作品名 |
作者名 |
カップリング |
「ご主人様と奴隷の幸せな関係エピソード6・気がついたらいつも不意打ち」 |
ピンキリ氏 |
リョーコ×セイジ |
「……無いの」
コーヒーを前に、中村リョーコが開口一番声にしたのはその言葉だった。
「は?」
彼女の対面に座る豊田セイジは、目を丸くして呟いた。
「無いのよ」
「ひ?」
「だから、無いの」
「ふ?」
別に二人は漫才をしているわけではない。
二人がいるのは、『KAWASAKI』という名前の喫茶店で、東が丘ではそれなりに名の知れた店だ。
元手品師のマスターが、週二度、土日の午後にその腕前を披露してくれるのがウリだ。
最近では都市情報誌にも取り上げられ、一部からは『KAWASAKI劇場』の呼び名を貰っていたりなんかする。
あと数分でそのマジックの時間になるということで、店内は客でいっぱいになっており、
その客それぞれが、期待でいっぱいといった感じの顔だった。
隅の席に座っている、セイジとリョーコを除いては、だが。
「だから、無いのよ」
「……」
セイジはリョーコの顔をじっと見つめた。
表情があるかと言えばあるし、無いと言えば無い。
リョーコは計算高いように見えて、態度が結構素直な面がある。
隠し事や企み事があったなら、それが挙動に現われ易いのだ。
少なくとも、セイジはそう思っている。
「えー……」
それで、だ。
この能面のようでいて、尚且つ微妙な感情の揺れがある顔はどうだ。
これは一体、何を表しているのか。
「……?」
首をひとつ、セイジは捻った。
無いのよ、とリョーコは言った。
女の口から「無い」と出たら……。
「げ」
手にしたコーヒーカップを、思わずセイジは落としそうになった。
女の口から「無い」と出たら。
それはすなわち、月のモノが来ていないことを指すのではないか。
よくマンガやドラマであるシーンだ。
女の口から「無いの」と言葉が出たら最後、大抵修羅場になって、ドロドロな展開に―――
「げ、げ、げ」
セイジは震え始めた。コーヒーが、今にも零れ落ちそうなくらいに波打つ。
必死に動揺を抑えようとするのだが、これが上手くいかない。
落ち着けセイジ、落ち着くんだ、と心の中で叫んでも、身体が納得しないのだ。
「なななな、ななななななないないないとは?」
さらに舌までもが麻痺し始めた。
「無いのよ、今日」
リョーコの言葉ひとつひとつが、まるで巨大な岩石のような重さを伴ってセイジの上に落ちてくる。
セイジはそれに押しつぶされそうになるのを、全身全霊をの力を振り絞って耐えた。
セイジの頭の中で、ぐるぐるとリョーコの「無い」という台詞が渦を巻く。
「わわ、わわ」
「セイジ……?」
「そそそそ、そそそそれそれそれ」
混乱する頭を無理矢理働かせて、セイジは答を出した。
リョーコの不審な言動、「無い」という言葉、それらを総合すると、導かれるのはひとつしかない。
デキたのだ。デキてしまったのだ。
今日は安全日だから大丈夫、と誘われるままに、否、強制されてナマでやったことがある。
中で出した覚えは無いが、泥酔状態でやったこともあったので、確信などない。
迂闊だった、と言わざるを得ないだろう。
だいたい、妊娠しにくい日はあっても、完全な安全日などは存在しない。
例え確率は低かろうと、ヒットする時はヒットしてしまうのだ。
「こど、こどこどこどこどこどもこど」
こういう場合、本当に自分に責任があろうとなかろうと、男は決断しなければならない。
デキてしまったのなら仕方がない。
産むか産まないかは取り合えず後にして、男が全てをひっかぷるという姿勢を取らなければならないのだ。
双方の思いはどうあれ、それが男としての誠意というものだ。
「……コモドオオトカゲがどうかした?」
「できできできでき、でき」
「……何泡食ってるのよ。ま、とにかくアンタ、持ってる?」
リョーコは右手の親指と人差し指で輪っかを作ると、セイジの目の前に突き出した。
それはすなわち、お金、マネーのサインに他ならない。
「……!」
セイジは胃の中に氷塊が滑り落ちたように感じた。
すなわち、リョーコは金で解決しようと言っている。そうとしかセイジには思えなかった。
