作品名 作者名 カップリング
「Lily Therefore Lewdness」 クロム氏 -

「カオルちゃんって、お兄ちゃんのこと好きなの?」
商店街のいつものファーストフード店。その片隅。私、カナミ、マナカ。
カナミの言葉に、私は飲んでいたジュースを吹き出した。
「ちょっ、なッ、何言い出すのよ突然!?」
「違うの?だってカオルちゃん、お兄ちゃんの前だと妙におとなしいし、
お兄ちゃんを見る時の目がいつもと違うっていうか、熱っぽいっていうか」
「ああ、そういえば思い当たるフシはありますね」
「マ、マナカまで…」「で、どうなの、カオルちゃん。お兄ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「ど、どうって…そ、そりゃシンジさんは優しいし、素敵だなって思うけど…」
「やっぱり好きなの?」
「な、な、な、何言ってんのよ!!そ、そんな、別に好きとかじゃ…」
「「本当に?」」
「な、なんだよ二人して…」
「あのね、カオルちゃん。私が言うのも何だけど、ウチのお兄ちゃんって結構モテるんだよ」
「そうですね。私たちの学年にも、シンジさんに憧れてる娘がいるみたいですし」
「そ、そうなの?」
「うん。だからカオルちゃん、うかうかしてると他の娘にお兄ちゃん取られちゃうよ」
「そ、そうかぁ…って、だから私は…!!」
「まあまあカオルさん、落ち着いて。シンジさんに見られてますよ」
「えっ、う、嘘ッ!」
「嘘です」
「なっ、アンタ…!」
「あっ、お兄ちゃん!」
「えっ、あっ、うっ」
慌てて姿勢を正す。
「冗談だよ。そんなに慌てるってことは、カオルちゃん、やっぱりお兄ちゃんのこと…」
「クッ…ア、アンタ達、人のことからかって楽しいの?」
「カオルさん、そんなに怒らないで。そんな恐い顔してると、シンジさんに嫌われちゃいますよ」
「えっ、なっ、うっ、くっ」
いいように弄ばれ、絶句してしまう。
「まあ冗談はこれくらいにしとこうか」
「そうですね」
「冗談ってアンタ等…」
もう怒る気にもならない。とにかく今は、この二人の絨毯爆撃から逃れたかった。だけど。
「で、カオルちゃん?まだはっきりした答えを聞いてないけど?」
爆撃はまだ終わってなかった。
「はっきりした答えって…だ、だから、私は別にそんな…」
「お兄ちゃんのこと嫌いなの?」
「えっ、いや、そんな、嫌いってわけじゃ…」
「じゃあやっぱり好きなんだ」
「なっ…そうじゃな…いや、嫌いじゃなくて、好きとかでもなくて、あの、その…」
頭の中がこんがらがる。
追い詰められた私が次にとった行動は、その場からの逃走だった。
「ごめん、私、用事思い出した!!」
そう叫ぶと荷物を引っ掴み、脱兎のごとく店を飛び出したのであった…。



