作品名 作者名 カップリング
「アヤナの幼稚園見学」 トマソン氏 -


「アヤナちゃんは将来なにやりたいの?」
「私はそうですねぇ、私は子供が好きなんで、保母さんとか憧れるなあ」

 ある晩のこと。若田部アヤナ邸にて、いつものメンバーが集まり、中村リョーコの
就職内定を祝うパーティが行われていた。自然な流れで、将来の仕事や夢の話になり、
濱中アイは教師、天野ミサキは看護師と来て、アヤナの順になった。
 冒頭のやり取りは、アイの質問に対して、アヤナがしばし思いを巡らせた後に答え
たものである。

 アヤナは、将来の職業を具体的に目標として考えたのはこのときがはじめてだった。
 それまでの彼女は、熱心に勉学に励んではいたが、生業についての具体的な目標は
まだなく、漠然と子供と向きあう仕事がしたい、と考えていただけだったのだ。

(保母さんかあ……どんな感じなのかな……)
皆が帰宅したあと、アヤナはパーティを思い起こし、保母という職業を考えていた。
幼稚園で可愛い子供たちに囲まれて毎日を過ごす自分を思い浮かべる。
 笑ったり泣いたり、にぎやかな子供たち。日々のお遊戯、四季折々には花火大会、
運動会、お泊り会、それに遠足。アヤナは自室で一人、思いを巡らせた。
(そうだ、明日は開校記念日で学校は休みだし……子供のころ通っていた幼稚園に
行ってみよう……)

 それにしても、途中でシャンパンをラッパ飲みしたあとしばらくの記憶がない。
 記憶が戻った時には、いつの間にかクラスメートの小久保マサヒコがパーティに参加
していた。おまけに、それから彼が自分に向ける視線がなんとなく冷たいように感じる
のだが、一体何があったのだろう?



 翌日、アヤナが向かったのはバスで10分ほどのところにあるひだまり幼稚園。
 到着してあたりを見回すと、おぼろげな記憶のまま、遊具の数々が園庭に並んでいた。
「ああ……懐かしいな……」
 幼い日に遊んだ、ブランコにシーソーに、ジャングルジム、砂場。新しい遊具も
いくつかある。
 園庭で遊ぶ園児たちのにぎやかな声があたりに響いている。そして……園庭の一角に
ある、粘土で作られた卒園生たちの手形の数々。
 アヤナのかすかな記憶よりはかなり数が多くなっている。毎年増えていくのだから
当然といえば当然だが。
(私が卒園してから、もう九年か……これだけの子供たちが、ここから世の中へ旅
立っていったんだ……)
 手形の数々をぼんやり眺めながら歩くうちに、彼女はその中に『あやなちゃん』と
書かれた幼い日の自分の手形を見つけた。
「あ……これ、私の手形だ……うふふ、小っちゃいなぁ」
 手を当てて今の掌と大きさを比べ、つい嬉しくなってしまう。アヤナは顔を綻ばせた。





 そのとき、後ろから男性の声がした。
「あの……もしかして、アヤナちゃん……かい?」
「えっ……あ、園長先生」
 振り返ると、声の主はひだまり幼稚園の園長、長渕ハジメ先生。彼自身は九年前から
あまり変わっていないのだが、アヤナから見て昔は見あげるばかりだった身長は、今で
はもう首半分程度しか変わらない。

 懐かしい顔に、アヤナはペコリと頭を下げた。
「お久しぶりです、若田部アヤナです。長渕先生……ですね。よく私のことがお分かり
でしたね?」
「そりゃ、子供たちのことは一人一人覚えているよ……大きくなったねぇ」
 ハジメ先生は口に出すのは差し控えたものの、内心、教え子が美しく成長してくれて
いることが嬉しくてたまらない。目を細め、そよ風にゆれるアヤナの栗色の髪を眺めた。
(あのちっちゃかったアヤナちゃんが、こんな別嬪さんに……)

