作品名 作者名 カップリング
「アイのカタチ」最終話 ピンキリ氏 -

 部屋は薄暗かった。
窓にはカーテンがかかっておらず、
そこから差し込む白っぽい外の光だけが、うっすらと部屋全体を照らしていた。
窓の下に木製のベッドがあり、真っ白なシーツにくるまって、二人の男女が愛の営みを交わしていた。
部屋は暖かかった。
暖房を強くしているわけではない。
二人の体から立ち上る熱気が、部屋全体の温度を上げていたのだ。
「くうっ……きゃ、うっ……!」
 女の体が、シーツの下でビクンと跳ねた。
男の手が彼女の敏感な部分を責めたからだ。
女は体の芯に走る衝撃を少しでも逃がそうと腰を揺らしたが、男はその手を休めようとはしなかった。
逆に、その動きを一層激しいものにしていった。
「ひゃ、あ、ああっ」
 シーツが波打ち、汗を吸い込み、二人の体の線を浮き上がらせるようにまとわりついてく。
「あ、あ、ああ、ああ!」
 男が女の首筋から肩にかけ、キスの雨を降らせた。
秘所を弄る手指も動きを怠ることはない。
「ん、じゅ……」
 女の肩に滲み出た汗の玉が、男の唾液と混じり、女の肌を覆っていく。
外から入る白光を受けて、その部分が妖しくてらてらと輝く。
「くっ……」
「むう……っ」
 男は体を伸び上がらせると、自分の舌先を女の頬に押し付け、滑らせて唇へと運んでいった。
快楽によって食いしばられた女の歯をノックするように舌で叩き、こじ開けると、舌を差し込んだ。
「はむ……っ」
「む、ちゅ……」
 唾液と汗が混じり、しょっぱい、だけどどこか甘い味が二人の口内に広がっていく。
「む……うにゅ……くはぁ」
「は、はっ……ろ……っ」
 男の手がシーツの下でごそりと動いた。
女は身をよじろうとしたが、男がもう片方の手と唇で押さえつけているため、かなわなかった。
「く、ふうう……」
 男は舌先による蹂躙を止めると、女の秘所から指を離した。
下腹部から臍、臍から脇へと、濡れた指先で線を書くように移動させていき、
最後に女の左の乳房、その頂点でツンと尖っている淡いピンク色の蕾へとたどり着かせた。
「あっ……!」
 また、女が震えた。
自分が分泌した淫らな体液が乳首に絡み、火照った体でそこだけがヒヤリと冷たく感じられた。
「や、はん……っ……くぅ!」
 男は乳首を親指と人差し指で摘み、指の腹で優しく前後左右に擦りあげた。
「あん、あ、ああ、ん」
 男の指が一往復するごとに、女の目蓋がピクピクと震えた。
左の胸の先から全身に伝染していく、官能という名の痺れ。
「はあ、はぁ、は……っく、はぁ……」
 男は数分程、その行為を続けただろうか。
女の唇の端が痙攣を起こしたように小刻みに震動し始めたのを見て、男は手を止めた。
次に、シーツの中に体をもぐり込ませると、顔を下へ下へともっていった。
「……ッ!」
 臍から下、陰毛を鼻先でかきわけるようにして、
女の一番大事な部分に顔を近づけ、照準を合わせた。
次の瞬間、女の口が大きく丸く開かれ、その奥から正確に音として聞き取れないような悦楽の響きが漏れた。
男が文字通り、そこにかぶりついたのだ。
「ッ、ッ、ツーッ!」
 シーツに両腕を突っ込み、男の頭に当てて引き剥がそうとするが、出来ない。
男の舌が、淫猥な音をたててそこを舐り倒していく。
「あ、が、い……ッ!」
 首を数度、左右に激しく振ったかと思うと、女は全身を突っ張らせ、顎を反らせて薄い悲鳴をあげた。
首筋、鎖骨、乳房の上辺りが、桜の花が咲いたかのようなピンク色に染まる。