「あ〜もう、アイツ等は!あんなこと言われたら、誰だって動揺するに決まってんじゃない!」
走ること約五分。漸く足を止め、息を整えた私の口から最初にでたのは、友人達への不満だった。
「だいたい…そんなこと聞かれても、答えられるわけないじゃない!」
そう、答えられない。あの二人の言ったことは、図星だったから。
シンジさんと会うたびに、鼓動が速くなる。シンジさんのことを考えるたびに、胸が苦しくなる。
私にとって、それは未知の感覚だった。
これが、『恋』というものなんだろうか。
最初は、その感覚が好きな人に対してのものなのか、友人に対してのものなのか分からなかった。
男性と接する機会が極めて少なかった私にとって、ラブとライクの間の線引きは非常に難しかったからだ。
だが、シンジさんと接するうちに、はっきりと意識するようになった。私はこの人が好きだ、と。
ドラマや恋愛小説ならこの後ヒロインが思い切って告白するのが普通なのだが、現実はそうもいかない。
できることなら今すぐ思いを伝えたいのだが、シンジさんの前に出るだけでテンパってしまう私には無理な相談だった。
かといって、シンジさんの方から告白してくれるなんてことは、まず無いだろう。
『うかうかしてると他の娘にお兄ちゃん取られちゃうよ』
先程のカナミの言葉が頭に浮かぶ。
確かに、シンジさんの周りには、私が逆立ちしても勝てないような女の子が大勢いる。
(私なんて、胸は小さいしがさつだし、男みたいだし…いいとこないもんなぁ…)
考えれば考えるほど、絶望的になっていく気がする。
「ああ〜、もう!!」
ブルーになりかけた気分を吹き飛ばそうと、無意味に大きな声を出す。
その時、声に反応するかのように強い風が吹いた。
「うわっ、寒〜!」
思わず身をすくめる。何だかんだでもう十二月。寒いはずである。
おまけに、先程のジョギングで体が若干汗ばんでいて、余計に寒さを感じる。
(う〜ん、こんな時彼氏がいたら、『寒いだろ?』とか言って自分のコートを私にかけてくれるんだろうな…)
ドラマや小説でよく見る、私の憧れのシーン。その情景を思い浮かべる。
(そんで私が、『それじゃ貴方が風邪ひいちゃうよ』って言って慌ててコートを返そうとするんだけど、
『いいから。それに、お前に風邪ひかれたらオレが困る』とかって…きゃ〜♪)
自分の脳内映像に頬を染め、ウットリした表情を浮かべる。
(もしこれがシンジさんだったら…)
相手の男性をシンジさんにして、初めから映像を再開させる。
先程のブルーな気分など、何処かに飛んでいってしまった。
ついでに、注意力も何処かに行ってしまったようだ。前方から近付いてくる人影に気がつかなかった。
「やあ、カオルちゃん。今帰りかい?」
シンジさんだった。声をかけられたのが、頭では認識できた。ただ、脳内映像と現実の分離ができない。
ちなみにこの時、私の脳内ドラマでは、シンジさんが私にコートをかけてくれたところだった。
「それじゃ貴方が風邪ひいちゃうよ」
「え?風邪?えっと、何のことかな?」
シンジさんの声で、一気に覚醒する。
「えっ…あっ、シ、シンジさん?」
「うん、そうだけど…どうかしたの?」
不思議そうな顔で尋ねられる。やってしまった。
頭の中と現実がごちゃ混ぜになって、セリフをそのまま口にしてしまったようだ。
「どうかしたの?」
「えっ…あ…あの、何でもないんです!!!」
それだけ言うと、シンジさんが来たのとは逆方向、つまり今来た道をさっきの倍の速度で逆走した。
「えっ、ちょっと、カオルちゃん!?」
後方でシンジさんの声が聞こえたが、振り返ることができない。
(うわ〜ん、よりによって、本人に会うなんて〜!!!)
心の中で絶叫する。にしても、今日は走ってばっかりだな、私。



「あれ、カオルちゃん。帰ったんじゃないの?」
無我夢中で走って、気がつくと目の前にカナミとマナカが立っていた。
どうやら、さっきの店まで戻ってしまったみたいだ。
「カナミ…マナカ…う、うわ〜ん」
私は二人に泣き付いた。
「えっ、ちょっと、どうしたの!?カオルちゃん、とにかく落ち着いて!」
カナミに宥められ、ひとまず呼吸を整える。
「で、カオルさん。何があったんですか?」
「……シンジさんに会った」
その一言で、二人には全て通じたようだ。
「ああ、そういうこと」
「私たちの話を聞いて、シンジさんのことを考えてたんですね」
「なっ…!」
「それで、お兄ちゃんのことを考えると胸が苦しくなる、これって恋?とかって」
「な、なっ…!」
「それからシンジさんとのメロドラマを想像して…
そうですね、今日は寒いから…男性が自分のコートをかけてくれるシチュエーションですか?」
「えっ、なっ、なっ…」
「それで、一番いいシーンで本当にお兄ちゃんが登場、と」
「頭の中と現実が混同して、シンジさんの前で失態を晒してしまった、ということですね」
「な、何でわかるの!?」
エスパーか、こいつ等は。
「そんなの、カオルちゃんの顔見ればわかるよ」
「そ、そうかな…」
ここまで見事に言い当てられると、もう何も言えない。
「う〜ん、それにしてもカオルちゃん、やっぱりお兄ちゃんのこと好きだったんだね」
こうなると言い逃れはできない。
「…うん」
素直に頷いた。
「じゃあ決まりだね。マナカちゃん」
「ええ。カオルさん、行きましょうか」
「行くって…どこに?」
「私の家です。そこでカオルさんに告白のテクニックを伝授してあげますよ」
「こ、告白!?そんな、いきなり告白だなんて…!」
「ダメだよ、カオルちゃん。のんびりしてたら、本当にお兄ちゃん取られちゃうよ。それでもいいの?」
「えっ…よくは、ないけど…」
「なら迷う必要はないですよ。後はカオルさん次第です」
いつになく真剣な表情のマナカとカナミ。
(そう、だよね。このままじゃダメなんだ…)
二人の表情に、私の決意は固まった。
「カナミ、マナカ…お願いします」
「うん、私たちに任せといて!」
「私たちもできる限りサポートしますから」
「うん…ありがとう、二人とも…私、頑張るね」
やっぱり持つべきものは友達だ。思わず目頭が熱くなる。
だから私は、この時の二人の含みのある笑みに気が付かなかった。



