される音。
三軒隣の花屋から、フランシスが顔を出したようだ。あの強烈な花の香に囲まれてすら、醤油の匂いは死なないという事か。感動的だ、醤油すげえ。呟いたギルベルトの背後で、その時店のドアが大きく開いた。
刷毛を握り締めるイヴァンと、興味本位で覗き込んでいたギルベルトが同時に振り返る。そこには走ってきたのだろう、少し髪を乱した小柄な青年が1人立っていた。吸い込まれそうなほど黒い髪、同じく底がないのかと危ぶむ黒い瞳。間違い事なくアジア人。
「よし、釣れた」
イヴァンが小さくそう呟いた言葉を、ギルベルトは聞き逃さなかった。



まさかこんなに祖国から離れた地で、醤油の匂いを嗅ぐとは思わずッ。しかも磯辺焼きですか、素晴らしい。海苔も…こちらにありますね、少し焼きましょうか。あ、申し訳ありません急に飛び込んで来た私が最初に頂いてしまうなんて、醤油…あぁ醤油…。あ、こちら喫茶店で?それではすみません、コーヒーを…そちらの材料は?おでん!!おでんですか!!こちらのお店何時まで…お出汁は昆布と鰹節、いいですねえ。分量ですか?初めてお作りになる…少々お台所お借りしても?ありがとうございます、私これからまだ仕事がございますので、すみませんが煮ておいて頂けるでしょうか。あ、家ですか、3ブロックほど離れたアパートに。はい、は?あ、オーナーさんですか、いえ不備なんて何も、はい。そうですそうです、そちらの工場に配属されています。あ、その端のお餅食べ頃ですよ、それ以上焼くと網から外れなくなりますので!すぐ、今すぐ!あ、はい海苔を巻いて。



イヴァンプロデュース、お客様は神様ですプロジェクトはこうやって完成していく。その夜にはほくほく顔の本田菊とホクホク顔のイヴァンが、並んでおでんを頬張る光景が主にギルベルトによって目撃されていた。そのギルベルトも、ごろごろと煮たじゃがいもの不思議な味に舌鼓を打っている。
「全然お客さんいないのに、この店何時までも潰れない訳がやっとわかった」
同じく練り物に噛り付きながら、フランシスがケラケラ笑った。
菊がスーツのジャケットを脱ぎ、カウンターの奥に立ち、腕まくりをした辺りからフランシスは様子を伺っていた。美味しいものが食べられそうだと判断した時点で夜、店を閉めてから駆けつけてきたという経緯。
「アパート何軒も持ってるなら、そりゃイヴァンはず〜っとこの店に座っててもお金入るね。この辺工場勤めの技師とか幹部とかが住んでるんだろ?お買い上げじゃない。よかったねえギルちゃん」
うちのお客様も、奥様だか愛人様だかに花束のご注文で潤わせて頂いていますが〜
そんなどうでもいい話をフランシスが振ってくるのは、ギルベルトの不機嫌を察しているからだろう。
良くも悪くもイヴァンのお客様は神様ですプロジェクト、最初の被害者は間違いなくギルベルトだった。イヴァンはその時点で前科一犯となっている。プロジェクトを発動させるとき、だからギルベルトは何時も少しだけ不機嫌。
「餅巾着やべえな…卵もやべえ…じゃがいもなんて神だろこれ、芋の神」
ブツブツと呟く姿は、少し怖い。フランシスの話など一切聞いていない。
けれどフランシスは知っている。どうせすぐにギルベルトは笑う事を知っている。
「美味しかった〜!ねえ本田君、もしまた何か作ってくれるなら、買い取るからここで作ってよ。1人だと食べきれない量になっちゃうでしょ?シェアしようよ、みんな幸せになれるよ」
漸くフォークを置いたイヴァンが、満足げにそんな事を言いながらもキョロキョロとカウンターの辺りに目をさ迷わせている。イヴァンが探しているのは多分、ホタテ貝のような形をして、取っ手が小鳥になっているガラス製の小物入れ。先ほどギルベルトがこっそり何処かに持っていったそれ。
キョロキョロ探して、首を傾げて。
「ギル君、クッキーは?」