「持ってるの?持ってないの?ハッキリ答えてよ」
「……は、はいぃぃい!」
強い口調で迫られて、セイジは反射的に頷いた。
「そう、良かったー、安心した」
と、ここでさっきまでの緊張を含んだ表情から一転、リョーコはにぱっと笑った。
「へっ?」
態度を一変させたリョーコを見て、セイジは驚き、次に以外に思った。
「……?」
深刻な話のはずなのに、その笑顔がやけに清々しいのはどうしてだろう。
どうして笑うのだろうか。悩んではいないのだろうか。
金で解決出来ると知って、嬉しいのか。
そんな、まさか。コイツはそんな女じゃ―――
「やー、どうしよっかと思ったけど、聞いてよかったわ」
ニコニコ顔のまま、リョーコはまるでコーラの飲む時のように、ぐいっとコーヒーを呷った。
「……はぁ」
「じゃ、払ってね」
「げ?」
セイジの背中を、冷たい汗が滑り落ちていく。
やっぱり、やっぱりか。
リョーコは金で全てを片付けようと考えているのか……。
「リョーコ、お前……」
だが、次のリョーコの言葉を聞いて、セイジは椅子から転げ落ちそうになった。
「ん、ここの代金。私、財布忘れちゃったみたいなのよねー」
「あははは、飲め飲めセイジ、ほりゃ飲め」
「ぐふ、うっぷ。もう無理……」
「ああーん?ご主人様の言うことが聞けないっての?」
「ぎゃふ、無理なものは無理れしゅ……」
時間は夜の七時過ぎ、まだまだ夜もこれからだというのに、すでにリョーコはデキあがっていた。
と言うか、日曜日を含む休日はほぼ、夕方五時以降は酒盛りタイムになる。
リョーコがセイジに家に押しかけようと、リョーコが自分のマンションにセイジを呼びつけようと、だ。
タバコはやめたリョーコだったが、酒の方はどうしてもやめられないらしい。
「ちょ、タンマ……」
「何よー、だらしない」
「げふ、ちゅか、お前今日ハイスパート過ぎ……」
「そお?いつもと同じくらいだと思うけど?」
嘘つけ、とセイジは思った。
アルコールの霧が脳にかかっているが、普段よりペースが速いことぐらいさすがにわかる。
こたつの上、その下に立ち並ぶビール缶の柱の本数が明らかにいつもより多い。
「ぐぇ、ぷ」
「ちょっとー、どこ行くのよ。逃げる気?」
「熱い茶が欲しいんだよ、台所に用意しに行くだけ……つか、逃げるも何もここ俺の家なんだが」
「別に茶じゃなくて、ビール飲めばいいのに」
「……アルコールが嫌だから茶なんだが」
と、ここでリョーコが不意に立ち上がった。
そして、つつつとセイジの側に近寄ると、大きく口を開けて酒臭い息をセイジに吐きかけた。
「ぐは、な、何するんだリョーコ」
「んー、んふふふ」
「お前、いったい……って、げげ」
セイジの脳内にアラームが鳴り響いた。
今、目の前に立っているリョーコの右手には、缶ビールが握られている。
それは別にいい。
問題は左手だ。
左手の人差し指、それがくるくると円を描き、リョーコ自身の髪の毛を巻き取っている。
昔から変わらない、リョーコの癖。
何か、いらんことを考えている時の癖だ。
「んふふ、じゃ、お茶よりも熱いの飲ませてあげようか?」
「いえっ、結構でありますっ!」
上官の質問に答える兵士のように、直立の姿勢で拒否するセイジ。
だが、無論悪逆非道な上官はそんなこと聞くわけもなく。
「遠慮する必要ないわ。じゃ、さっそく寝室に行きましょうか」
リョーコはビール缶を床に転がすと、んしょっという感じにセーターを脱いだ。
「な、何で服を脱ごうとしているのでありますか!?」
セイジは本気で逃げたかった。
ここが自分の家とかどうでもいい、本当に遁走したかった。
だが、蛇に睨まれた蛙のごとく、一歩もそこを動くことが出来ない。
「お茶より熱くておいしいモノを飲ませてあげるっつってんのよ」
「そっ、それはいったい何でありますか!?」
もうすでに、リョーコは下着だけの姿になっている。
「あわ、あわわ」
リョーコはさっきまで髪をいじくっていた人差し指を今度は自分の唇にそっとあて、
悪戯っ子のようにニマリと笑った。
「決まってるじゃん。私のラブジュース」
「ひえええええええ」
セイジが望むと望まざるとに関わらず、酒盛り→セックスはもう定番コースになっている。