「で、何をするの?」
場所はマナカの部屋。カナミは何か準備があるとかで、遅れてくるそうだ。
「そうですね…まずは、カオルさんに男と女について詳しく知ってもらいます」
そう言うとマナカは本棚から数冊の教科書を取り出した。
「保健体育?」
「そうです。まずこれを使って正しい知識を身に付けましょう。
カオルさん、赤ちゃんはどうやってできるか知っていますか?」
「えっ…それはその…キ、キスで…」
「違います」
「えっ、違うの?あっ、じゃあコウノトリが運んで…」
「それも違います。予想はしてましたけど、ここまでとは…。
カオルさん、保健体育の授業を受けたことはないんですか?」
「ああ…よく分かんなかったから寝てた」
「…まあいいでしょう。いいですか、赤ちゃんは男女の性交渉、いわゆるセックスによってできるんです」
「…何それ?」
「詳しくは実際に見てもらった方が早いですね。カナミちゃんを待ちましょう」
待つこと数分。
「お待たせ〜。お兄ちゃん、随分分かりにくい所に隠してたから、時間かかっちゃった」
カナミが大きな袋を手に入ってきた。その中身は…
「ビデオ?」
「そう。カオルちゃん、これを見れば男と女のことがよ〜く理解できるんだよ」
「そうなんだ…映画か何か?」
「まあ実際に見てみましょう」
マナカは袋の中からビデオを一本取り出し、デッキにセットした。
そして十五分後。
「な、な、何コレ…」
画面に映し出される異様な世界に、私は言葉を失った。
「何って…これがセックスですよ。赤ちゃんはこうやってできるんです」
マナカが答えるが、私はそれどころではない。あまりにショッキングな映像に気を失いそうだ。
そんな私にお構いなしに、マナカの声は続く。
「これがペッティング…これがフェラチオですね」
画面を指差し、男女の行為一つ一つに解説を加えていく。
(そ、そんな…みんなこんなことしてるの…?)
裸になった男女が体を絡めあい、獣のように互いを貪っている。
キス一つ見ても、私の憧れた甘いキスではなく、舌を絡める激しいものだった。
「あの…マナカ、カナミ…もういいから…」
見ていられなくなって、ビデオを止めようとした。
「ダメだよ。ここからが肝心なんだから」
カナミに止められた。
「肝心って…でも…」
「頑張って告白するんでしょ?」
それを言われると弱い。頑張ると言ったのは私なのだ。
「うん、ごめん…最後まで頑張るよ」
テレビの前に座り直し、赤面しながらも画面を凝視する。
結局、最後に男の人が女性のお腹の上に何か白いものを出すところまで、バッチリ見てしまった。




「ふう…どうでしたか、カオルさん?」
「いや、どうって言われても…」
今だに目の前の光景が信じられない。悪い夢でも見てるみたいだ。
「だいたい、これと告白とどういう関係があるの?」
「見て分かりませんでしたか?これこそ告白の極意ですよ」
「…どういうこと?」
「身も心も結ばれれば、必ず成功するってことです」
「身も…心も…って、ちょっと、まさか…」
「カオルさんとシンジさんが同じことをするんですよ」
「え、え、えええぇぇぇーーーーッ!!!」
「そんなに驚かなくても…大丈夫ですよ、やり方はちゃんと教えてあげますから」
「無理無理ムリムリ、絶対無理!!!」
「無理って…何で?頑張るんでしょう?」
「そうだけど…だ、だ、だってこんな…私とシンジさんが、こんな…!」
あまりのことに、パニックを起こす。
「カオルちゃん、ちょっと落ち着いて。私たちの話をよく聞いて」
「だって…」
「いいから聞いて。これは、恋人ならいつかは必ずすることなんだよ」
「そうです。愛し合うカップルにとって、愛情を確かめ深め合う最高の手段なんですよ」
「そう、なの…?で、でも、だったら恋人になってからでも…」
「「甘い!!!」」
ビシッ!と二人が私を指差す。何でこんなに息ピッタリなの?
「いい?のんびりしてる時間はないの!ちょっとくらい強引な手を使ってでもいかなきゃ!」
「既成事実を作るんですね。そうすれば一発です」
「既成事実って…」
「一度ヤッてしまえば、もうシンジさんは逃げられません」
「逃げるってアンタ…」
何なんだろう。よく分からないが、何か大きな間違いを犯している気がする。
まだ覚悟が決まらないでいる私に、カナミがトドメの一言を放った。
「お兄ちゃんのこと好きなんでしょう?」
「う、うん」
「なら大丈夫。絶対うまくいくから!」
「ええ、私たちが保証します」
やけに力強くマナカが胸を張る。
多少引っ掛かる所もあるが、私ももう後には引けない。
「分かった…私、やってみるよ!」
「そうですか!じゃあ早速次のステップに進みましょう」
「次って?」
「「実践練習」」
そう言うと二人が私にゆっくり近付いてくる。
「えっ、ちょっと…実践って…嘘、ちょっ、待っ…あああぁぁぁーーー!?」
それから二時間。その部分の記憶がない。何があったんだっけ…?




