作品名 | 作者名 | カップリング |
「龍虎婚約大合戦 -接触篇-」 | トモコト氏 | - |
小久保マサヒコは殴られていた。 実の母親に情け容赦無く殴打されていた。 「この馬鹿!!」 「アホ息子!!」 「親不孝者!!」 「人でなし!!」 「キャベツ!!」 「脳!!」 「小鳥!!」 あらん限りの罵声を息子に浴びせる母。 上半身を「∞」の軌道で高速ウェービングさせ、その反動を利用して次々とパンチを繰り出ていく。 古の必殺ブロー「デンプシー・ロール」の再現である。 ボクシングファンが見たならば快哉を叫んだであろう光景も、殴打されているマサヒコにとっては単に地獄絵図でしかなかった。 「ぐはっ!?」 「げふっ!?」 「ぐがっ!?」 「ひでぶ!!」 「あべし!!」 拳を受ける度にマサヒコの頭蓋は大きく揺れ、少しずつ意識が遠のいてゆく。 何か遠くの方にお花畑が見えてきている。 彼の生命は風前の灯火だった。 何故にこのような事態になったのか。 事の発端は数日前に遡る。 「ぶべらばっしゅあんとりっひ!!!!!??????」 奇妙な音を発しながら、若田部アヤナは飲んでいた紅茶を吹き出した。 その飛散した雫に七色の美しい虹がかかる。 「と、父さん…いま何て言ったの!?」 鼻の穴から紅茶が垂れているのも一向に構わず、アヤナは父親に詰め寄った。 「まぁ、落ち着きなさい。ほら、これで鼻を拭いて」 その剣幕に特に臆するところもなく、父親は落ち着いた動作でハンケチーフを娘に差し出した。 「ありがと」 律儀に礼を述べてそれを受け取り、鼻から出ている紅茶を丁寧に拭き取るアヤナ。 ふう、と満足げに一息ついた後、彼女はあらためて父親に食って掛かる。 「で、なんなの、さっきの話は!? 冗談にしては悪質すぎるわよ!」 「なんだ、冗談だと思っているのか?」 「当たり前でしょう!!」 「そんなにおかしな事かね?」 「お・か・し・い・わ・よ!!」 娘の断言に、父親は困ったような表情を浮かべた。 「良い話だと思うんだがなぁ…」 「なにが良い話なのよ! 私と小久保君が…その…こ、こここここ…」 そこまで言うと、それまでのアヤナの威勢の良さが一気に衰えた。 頬を赤らめ俯き、羞恥に満ちた消え入るような声で言う。 「…婚約…だなんて……」 「小久保君との婚約」という言葉がよほど恥ずかしかったらしく、それ以降アヤナは顔を赤らめたまま黙り込んでしまった。 そんな娘の姿を見て、父親が「得たり」という表情で笑みを浮かべた。 「お前さえ良ければ、明日にでも向こうのご両親へ話をつけに行くのだがね…」 「!!!!」 ギョっとして、思わずアヤナが立ちあがる。 「ちょっと、止めてよそんな事! 悪ふざけも大概にして! お願いだから!」 「まぁ、落ち着いて最後まで私の話を聞きなさい。まずは座って。ほら、シーット・ダウン」 真っ赤な顔で金切り声をあげるアヤナを、父親は柔らかな口調で諭す。 それが効を奏したのか、アヤナはしぶしぶといった感じで椅子に腰を下ろした。 「いいか、アヤナ。何事も先見性が大事だ。私達が関わっているビジネスにおいても、将来性のある企業・経営者を早期に見極めることに重きを置いているのだよ」 「…うん。でも、それとこれとが何の関係…」 「だから、最後まで聞きなさいと言っているだろう?」 「…」 異議を申し立てようとしたアヤナだったが、絶妙の間で父親に制止されてしまった。 このあたりは流石に年の功である。 「優良物件を手に入れようと思うならば、それが優良物件になってからでは遅い。優良物件になる兆候を早期に掴み、早い段階で確実に手に入れるのが賢いやり方なのだ」 「その論旨はよく分かるけど…」 話の筋が見えないといった風情のアヤナに、父親がニヤリと笑いかける。 