だが、いつもであればその間に入浴タイムがあるし、
何より、こんなに早い時間に精を搾り取られたことはない。
ヤるヤラないに時間と場所は関係ないかもしれないが、
今日の流れは全てが全てセイジにとって不意打ちと言えた。
「さ、行くわよ行くわよ」
「ちょ、ま、待て、待って、待って下さい」
「待たない」
リョーコはセイジの首根っこを掴むと、引き摺りながら寝室へと移動した。
「おま、やっぱ今日は飲み過ぎだろ、酔い過ぎてるだろ!」
「たまにはこーゆーのもオツじゃない?ヒック」
「オツじゃなーい!それにたまには、って月に何回も酔っ払ったままヤってるだろうが!」
「うっさい!奴隷が偉そうな口きかない!」
「いやいやいやいや、せせせ、せめて少しアルコール分を抜くために休憩をををを」
「ヌクぅ!?よーっし、それならラブジュース飲ませる前に私が先にヌイてやる!」
寝室のドアの前、ひょいとリョーコはしゃがむと、セイジのズボンのファスナーに指をかけた。
「いやああ、ちょっと待ってぇぇぇ」
「やかましい、れろ、はむ」
何という早技か。ファスナーを摘んでからモノを取り出し、くわえるまで実にその間一秒と少し。
酔っていてこれなのだから、本気(?)になったらどれだけのスピードを出せるのか。
もしその手の世界選手権があったらなら、上位入賞間違いなしだろう。
「わ、ああ、っ、ちょ、リョー……コッ!」
いきなりなので、もちろんセイジのモノは通常の状態だった。
だがしかし、卓絶したリョーコの舌技によって、あっという間にその固さと大きさを増していった。
「はむ……っ、れろ……」
「あ、くっ……っ!」
セイジはリョーコの頭に両の掌を置いた。
だが、引き剥がす程の力が無い。
「あむむ……ぷふ、うふふふふ、ほーら。嫌だとか言ってもチンコは正直」
「……うく、無理矢理なクセに……。つか、お前下品だぞ」
「やかまひゅいふむ」
「うわあああああああああ」
セイジは知らず知らずのうちに前かがみになった。
それにより若干腰が後ろに移動したのだが、それで口からモノを逃がしてしまうリョーコでは当然ない。
「むひゅ……っぷ、ほらほら、もうこんなにカチンコチンコチンコ」
「あああああ、だから下品んんんん、っう、あう」
時には唇で、時には舌で。竿の根元から、その先端まで。
微妙な強弱のコントロールは、さすがにこの道の大家(?)といった感じだった。
「はむ、ふむ……くじゅ、ぷ」
「あああああああああああ」
セイジは頭をかっくりと下げた。
何度も体験しているというのに、この強烈さはどうか。
慣れる、ということがない。凄まじいまでに、キモチ良過ぎる。
女性器とはまた違った、温かく、そして柔らかい舌の感触。
そして。
「っ、ずず、ずっ」
「ああう、うぅ、うう」
この吸い込み。
どこまでも連れて行かれるような錯覚に陥ってしまう。
「じゅ……っ、ふふ、何かセイジの、いつもより熱い感じがするわ。酔っ払ってるせいかしらね?」
「な、何を……」
リョーコの問いかけに、セイジは言葉を返すことが出来ない。
その質問の意味すら正確に理解出来ない。
「むふ……はふ。でも酒が入った状態でヤるのなんてよくありゅ……しゅい、ぷ」
「があ、しゃ、喋りながら……っ、タ、タンマ……!」
「何?キンタマ?触って欲しいの?」
「ちが、あ、あああああ」
リョーコの細い指が、セイジの睾丸をさわさわと撫でていく。
これはかなりセイジには効いた。
竿の部分は熱い舌と唇でもてあそばれ、袋は冷たい指先でいじくられる。
その差が、快感を加速させる。
「れろぅ……っ、ふ。むふふー、また固くなった。もう近いかね?」
その通りだった。セイジの中で、臨界点が近づいていた。
あと少し、刺激を与えられたら、間違いなく爆発してしまう。
「あー、ココが熱いの、あんたが酔っ払ってるせいじゃないわね、多分」
「う……?」
リョーコは、一旦口を離すと、竿の根元をぎゅっと握り締めた。
「……私が酔っ払い過ぎてるせいだわ、きっと」
そう言って妖しく微笑むと、また再びかぶりついた。
「う……っ、ぐうっ!」
突破した。軽々と突破した。
「リョ、リョーコぉぉ……ッ!」
