作品名 | 作者名 | カップリング |
『アイのカタチ』第四話 | ピンキリ氏 | マサ×アイ |
「……それで、結局花壇はドロドロになっちゃいましたよ」 『あはは、そうなんだ』 「ええ、それで庭仕事を再開するのにちょっと時間が……」 今日で、高校の夏休みもあと三日を残すのみとなった。 マサヒコは久しぶりに、アイと話をしていた。 電話を通じてではあるが、やはり生の声を聞くことが出来るというのは嬉しい。 言葉を投げては取り、返しては受ける。 メールでのやりとりに比べ、楽しさも心地良さも格段に違う。 当たり前のこと、ではあるが……。 「何とか、課題も全部終わりましたよ。一人でする課題ってのが、どれ程大変か久々に思い出しました」 『ホントにマサヒコ君一人でやったの?』 「そりゃ……そうですよ。他に誰がやるって言うんですか?」 『いや、私に手伝ってってお願いしてこないところをみると、誰か他の人の手を借りたのかな、って』 確かに、夏の課題は大変だったのは事実だ。 中学までのそれとは、勝手が少し違う。量も科目も多い。 だが、それでもマサヒコは自力で全てやり終えた。 答があっているかどうかはともかく、やり残しは無い。 まぁ、それ以外の自主学習はほとんどしていないのだけれども。 「疑わないで下さいよ。ホントに一人でやりましたって」 『ネットとかで卑怯なことしてない?』 「どこのHPに英稜の一年生の夏の課題の答が載ってるっていうんですか」 『……それもそうね』 アイとマサヒコは、つきあい始める時、二人で決めたことがあった。 とりあえず、この一年はお互いの生活を第一に考えて行動しよう、 アイは就職活動と卒業研究、マサヒコは高校の勉強と生活、それぞれを優先しよう、と。 特にアイは、彼女個人の人生において最も重要な時期、社会人へのスタート地点に立とうという時だ。 マサヒコとつきあったことで、何かの弾みで悪い方向へ転がりでもしたら、アイもマサヒコも悔やんでも悔やみきれない。 二人が愛し合っているという事実は事実として、今は自分自身を大切にするべきだ。二人は、そう考えた。 中村リョーコのアドバイスも、二人の結論に似たものだった。 アイもマサヒコも、リョーコの影響でエロボケネタに関しては知識も耐性もあるが、根はどちらかと言うと純情なほうだ。 そういった、うぶで素直な者同士の交際は、得てして長続きしない傾向にある。 自分と相手、視界の構成がそれのみになり、横槍や周囲の対応の変化に無防備になってしまう。 恋で敏感になった心が、ふとした事で大きなダメージを負い易くなる。 結果、少しの行き違いが徐々に幅を広げていき、純心ゆえに、素直ゆえに悩み、誤解し、 気がついた時にはもはや関係修復が不可能な状態になっているのだ。 周りなんぞ、世間なんぞ気にしない、と二人の世界に没入しきってしまえば話は別だが、 そうなるには、アイとマサヒコは生真面目で臆病過ぎた。 それに、他の関係を断ち切って、手を繋いで二人気ままに人生を歩める程、経済的にも精神的にも自立出来ていない。 「こつこつと、サボることなく進めたんです」 『ふぅん……偉いね……マサヒコ君』 「そう褒められると、こそばゆいですが……」 『でも、ホントにホント?ミサキちゃんに手伝ってもらったりしなかった?」 「あ……いや……」 ミサキ、という言葉を聞き、マサヒコは口ごもった。 『どうしたの?』 「え、その、別に……」 『……あ』 マサヒコの心中を感じ取り、アイも口を閉じた。 天野ミサキ。 マサヒコの幼馴染。 マサヒコを小さい頃からずっと想い続けている、少女。 本来なら真っ先に、二人の交際を知らせていなければならない相手だ。 だが、それをしていない。出来ていない。 何故、ミサキに正直に話さないのか? それは……怖いから。 何に? 恐ろしいから。 何が? まだ時期じゃない気がする。 どうして? 言えない、言うことが出来ない。 だから…何で? 結局のところ、マサヒコもアイも、その答なんて持って無い。理由ははっきりわからない。 ただ、伝えられない。言うことが出来ない。 それは、逃げ。 棚上げ。 先送り。 責任放棄。 このままではいけないのは、アイもマサヒコもわかっている。 いつかはきちんと本人に言わなければならないのだ。 ただ、その『いつか』がいつなのか、わからない。 思い切って踏み切りを越えるだけの勇気も無い。 どうすればいいのか、わからない。 わかっているのは、「言わなければならない」ということだけ。 思考の、無限ループ。 「……」 マサヒコは携帯を頬にあてたまま、言葉も無く固まった。 おそらく、電話の向こうのアイもそうなのだろう。何も言葉が来ない。 数十秒間、二人は沈黙した。 「あの……えーと……」 『えっ?あ……な……何……?」 先に無音の殻を破ったのはマサヒコだった。 