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カップリング |
「ご主人様と奴隷の幸せな関係エピソード5・犬が迎えた明るい戌年」 |
ピンキリ氏 |
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『では次はガチョウ倶楽部の皆さんによる隠し芸です』
『これは期待出来ますね、何せ去年の夏からこの日のために稽古をしてきたという話ですから』
『とても気合が入っています。現在白組が僅差ですが負けているので一発決めてほしいものです』
『あっ準備が出来たみたいですね。それでは、白組のガチョウ倶楽部の皆さんです、お題は……』
「あっはっは、おもしろいおもしろい」
中村リョーコはケタケタと笑い声をあげた。
今、彼女が見ているのは、【新春恒例芸能人大集合マル秘ドッキリ10時間駅伝隠し芸大会】だ。
「やっぱお正月といったらコレよねー」
「……は、そうっすね」
「やー、スベってやんの。これで半年準備したってウソじゃん」
「……は、そうっすね」
「やっぱ今年も紅組の勝ちかねー」
「……は、そうっすね」
「ちょっとセイジ」
「……は、そうっすね」
「アンタ、その気の無い返事ヤメてくんない?」
「……は、そうっすね」
場所は中村リョーコのマンション、その居間。
家主のリョーコと、そのこいび……もとい、奴隷の豊田セイジがコタツを挟み、向かい合って座っていた。
そのリラックス度には天と地程の開きがあり、
リョーコは座椅子に缶ビール、つまみと万全の体勢だが、
セイジはといえば正座で、その膝の先をちょっとコタツに入れている程度だった。
「正月よ正月、もう何度言ったか忘れたけどさ、気を緩めなさいよ」
「……は、そうっすね」
「アンタ、もしかして喧嘩売ってる?」
「……いえ、別に」
そう、セイジは不機嫌ゆえにこのような態度を取っているのではない。
喧嘩を売るも何も、力関係のハッキリとした現在、そんな後が怖い行為に出るわけがない。
「だったらそのボソボソッとしたしゃべりやめてよ」
「……はぁ」
ぶっちゃけ、セイジは疲れている。心も体も疲れている。
今、彼の頭を支配しているのは、“早く家に帰ってぐっすり寝たい”というささやかで哀しい欲望だ。
大晦日から元日朝にかけて、濃密でハードな時間を過ごし(強制)、
精を搾り取られた体で車を運転、臨海公園まで初日の出を見に行き(強制)、帰りに神社に初詣に行き(強制)、
リョーコの部屋に戻ってきて坊主めくりやらババ抜きやらオセロやらにつきあい(強制)、
やる気も起こらず適当にプレイしてたら全敗、正月三が日完全奴隷契約を結んだ(当然強制)のだ。
これで疲れ果てない男がいようか、いやいない。
「さっきから全然ビールが進んでないじゃない。ほら、飲みなさいよ」
「……いえ、もう限界っす」
「こら犬、ご主人様の命令がきけないっての?」
「……はい、いただかせていただきます」
彼に想いを寄せている女子生徒がその姿を見たら、間違いなく幻滅するであろう。
文字通り、今のセイジはリョーコの犬だった。
「この番組が終わったら楽しい楽しい調教の時間が待ってるんだから、しゃきっとしなさい」
どこの世界にそんな言葉で背筋を伸ばす人間がいるのか。
まったくもって無茶苦茶としか言いようがない。
「……」
だがセイジは抵抗しない。
三が日完全奴隷契約以前に、逆らうことの無意味さを骨の髄まで染みて理解しているからだ。
「……はぁ」
セイジは精気の抜けきったため息をついた。
今夜もあの地獄の責め苦があるのかと思うと、まこと暗澹たる気持ちにならざるをえない。
セイジは思う。もし今、他の男性がこの場にいたら、自分を羨ましがるだろうか、と。
リョーコは美人だ。これは間違いない。
スタイルもいい。これも間違いない。
