作品名 |
作者名 |
カップリング |
『ヒロ君』 |
長時間座ってると腰にくるね氏 |
- |
「井戸田ー、私らに水着の仕事は無いのー?」
「以前も言ったろう?君やユーリちゃんは、まだ水着着て撮影するには幼過ぎるって」
「ちぇっ、良いじゃん別に」
「多分前例が無い。少なくとも、市販の、年齢指定の無い雑誌の巻頭グラビアで
小中学生が水着撮影なんてのはね」
「前例なんて、私らが作れば良いじゃん。小倉悠子がグラビアで開脚お座りで撮影した時だって
それまで前例が殆ど無くて、一部は騒然としたもんだよ」
「そんなの知らないよ……第一、撮影するのは俺じゃない。文句を俺に言われても困る」
仕事帰りの車中の、いつもと殆ど同じ会話。
スタイル良くないくせにやたらと水着で撮影したがるシホと、それを諌める井戸田。
井戸田は、何度言っても納得しないシホの隣で、カルナに無言で助けを求める。
しかしシホが、言って聞くようなタイプでない事を理解しているカルナは、華麗にスルー。
ユーリはメイド服を気に入っているのか、水着には拘らないため、シホの気持ちがわからず、やはりスルー。
こうして井戸田だけが毎回愚痴を言われる。毎度のパターンだ。
アイドルの愚痴をきいてやり、幾分ともストレスを和らげてやるのもマネージャーの務め。
とは言え、シホの愚痴は大抵がただの我侭に過ぎない。
しかし、こう毎日同じ言い合いを見せ付けられては、カルナもいい加減うんざりしてくる。
シホを納得させるのは無理でも、黙らせる事ぐらいなら、出来ないものか。
しばし考えた後、カルナは先輩の言葉を借りる事にした。
「とりあえず、井戸田さんを呼び捨てするのは止めなさいな。小池先輩も言ってたでしょう?」
和解に近い状態にあるとは言え、小池マイは今でも、シホの無礼さを許容しようとは思っていなかった。
彼女はシホと顔を合わせる度に、マネージャーに対する口のきき方を注意していた。
もっともそれは、顔を合わせるたびに礼儀をわきまえない口のきき方をする、シホの方の責任が重かったが。
「何よ、あたしが井戸田をどう呼ぼうと、関係無いじゃん。今は水着の話してんの」
「水着着用の撮影は、アンタがもっと分別を弁えてからの方が良いわ。
今のシホじゃ、撮影中にどんな卑猥なポーズするか、わかったもんじゃないもの」
久方ぶりに場をとりなそうとしてくれるカルナに感謝しながら、井戸田は浅く溜息を吐いて、気分を整えた。
「……で、井戸田を呼び捨てにするのを止めたら、水着撮影出来るわけ?」
「直結はしないわよ、確かに。でも、目標に一歩近づけるでしょうね。
井戸田さんも言ってる通り、水着撮影なんてのは、せいぜい高校生以上のアイドルがする事よ。
身体的にも精神的にも大人に近くなければ、色っぽいグラビアなんて猫に小判みたいなものよ」
カルナ自身、まだ水着で撮影した事が無いので、この辺りの理屈に経験則は伴わない。
シホを黙らせるためのとりあえずの手段でしか無いので、理屈的に正しいかどうかは別問題だった。
もっとも、あながち外れてもいないだろうとは、カルナ自身も思っていたが。
「でもなぁ……今更私が、井戸田さん、って呼ぶの?何かおかしくない?」
そんな事はどうでも良い。当座の目的は、シホの関心を水着から遠ざける事だ。
ある程度失礼でさえなければ、シホが井戸田をどう呼ぼうが、カルナには興味が無かった。
「あ、井戸田さん。私ここで降ります。今日は寄りたいところがあるんで」
そう言って、カルナは車を降りていった。普段は一番最後に車を降りるのだが、今日は例外のようだ。
カルナが降車した事で、井戸田は焦った。
今は落ち着いているが、もしまたシホが暴走すれば、それを抑えられる者がいない。
ひょっとするとユーリに期待出来るかもしれないが、小学生に損な役を押し付けるわけにはいかない。
そもそも、一番年長である自分がうまくシホをコントロールしなければならないのを、カルナに頼ってきたのだ。