「恋愛・結婚の相手についても同様だとは思わないかな?」 「!!!! まさか!?」 ここに到って、アヤナにも父親の考えていることがハッキリと分かった。 「そのとおりだ」 父親が目を細める。 「…小久保マサヒコ君といったな。彼は稀に見る優良物件だよ」 「……」 「……」 しばしの沈黙。 そして。 がたぁんと派手な音をたててアヤナが立ちあがり、声もあらん限りに叫んだ。 「なぁにをぉぉ考えてぇんのよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!!!」 その声は、3.28km離れた小池さん宅にまで届いたという。 それはそれとして。 娘の凄まじい絶叫をものともせず、父親は穏やかに微笑んで言った。 「親が考えているのは、いつだって我が子の幸福だとも」 「ふっざけないで!!」 アヤナが父親の胸倉を乱暴に掴む。 が、すぐに離して頭を掻き毟り始めた。 「…ああもう、どこからツッコめばいいのかしら…! …とにかく事態を整理しないと…」 自分を落ち着かせるため、おもむろに深呼吸を始めるアヤナ。 そんな娘をニコニコしながら見ている家族。 変な光景ではある。 「…まず最初に…」 どうやら混乱が収まったらしく、アヤナが父親の方へ向き直って言葉を紡ぎだした。 「私には結婚なんて早すぎるわ。それに、結婚そのものをするとも限らないし。私の将来を勝手に決めないで」 「確かにそうだが、この件に関してはお前のためになると確信しているよ」 「…っ!」 笑いながら応える父親にガンを飛ばしながら、アヤナは言葉を続けた。 「…次に…ここが要なんだけど…どうして小久保君なの?」 アヤナの真っ直ぐな視線を受け、父親が深く頷いた。 「うむ。確かに要だな。大事なところだから私もしっかりと話そう」 やあやって椅子に座り直して黙考をした後、父親はゆっくりと語り出した。 「はじまりは…そう、去年の聖夜だったな。お前が友人達を我が家に招待した時だ。自尊心の高さゆえか、なかなか友人ができないお前を私達も心配していたのだが、それでも2年生に進級してからは、おりをみて級友をここへ呼ぶようになったので喜んだものだよ」 「…」 アヤナは茶々をいれず、じっと父の言葉に耳を傾けている。 「それでも、安心していられたのは、お前が招待するのが女の子だけであった時までだ。あの夜、お前が小久保少年を我が家に連れてきた時、私は年甲斐もなく頭に血が上ってしまったものだよ」 「確かに…私が男の子を家に呼んできたことなんて無かったものね…」 「ああ。お前が同年代の少年達を苦手としていることを知っていたから、なおさら驚いたものだ。ん…むぅ…」 「? どうしたの父さん?」 急に話を止め、きまりが悪そうにソワソワしだした父の様子を見て、訝しげにアヤナが訊ねた。 「う、うむ。ここから先は話しづらいのだ。 …私のことを軽蔑するかもしれないが、どうか怒らず最後まで聞いてくれ」 懇願するかのような父親の視線を受けたアヤナは、一呼吸おいてから大きく頷いた。 「…いいわ。 …続けて」 娘の許可が出たものの、それでも父親は話を切り出せずにいた。 どうも、相当に良くない内容であるらしい。 「父さん!」 だが、待ちかねたアヤナが叱責の声を発すると、観念したのかうめくように語りだした。 「…実はな。どうしても気になったので、知り合いの探偵…神宮寺君というのだが…に小久保少年の身辺調査を依頼してしまったのだよ…」 「なっ!!??」 三度、アヤナが椅子から立ちあがった。 その顔は、今度は羞恥でなく怒りによって真っ赤に染まっている。 「最低! 