「ふ、ぐ、あぁ……」
 女の体から力がガクッと抜けた。目から一筋、涙が流れてベッドの上へと落ちていく。
「……ふぅ、っ……」
 男は、女の強張りが解けたのを確認すると、シーツを飛ばす勢いで体を持ち上げ、膝立ちの姿勢を取った。
その口の周りは、先程の汗と唾液と同じく、淫らに光っている。
「は、ふ……」
 外気に触れた肌から、白い湯気が発し、天井へと昇っていった。
「……」
 ゆっくりと右手を伸ばし、男は女の頬、耳、そして髪の毛を掌で優しく撫で上げてゆく。
「……いきます」
 女の体から快楽の波が去ったのを見計らい、小さく、だが確実に女に聞こえる大きさの声で、男は呟いた。
それに対し、女は前髪に触れる男の指に自分の指を絡ませ、コクリと頷いた。
「……」
 男は微笑んだ。
そして、女の太股に手を回して割り開くと、狙いを定め、腰を徐々に前へと突き出していった。
「あ……!」
 熱い、柔らかい肉が男を包んでいく。
「ああ……っ!」
 熱い、固い肉が女を貫いていく。
「ふあ……!」
「くぅ……!」
 最奥まで、到達した。
男は、また微笑んだ。
女も、微笑み返した。
目線と目線が交差した。
穏やかな、暖かい空間。
性欲と愛情、理性と感情の狭間。
「う……んっ」
「あっ、ああっ」
 男が腰を揺らした。
女の腰が揺れた。
肉と肉がぶつかる音とベッドが軋む音、そして二人の声が部屋の中に繰り返し、繰り返し積もっていく。
「くっ、くうっ、あ、アイ、せんせ……えっ!」
「んん、あん、うっんっ、はぁ……っ、マサヒ、コ、くぅん……!」
 シーツはすでに床に落ちていた。
「アイ、アイせん、せい、あ、ううっ!」
「マ、マサ、マサヒコく……んッ!」
 二人の声のトーンが、段々と上がっていく。
「はぁ、はぁはぁ……くうっ!」
「あ、いっ、あ、ああ……ん、ッ!」
 窓から入る、白い白い、雪が輝く光。
それが、交わりあう二人の体を優しく照らし上げた。


                 ◆                     ◆

「……」
「……」
 やるコトをやった後の十数分間は、どこか無口になってしまうものだ。
快楽の余韻がまだ残っているのもあるし、体を動かした疲れもある。
何だか、ピンク色の靄が脳みそに薄っすらとかかっているような感じなのだ。
「……」
「……」
 天井側から見れば、ベッドの上にマサヒコが右でアイが左、
横になって一枚のシーツに包まって(床に落ちたのを拾い上げた)いる状態だ。
火照りがまだ抜けない中、二人は数秒ごとに目を合わせては無言で笑みを交し合った。
「……結局、こうなっちゃったんだね」
 先に口を開いたのはアイだった。
喋りながら人差し指で、マサヒコの頬をぷにぷにと突く。
「……あう」
 マサヒコは頬を押されるままにアイから目を逸らし、棚の上にある置時計を見た。
チクタクと動く秒針と、心臓の鼓動がシンクロしているようにマサヒコには感じられた。
「……私も、マサヒコ君のこと責められないけどね」
「あ、はは、ははは……」
 マサヒコは照れを隠すようにわざとらしく笑った。
そして、アイの肩に手を回すとギュッと強く抱き寄せた。

 今日は十二月二十五日、クリスマス。
サンタが街にやって来る日。
クリスマスパーティを開くために、マサヒコとアイはアイのマンションに居た。
ツリーを飾りつけ、料理を用意し、窓の外の雪を眺めつつ、聖夜を過ごすつもりだった。
だが、皿を並べている時に、マサヒコの胸にムラムラッと淫らな欲望が湧き上がってきたのだ。
今夜は泊まるのだから、それまで我慢すればいいものを、マサヒコにはそれが出来なかった。
エプロン姿のアイを後ろから抱きすくめると、ベッドへと連行し、
アイの「待ってマサヒコ君、ま、まだそんな時間じゃ」という抵抗を無視して、青い性欲を開放してしまった。
で、アイもアイで、マサヒコの指や唇に責められているうちに昂ぶってゆき、求め返し、
そのまま交わりに突入したという次第だ。
中学時代はEDだの仙人だの言われていたマサヒコと、
二十年間恋をしたことがなく、性知識に変に偏りがあったアイ。
どうしてどうして、一度境界線を越えてしまえば、結構二人とも性欲に対して従順だった。