今日のクッキーは、スライスアーモンドがたっぷり入ったココア味。表面にグラニュー糖をまぶしたたっぷり甘いクッキーだ。イヴァン専用のクッキー入れは多分、ひっそりカウンターの奥。いそいそと席を立ち、さも出し忘れたと言わんばかりの顔で恭しく蓋を開けたガラスの容器。一番明るくしても黄色いオレンジにしかならない店内で、取っ手の小鳥がキラリと光った。ギルベルトはもうコーヒーなどいれるつもりはないだろうと、フランシスはため息をつきながらも席を立つ。
「イヴァンは紅茶、ギルちゃんはコーヒー、僕もコーヒーにしようかな。菊ちゃんは?」
いまだもっふもっふと練り物を食べ続ける菊は、多分脳までダシ汁に漬け込まれ、一種異様な雰囲気など気付いていない。お構いなく、言った彼の頬は赤く至上の笑顔。
食欲の化身と化している日本人に、シモの心配などする方が馬鹿だよ
フランシスは後でそう言って、ギルベルトをからかってやろうと心に決めた。




3――
手慰みに作ってみました
言って照れくさそうに、菊がイヴァンのクッキー入れの取っ手みたいな小鳥の置物(鉄製)をカウンターの横にちょこんと置いた日、彼はやってきた。けれど彼がまず最初に誘われたのは、カレーの匂いだったのだろう。
本日はオートミールのざっくりしたクッキー。甘さ控えめなそれを、カレーと一緒に食べながら。イヴァンはパシンと目を瞬かせる。
「これはカレーではない」
はいイヴァン、お前が何を考えているかは生まれたてのカモシカだってわかる事。どの口が、言いたいんだろよくわかる。ひとりうんうん頷きながら、これまた菊が持参した炊飯器からご飯を盛って、自分用にたっぷりのルー。ギルベルトはそれだけで、アーサーの発言には耳を塞いだ。
「そしてお前のいれる紅茶は紅茶ではない」
「なんだとこら」
塞い…塞げなかった。





小さな町に古くからいる弁護士一族の長男アーサーは、弁護するよりも刺繍針を持つ方が長いと言われている。町に古くからいるご婦人方の口によく乗る話題だ。
喫茶店に置かれているふかふかのクッション、レースのテーブルクロス、鍋掴みや照明フードに至るまで、すべてがアーサーの作品だ。壁にかかった刺繍の絵画すらアーサーの作品だ。彼は勝手に置いていく。勝手に配置を決め、勝手に設置して、何も言わずに帰っていく。それでもほつれを指摘すれば持ち帰り綺麗に直して戻ってくるから、一応彼もイヴァンのお客様は神様ですプロジェクトの一員といえる。
アーサーの作る料理は壊滅的である。残念ながら狭いこの町において、知らぬ者はいない。主に言いふらしているのがお隣住まいのフランシスだから、確実な情報だろう。フランシスが料理する様子を見たがる理由はアーサーにある。そして当の本人は、自分が料理下手な事を、控えめに言って死ぬほど気にしていた。
そんな彼が、真顔でそんな事を言い出すのだから驚くだろう。ついでとばかりに唯一の対抗手段である紅茶に言及されたため、ギルベルトは臨戦態勢に入りながらもやや不利だけれど。
「これは、き…本田の家の匂いがする食べ物であって、カレーではない」
この発言で、戦場があっさり武装解除された。それはもうギルベルト、全力で引いたから。アーサーの横に座っていたイヴァンの椅子もガタンと鳴ったから、彼もかなりのドン引きといえよう。
ざわざわとざわつく空気を、ここにきてまでアーサーは気付いていない。普段は聡い彼が気付いていない。うっとりとした目でスプーンでご飯とカレーを掬い、その匂いを大きく吸い込んで、恭しく口に運ぶ。そしてほぅと、感嘆のため息をつく。
これは駄目だ、とても駄目だ、どんなに頑張ってもアウトだ。
イヴァンとギルベルトの視線が、瞬時に絡む。どうしよう、これどうする?全力で流す?流した方がいいよな精神衛生上、これでも常連だし…よし。ぱしぱしと瞬きをして、小さく頷き合って。ガラスのクッキー入れを抱きしめたイヴァンの行動は多分、いざとなったとき絶対持って逃げる物がそれだからだろう。最早アーサーは天災扱いだった。
「ところで」
アーサーが口を開けば、2人は肩を震わせヒッと喉の奥で悲鳴を上げる。
「さっきから気になってたんだが、その鳥の置物なかなかいいな。買ったのか?俺も欲しいなそういうの、何処で買った?」
何かセンサー的なものが働いているのだろうか。本田センサー、ドン引きするほど鋭すぎる。
細部までちゃんと作りこんでいるし重さもいい、今にも囀りだしそうだ…言いながら、くるくると嘗め回すように小鳥の置物を手に取り眺めるアーサーのカレーは、いつの間にか完食していた。ギルベルトはだから、食器を片付けて洗わなければならない。酷いよ!はっきりとそう書いてあるイヴァンの顔を見ても、申し訳ないとは思うけれど食器の方が大事だ。
「このつぶらな瞳も可愛いな…まるで」
「それ貰い物なんだ!どこで売ってるかはわからないけど、僕達気に入ってるから譲ってあげられないなぁ。…だから、舐めないでね?」
菊の作ったカレーを見る目になり始めたアーサーに、果敢にもイヴァンは飛び掛った。がっしりとクッキー入れを抱きしめながら、それでも毅然とした態度だった。及び腰になっていなければ、ギルベルトは惚れ直していた事だろう。
「舐めねえよ!」
ここで漸く普段の態度に戻ったアーサーが、それでもしぶしぶと小鳥をカウンターに戻す。それからごそごそと、いつも持ち歩いている巨大な手提げ鞄をあさりだし、取り出したのは可愛らしいテディベア。あまり見かけない、ベルベットのように艶やかな毛並みの黒いテディ。
真っ黒でつぶらな瞳が隠れるほど黒いそれは、赤いリボンが首元を彩って本当に可愛らしかった。アーサーの思惑を察してしまわなければ、イヴァンはきっと喜んでいただろう。
「新作だ、適当に置いてくれ。あ、その、な!き…本田来るんだろ!本田がもし欲しがったら、俺が作った事は言わずにやっていいからな!全然これくらい普通に作れるし、一匹くらいやってもいい!あと紅茶俺がいれる!」