「長渕先生は、今でもこちらで園長先生を?」
「うん、今でも続けているよ。少子化で園児も減って、苦しいけどね……アヤナちゃん、
今日はどうしたんだい?」
「ええ、実は……将来の仕事について考えているうちに、保母さんになりたいと思うよ
うになりまして。それでどんな仕事なのかと、子供の頃、通っていたここを思い出して、
様子を見に来たんです。……ところが、この自分の手形を見つけて、つい嬉しくなって
しまって……」
「なるほど保母さんの仕事か……それじゃ、アヤナちゃんは今日は見学のお客さんだな。
ゆっくり見ていくといい。ただ厳密にいうと、保育園にいるのが保母さん、今は正式に
は『保育士』と呼ばれる職業だね。で、ここも含めて幼稚園にいるのは『先生』なんだ」
「あ……そうなんですか。そういえば、幼稚園と保育園の違いはどこに?」
「一言でいうと、管轄が違う。
 幼稚園は文部科学省、保育園は厚生労働省の管轄だね。
 だから幼稚園は教育機関で、その先生は教育者としての資質が求められるのに対し、
保育園は福祉施設で、保母さんは母親に近い資質が必要になる。まあでも、今からどち
らかに決める必要はないけどね」
 さすがは幼稚園の園長先生、実はインテリである。長渕ハジメ、インポネタでからか
われているときが嘘のような説明ぶりだ。
「じゃ、実際に先生方を見てみようか。
 ほら、砂場のそばで子供達を見ているのが、ひまわり組の宮本レイコ先生。
 園舎の中にいる、あっちはいちょう組の佐々岡アヤ先生だ。覚えているかな? 二人
とも、アヤナちゃんが居た頃からここに勤めていたはずだけど」
 園長先生が指したほうを見ると、三十台半ばと思しきショートの黒髪の優しそうな
女性が、砂場で遊ぶ子供達の面倒を見ている。
(……思い出した……)
 アヤナの組の担当だった、宮本先生だ。
 もう一方に目をやると、窓の向こう、教室の中で子供達を見ている金髪のセミロング
の女性の姿が目に入った。こちらはもう少し若い感じで三十代前半だろうか、落ち着い
たというか、達観した雰囲気を持ったこれまた美人である。他クラスのことで記憶が
おぼろげだが、佐々岡先生に違いなかった。



「覚えています……宮本先生は私のいた組の担任もしていただいたし、懐かしいな……
でも、今はお忙しいようなので、ご挨拶はあとでしますね」
 アヤナは目を細め、無言で砂場ではしゃぐ子供達を眺めた。

 子供達が、砂山のてっぺんにスーパーボールをおいての山崩しをしている。
 普通の棒倒しではないことをいぶかしんだ宮本先生が声をかけた。
「何してるのかナ?」
「巨乳崩し! てっぺんのボールが落ちると負けなの」

 もう一方の砂場の端では、男の子が砂で大きな山を作り、女の子がその山にトンネル
を掘っていた。
 はぁはぁと息をつきつつ、女の子は小さな手で砂をかき出し、少しずつトンネルが
掘り進んでいくのに目を輝かせている。やがて穴が貫通し、山の反対側からかわいい
手がぬっと突き出した。
「んしょしょ、まだかな〜」
 穴がもう向こうまで達していることに女の子は気づいていないようだ。砂を掘るつも
りの手の動きが、間違って山の向こうに座った男の子の股間を揉んでいる。
「あれ? 何コレ? くにゅくにゅしてる〜」
 女の子の手が、むにむにと股間を揉むにつれ、男の子がなにやら恍惚の表情を浮かべ
始めた。
「あ、だんだんカタくなってきた〜」
 木の陰に別の女性がいる。美しいウェーブのかかった金髪の美人だが、その光景を
眺めてなにやら羨ましそうに涎をたらしているのは何故だろう?
 コトに気づいた宮本先生があわてて女の子を止めた。

 ひだまり幼稚園の相変わらずの光景ではあるのだが、まじめな女子中学生には少々
厳しい見世物である。もう少し微笑ましい情景を期待していたアヤナ、思わず目が点に
なった。
「……」
「……(汗)あっははは、子供のすることだから、目くじらを立てないでね」
 ハジメ先生のフォローも少々無理がある。
「……あの木陰にいる方は?」
「あれは私の家内のミナコだよ。子供が大好きで、幼稚園に入り浸ってるんだ」
(どうして涎をたらしているのかしら)
とアヤナは思ったが、口に出すのは差し控えた。