陰でそんなことをするなんて! 恥を知りなさい!!」 吐き捨てるようにそう言うアヤナを、父親は必死になだめた。 「ま、待ってくれ! 最後まで話を聞いてくれ! 最初は、その結果がどうあれ干渉する気は無かったのだ。たとえ悪い男だろうと、お前にどうこう言うつもりはなかった。本当だ。だが…」 「だが、何よ?」 「彼は素晴らし過ぎたのだ…」 「え…」 「神宮寺君からの報告の中に彼を批判する言葉はなかった。あるのは、ただ、賛辞のみ」 「…」 「容姿端麗で性格に裏表がなく、社交的で友人想い、努力も厭わない。お前の始めての男友達がそのような好人物であると知ったとき、私は本当に嬉しかった。天に感謝すらしたよ」 ここまで一気に喋ると、父親は興奮した様子で立ちあがり、アヤナの両肩を掴んだ。 「なあ、アヤナ。お前は小久保君1人しか知らないから比較ができないだろうが、あれほどの好少年はそうザラにいるものではないぞ! 彼と婚約しなさい!」 「…いや、だから、そこで話が婚約まで飛躍するのが分からないんだけど…」 「…ちっ」 それらしい言葉で感動を誘って、なし崩し的に了解を取り付けようという父親の作戦は失敗に終わった。 415 名前:トモコト[sage] 投稿日:2005/08/15(月) 13:28:39 ID:hbxMn9Hb 「もう…。兄さんもボケっと見てないで何か言ってやってよ!」 次なる策を黙考している父の姿を見て大きく嘆息した後、アヤナは側にいる兄の方へ振りかえった。 ちなみに、アヤナの母親と兄は始めからこの場に同席していたが、父と娘のどちらに荷担するでもなく、ただ黙って静かにお茶を啜っていたのである。 ニヤニヤ笑いながら兄が応じた。 「奥さまは女子高生ならぬ、奥さまは女子中学生か。なかなか萌えるな…」 「何わけのわからないこと言ってるのよ…」 またも嘆息するアヤナ。 しかし、兄には最初から対した期待はしていない。 「…母さん!」 助けを求めて本命の母親に声を掛ける。 だが、その願いは通じなかった。 「アヤナ、私も良い話だと思っているのよ」 「…そんな、母さんまで…」 誌面楚歌。 自分の置かれた立場を知って、さすがのアヤナも軽い眩暈を感じた。 そんな娘の心境を知ってか知らずか、母親は優しく語り掛ける。 「そんなに難しく考えることはないと思うわ。彼には時間を共有するパートナーになってもらうのよ」 「時間を共有する…パートナー…?」 「そう。あなたはこれから人生で最も輝く時期…。若さと美しさ、そして本当の意味での自由に溢れた青春時代を迎えるわ」 母親はアヤナに向けて慈愛に満ちた笑みを浮かべる。 「同じ青春の時間を共有し、お互いを補い合って高め合う。良いパートナーに恵まれれば、あなたにもそんな至高の時を過ごせるのよ」 「…」 「もちろん、本当にお互いを高め合えるようなパートナーじゃなければ駄目よ。でも、小久保君なら大丈夫だと思うの。それは、あなたが一番よく分かるはずよ」 「そうだとも!」 話を聞いていた父親も、我が意を得たといわんばかりに身を乗り出してきた。 「恋人のいない青春時代は寂しいぞ。だからっといって、焦って変な男を捕まえても青春を台無しにすることになる。今のうちにしっかりと良い相手を選んでおくことこそが肝要だ!」 「で、でも…」 なんとか反論しようとするものの、両親の連携攻撃によってアヤナは動揺し始めていた。 勝機と見た父親が一気にたたみかける。 「では、お前は彼のことが嫌いなのか?」 明らかに誘導である。 だが、動揺して平常心を失っているアヤナはそれと判別できず、まんまと術中にはまり込んでいく。 「…嫌いじゃ…ない」 「一緒にいて不愉快にはならないのだろう?」 