その日喫茶店の二階では、当然ながら仕込みがないかの検分のため、イヴァンとギルベルトは頭をつき合せてテディをもふりまくった。隅から隅まで検分し、光に当て、耳をすました。2人が満足いくまでその作業は続き、一応何もなさそうだと2人で結論を出す。
それからイヴァンはサイドボードにテディを置くと、ついでとばかりにギルベルトをベッドに放り投げた。それはもう、ぽーんと音が鳴りそうなほど鮮やかに。
「え、なに、何これ、どういうこと?」
「最終検分」
慌てるギルベルトにそれだけを告げ、上に圧し掛かったイヴァンは少し怒っているようだった。必要ないところで不必要な程怯えさせられ、彼のプライドが傷ついたのだろう。今更ええぇと不服げな声を上げたとしてももう遅い。
これもし仕込んであったら、アーサーに筒抜け?
思いながら、チロと横目でテディを見て。ギルベルトは自棄気味に、そのつぶらな瞳にバチンとウィンクをしてみせた。




4――
ギルベルトの焼くクッキーのファンは、実はイヴァンだけではない。ほとんどイヴァンのために焼いていると言っても過言ではないけれど、客が入ったときにはそれなりに売れる。その日によって焼くものが違う、何時何を作るかはギルベルト本人にすらわからない。メニューにはクッキーとしか書いていないけれど、どの種類のクッキーかを聞く客はあまりいなかった。
彼もその1人だ。こじんまりした町の、工場地帯とは反対側の森の近くに住む画家のフェリシアーノ。たっぷりのパスタソースと共にやってくる彼は、本日のクッキースノーボールをぱくりと口に放り込み、幸せそうにふふっと笑った。ギルベルトお気に入りの常連さんは、兎に角美味しいものを美味しい顔で食べてくれる。
「うまいかフェリちゃん!」
多分常連の中で、ギルベルトがコーヒーを出す事を忘れない何人かのうちの1人が彼だ。濃く出されたコーヒーは、薄い水色の小皿にころころ盛られたスノーボールと相性がすこぶる良い。
「美味しいよ〜。ギルのつくるスノーボールって、見た目ほど甘くなくてサクサクで、でも最後は口の中で溶けちゃうみたい。イヴァンいいなぁ、こんなに美味しいクッキー毎日食べれるなんて」
頬に指を当て、くりくりとさせる仕草はフェリシアーノのお国柄。それがまた可愛くて、ギルベルトは笑み崩れる顔を隠しもしない。それでもイヴァンは特に思う事もない。ギルベルトがフェリシアーノに向ける感情は、けして恋愛まで昇華される事はないと知っていた。
自分に自信があるわけではない。ギルベルトを信じているわけでもない。ただもっと、ふわっとしたところで、それはないと確信している。
「ギル君はね、お客様は神様ですプロジェクトの中でも最高傑作だから」
つられて自分用のスノーボールを取り出しながら、イヴァンもまたふふっと笑った。