エレベーターに乗って、下に降りる時の、あのふわっとした感覚。
その何十倍、いや何百倍もの浮遊感。それがセイジを襲った。
そして浮遊感というシャボン玉が破裂すると、次に、海から上がったばかりの時のような、
体に重石をつけられたような疲労感が、覆いかぶさってきた。
「は、あ、ああ……」
限界から放出まで、数秒の短いトリップを終え、セイジは現実世界に戻ってきた。
手足が異様に重い。その場にへたりこんでしまいたくなる程に。
「あは、一発目は濃いもんだけど、今日はまた濃い上に量が多い」
「うう……」
セイジは揺れる頭を制御して、リョーコの方を見た。
「う」
そこにあったのは、また扇情的な光景だった。
リョーコの前髪、眼鏡、頬、唇、そして胸元に至るまで飛び散った、セイジの精。
それは重力に従って、トロリと零れ落ちていき、桜色に染まった肌の上を装飾していく。
「んんー……」
リョーコは顔に着いた精液を指で拭い、セイジのズボンに擦りつけた。
「これでちょっとは体軽くなったんじゃない?さ、本番行くわよ」
「……いや、逆に重たくなりまひは」
セイジはストンとその場に尻餅をついた。
「む、何よーだらしない。立ちなさいよ」
「いや、いやいやいや、キツイって……」
「これは命令。立て」
「……命令でも無理なもんは無理でありましゅ」
「……反逆罪ねこれは。重罪よ」
リョーコはそう言うと、またセイジの股間に顔を近づけた。
「ふへ?ま、待て、待ってくらさいリョーコ……」
「待たない。反逆罪により吸殺刑に処す。……咥えたまま寝室まで引っ張っていってやる。途中で千切れてもアンタのせい」
「ふは!?」
恐ろしい。何と恐ろしい。
いくら何でも、吸引だけで大の男を引っ張っていけるはずがないが、リョーコならやりかねんと思わせるだけに恐ろしい。
セイジは戦慄した。慌てて立ち上がろうとしたが、逆にリョーコが股間にくっついているせいで出来ない。
「ちょ、おま、これじゃ立とうにも立てな、つか別のとこがまたたって、う、うわああああ、あああああああー」
「ほりゃ、ほひゃむぐ、れろ、ほひゃ、ひやにゃらひゅうことひけ、じゅ、ぷふ」
「あががあああああああああ」
「にゃんにゃら、ぷは、もう一発ヌイて今度こそ体を軽くして、はむ、ちゅ……りゃろうきゃ?」
「うわあああああああああああ」
……結局、セイジはそこでまた一発、ヌカれることになったのだった。
◆ ◆
「あ、がが……」
セイジは目覚めた。目覚めてしまったというべきか。
首と腰と頭、その三ヶ所にある鈍い痛みが、深い眠りの園への道に立ち塞がったのだ。
それらは、僅かな浅い眠りしか、セイジに許してくれなかった。
「あ、痛ててて……」
セイジは体を起こすと、顔をしかめた。
首の痛みは、さんざんリョーコに奉仕したがゆえだ。
二十分以上、リョーコの秘所を舐めさせられたのだ。
よくもった、耐えたとセイジは自分でも思う。
腰の痛みは無論、激しい交合のせいである。
頭は、アルコールによるものだ。
「あががあ……」
セイジは体に纏わりつく毛布を除けると、ドアの横にかかっている時計を見上げた。
針は、丁度深夜の二時を差そうかというところだった。
「アンタも相応に酔っ払わないとねえ。私のラブジュースとチャンポンだ」という、
あまりに勝手な理屈でリョーコが寝室に酒を持ち込んだのが、寝室に入ってすぐの七時半過ぎ。
それから飲まされたり舐めさせられたり腰振らされたりした挙句、いったい何発搾り取られたのか。
それは、毛布やシーツの湿り具合と絨毯の上に散らばったティッシュの数から想像する他ない。
何しろ、五本目の缶ビールを最後に、セイジの記憶はふっつりと切れている。
最低でも三時間ヤリ続けたとすれば、眠っていたのはだいたい四時間前後になる。
「……」
セイジはベッドから這い出た。
暖房は一応効いているみたいだが(いつONにしたのかわからないが)、それでもヒンヤリとした空気を肌に感じた。
「ん〜、むにゃ……」
ベッドの上、さっきまでセイジが寝ていたその横には、
リョーコが満足そうな顔で眠っていた。
それだけ見ると可愛らしいものだが、