「さ、てと」
 マサヒコはシーツをのけると、ベッドから起き上がった。
「シャワー、借りますね。順番がちょっと狂いましたけど、晩飯にしましょう」
 冷蔵庫の中のケン○ッキーのフライドチキンが、暖め直されるのを今か今かと待ちわびているはずだ。
サラダだってシャンパンだって、心があるなら早くテーブルに乗せてくれと思っているに違いない。
「じゃ、私はクリスマスケー……キを、って……あ、ああーっ!」
「わ、わっ!」
 マサヒコは全裸のまま、驚いて飛び上がった。
振り向くと、シーツをマントにように纏ったアイがベッドの上で青ざめていた。
「な、何ですか?」
「ケーキ!」
「ケーキ?」
「ク、クリスマスケーキ!」
 シーツを放り出して、アイは立ち上がった。
自分がすっぽんぽんである、というのをまったく気にしていないかのように、勢いよく。
いや、気にしていないのではなく、気にしている余裕を失っていると言うべきか。
「わ、忘れてたー!」
「えーっ!?」
 何という事か、クリスマスパーティに欠かさざるべきもの、
クリスマスケーキをアイは用意し忘れていたのだった。
「せ、先生、予約してたんじゃ?」
「し、したよ、【ロッテン&マーリン】で特製ケーキを!」
「じゃ、じゃあ問題無いんじゃ……」
 アイは、置時計を指差した。その腕が細かく震えている。
「受け取り時間の指定、午後四時……」
「……」
 置時計は六時二十八分を指していた。
「ああああ、あああああああ」
 アイは携帯電話に飛びつくと、ピポパとボタンを押した。
もちろん、【ロッテン&マーリン】に問い合わせをするためだ。
「あ、あの、私濱中と申しますが、クリスマスケーキを予約してた者で……」
 全裸であたふたしながら電話をしているアイを、マサヒコはやや呆然としながら見ていた。
自分が服を着るという考えも、アイに何か着せるという考えも起こらなかった。
「はい、その、指定は四時……え、え、あ、ハイ、ハイ、あ、ありがとうございます!」 
 アイの顔に喜色が蘇るのを見て、マサヒコはほっと安堵の溜め息をついた。
どうやら、【ロッテン&マーリン】はアイが注文したケーキをとっておいてくれたみたいだった。
「今から、今からすぐに受け取りに行きますので、よろしくお願いします。ハイ、ありがとうございます」
 先程とは打って変わって、弾んだ声のアイ。
「……と、いうわけで今からすぐに取りにいくよ、マサヒコ君!」
「え、で、でもシャワー……」
「すぐ浴びる!今すぐ!私も一緒に浴びるから!」
「え!?」


 マサヒコは目が点になった。
時間短縮のために一緒にシャワーを浴びよう、とアイは言っているのだ。
「あ、は、はぁ」
「ほら、早くしよ、早く!」
 アイはマサヒコの手を取ると、浴室へと引っ張っていった。
「い、一緒にってのはマズイんじゃ……」
「マズくないない」
「いや、その」
「いいから!」
「は、はい」
 今のアイの最優先事項は『クリスマスケーキを取りにいくこと』であり、
恥ずかしさとか照れとかは完全に頭の中に存在しなかった。
「じ、じゃ汗をさっと流して、す、すぐに受け取りに行きましょう」
 マサヒコがアイと一緒にシャワーを浴びるのを躊躇ったのは、照れでもないし恥ずかしいからでもない。
その行為自体が、刺激的過ぎるからだ。
下手をすると、またムクムクといけない欲望が起こりかねないわけで。
「あー、うー」
「マサヒコ君、そこの棚からタオル用意しておいて!」
「は、はい!」
 マサヒコは腹に力を込め、アイと浴室に入った。
どのみち、ケーキは取りに行くしかないのだ。
汗と唾液、そして淫らな液で濡れた体で外に出るわけにはいかない。
それに、雪が降っているのだから、体を温めておく必要もある。
「あ、あっち!」
 アイがシャワーのコックを勢いよく捻った。
熱いお湯が音をたて、アイとマサヒコの肌の上で弾け飛んだ。