(あら? あの子は……もしかして)
 そんなことをしていたそのとき、宮本先生がアヤナに気づいた。
 子供達をざっと見渡し、しばらくは放っておいても大丈夫と見て、園長先生と共に
園庭の隅に佇むアヤナに近づいた。
「えーと……もしかして、アヤナちゃん?」
「宮本先生、お久しぶりです。若田部アヤナです。……よくお分かりですね?」
「それは覚えているわ。アヤナちゃんは子供のころからかわいい、素直ないい子だった
けど……うわあ、綺麗になったわねえ」
 宮本先生はアヤナの若々しい肌と見事な胸の隆起に、いくらかうらやましげだ。
「あ、ありがとうございます……宮本先生も、まだまだお綺麗ですよ?」
「ふふ、ありがとう……今はアヤナちゃんは中学生かしら? 今日は?」
「ええ、中学三年生です。今日は学校が開校記念日でお休みでして……保母さんの仕事
がどんなものかと、見学させていただいています。」
「あら、それじゃ私もモデル? 緊張しちゃうわね……」

 そこへ風に乗って、教室の中から佐々岡先生の声が聞こえてきた。アヤナがもう
一度教室を覗くと、黒板には『おとなになったら』と書かれている。
 佐々岡先生が子供達を見回して質問を口にした。
「みんなはおとなになったら何になりたいのかな〜? 男の子たちは?」
「じごろ〜!」
「つつもたせ〜」
「ヒモ〜!」
「うふふ、みんないいコね。女の子たちはどうかしら?」
「ストリッパ〜」
「ヘルスじょ〜!」
「あわひめ〜!」

「……」
 子供達の答えを聞いたアヤナはまたしても絶句。
 園長先生は笑うしかない。
「あ、あははは……」
 宮本先生は額に青筋を浮かべ、アヤナに
「ゆっくり見ていってね?」
 続いて園長先生に
「ちょっと締め上げてきます」
と言うと、阿修羅の表情で佐々岡先生を追いかけ始めた。それと気づいた佐々岡先生が
すかさず逃走する。トムとジェリーもかくやの、大チェイスが展開された。
 これまたいつもと変わらぬ、ひだまり幼稚園の光景。

 取り残されたアヤナと園長先生。
「え、えーと……保母さんの仕事って、漫才じゃ……ないですよね? 幼稚園って、
こんな風でしたっけ?」
「あ、あははは……いや実は、アヤナちゃんよりひとつ上の学年かな、カナミちゃんと
マナカちゃんっていう伝説の園児がいてね」
「はあ、伝説……ですか……」
「その子たちの入園以来、卒園してからも、この幼稚園の子供達は妙にそっちの方向に
興味がありすぎで……アヤナちゃんの代はまともだったけどね……」
 



 そんな話をしているところへ、砂場で遊んでいた男の子が二人、砂遊びも飽きたのか、
手をブラブラさせて砂を撒き散らしながら、園長先生に近づいてきた。
 ハジメ先生の隣に立つアヤナに怪訝そうな目を向ける。
 アヤナは幼い男の子の一人と目が合い、にっこりと微笑んだ。その子はドギマギして
しまったらしく、赤くなって目をそらし、園長先生の方を見る。
「園長せんせー、このおねえさん、だれ?」
「君達の先輩だよ。この幼稚園を卒業した人」
「ふーん、せんぱい……」
 その男の子はアヤナの前に立ち、そよ風にたなびく綺麗な栗色の髪の毛をしげしげと
見つめた。
「おねえさんのかみのけ、きれーだねー」
「あら、そう? ありがとう」
(うふふ、邪心もなしに『綺麗だ』なんて、いまでは誰も言ってくれないなあ……)

 もう一人の男の子は、いつの間にかアヤナの後ろに回っていた。
「かんちょー!」
 アヤナはあまりにも無警戒だった。組み合わされた両手が突き出され、幼い指が二本、
急所をジャストミートで貫いた。
「あ……きゃああああああああっ!」
 絹を裂くようなアヤナの悲鳴が響き渡った。男の子は笑いながら逃げてゆく。
「あああ、アヤナちゃん! こらっ!!!!」
 園長先生は怒鳴ってみせるが、後の祭りである。