実のところは、無理矢理舐めさせたりセックスを強要したり酒を飲ましたりと、まったくもってとんでもない女である。
「ふ、あ……」
アクビをすると、セイジは頭を左右に数回振った。
「……まったく、あし……もう今日か、仕事がたんまりあるってのにコイツは……」
セイジは改めて下着、そして寝巻き代わりのジャージを身につけ、
さらにその上にジャンパーを羽織ると、空き缶を踏まないよう気をつけ、寝室を出た。
足音を立てないように廊下を歩き、キッチンを抜け、居間を通り、ベランダへと向かう。
「……シャワーは、朝一番で浴びるか」
冬だから当たり前なのだが、外は寒かった。
セイジは体を一揺すりすると、ジャンパーのポケットからタバコを取り出し、くわえるとライターで火をつけた。
普段、セイジはタバコを吸わない。
一週間に一度か二度、吸いたくなった時に吸う。その程度だ。
大学卒業の時の本格的にタバコをやめ、それ以来、そんな吸い方をしている。
「ふう……っ」
一吹かし、二吹かしする。
紫煙が、すうっと夜の闇に溶け込んでいく。
「……っと」
ニコチンの作用か、冬の夜風か。
セイジは寒気を感じ、体を震わせた。
「ちょっと」
「ひゃう!」
不意に背後から声をかけられ、セイジは素っ頓狂な声をあげた。
もう少し大きかったら、お隣さんを起こしていたかもしれない。
「ななな、なん」
タイミングドンピシャでリョーコが起きてくるとは思っていなかったから、驚きもさらに倍だ。
「なん、じゃないわよ。トイレに行こうと思ったらアンタいないんだもん」
リョーコはベランダに出ると、セイジの横に来て肩を並べた。
さすがに、すっぽんぽんではない。厚手のパジャマ、そして一番最初に脱ぎ捨てたセーターを着込んでいる。
ちなみにパジャマは、セイジに寝室に備えとして置かされているものだ。
他に下着や上着などいくつかが、寝室のタンスの棚ひとつを占拠している。
「ん」
リョーコは髪を右手で梳かすと、次にセイジに向かって、その手を差し出した。
「は?」
「タバコ、一本くれない?」
「……お前、止めたんじゃなかったのか?」
「やめたわよ。だから一本だけ」
「……」
本人が吸うというのだから、それを無理に止める理由もない。
そう思い、セイジはパッケージから一本抜き出すとリョーコに渡した。
リョーコがくわえたのを確認してから、ライターで火をつけてやる。
「ふぅー……」
「……」
そのまま、二人してタバコを吸う。
セイジの住むマンションは高層というわけではないが、少し高台になったところに建っており、なかなかに見晴らしは良い。
時間も時間なので、灯りがついている家は少ない。
が、そのまばらな灯りの間に街灯が挟まり、それなりにキレイな光景となっていた。
「……」
「……」
沈黙が、タバコの煙に乗って二人の周囲を包む。
「……」
「……」
火がフィルターを焦がしそうになるまで、大事に大事に、二人はタバコを吸った。
「ね、セイジ」
最後の灰が落ちようかという時、突然リョーコがセイジに話しかけた。
「ん、何だ?」
だが、リョーコは続く言葉を口にしなかった。
リョーコはベランダのコンクリートにタバコを押し付け、火を消して、口をつぐんだ。
「……」
「……」
リョーコが喋らない限り、セイジも尋ねることが出来ない。
また、二人は黙り込んだ。
「……」
「……」
五秒、十秒、三十秒、一分。
リョーコは喋らない。セイジも喋らない。
「……」
「……」
二分、三分。
さすがに本気で寒くなってきた、とセイジが思い始めた頃、ようやくリョーコは口を開いた。
「ね、セイジ」
「んあ?」
「……もっかい、しない?」
「はへええ?」
セイジはズッコケそうになった。
これだけ焦らされて、結局「もう一回セックスしよう」と言われるとは、セイジは思ってもいなかった。
「寒くなってきたし、ヤレば体もあったまるし」
「……お前、無茶苦茶だぞ」
「うっさいわね。いい加減酔いも覚めたでしょ?」
「でしょ、じゃない。俺はもう……」
リョーコは右の掌をセイジの口に押し当て、反論を防いだ。
「アンタに拒否権は無いのよ」
個人の権利をことごとく蹂躙され、反論すら許されず、ただ命令に従うのみ。
これを奴隷と言わずして何と言おうか。