 シャワーを浴びた数分足らずの時間が、マサヒコには一時間くらいの長さに思われた。


 マンションのエレベータを降りたアイは、表の道に飛び出た。
「ほら、行くよマサヒコ君!」
「ま、待ってください!」
 マサヒコは駆け出そうとするアイの手を掴むと、引っ張り寄せた。
「え、ちょ、ちょっと!?」
「雪が降ってるんですよ、道路も滑りやすくなってるはずです。
もしコケて怪我でもしたら、ケーキを取りに行くどころの話じゃなくなりますよ」
「あー、う……うん」
 アイは一瞬不満そうな顔をしたが、マサヒコの言葉ももっともなので、コクリと頷いた。
「店もケーキはも逃げませんよ、アイ先生」
「そ、そうだね……」
 マサヒコはアイの腕を放すと、改めて掌を差し出した。
「さ、行きましょう、ゆっくり、コケないように。
早く食べたいのなら、尚更落ち着いて歩いていきましょう」
「……うん」
 差し出されたマサヒコの掌に、アイはそっと自分の掌を重ねた。
手袋越しに、お互いの体の温かさが伝わっていく。
さっき浴びたシャワーのお湯の熱さが、まだ二人の体に残っていたが、
それでも、互いの体温はそれ以上に熱く感じられた。
「雪……まだまだ降りそうですね」
「うん、いっぱい積もるかもしれないね」
 二人は空を見上げた。
夜の闇に、星は無い。
だが星の代わりに、白い雪がふわふわ、さらさらと降り落ちてきている。
それが、街灯や家々の灯りを受け、きらきらと輝いて見える。
「今日は……どこの家も、パーティですかね?」
「多分、ね……」
 マンションを出てから二人は何人かとすれ違ったが、
皆が笑顔で、ケーキの箱やプレゼントと思しき包みを持っていたりして、
いかにも『これから家族(もしくは知人友人恋人)と楽しみます』といった感じだった。
「……去年は」
「……」
 マサヒコはそれ以上言わなかった。
アイも聞かなかった。
「……」
「……」
 去年は、アヤナの家で皆でパーティをした。一昨年もそうだった。
だけど、今年は違う。
出来ることなら、皆でやりたかった。
二人きりで聖夜を過ごすのは、確かに楽しいし嬉しい。
だけど今は出来ない。
色々と重過ぎる。
「……来年は」
 来年は、出来るだろうか。
皆で楽しく、クリスマスパーティが出来るのだろうか。
「……」
「……」
 マサヒコはアイの手をぎゅっと握りしめた。
アイも、同じく握り返した。
来年は出来る、そう信じたい。
大きく回り道をしたけど、傷つけたくない人を傷つけてしまったけれど、
何とか答は出て、決着をみた。
もちろん、全てを流してしまうことなんて出来ない。
ずっと、ずっと心に刺さったトゲとして残っていくだろう。
けれど、だけど。
「……」
 マサヒコはもう一度、天を見上げた。
この雪空の下、彼女も、どこかで聖夜を祝っているのだろうか、と。

                 ◆                     ◆


 あの日、アイのマンションで、マサヒコとアイ、ミサキは夜遅くまで話をした。
一切を濁さず、それぞれがはっきりとした言葉で語った。
感情が暴走しそうになるのを堪えて、出来る限り冷静に話し合った。
もちろん、全てがそうはいかなかった。途中、三人は何度も泣いた。


ミサキ、ごめん

    何で、謝るの

ずっと隠していて、ごめん

    私の気持ち、知ってた?

知ってた

          ミサキちゃん、私、私

俺、アイ先生を好きだ

          ごめん、ごめんね、ミサキちゃん

言わなかったんじゃない、言えなかった

    言えなかった?

ミサキが俺を好きだって気がついた、アイ先生を好きに、人を好きになって、気がついた

    マサ君……

傷つけたくないから、時期を選んでと最初は思っていた

    それって、でも……

違う、俺は逃げてたんだ、臆病だったんだ、自分勝手だったんだ

          マサヒコ君だけが悪いんじゃない、私も

    私も、聞きたくなかった、マサ君がずっと好きだったから

俺、アイ先生を好きだ、好きなんだ
          
          私も、マサヒコ君が好き、愛してる

    私も、マサ君が好き、ずっと、ずっと前から

ミサキのことは、とても大切に思ってる、だけど

    ……嫌だ、嫌だよ

幼馴染としてしか、見れないんだ……ごめん

    ……あは、は……これって、フラれたってことだよね、失恋したって……こと、だよね

          ごめ……んね、ミサキちゃん……

    ……これが、そう、なんだ……

          ミサキちゃん……


 どれくらい、泣いたのか、マサヒコもアイも、ミサキもちゃんと覚えていない。
マサヒコはアイを好き。
アイもマサヒコを好き。
二人は、恋人としてつきあっている。
ミサキはマサヒコを好きだが、フラれた。
確認出来るのは、出来たのは、結局それだけ。
三人がそれぞれ、自分を責め、悔やみ、他の二人に謝った。