「…うん」 「できれば卒業後も縁を切りたくなかろう?」 「…それは…まあ…」 アヤナの脳裏にマサヒコ、リョーコ、アイ、ミサキ、リンコといった面々が浮かぶ。 始めて得た気の置けない人々。 できれば、卒業で別れ別れにはなりたくない。 それがアヤナの本心だった。 まだ攻勢は止まらない。 「高校で三年間がんばれば、彼なら東大にも受かるだろう!」 鼻息も荒く宣言する父親に、微笑みながら母親も頷く。 「ええ。アヤナ、あなたがそれを望むなら、彼はきっと努力してくれるでしょうね」 「小久保君が私のために努力…」 「想像してごらんなさい。彼とともにある未来を。それはあなたにとって心地よいものであるはずよ」 「小久保君と一緒の未来…」 完全に両親のペースに乗せられたアヤナは、言われるがままにマサヒコとともに過ごすという将来図を妄想してしまう。 それが運の尽きであるとも気づかずに。 (聖光からの帰り…私が駅から出ると小久保君が待っててくれて…) (それで家まで送ってくれて…) (休日には買い物なんかに行って…) (二人一緒に東大に合格して…それで…) 恍惚として妄想をしていたナヤナは、ついに決定的な一言を発してしまう。 「…確かにちょっと、いいかもしれない…」 その言葉を聞き逃す両親ではなかった。 満面の笑みを浮かべた父親が、勢い良く立ちあがる。 「そうか!お前も承諾してくれるか!いやー、よかった!!」 「本当。よかったわ。これで一安心ね」 「萌えだな!!」 「!? え、あ、ちょっと…」 我に返ったアヤナが慌てて何か言おうとしたが、時すでに遅し。 後の祭りであった。 よく晴れた土曜日。 小久保マサヒコは困惑していた。 先刻からずっと、自分に対する強い視線を感じるのだ。 非常に気になって授業どころではない。 視線の主は分かっている。 左後方の席に座っている若田部アヤナだ。 教科書を読んでいるフリでカムフラージュしているつもりなのだろうが、見られる側からするとモロバレであった。 それでいて、マサヒコがそちらを見ると慌てて視線を逸らしてしまう。 (? なんだあ?) どうにも気になって仕方がない。 結局、授業はほとんど頭に入らなかった。 「なあ、若田部…」 「ひゃいっ!?」 休み時間、マサヒコはアヤナの席へと向かい普通に声を掛けたのだが、彼女からは裏返った声が返ってきた。 「な、ななななななな…なに小久保君!?」 アヤナは何か異常に動揺している。 マサヒコは訝しげな表情を浮かべた。 「どうしたんだよ、お前…。なんかあったのか? 授業中もこっち見てたろ?」 そう言ってマサヒコじっと見つめると、アヤナの顔がみるみる真っ赤に染まった。 「え、あ、うん。その、ええっと…、その、なんていうか…」 マサヒコの顔を見ながら、しばし何か言いたげにゴニョゴニョと口篭もっていた彼女だったが、 「ご、ごめん小久保君! 私…その…お手洗いに行くから!」 と言い残して脱兎の如くその場から逃げ去ってしまった。 残されたマサヒコは首をひねりばかり。 「…何だあいつ? 意味わかんねえ…」 「はぁ~。やっぱりこんなこと言い出せないわ…。どうしよう…」 逃亡先の女子トイレでアヤナは途方に暮れていた。 あの晩。 今すぐにでも小久保家へ婚約の申し込みに行きそうな父親を死に物狂いで制止し、 「迷惑がかかるかもしれないし、まずは私が本人にちゃんと言うから」 と約束することで何とか暴走を止めたのだが…。 「言えるわけないわよ…。そんな…。何でこんな事態に…。ああ…」 確かに、思春期真っ只中の純情な少女に対して、それなりに親しい間柄とはいえ、同じ年頃の男の子へいきなりプロポーズしろというほうが酷である。 