今後もカルナちゃんがいない時のために、練習のつもりで覚悟しておくか……と、井戸田は腹をくくった。
「ねぇねぇ、井戸田ぁ。カルナはあぁ言ってたけど、実際何て呼んでほしい?」
「え、いやぁ……何でも良いんだけど。ただ、売り込みに行った時とかに
相手先に与える印象の問題もあるからねぇ。あんまりイメージダウンするような口調でなければ、何でも」
井戸田は無難な答え方だと判断してこう言ったが、選択の余地を残してやると暴走するのがシホである。
その事をすっかり失念していた。
「じゃ、ヒロキで!」
「う……う〜ん、どうだろう……出版社の人とかに、どう思われるかな……」
井戸田は想像を巡らせてみた。
グラビア撮影のために売り込みに行った先の出版社で、担当の人と会う。
↓
はじめまして、レイ・プリンセス営業担当の井戸田ヒロキと申します。
本日は我が社の新人アイドルグループ、トリプルブッキングの宣伝に参りました。
ほら、みんな。挨拶して……と場を繋ぐ自分。
↓
はじめまして!飯田シホでしゅ!(かむ)
はじめまして、有銘ユーリです!カミソリに負けま(以下略)
……。はじめまして、如月カルナです。
↓
え、えぇ〜と……まぁ、こんな感じですが、使っていただけませんかね?と打診する自分。
↓
おいおい、もっとシャキッとしろよ、ヒロキぃ……と、人前で不遜な態度をとるシホ。
↓
いきなりモチベーション下がったのは誰のせいだと思ってる……という言葉を飲み込む自分。
↓
何だこいつら、と内心呆れかえる担当者。
……駄目だ、呼び捨て云々よりも、他に問題が山積みだ。
口調そのものが悪いのもあるし、それ以前に性格的な問題もある。
シホだけでなく、冷静に考えればユーリも危ない。
よくもまぁこれで前回はメイド服着用でのグラビアの仕事が得られたものだ。
小田さんに感謝をしなければ。
しかし兎も角、当面の問題はやはりシホであろう。
ユーリはまだある程度常識を備えている。業界の経験も長いから、敬語は使える。
しかも成長過程の子供だ。矯正の余地はいくらでもある。
となると、学習能力の低そうな(あくまで印象だが)シホを優先して教育するべきだろう。
そうとなれば、出来る範囲から改善を進めていくしかない。
一番矯正しやすそうなのは、やはりマネージャーに対する呼び方か……。
「やっぱり、人前で『ヒロキ』はちょっと砕け過ぎかなぁ」
「じゃあ、私に『井戸田さん』って呼べっての?それはキャラ的に……」
確かにそうだ。いくら何でも不自然過ぎる。というか、シホにさん付けで呼ばれると気味が悪い。
「ねぇねぇシホちゃん。他の人にも意見聞いてみたらどうかな?」
「他の人……ねぇ……。マイやカルナは『少しくらい不自然に思えても、井戸田さんって呼びなさい』
とか言ってきそうだし……社長や三瀬っちは何て言うだろう。小田さんは……喋らないし……」
「社長さんや三瀬さん達には、明日事務所に行った時にでも聞いてみたら良いんじゃないかなぁ。
とりあえず、今は他に手近な相談者はいないの?」とユーリが続ける。
小学生とは思えない、妙にテキパキした会話運びだ。さすが芸歴九年は伊達じゃない。
「他に相談できる相手ねぇ……あ、そうだ!」
シホはケータイを取り出すと、先日登録されたばかりの番号に電話をかけてみた。
PPPPP……PPPPP……
数秒のコールの後、目的の人物が電話に出た。
「はい、もしもし」
「あ、アヤナ?久しぶりー」
その名が、以前一緒にカラオケに行った事のある若田部アヤナの事だと井戸田が思い出すのに
五秒程のラグを要した。
「マネージャーさんの呼び方……?そんなの、私に相談されても……」
「やっぱりそっかぁ……うん、ごめんね。いきなり電話かけて。じゃあ」
まさかアヤナに電話するとは思ってもみなかった。普通、先にクラスメートにでも相談するだろうに。
或いはアヤナは高校生だから、シホの級友達より社会性が備わっていると判断しての電話だろうか?