そして一週間後。あれから私は、毎日みっちりとレクチャーを受けた。
正直、どれもこれも私の価値観を根底から覆す代物だったが、全てはシンジさんに告白するためだ。
そう。今日、私はシンジさんに告白する。
そのための細かい計画も、全てカナミとマナカが立ててくれた。
その計画によると、まず私がカナミの家に入り、シンジさんが帰宅するのを待つ。
シンジさんが帰宅したところで、カナミとマナカが家を出て私一人になる。
後は教わったことをフル活用して、思いを伝えるだけだ。
カナミの部屋で、シンジさんの帰宅を待つが、どうも落ち着かない。部屋をウロウロしている。
「カオルちゃん、座ったら?」
「そうですよ。今更緊張しても、良い結果は得られませんよ?」
「うん、分かってるんだけどさ…」
今から告白するというのに、落ち着けというのは少々酷だ。
「ただいま〜」
シンジさんが帰ってきた。その声で、心拍数が一気に跳ね上がる。
「うわっ、帰ってきちゃった!ど、ど、どうしよう!?」
「大丈夫、落ち着いてカオルちゃん。絶対うまくいくから。自信を持って!」
「じゃあカナミちゃん、私たちは出ましょうか。カオルさん、良い報告を期待してます」
そう残し、二人は出ていってしまった。が、一人になると逆に冷静になれた。
(やるだけのことはやったんだから、後はベストを尽くすのみ。行くぞ、私!)
意を決してシンジさんの部屋に向かう。
ドアの前に立ち、大きく深呼吸。そしてドアをノックする。
「はい?」
中から声が返ってくる。
「カナミか?入ってこいよ」
「あ、あの、シンジさん、私カオルです」
「カオルちゃん?どうしたの?カナミは?」
「カナミは用事があるとかで出かけました。あの、私、シンジさんにお話があって…」
「そうなの?まあそこじゃ何だし、汚い部屋だけど入ってよ」
「はい、失礼します…」
ゆっくりとドアを開けた。
「カオルちゃん、どうし…た…の…」
シンジさんの声が、途中で凍り付く。私のこの格好を見れば、それも当然だろう。
『その格好で迫れば、どんな男もイチコロよ!!!』
カナミにはそう言われたが、この格好は正直かなり恥ずかしい。
「あ、あの、カオルちゃん?何で、下に何も着てないのかな…?」
そう、私が身に着けているのは大きめのコート一枚だけ。残りの服は、カナミの部屋で脱いできたのだ。
そのコートも、一気に脱ぎ捨てる。
「ちょっ、カオルちゃん!?何やってんの!?」
シンジさんが慌てて目を逸らす。
『シンジさんが目を逸らしたら、チャンスです。そのまま押し倒して下さい』
シンジさんを押し倒した。
「うわっ!ちょっとカオルちゃん、何やって…」
「シンジさん、私の話を聞いてもらえますか?」
抗議の声を遮る。
「な、なに?」
「好きです。私を…私を抱いて下さい!」
「な、な、なにィィーーー!?」
シンジさんが絶叫する。
「カ、カオルちゃん、自分が何言ってるか分かってんの!?っていうか、何処でそんな言葉を!?」
「カナミとマナカに色々教えてもらいました。あの、こうすれば絶対成功するって…」
「なッ…!」
私はシンジさんに、この一週間のことを説明した。
「カナミいわく『いくらお兄ちゃんでも、ここまでされたら狼モード確実!』だそうで…」