そして放課後。 「小久保君、ちょっと…」 帰り支度をを済ませ、教室を出ようとしていたマサヒコをアヤナが呼び止めた。 「ああ、若田部、なんだ? やっぱりオレになんか用でもあったのか?」 「う、うん…。あの、ここでは何だから…さ。場所を変えてもいい?」 「え? ああ、構わないけど」 「じゃあ、ついて来て」 訝しげな顔をしてついて来るマサヒコを先導しながら、アヤナは言うべき言葉を必死にまとめている。 (どうしよう。思いきって声を掛けたけど何て言えばいいのかしら?) 極限的な緊張の中で、心臓の鼓動は爆発しそうなほどに早まっている。 (婚約してください…ってのはまんまだし、私のパートナーになってっていうのも何か変だし…) あれこれ考えるアヤナだったが、無常にして、彼女の思考がまとまるよりも目的地に到着するほうが早かった。 人気のない校庭の隅。 そこで向かい合うアヤナとマサヒコ。 「あ、あのね…その…ええと…」 頬を赤らめて何かを口にしかけるが、尻すぼみになって黙り、俯いてしまう。 そんなことをアヤナは何度も繰り返した。 (ああ、もう! ちゃんと言おうって決めていたのに…!!) これしきのこともちゃんと出来ないなんて。 アヤナは自分が情けなくなってきた。 「あの…」 「なぁ、若田部」 何度目かわからないアヤナの「あの…」をマサヒコが遮った。 「なんだか知らないけど、オレのせいで不愉快になったんだったら謝るよ。ごめん」 「え…」 「ほら、いつもさ、オレにその気はないけど、結果的にお前を不愉快にさせたことが度々あったじゃんか。だからさ…」 「あの…」 予想外の展開にオロオロしているアヤナ。 そんなアヤナを真っ直ぐ見据えながら、マサヒコは言葉を続ける。 「いや、お前さ、今日なんか様子がおかしかったから気になってな。その原因にオレが絡んでるなら遠慮しなで言ってくれよ」 「あ…」 「そうでなくてもさ、オレで良かったら相談してくれよ。まぁ、中村先生に比べたら頼りないとは思うけど」 「小久保君…」 そう言って苦笑いしたマサヒコの顔を見たとき、これ以上は早くなり得ないと思われたアヤナの鼓動がさらに早くなった。 (い…言わなきゃ!!) キッと顔を上げる。 「小久保君!」 「お…おう」 いきなりのアヤナの剣幕に、ちょっとたじろくマサヒコ。 「大事な事だからちゃんと聞いて。実は私の家族があなたと…」 「オレと?」 「私を…こ、ここここここここ…ここ…こん…」 「…こん?」 ここでまた、アヤナは俯いて黙りこんでしまった。 「おい、若田部?」 マサヒコが心配そうに覗きこんだ。 その刹那。 「やっぱり言えないわぁぁぁぁぁ!!!!」 顔を真っ赤にしたアヤナはそう絶叫すると、驚愕しているサマヒコを尻目に、一目散に校門のほうへと駆け出した。 「!? おい、若田部! ちょっと待て…って、速っ!!」 慌てて後を追おうとしたマサヒコだったが、アヤナは人間離れした速度で走り去っていく。 あっという間に彼女の姿はマサヒコの視界から消えてしまった。 「…なんなんだ、いったい…?」 唖然として立ち尽くす小久保マサヒコ。 本日2度目の置いてけぼりである。 ちなみに、この時アヤナが記録した8秒29というタイム。 これを100m走の世界新記録として認定すべきかどうかで後に大きな議論を呼ぶのだが、それはまた別の物語である。 「なんだったんだ、あれは…?」 先ほどの若田部アヤナの奇行を反芻しつつ、マサヒコは家路についていた。 自分に粗相でもあったのかと思い、記憶を辿ってみたが、思い当たるフシがない。 「まあ、来週になって聞けばいいか」 分からないことで悩んでも仕方がない。 そう結論づけたところで、丁度良く自宅に到着した。 