もしそうだとするならば、シホが次に電話するであろう相手は、容易に想像がつく。
「シホちゃん、そんな小用で、つい先日知り合ったばかりの子達に電話するの?」
「わかってないなぁ井戸田は。こういう細かい事の積み重ねで、仲の良さをキープしとくのよ」
なるほど、一理はある。
携帯電話が流行し始めた頃、世間にはそれを批判する者が多くいた。
直接会って話す機会が減る事で、友人や知人との関係が希薄になる可能性がある、というのがその論拠だったが
当時から、携帯電話を使う若者には、その説が全く的外れである事がわかっていたものだ。
直接会わなくても話せるからこそ、会わない時でも関係をキープしていられるというものだ。
シホはある意味で、携帯電話というメディアを正しく使いこなしてみせる若者の代表かもしれなかった。
シホはなおもボタンをプッシュする。再びコール音。
「あ、リン?相談したい事があるんだけどさぁ」
的山リンコは、ユーーリと一緒にどらーもんの歌を歌った子だ。
それがきっかけで、ユーリとは一日で仲良しになったようだった。精神年齢の近さも要因だったかもしれない。
「リンちゃんと電話してるの?シホちゃん」
「あ……ちょっと待って、ユーリと換わるからさ。……はい、ユーリ」
そう言ってシホは、ユーリにケータイを手渡す。
ユーリとリンコの仲の良さを理解しての、彼女なりの気遣いのようだった。こういうところは少しお姉さんだな、と思わされる。
「わぁ、ありがとう、シホちゃん。……もしもしリンちゃん?元気だったー?」
ユーリの声も楽しげだったが、受話器の向こう側から、同じように楽しそうな明るい声が聞こえてくる。
「うん、うん……あ、写真見てくれたんだー。私達、可愛かった?……ありがとー!照れちゃうなぁ。
……それでね、今日はリンちゃんに聞きたい事があって電話したんだ。
……ううん、私じゃなくて、シホちゃんの事なんだけどね。実はカクカクシカジカで……」
通話を終えて、ユーリはシホにケータイを返した。
「リンは何て言ってた?」
「リンちゃんもアヤナちゃんと同じ。よくわかんないって。ただ、えっとねぇ、小久保さんって男の人、いたでしょ?
リンちゃんは小久保さんを、普通に小久保君、って呼んでるらしいよ。一応参考までにって教えてくれた」
「そっかぁ……じゃあ私だったら……井戸田君?」
それもまた妙な話だ。マネージャーに対する態度としては、まだ呼び捨ての方が自然かもしれない。
「そう言えば、アヤナちゃんは、小久保君の事何て呼んでるだっけね?」
交差点でゆるやかにカーブをきりながら、井戸田は疑問を挟んだ。
その疑問に答えたのはシホだった。
「確か、リンと同じだよ。小久保君って。あんたは知らないだろうけど、
こないだの某ファーストフード店で、確かそう呼んでたハズだから(『しかめっ面眼鏡』13段落目参照)」
言いつつ、シホは既に次の番号をプッシュしていた。
「あ、もしもしミサキー?」
「私は彼の事は、マサ君って呼んでるよ。小さい頃はマサちゃんだったかな。
ただ、一時期は小久保君とか、お兄ちゃんって呼んだりしてたけど……」
「何それ?何か地味に遍歴偏ってるなぁ……」
「い、いろいろあったんだよ!小久保君って呼んでたのは、少し疎遠だった頃だし
お兄ちゃんって呼んだのは、アイ先生と、もう一人、中村先生って人に騙されて……」
「ふーん……まぁ良いや。ありがとねー」
これにて電話は終了である。まだアイに電話をかけていないが、彼女はカラオケで
小久保君と呼んでいた記憶がある。もっともそれはこのSSの作者のミスで
実際には家庭教師時代からマサヒコ君と呼んでいたのだが、それは忘れてもらいたい。
今度からちゃんと、可能な限りマサヒコ君と呼ばせるので、この件は水に流して……いや、話が逸れた。
シホは思い切って、井戸田をお兄ちゃんと呼んでみる事にした。
「お兄ちゃん♪」
突拍子の無さに、井戸田が思わずハンドルをきり損ねてしまうとまでは、予想していなかった。
と言っても一瞬車の挙動がおかしくなっただけだ。若干左右にふれたとは言え、車線からはみ出したわけではない。
しかし、同乗しているユーリの気分が悪くなるのには十分だった。
十歳前後と言えば、成長期である事が関連しているのか、三半規管が通常より弱い時期だ。