 それは、特別なものではない。
どこにでもあるような、恋の、愛の形。
日本だけでなく、世界を探せば似たようなケースはたくさんあるだろう。
 最初から、全てが丸くおさまるようなやり方は無い。
恋愛に、ベストな解決方法なんて無い。
傷つき、後悔して、愛は明確な形になっていく。

 ……割り切ることは出来ない。吹っ切ることも出来ない。だけど。
三人の愛の形は、ここに。
決着が―――ついた。

                 ◆                     ◆

 駅前にある時計塔は、クリスマスということで色々と飾りつけをされていた。
カラフルな電飾が、チカチカと輝いてなかなかに華やかだ。
カラオケ屋の店員がサンタクロースの格好でチラシを配り、
ハンバーガーショップやコンビニからはクリスマスソングが流れてくる。
天から舞い落ちてくる雪は、まるでそのメロディーに乗って踊っているかのようだった。
「おっ、リンコ遅いわよ」
「ゴメンなさーい、はぁはぁ」
 時計塔の下、そこに四人の若い女性が集まっていた。
中村リョーコ、天野ミサキ、若田部アヤナ、的山リンコだ。
「集まったということで、早速行きましょうか」
「お姉様、パーティをするお店って、どこなんですか?」
「ん、駅の真裏よ。どっちかって言うと飲み屋みたいなもんだけどね。創作和風料理のお店よ」
「へえ、すごいですね」
「別に、普通の店よ。アヤナみたいなのが行く店とはまた違うわよ……と、シッシッ、あっち行け」
 大学生と思しき数人の若い男が四人に声をかけてきたが、リョーコがひと睨みして追い散らす。
「それって、クリスマスパーティとはちょっと違わないですか?」
 リンコは別段深い意味を込めて言ったわけではないのだが、リョーコは顎に手をあてて考え込んだ。 
「む、クリスマスパーティはクリスマスパーティなんだけど、確かに少し違う気もするわね」
「べ、別に普通にクリスマスパーティでいいんじゃあ……名前なんて、その、どうでもいいような」
 ミサキの突っ込みに、リョーコは首を横に振った。
位置づけとして、これはただのクリスマスパーティではないのだ。
「良くない、気持ちの問題よ気持ちの。うーん、反省会、残念会、なーんか違うわねー。んー、決起集会、とかどう?」
 三人はあきれたような顔でリョーコを見た。いくら何でも大袈裟過ぎる、と思ったからだ。
大掛かりな団体活動をするわけでなし、決起集会とはあまりに言葉が過激だった。
「よし、これで決まり!クリスマスパーティ改め、決起集会で!」
 だが、リョーコが一度言い出したら後に退くわけがない。
文句無いわね、というリョーコの台詞(脅し?)に三人は頷くしかなかった。
「今日は無礼講、アンタたちもお酒飲んで、パーッといきなさい」
「……未成年に堂々と飲酒を勧めちゃマズイんじゃあ」
「それに、帰る時に困りますよ、お姉様」
 心配ない、とリョーコは胸を張り、ジャンパーのポケットから携帯電話を取り出した。
「いざとなったら下僕一号を呼び出して送ってもらえばいいから。話はつけてあるし」
 下僕一号が誰を指すのか、三人はあえて問わなかった。問う必要もなかった。
ビクビクしながら携帯電話の前で待機している某英語教師のことを想像し、三人は心の中で哀れんだ。
「さ、行きましょ行きましょ」
 リョーコは右手にミサキ、左手にリンコとアヤナの首を抱えて引き寄せた。