そしてとてもエロい。リョーコの気が乗ればきっとあんなこともこんなこともしてくれるだろう。
「……」
代わりたいと思う奴がいたらいつでも出て来い。大喜びで交代してやる。
女の性格は多少、いや相当悪いが、それさえ我慢出来ればオッケーだ。M男君気質の持ち主なら申し分ない。
ローソク責めやムチ責め、ピアッシングなどという度の超えた変態行為までは及ばないから安心しろ。
いや望めばそれすらもやってくれるかもしれん……。
「ちょっと、セイジ、セイジ!」
「……はっ、ひゃい」
「アンタ、大丈夫?虚空見つめてボーッとしちゃってさ」
「……」
セイジは頭を振った。願望から妄想に入りかけていた。かなり危険な兆候だ。
「いや、大丈夫だ……です」
「そう?それならいいけど。アンタ、受験生の担任だからって頑張り過ぎなんじゃない?」
「……」
「休むときはきちんと休みなさいよ」
「……」
セイジは返事をせず、曖昧な表情だけをリョーコに返した。
言葉だけ見れば、慰労と取れるのだが、セイジの休日を奪っている本人の口から出たものなので、
彼にしてみれば説得力の欠片なんぞ1ミリグラムもありゃしない。
◆ ◆
「はー、終わった終わった。おもしろかったわー」
「……」
リョーコはリモコンを手に取ると、テレビを消した。
「さーて、ひとっ風呂浴びてくるかなっと」
「……」
「セイジ、私が入ってる間にその空き缶片付けといて」
「……」
セイジ、もはや声を出す気力も無し。
隠し芸大会がテレビから流れてくる最中、セイジは睡魔の誘惑に抗しきれず何度も瞳を閉じそうになった。
だが、ウトウトする度にリョーコが割り箸の先で頬を突っついてきて寝かせないのだ。
それを延々繰り返した結果、既に底が見える程に乏しくなっていたセイジの体力気力は、
完全にカラッカラになっていた。
「じゃーねー」
一方、リョーコはどこに貯蔵してあるのかという程元気。
セイジと同じ流れで時間を過ごしているのに、だ。
振り回す方と振り回される方の違い、と言ってしまえば、確かにそれまでなのだろうが。
「……」
セイジはノロノロと手を動かして、こたつの上とその周りに散らばった空き缶とゴミを片付け始めた。
バスルームからは、バシャバシャという水音とリョーコの鼻歌が聞こえてくる。
今がチャンス、逃げよう……などとはセイジは決して思わない。衝動すら起こらない。
一時的に脱出出来たとて、永久にリョーコと縁が切れるわけではないのだ。
「……」
セイジは片付けが終わると、絨毯の上にドサリと身を投げた。
永久に縁が切れるわけではない、逆を返せば、永久にこの関係のまんま。
セイジは一瞬、背筋に薄ら寒い何かを感じた。
「……」
……どこで俺は人生を踏み間違えたんだろう。あの時、リョーコをナンパした時からか。
いや、あの時は正直深く考えてなかったんだ。軽い気持ちだったんだよな……。
「……、……」
セイジの全身を疲労感が覆っていった。
ちょっかいをかけてくる悪女は、幸いバスルームの中だ。
すぐに叩き起こされるとしても、今は一分でもいい、穏やかな眠りが欲しい。
「……ふぁ、あ……」
眠りの神の掌が、セイジの顔の上を一撫でしていく。
アクビをひとつ、セイジはした。
セイジは夢を見た。
富士山のてっぺんで、鷹を腕にとまらせたリョーコが笑っている。
鷹がとまっているのと逆の手には、ブルブルと妖しく震動するナス型のバイブが握られている。
リョーコは笑う。ただただ笑う。
その笑みは、不敵にも、幸せそうにも、何かを企んでいるかのようにも見える。
何も喋らない。
セイジの方を見て、ただ、ニコニコと笑うだけなのだ。
ニコニコ、ニコニコと。
結局、セイジが目覚めたのは翌日の朝だった。
リョーコはセイジを起こさなかったのだ。
代わりに、セイジの体には、毛布と布団がかけられていた。
寝ぼけ眼で顔を洗いに行ったセイジは、その後リョーコにまた無理難題をふっかけられるのだが……。
それはまた、別の話。