私の言葉に、ガックリとうなだれるシンジさん。
「アイツは…何を考えてんだか。ごめんね、カオルちゃん。アイツ等にはよ〜く言っとくから。
だからその…一旦服を着てくれるかな?」
「え、何でですか?」
「いや、何でって…この状況は明らかにおかしいからさ…。
それにカオルちゃんだって、アイツ等に言われてこんなことを…」
「だって…その、するんじゃないんですか?服着たままじゃ邪魔でしょう?」
「はい!?」
「私が観たビデオでは、女の人が服を脱ぐと、男の人は誰でもこう、ガバッと…」
「あ、あのね、カオルちゃん…そりゃ確かに男はそういう生き物だけど、いくらなんでも…」
「あっ、そうか。私が上に乗ってちゃ何もできませんよね」
立上がり、ベッドに向かう。
「あの…どうぞ…」
ベッドに転がり目を閉じる。
ここまではカナミたちの言った通りの展開、教えられた通りの言葉。
この後私は、ビデオの中の女性達と同じことをされるのだろう。
大丈夫、覚悟はできている…はずだ。
足音がゆっくりと近付いてくる。未知のモノへの恐怖に体が強張る。
(大丈夫、シンジさんならいいって、決めたんだから…)
―バサッ―
何かが覆い被さってきた。だけど、人にしてはやけに軽い。
(えっ…?)
私に覆い被さったのは、シンジさんではなく、脱ぎ捨てたコートだった。
顔をあげると少し離れた所にシンジさんが立っていた。
「シンジさん…何で…?」
「カオルちゃん、そのままでいいからちょっとオレの話を聞いてくれるかな?」
「えっ…はい」
「さっきの話で、カオルちゃんの気持ちはだいたい分かった。すっごく嬉しいよ。
でもね、だからってこんな形で君を抱いたりとかはしたくないんだ」
「それって…私に魅力がないから…」
「そうじゃない。まあいいからもう少し聞いてよ。
カナミ達が何を吹き込んだのかは知らないけど、それは全部忘れて。
こういうのって男には分かんないんだけど、女の子にとってはすごく大切なことだと思うんだ。
だからこんな形で君の純潔を奪いたくない、てのがオレの本音なんだけど」
「それは、ダメ…ってことですか?」
シンジさんの言うことはよく分かる。それが私のことを考えての言葉だということも。
だけど、言葉は柔らかいが、それは遠回しな拒絶なのではないか。
そう考えると、涙が出そうになる。
「だから違うって。オレの言い方が悪かったかな」
いつも通りの優しい顔で、シンジさんが言う。
「カオルちゃんは魅力的だと思うよ。オレも正直かなり無理して我慢してる。
だけどホラ、こういうのって順番が大切だろ?
焦らなくても時間はあるんだしさ、二人でゆっくりやっていこうよ」
「えっ…それって…」
「うん、これからヨロシクね、カオルちゃん」
ヨロシク。この言葉が耳に入ってから脳に届くまでに、タイムラグが生じる。
そして意味を理解した時、私は考えるより先に動いていた。
ベッドから飛び降り、シンジさんに抱き付く。そんな私を、シンジさんが抱きとめてくれた。
「あの、本当にいいんですか?私、男みたいだし、可愛くないし、胸だって小さいし…」
「ハハ、言ったろ?カオルちゃんは魅力的だって。そういうの全部含めて、カオルちゃんなんだよ」
「はい…」
表しようのない感情が私の中を駆け巡る。幸せ?喜び?何でもいいや。
「あの、シンジさん…一つだけ、お願いしていいですか?」
「なに?」
「その…キス、してもらっても、いいですか?」
好きな人と口付けを交わす。子供の頃からの夢。
シンジさんの唇が、私の唇に重なった。
柔らかく、暖かく、優しいキスだった。
レモンの味は、しなかったけど。



その後、戻ってきたカナミとマナカに説教するシンジさんを眺めながら、私はこれからのことを考えていた。
念願かなって恋人を作ることができ、キスまでできたのだが、やりたいことはまだたくさんある。
(砂浜で追いかけっこして、ゴハンの食べさせあいっこして…あ、あとこないだのコートのやつも!)
今までドラマの中だけだったことが現実になるのかと思うと、顔がニヤけてしまう。
(それに、いつかは…)
まだ説教を続けているシンジさんに目を向ける。
いつかは、シンジさんとあんなことをする日も、来るんだろうか。
小説には出てこなかったけど、それも、いいかもしれない。
(シンジさんとなら、ね)
それがいつかは分からない。だけどその時はその時だ。
それまでは、ドラマのような甘い恋を、楽しむとしよう。


(fin)

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