「ただいまー…って、うわっ!?」 ドアを開けたマサヒコは驚愕の声をあげた。 玄関で母親が両腕を組み仁王立ちになっていたのだ。 「な、何してんの母さん?」 「マサヒコぉ…。ちょっと来なさい…」 「え? なに? なんなの?」 「いいから…来い」 「…はい」 母親の声には有無を言わさぬ迫力があった。 マサヒコは引きずられるようにして居間に連れていかれ、そこに正座させられた。 「何で言わなかったの…?」 痛いような沈黙が続いた後、母親が発した第一声はそれだった。 「え…? な、なにが…?」 (なんだろう、この母さんから発せられている殺気は…。オレ…何かしたっけ?) マサヒコの頭の中を、幾つかの心当たりがグルグルと駆け巡る。 だが、マサヒコが原因を選別するよりも早く、母親が続きを話し出した。 「今日の午前中…アヤナちゃんのご両親が訪ねてこられたのよ…」 「りょ、両親が!?」 マサヒコの顔色が変わった。 級友の両親が訪ねてくるなんて、余程のことなければ起こり得ない。 (そういえば、若田部も両親がどうのって言ってたっけ…! 何だ? 何をやらかしたんだ!? 思い出せ、オレ!) 先程よりも必死に記憶の糸を辿ってみるが、やはり思い当たる事は無い。 仕方がないので、危険だがおそるおそる尋ねてみることにした。 「あの…。それはどんな用で?」 「しらばっくれんなぁっ!!!!!!」 母親の両眼がカッと見開かれた。 その迫力は、まさに地獄の鬼そのものであった。 「己の胸に手を当てて聞いてみやがれ!!」 言いざま、マサヒコの胸倉を掴んで激しく揺さぶる。 「アヤナちゃんをあんたの嫁にしてくれって言ってきたのよ!!!!!!」 「ぶべらばっしゅあんとりっひ!!!!!??????」 「アタシは情けない…。自分の息子が最低限のルールさえ守れない大バカヤロウだったなんて…」 そう言ってワナワナと震え出す母親。 一方、息子の方は未だに現状に認識しきれずにいた。 「よ、よよよよよよよ…嫁!!?? 若田部を!!?? ななななな、な…なんかの間違いじゃないの!?」 「貴様! 自分で孕ませておいて、よくもまぁ、そんな事が言えるわね!?」 「孕ませる!!?? ま、待て!! 何のことだぁーっ!?」 「白々しい!! 孕ませたなら責任とって結婚しろって向こうのご両親が言ってきてんだよ!!」 「し、知らーん!! オレは無実だぁ!!!!!」 「まだ言うか!! そんな子供ぉ、修正してやる!!!!!!」 「ちょ、ちょっと待…!」 マサヒコの制止が響き渡るよりも早く、母親の全体重が乗った必殺パンチが息子の顔面を捉えていた。 「女遊びをするにしても、避妊するのが最低限の良識だろうがコラァ!!」 「ぐはっ!!!!!!」 ここから冒頭の残虐シーンへと繋がるのだが、マサヒコの母親は事実関係を正確に把握しているとはいえない。 息子に婚約を申し込まれた時点で彼女は驚愕のあまり冷静さを失い、その後の話が耳に入っていなかったのだ。 故に、結婚=責任=妊娠と勝手な解釈としてしまった。 マサヒコにとっては災難なことである。 公開殺人が行われている小久保家の玄関で、立ち尽くしている人影があった。 マサヒコの級友にして幼馴染たる天野ミサキである。 その手には回覧板が握られてした。 「結婚……孕ませる……」 そう呟きながら、しばしのあいだ人形のように微動だにしなかったミサキだが、やがてドアを開けてフラフラと出ていった。 その顔は雪のように蒼白であったという。 おりしも、夏休み前の初夏の日の出来事であった。 続く?
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