「ぐぇ、な、中村せんせ、く、苦しいですぅ」
「いいじゃない、暖かいでしょ?」
「そりゃ、そうですけど……う、ぐ」
 四人はその格好のままで、雪と人混みを割るようにして、リョーコが予約したという店へと向かった。
「何か、また雪が強くなってきましたね」
「そうね、でも風がそんなに無いから」
 リョーコは首を動かし、前髪にかかった雪を振り落とした。
「明日、積もるのかな……?」
 ミサキが小さくポソリと呟いた。
「ん、そうね」
 リョーコは立ち止まった。抱えられた三人も同じように足を止めた。
そして、皆で空を見上げた。
「積もるでしょうね」
「……街が真っ白になりますね」
「……でも、いずれ溶けるわ」
「え?」
 リョーコは腕にさらに力を込めた。より一層強く、三人を抱きしめる。
「悲しみと一緒よ。雪は積もったままじゃない、やがて溶ける。
……いや、ちょっと違うかな。溶けるのを待つんじゃなくて、自分で溶かすのよ。
冷えたままの心じゃ、悲しみという名の雪は溶けずにずっと積もったまま。
でも、前に進もうと熱い心で雪をかきわけていけば、進めば進んでいく程、雪は溶けて無くなっていくわ」
「中村先生……」
「……せんせ」
「お姉様……」
 リョーコはそう言うと、『ガラにも無いこと言ったかな』という風に笑い、腕の力を緩めた。
「さ、早く行きましょう。突っ立ってたら風邪ひきかねないわ。お店に行って、温かい料理と美味い酒を楽しむとしましょ」
 
 新しい恋、それが見つかるのは何時だろうか。
小久保マサヒコ、それ以上に愛せる人が今後自分の前に現れるのだろうか。
そして、マサヒコやアイと前みたいに、前以上に『友達』として仲良くなれるのだろうか。
それは、わからない。わからないけど、もう、下を向くのはやめようとミサキは思った。
わからないのなら、わかるような、望む形の未来にしていけばいい。
リョーコの言う熱い心、それで、『わからない未来』を切り拓いていけばいい。
失恋、好きな人の愛を得ることが出来ないのは、とても辛い。
だが、だからこそ。過去を見つめ、今を見つめ、そして未来を見つめて歩いていかなければならないのだ。
立ち止まっていては、雪は溶けない。溶かせない。
あの時、三人で話し合った。思いをぶつけて話し合った。
マサヒコも、アイも再び足を動かし始めた。自分だけがじっとしているわけにはいかない。
マサヒコと一緒に歩けないのが残念であり悔しいけれど、いつか、きっと。
「……前みたいに、ううん、前以上に笑顔で、幼馴染として」
 時間を共に出来るようになると、そう信じて。

「ん?何か言ったミサキちゃん?」
「あ、いえ、別に……」
「さあさあ、今日は飲むわよー!」
「お姉様、飲み過ぎないでくださいね?」

 今、肩を並べて歩いていける親友がいる。来年は、来年のクリスマスは、マサヒコとアイも加わって―――

「さ、早く行くわよ!」
「はい」
「はーい」
「はいっ」

                 ◆                     ◆


 マサヒコとアイは、無事にケーキを受け取り、マンションへと向かって歩いていた。
滑ると危ないから急がないように、とは思っても、
あと少しでパーティの本番が始められるという事実に、どうしても足の動きが速くなってしまう。
「無事ケーキも受け取れましたし、良かったですね」
「そうだね、ケーキの無いパーティなんて格好つかないもんね」
「はは……」
「暖かい部屋で、ケーキを食べて、シャンパンを飲んで」
「プレゼントを交換して?」
「うん、そうそう。あ、マサヒコ君は何をくれるの?」
「内緒ですよ。そう言うアイ先生は?」
「……マサヒコ君が内緒なら、私も教えない」
「じゃ、楽しみにしてます」
「うん、私も……」
 ケーキの袋を挟んで、笑顔で話をするその様子は、まさに恋人同士といった感じに周囲からは見えた。
「……」
 マサヒコは、空いている方の手をオーバーのポケットに突っ込んだ。
そこには、キレイな包装紙に包まれた、小さな四角い箱がある。
その中には、今日アイにあげるクリスマスプレゼントが入っているのだ。
今日の雪のように、白銀色に輝くシルバーリング。
マサヒコのこづかいで買える範囲のもので、決して高額な物ではないが、
マサヒコは店の中で何時間もかけて、アイに似合いそうなやつを選んだのだ。
「たいした物じゃないですから、喜んでもらえるかどうか……」
「ううん、マサヒコ君から貰えるなら、何だって嬉しいよ」
「はは……ありがとうございます」
「私の方こそ、喜んでもらえるかどうか心配。私、こういうのプレゼントしたことがあまり無いから……」
 アイのマサヒコへのプレゼントは、有名なアルプス山脈最高峰の名がついたメーカーの万年筆だ。
それは、マンションの部屋の机の中で、今か今かと出番を待っている。
「……」
 マサヒコはここでイジワルそうな笑みを浮かべ、からかうような口調でアイに尋ねた。
「俺、アイ先生自体がプレゼントだと思ってるんですけど」
「え?」
「白と赤のリボンで包まれたアイ先生なら、俺、喜んで受け取りますよ」
「……」
 数秒程アイは考え込んでいたが、マサヒコの言葉の真意を理解すると、ユデダコのように真っ赤になった。
「も、もう、マサヒコ君たら、な、何を言うの!?」
「あはは……」
「……大体、そういう意味なら今日一回、もうすでにプレゼントしたことになるじゃない……」
「……あう」
 今度は、マサヒコが照れる番だった。
「あ、あれは……はい、スイマセンでした……」
「……別にいいけどね」
「え?」
「……マサヒコ君が欲しいんだったら、クリスマスのものとは別に、今夜何度でもプ、プレゼントして……あげる」
「……ほひゃ」
 マンガ的表現を用いるなら、今、確実に『ボッ』という音がした。
ユデダコどころではない、朱色の絵の具をぶちまけたような顔に、二人はなってしまった。