本日はとても温かい陽気、4つある店内の長細い窓、その上についている小窓を全て開けてもぽかぽか温かい。フランシスの店からではない花の香が、店内までふうわり入り込んでくる。店の中がとろりとした薄いヴェールに包まれているようで、とても幸福な雰囲気が漂って。数人いる奥様方の噂話も、今日は熾烈さが少ないよう。
「俺その時いなかったから、よく知らないんだけど。ギルのときってどうやって釣ったの?」
そんな中、こそりと聞いたフェリシアーノの声もとろりと甘い。内緒話特有の、潜められた声は何故かフェリシアーノによく似合う。
背後では、フランシスが焼いたガトーショコラに奥様方の歓声が上がっていた。真っ黒でぽってりとしたガトーショコラに、真っ白い緩めのホイップと真っ赤なカリンズのソース。そこにミントの葉を一枚。その前に奥様方が食べたパスタには、ズッキーニとトマトがたっぷりと、カリカリのベーコンで風味をだした素晴らしいソースがかかっていた。ここ数日では最高の、幸福なランチ。本日は当り日だ。その幸福なランチの一端を担ったフェリシアーノに敬意を込めて、イヴァンも声を潜めて言う。
「内緒だよ」
途端ぷうと頬を膨らますフェリシアーノに、それでもと続ける。
「でもね、そのおかげでまさかのお医者さんまで釣っちゃったんだから、僕結構この町に貢献してるよねえ」
こう言えば、フェリシアーノは黙る事を知っていた。開きかけた口をぱくんと閉じて、そわそわと視線をさ迷わせる事も知っていた。その様子が可愛いと、ギルベルトが喜ぶ事もついでに知っていた。
「結構な修羅場だったけど結局は、うちの土地買ってくれたしね。それより僕としては、彼がこの町に引っ越してくるってわかったとき、ギル君が一緒に住むって言い出したのが一番の修羅場」
本当に酷かったんだよ、ギル君たら彼と一緒に住むの当然だと思ってて、もし彼が止めてくれなかったら僕何してたかわかんないよ
「ねえ、困った子だよね、ギル君」
ふわりとした空気を纏うイヴァンは何処までも穏やかな顔、穏やかな声。それなのに少しだけ、ほんの少しだけ掠れた声が、その空気の根本にある歪みのような何かを引き出しそうになる。フェリシアーノはそれを感じたのか、慌てて寄せていた身を引いた。勿論イヴァンはすっぽりと、全部を隠し何事もなかったかのように笑っているけれど。
イヴァンはけして穏やかではない。満ち足りて、今彼は欲しい物がたっぷり手に入ったから満腹で、出す必要のない爪を隠しただけ。大地に横たわり、ぽかぽかと温かい場所で昼寝をしている肉食獣のよう。フェリシアーノにはそんな姿が、脳裏にくっきりと浮き上がっていた。絵に描いてみたい、思うほどくっきり。
「俺にはよくわかんないや、ギルはとても親切だから」
そう言って、もうひとつ口に放り込んだスノーボールは相変わらず、見た目ほどは甘くない。
それでもああ、次の瞬間とてつもなく甘く感じたのは。イヴァンがクスクス笑いながら、また耳元で囁いた言葉のせい。
「今日は本当についてる日だね、美味しいバームクーヘンまで釣れちゃった」
なんてなんて甘い言葉!
慌てて振り向いた先、丁度開いたドアの向こう。真っ白な箱を手に立つルートヴィッヒが、少し驚いた顔でフェリシアーノを見ていたから。本当にその日は幸福な午後だ。
「ルート!僕丁度クーヘンが食べたかったんだ!その前にねえ、ハグしよう!」







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