「……むむむ、むぐう」
セイジは肩を落とした。
リョーコが言い出したらテコでも動かない。余程のことが無い限り、ひっくり返すのは不可能だ。
セイジは、自分の首、腰、頭に心の中で謝った。スマン、もう少しだけふんばってくれ、と。
「オッケー♪決まりね。じゃ、第……えーと、何回戦だっけ?」
「……知るかよ」
「何よ、それぐらい覚えときなさいよ」
物凄く身勝手なことを言うと、リョーコは吸殻をセイジに押し付け、鼻歌を歌いながら居間へと入った。
セイジはリョーコの後にトボトボと続いた。
「フンフン〜♪」
「……?」
セイジは首を少し傾げた。
リョーコが歌っている鼻歌のメロディーに聞き覚えがあったからだ。
記憶の扉を叩いて思い出そうとするが、歌っている者も曲の名前も思い出せない。
ただ、歌詞だけは一部分、脳細胞の奥から引っ張りだすことが出来た。
「……気がつけばまた今夜も、同じ顔ぶれ」
確かそんな歌詞だったか。その後どう続いたかまでは、セイジは思い出せなかった。
「なあ、リョーコ」
その鼻歌、何て曲だったっけ。
そう問おうとして、セイジはやめた。
鼻歌ということは、リョーコも覚えていない可能性がある。迂闊に尋ねて、もしリョーコが知らなければ、
「私も気になるわねー、よし、アンタ次までに調べときなさい!」と命じられかねない。
インターネットを使えばすぐにわかるだろうが、なるべるくならリョーコの命令に時間を割くのは避けたいところだ。
「……いや、何でもない」
「……ヘンなヤツ」
「……お前に言われたかねえよ……」
「ああん?何か言った?」
「いえっ、何も言ってないであります」
「それならよし。さ、第何回戦か忘れたけど、もう一発イクわよー!」
「……げふぅ」
セイジはまた一段と肩を落とした。
この分では、頭痛と腰痛に加え、寝不足の状態で仕事に行くことになるに違いない。
「……いったい」
いったい、いつまでこの関係が続くのだろう。
リョーコが働きだしたら、少しは解放されるのだろうか。
今以上に、それぞれに違う生活をおくることになるはずだが、果たして。
「……」
セイジは上を向いた。薄ぼんやりと、天井が見える。
ああ、笑いたいなあ。心の底から。
そんなわけのわからん願いが理由もなく、セイジの胸に沸き起こった。
「ちょっと、何ボケーとしてるのよ!」
「がふぅ!」
セイジは鳩尾の辺りに鈍い痛みを感じた。
自分でも気づかないうちに立ち止まっていたらしく、それを見咎めたリョーコが肘鉄を食らわせたのだ。
「さっさと来ないからよ。犬はご主人様について歩くもんでしょうが」
「む、無茶言うな……」
「四の五の言うな!ほら、一発で勘弁してやるから来いっての!」
「うぐうううう」
痛む脇腹を押さえつつ、セイジは思った。明日、いや今日は仕事を休もう。朝一番で電話しよう。
理由は病欠、頭と腰と首、そして脇腹の痛みだ―――
◆ ◆
「……」
その日二度目の目覚めは、悪くないものだった。
あくまで、一度目の目覚めに比べてだが。
「あが、痛てて……」
カーテンの間から、朝の光が差し込んで、絨毯の上を照らしている。
セイジは腰に手をあて、擦りながら起きると、床の上に脱ぎっ放しになっているジャンパーに手を伸ばした。
そのポケットから携帯電話を取り出し、時間を確認した。その表示はAM7:09となっていた。
習慣とは恐ろしいもので、いくら体と精神が疲れていようとも、いつもの起床時間に目が覚めてしまう。
「……?」
セイジは、普段なら絶対嗅ぐことのない匂いを感じた。
一人暮らしのマンションで、家主の自分が寝ていたのに、どうして味噌汁の匂いがするのか。
「まさか、リョーコか……?」
いつもなら、すでにリョーコは帰宅しており、
キッチンのテーブルの上に菓子パンとメモがちょこっと乗っているというのがパターンだ。
「いや、しかし……でも」
トントン、という包丁の音も聞こえてきた。
どうやらリョーコがいるのは間違いない、ということがわかり、セイジはジャージだけを身につけてキッチンへと向かった。
トランクスやシャツは、シャワーを浴びてから新しいのを着ればいいということで、あえて無視した。