「……先生」
「ん……何?」
「ずっと……一緒に、いましょうね」
「……うん」
 マサヒコとアイがつきあい始めてから、色々なことがあった。
一時間二時間では、とても語り尽くせないくらいに。
「……」
「……」
 臆病さを優しさと勘違いし、機会を得るまでと思い込んで、ただ逃げてきた。
全てが崩れそうになったとき、仲間が背を押して、前を向かせてくれた。
今でも、マサヒコとアイは思う時がある。
恋人同士でいていいのだろうか、と。
どんな形であるにせよ、ミサキを傷つけたの確かだからだ。
あの日、三人で話あい、思いをぶつけ、結論を出した。
だが、自分たちは、こうやってつきあう資格があるのだろうか。
「……先生」
「……マサヒコ君」
 だけど。
やはりそれは後ろ向きな物の見方なのだろう。
割り切る、というわけではないが、ずっと立ち止まっているままでは物事は解決しないのだ。
一人の女の子がフラれた、フッた男の子は年上の女性と交際をしていた、
他所から見れば、ただそれだけのことだ。
無論、当事者であるマサヒコたちのそう簡単に考えることは出来ない。
出来はしないからこそ、二人は。

「……」
「……」
 横断歩道の信号が、点滅を始めた。
マサヒコとアイは、思わず駆け出しそうになるのをすんでのところで堪えた。
「と、ととと……」
 濡れたタイルで滑りそうになったが、マサヒコは足を踏ん張って耐えた。
信号が赤に変わり、二人の目の前を、車が音をたてて走っていく。
「先生……」
「……」
 マサヒコは、アイの肩に手をまわすと、ゆっくりと、だが確実に力をいれ、抱き寄せた。
アイも逆らわず、マサヒコへと寄り添い、雪でやや濡れたオーバーの肩の部分に頭を乗せた。
「一緒に、歩いていきましょう……」
「うん……」
「色々失敗しましたけど……」
「うん……」
「大事な友人を、傷つけちゃいましたけど……」
「……」
「また、皆で笑って過ごせるようになるために、そして、二人で幸せに生きていけるために」
「……」
「前を向いて……歩いていきましょう、一緒に」
「……うん」
 アイの目から、涙が一筋、こぼれ落ちた。
信号が青に変わり、一斉に待っていた人が歩き出し始めた。
急ぎ足の人たちの中を、マサヒコとアイは、歩調をあわせ、静かに横断歩道を渡っていった。


 ゆっくり、ゆっくり、焦らず、急がずに、前を向いて。
自分のために、好きな人のために、大切な友人のために。

「先生……」

 失敗したのなら、つきあうことで失ってしまったものがあるのなら、
それを取り戻すために、立ち止まらずに努力すればいい。

「……マサヒコ君」

 悲しみに埋もれてはならない。
不器用なら不器用なりに、愛を紡いでいけばいい。

「好き、です」
「好き、だよ」



 それが、マサヒコの、
 それが、アイの、
 それが、二人の―――



 愛の形。



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