「う……なんか、気分が……」
「ご、ごめんユーリちゃん!っていうかシホちゃん。何でいきなりお兄ちゃん、なんて……?」
「ミサキはマサの事、そう呼んでた事もあったらしいよ。だから私も呼んでみた」
やはりシホは、放っておくと暴走する。止め役のカルナが車を降りてしまっているのが痛い。
「あのねぇ……本当に今後、その呼び方で通すつもりかい?」
「駄目?」
「出版社の人たちの前でも、マネージャーをお兄ちゃんと呼ぶのかい?それはちょっと……」
なまじメイド服で撮影した事があるだけに、シホの「お兄ちゃん」は、シャレになっていなかった。
まぁ「お兄様」とか「ご主人様」とか呼ばれるよりははるかにマシだが、印象はどちらも良くないだろう。
「それに、ミサキちゃんは普段から、小久保君の事をお兄ちゃんって呼んでるわけじゃないだろう?」
「うん、あぁ、最近はマサ君って呼んでるんだってさ」
井戸田はしばし一考してみた。
ヒロ君……か。まぁ悪くはない。これなら、売り込み先の人にも、特に違和感はもたれないだろう。
単に少々くだけた仲のアイドルとマネージャー、という印象で済む。井戸田君などと呼ばれるよりは自然だ。
「良いんじゃないかな、それで。無難だよ」
一方、シホはシホで考え込んでいた。
ミサキは、小さい頃はマサちゃんと呼んでいて、次第に「小久保君」や「お兄ちゃん」を経て、現在では「マサ君」になったと言った。
「小久保君」と呼んでいた頃は疎遠だったと言っていたし、
「お兄ちゃん」と呼んだ時にしても、まさか付き合っていたわけではあるまい。
付き合っていて尚「お兄ちゃん」と呼ぶような、二次元くさい呼び方をするような女の子には見えないからだ。
「マサ君」と呼び始めたのがいつかは定かではないが、しかしそう呼ぶようになったキッカケがどこかにあったハズだ。
そのキッカケが何なのかはわからないが、そのキッカケがあったからこそ二人の仲は進展し、
そして現在はれて付き合っている、という流れだろう。
付き合う前から「マサ君」と呼んでいたのか、付き合い始めてから「マサ君」と呼ぶようになったのかは、この際どうでも良い。
ここで重要なのは、限りなく近しい仲に発展したからこそ、「マサ君」と呼ぶ事が実に自然に見える、という事である。
シホは少し顔を赤くすると、再び井戸田の方に、顔だけ向き直った。
「ヒ・ロ・君♪」
今度は、井戸田も手を滑らせる事は無かった。ただ、シホの突然の明るさに、訝しくは思ったようだ。
「何か、そう改まって強調して言われると、どうもなぁ……」
「良いじゃん、ヒロ君で。自分でそう言ったっしょ?
そん代わり、私の事もシホちゃんじゃなくて、シホって呼んで良いよ」
「はは……そうだな、気が向いたらね」
軽く流しただけの、大人流の対応だったが、シホはそれで満足した。
ユーリは、以前も帰りの車中で、シホが井戸田にそれとなくアプローチしていた事を思い出して
ほんの少しだけクスッと笑った。
翌日から、シホは井戸田を「ヒロ君」と呼んでいた。
「ヒロ君。取材の練習付き合ってー」
「やるからには、本番のつもりで真剣にね」
井戸田の言葉に反応して、シホは顔を赤くした。
「いきなり本番って……せめて前戯から……」
「え〜〜……」
井戸田の言葉に必要以上に妄想するシホと、予想外の反応に戸惑う井戸田。
それを眺めていたカルナは、どうせまた昨日あの後にでも、シホの中で要らん心理変化が起こったのだろうと解釈した。
車中の電話での経緯も、ミサキが彼氏を呼ぶ時の呼び方なども、一切カルナは知らない。
しかし、昨日自分が車を降りた後で、シホの心理に影響を与える何かがあって、その結果シホの井戸田に対する意識が
以前にもまして強まったという事だけは理解出来たのだった。
「理想のタイプの男性は?」
「たろりがいがあるしととか(焦」
頼り甲斐のある人……今のシホにとっては、アイドルとマネージャーという立場上、井戸田がそのポジションにあたるだろう。
暗に井戸田へのアプローチが含まれた発言ともとれる。
必要以上にかんでいるところを見るあたり、明らかに目の前の井戸田を意識し過ぎて、焦っているようだ。
……ま、せいぜい頑張りなさい、シホ。
傍から見てると単なる兄妹にしか見えないけれど、今のところ。