床に散らばったリョーコの下着やビールの空き缶も、後で片付ければいい。
今日は仕事を休むことに決めたのだから、それらをやる時間はたっぷりある。
「……」
キッチンに近づくにつれ、味噌汁の匂いと包丁の音は強く、大きくなってくる。
「おい、リョーコ?」
入るなり、セイジは声をかけた。
もういるのは確定なのだから、迷うことはない。
「あらセイジ、案外早かったわね。あんだけ搾り取ったからもっとダウンしてるかと思ったのに」
「この時間に起きるのは習慣でな……って、そうじゃない。お前何してるんだよ?」
「何それ、ご主人様に対してエライ口のききようね?」
セイジの詰問に、リョーコは包丁を止めると憤慨したようにふくれっ面で振り向いた。
「せっかく朝ごはん作ってやってるのに。味噌汁、玉子焼き、沢庵、味海苔よ?定番中の定番よ?」
「ああ、それはありがとうございます……いや、だから何でここにいるんだって聞いているんだが」
「だから、朝ごはん作るために」
「いや、だから……」
どうにも、会話が噛みあわない。
「それよりもとっととシャワー浴びてきたら?出る頃にはもう出来てると思うから」
「いや、だーかーら」
見れば、リョーコはすでにシャワーを浴びてきたのだろう、髪の肌もさっぱりとしていた。
服装もきちんとしている。これで可愛らしいエプロンでも着けていたら、立派な若妻だ。ただし口調の乱暴な。
「朝ごはんはありがたいが、リョーコがここに残っているのは何故かって……」
「しつこい、だから朝ごはん作ってあげるためだって言ってんでしょうが」
「ああ、はあ、だから何故……」
とことん会話が噛みあわない。
どっちも、思ったことを口にしているだけなのだが。
「ええいうっさい、とっととシャワー行って来いこの犬!」
「はっ、はい!」
ああ、悲しき条件反射。
リョーコの怒号に、セイジは回れ右をすると風呂場へと直行した。
「ああ、昨日の服とか、集めて洗濯機の中へ放り込んどきなさいよ?」
「はい」
これでは、妻が主導権を握る若夫婦以外の何者でもない。
だが、実際は結婚しているわけでもないし、厳密に言えば恋人同士とも言いかねるのが滑稽なところだ。
風呂場から出たセイジが目にしたのは、キッチンのテーブルの上に並んだ朝ごはんと、
帰り支度をしているリョーコだった。
「リョーコ……?」
「朝ごはん机の上にあるから食べなさいよ。てか食べろ」
「……はい」
「私、朝一でゼミの教授のところに用事で行かなきゃなんないので、これで帰るから」
「……はあ」
「洗濯物は干しときなさいよ。また換えを持ってくるし」
「……はい」
「ゴミは居間だけ片付けといた。寝室はやっときなさいよ」
「……はあ」
「あ、あとコンドームの買い置きもきれてたわよ。買っときなさい」
「……はい」
「何か、えらく素直ね」
「……はあ」
「ま、いいや。ようやく立場がわかってきたみたいね」
リョーコはセイジと会話しつつ、玄関に行き、靴を履いた。
セイジは、まだリョーコが朝ごはんを作ったという事実が理解出来ていない。
何故そこまでしてくれるのか。いつもはせいぜいパンと飲み物を買ってきて置いていくくらいなのに。
「……」
「じゃ、また連絡すっから」
「……」
ビシ、とリョーコは手を挙げると、玄関のドアを開け、表に出た。
そして、セイジの方へ振り向くと、悪戯っ子のようにニヤリと笑った。
「あ、セイジ、学校には連絡しといたからね」
「はあ、どうも」
「それと、居間の机の上に昨日渡せなかったお土産置いといたから」
「ははあ、どうも」
「そいじゃね〜」
ピコピコと手を振り、リョーコはドアをバタンと閉めた。
リョーコの姿が視界から消えてからも、セイジは玄関にしばらくボーッと立っていたが、
味噌汁の匂いが再び鼻に届き、我に帰った。
「……冷めないうちに食べるか」
どういう思惑があったのかはわからないが、せっかく作ってくれたのだから、きちんと食べないと。
それは、ご主人様の命令も何も関係ない。食べ物を粗末にしてはいけない、は万国共通の金言だ。
「メシ食べて、寝室片付けて、洗濯物干して、そして学校に連絡を……」
キッチンの椅子に座ろうとして、セイジは体の動きを止めた。