「……あ……ああ……」
 たまらず豊かな肉付きの尻を両手で押さえ、しゃがみこんでしまったアヤナ。つぶら
な瞳にじわっと涙がたまる。
「あ、アヤナちゃん? 大丈夫かい?」
 長渕先生はおろおろするばかりだ。患部をさすってあげようとも思ったが、場所が
場所であるからして、そうも行かない。

 アヤナは無邪気ゆえの残酷さをその尻で思い知った。
(……子供のしたことよ、怒っちゃだめ……)
 アヤナはなんとか心を落ち着かせようと、深呼吸をすると、長渕ハジメ先生に顔を
向けた。まだ目に涙をたたえながら、無理に笑顔を作る。ハジメ先生ですらドキッと
するような笑顔だ。
「……保母さんも大変な仕事ですね……」
「あ、あはは……ごめんね、アヤナちゃん……」





 アヤナの先生見習いのような数時間が過ぎて、園児達が帰宅する時間が来た。ある子
は親が迎えに来て、またある子は送迎バスに乗って、かわいい手を振り振り去っていく。
にぎやかだった幼稚園が急に静かになった。

 アヤナは職員室でお茶をご馳走になった。園長先生、宮本先生、佐々岡先生、それに
ミナコが同席している。
 体力を使った数時間の後、ハジメ先生が口を開く。
「どうだったアヤナちゃん。幼稚園の先生の助手をしてもらったけど」
「ええ、やっぱり子供たちは可愛いです……でも、それにしても……保母さんも、大変
な仕事ですね……」
 いまだになんとなく肛門に残る異物感に、ヒップがつい気になるアヤナである。
そっと尻を撫でているアヤナに、答えたのは佐々岡アヤ先生だった。
「あら、どんな仕事だって大変よ?」
「佐々岡先生」
「私だって、昔は苦労したわ……ミニスカにノーパンだったころは冷え症にもなったし、
舞台に上がっていた最中に停電したときは、ローソク10本で照明代わりにして、踊り
だけのはずがSMショーになっちゃったし。前の穴と間違えて後ろの穴に挿れられた
ときなんか」
 ズジャアアアアッ! 
 青筋を浮かべた宮本先生がスライディングキックで突っ込み、すかさず佐々岡先生を
個室に連行していった。

「……えーと」
 アヤナは幸いというか、普通の女子中学生。佐々岡先生の話の半分も理解していない。
しかし、それでもニュアンスぐらいは感じ取った。
「……あの、なんのことかよくは分からないんですが……もしかして、妙に子供達が
エッチなのは、佐々岡先生の影響では?」
「心は広いし、体力もすごいし、いい先生なんだけどね……」
 ため息をつく園長先生であった。
「ええ、素晴らしい先生ですわ……もう手ほどきをお願いしたいくらい」
(……何の手ほどき?)
 内心でいぶかしんだアヤナ。
 このミナコという女性も色モノであることをアヤナはようやく悟りはじめた。木陰で
涎をたらしていたのは、そういう意味なのか。




 しばし雑談のあと。もう日も暮れつつある。アヤナは幼稚園を辞すことにした。
「あの、もう暗くなってきたし、そろそろお暇します。
……今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。」
「うん、最後にひとつだけ……」
 園長先生、突然まじめな顔になった。
「幼稚園の先生でも保母さんでもそうだけど、子供に対する愛情はもちろんだが、加え
て絶対に必要なのが体力と忍耐力なんだ。子供たちは大人とは違う視点でものを見て、
その視点でいろんなことをする。潔癖症の人には勤まらないんだ。ひどい目にあわせて
しまったけど、そのことだけは覚えていて欲しい」
 確かに、園児の「かんちょー!」で泣き出してしまうようでは勤まるはずもない。
「───肝に銘じておきます」
 誠実な答えを聞いて、長渕先生はまた温厚な笑顔に戻った。
「それじゃ、今日は楽しかったよ。またいつでもいらっしゃい」
「でも、参考になったかしら。私達がモデルじゃ、ちょっと特殊じゃないかと思うけど」
 特殊なのは、「私達」じゃなく、佐々岡先生一人ではないか、とアヤナは思ったが、
本人の前ではさすがに言えない。
「いえ、とても勉強になりました。佐々岡先生も、ありがとうございました。」
 佐々岡先生に向き直って頭を下げるアヤナ。
 頭に絆創膏を貼った佐々岡先生、よせばいいのに余計なアドバイスというか、提案を
アヤナに持ちかけた。
「ところで、高校を卒業したら、よかったら私に仕事を紹介させてくれないかしら?
あなたの器量だったら、あっというまにナンバーワンに」
 ドガァッ!
 椅子に座った佐々岡先生の膝を踏み台にして、宮本先生の飛び膝蹴りが入った。
 これぞ閃光魔術、シャイニングウィザァァァァァァァァァァド!

「えーと……このお二人は、いつもこうなんですか?」
「うん、まあね。軽く流してくれていいよ」
 その時アヤナは理解した。なるほど、二人とも特殊である。
一人は生き様が、一人は戦闘力が。

 帰りのバスの中でも、帰宅してベッドに入ってからもアヤナは、子供達の可愛らしさ
と、それに同居する残酷さ、そして保母さんに必要な漫才スキル(?)を思い描いて
悩んでいた。
「うーん……もうちょっと、考えてみようかな……」
 気が済むまで悩むがいいアヤナ。人はそうして大人になるのだ。



 翌日の学校でも、アヤナはまだ悩み続けていた。
 ふうっとため息をつき、子供達の無邪気な笑顔を思い出して顔をほころばせたかと
思えば、あの時尻に加えられた攻撃を思い出して顔をしかめる。
 昼休みになり、マサヒコがアヤナのそんな様子を心配して声をかけた。
「若田部、さっきから、笑ったり顔をしかめたり、どうかしたのか?」
「う、うるさいわね……自分の将来について、考えていたのよ」
「そういえば、若田部は保母さんになりたいんだって? 濱中先生から聞いたよ」
 マサヒコが例のパーティに加わったのは、皆がそれぞれに将来の夢の話をした後の
ことだ。彼は直接にはアヤナの話を聞いていない。
「え、ええ……実は昨日、私が卒園した幼稚園に行って見学させていただいたの」
「へぇ……それで、どうだった?」
「う、うん。やっぱり、子供達は可愛らしかったわ」
 かんちょう攻撃をもろに食らったとはまさか言えない。
「そういえば、お前自分で言ってたもんな。『私はショタコンだーっ!』って。」

 マサヒコの衝撃発言にアヤナは愕然とした。
 崖の上に立って、その足元の土が崩れ落ちていくような感覚にとらわれる。

「……あの、小久保君。私、そんなこと言ったの?」
 自分がそんなことを言ったとは信じられない。否定して欲しい。アヤナのそんな願い
は無残に打ち砕かれた。
「ああ。覚えてないのか? ほら、この前の中村先生の就職内定パーティで、お前が
顔を赤くして言ってたんだぞ」
「……小久保君、あれから私のことをなんとなく冷たい目で見てたのは……」
「ん? そうか? そんなつもりはないけど、もしそうだったら悪かったな」
 そんなつもりがなくても、アヤナ=痴女という意識は、マサヒコの心に深く沈殿して
いた。それが態度の端々に現れていたとしてもマサヒコを責めることは出来ないだろう。
 もっとも、その点はその場にいたほかの女性、ミサキ、リンコやアイも同様、いや
むしろ、『注射器見せろ』『裸見せろ』と言ってきたミサキやリンコよりはましなくら
いであったのだが。
 しかし、上流の家庭に生まれ、成績優秀でもあり、相応にプライドも高いアヤナに
とって、自分が発したその一言は信じられない汚点としか思えなかった。

 あわてて訂正にかかるアヤナだったが、焦りが混乱を呼ぶ。
「あの、ショタコンってそういう意味じゃなくて……私はただ、可愛い子供達の無邪気
な笑顔が大好きで、決してエッチな意味じゃなくて…、ほら、子供って、無邪気である
がゆえに残酷でもあって、私のお尻だって……あ、いや、なんでもないの、お尻の話
じゃなくてね……」
 自分で燃料を投下してパニクるアヤナ。才女にしては珍しい。いや、その様子もまた
可愛いわけですが。
「ど、どうしたんだ、一体?」
 事情が分からず、マサヒコはフォロー不能だ。
 ちぐはぐに話を続けるアヤナと、立ち尽くすマサヒコ。二人のかみ合わぬ会話はいつ
終わるとも知れなかった。

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