「学校に、れ、んらく、を……」
ギギギ、と錆びたゼンマイのような動きで、セイジは玄関の方を見た。
さっき、帰り際にリョーコは何と言った?お土産云々の前だ。
学校には連絡しといたからね―――そう、確かにそう言った。
「げ、げげげげげげげげげげげげげ」
セイジは震えだした。
嘘だ、リョーコは嘘を言ったんだと思い込もうとするが、
『リョーコならやる。そしていらんことを絶対言っている』と、脳の奥にいるもう一人の自分がその考えを打ち壊していく。
「げげげげえげげげええ」
最早、朝ごはんは頭からぶっ飛んでいた。
キッチンのテーブルの横、カラーボックスの上にプッシュホンがあるのだが、
それに飛びつくとリダイヤルボタンを押した。
細い液晶の画面に表示された電話番号は―――
「…………はふぅ」
セイジは大きく安堵の息を吐いた。
違った。表示された番号は、『東が丘中学』のものではなかった。
「いや」
まだ携帯電話がある。
乱暴にプッシュホンを置くと、寝室へとダッシュした。
携帯電話は、起きて時間を確認した後に置いた場所にあり、
触られていないようだったが、だからと言って安心出来るわけなどない。
携帯電話を取り上げ、震える手で発信履歴をチェックする。
「…………はへぇ」
絨毯の上にストンとセイジは腰を下ろした。
最終の発信履歴、それもまた、『東が丘中学』ではなかった。
「……アイツ、驚かせやがって」
セイジは手を伸ばし、ボックスティッシュを引き寄せると、何枚か引き抜いて額の汗を拭った。
それをゴミ箱に捨てようとして、周囲に散らばったたくさんのティッシュに改めて気づいた。
「……本当に、俺は何発搾り取られたんだ……」
セイジまず窓を開け、換気をした。ベッドからシーツを剥がすと洗濯機に突っ込み、
そして市指定のゴミ袋をキッチンから持ってきて、ゴム手袋をはめ、ゴミを集め始めた。
「あれ?」
セイジはゴミを拾い集める途中で、違和感を覚えた。何かおかしい、何か足りない気がする。
「あ」
ポン、とセイジは手を打った。
コンドームだ。コンドームとそれを包む袋が少ないのだ。拾い集めたのは二つしかない。
「そう言えば、リョーコがきれたとか何とか言ってたっけ……」
最初の挿入の時は着けた。で、最後の挿入の時も着けた。一番最初と一番最後、その二回は確実に着けてヤッた。
「……あれ、そうすると?」
その間、つまり、酒で記憶が無い時はどうしていたのか。
まさか、ナマでやったのだろうか。今日が大丈夫な日とは、セイジはリョーコから聞いていない。
だからこそ、コンドームを使ったのだから。
「いや、まさかな……」
ゴミ袋の半分程にもなった丸めたティッシュ、それが全てを物語っているではないか。
それだけティッシュを使ったということは、つまりはそれだけ外に出したということだ。
一抹の不安はあるものの、セイジは自分にそう言い聞かせた。
「さあ、さっさと片付けて学校に電話して、朝飯食うとするか」
テイッシュを全部拾い終え、次にセイジはビールの空き缶を拾い始めた。
「ん?」
缶ビールに、何かシールみたいなものが貼られているのに、セイジは気づいた。
「何だ?」
顔を近づけて、そのシールを見てみる。
そこには、『三月に新発売、誕生!春味・生 お楽しみに!』と小さな文字で書かれていた。
その下に、さらに小さい文字で会社のホームページアドレスが記入されている。
「何だ、ただの宣伝用シールか……」
興味を失うと、セイジはまたビール缶拾いに戻った。
職員朝礼が始まる前に電話すれば良いのだから、まだあと十数分は余裕があった。
セイジは知らない。
リョーコが自分の携帯電話、つまりリョーコの携帯電話で学校に連絡を入れたのを。
その際、「豊田の妻ですが」と吹かしをこき、職員室が大騒ぎになっていることを。
セイジは知らない。
居間のテーブルの上に、一日早いリョーコからのバレンタインデーのチョコが置かれているのを。
(そしてそれがガラナチョコだということを)
セイジは知らない。
コンドームの数以上に、セックスをしたことを。
リョーコ自身も、何回ヤッたか、そして本当に外出しをしたかをわかっていないことを。
セイジは、知らない。
F I N