「俺……俺から、伝えますから、ミサキには」 『え……』 「そうするべきなんです。幼馴染として」 『……』 幼馴染。 その単語が、今のマサヒコにとって、どこか苦く、そして重い。 「……責任が、あるんです」 昔から好いてくれている女の子に対するけじめ、それだけはつけておくべきなのだ。 有耶無耶に出来る程、マサヒコはいい加減な性格ではないし、女心に疎かった以前とは違うのだから。 「先生は……いえ、先生はいいですよ。俺がちゃんと言いますから、絶対」 『マサヒコ君……でも』 「つきあい始めて四ヶ月です。ずっと隠し続けることなんて……出来ません」 マサヒコは自分を鼓舞するように、はっきりとした声でアイに伝えた。 『マサヒコ君……』 「いいんです、先生。いいんです」 『……』 「俺と先生は好きあってるんだって、ちゃんとミサキに言います。……近い、うちに」 マサヒコは喋っていて、不意に思い出した。 今と全く同じ台詞を、アイに言ったことを。 「俺と先生は好きあってるんだって、ちゃんとミサキに言います。……近い、うちに」 これを前回、アイに言った日があった。 それは、アイとマサヒコ、二人がつきあい始めたまさにその日。 マサヒコの高校の入学式の日だった。 ◆ ◆ 入学式に出たあと、マサヒコはアイを、昨年にお花見をした公園に呼び出した。 別に舞台を選んだわけではない。アイのマンションと英稜高校の中間にその公園があった、それだけのことだ。 「濱中……アイ、先生、俺は……あなたが好きです」 花見の客から離れた場所で、マサヒコは勇気を振り絞ってアイに告白した。 アイは最初、信じられないというように口をパクパクさせ、そして肩を震わせて泣き出した。 マサヒコは慌てた。そして怯えた。 アイは自分を嫌いなのか。交際の対象にはならないのか。 男として、見てくれていなかったのか。 「せ、先生……」 マサヒコはアイに近寄ると、その揺れる肩をそっと抱いた。 普通なら、相手に泣かれた時点で逃げ出してもおかしくない場面だ。 だが、マサヒコは行動の選択を誤らなかった。 自分が取るべき行動、それを間違わなかった。 「……あ……」 「先生、その……あの……」 アイは抵抗しなかった。 桜の花びらががひらひらと舞い落ちる中、二人は体を寄せ合った。 アイはマサヒコに抱き締められたまま、泣き止もうとはしなかった。 マサヒコの新しい学生服、英稜の制服の右肩が、アイの涙で濡れていった。 今では、アイよりもマサヒコのほうが若干背が高くなっていた。 「う……うっ……」 「先生……俺……」 ―――勝手なこと言って、ごめんなさい――― その言葉が、マサヒコの喉元まで出掛かったその、時だった。 「うれ、しいよ……マサヒコ君……」 拒否ではない。躊躇いでもない。戸惑いでもない。 それが、腕の中からマサヒコの耳へと届いた。 「え……?」 「私も……好きだよ、マサヒコ君のこと……」 「へ、え……は……?」 今度は、マサヒコが口を金魚のように開け閉めする番だった。 「あ、う、そ、その」 「……うふふ」 アイは頬の涙を指で拭くと、マサヒコに微笑みかけた。 「私も、マサヒコ君のことが好き」 「先生……!」 ざあっと強い風が吹き、桜の花びらが二人を中心にして渦を巻いた。 地面に落ちていた花びらも一緒に吹き上がり、さながら、ピンク色のカーテンのようだった。 「せ、先生……その、あの、俺……」 「ねぇ、マサヒコ君?」 もう、アイは涙を流していなかった。 いつものあの優しい笑顔、それがマサヒコの鼻の先すぐにあった。 「え?」 「ひとつ、聞きたいんだけど…いいかな?」 「あ、え、は、はい」 「いつごろから……私のこと、好きになったの?」 「え?」 マサヒコは視線を宙に泳がせた。 風も止み、アイの肩の向こう、一枚の桜の花びらがふわりと落ちていくのが見えた。 マサヒコは意味も無く、その花びらに視線を合わせた。 「マサヒコ君?」 「え、えーと、その」 さっきから、マサヒコはまともな単語をひとつも口に出していなかった。出来なかった、と言うべきか。 「ねぇ、マサヒコ君?」 「う……」 いつから、と尋ねれられても、何月何日何曜日何時何分、と答えられるわけがなかった。 気がついたら好きになっていた、そういうことなのだから。 「ねぇねぇ、マサ……」 「あーっ、その!あの!せ、先生はどうなんですか?い、いつから俺のことを?」 「え?私?」 アイは、目をパチクリと数度まばたかせると、さっきのマサヒコと同じように、瞳をふらふらと動かした。 明らかに、思い出そうとしているけど思い出せない、わからないといった感じだ。 「わからないんですね?いつからなのか?」 「あ、えー……。うん……」 アイは素直にコクリと頷いた。 その仕草の可愛らしさに、マサヒコは頬がゆるむのを自覚した。 自分は今、一番欲しかったものを手に入れたのだ、という思いが、胸の奥からトクトクと湧き上がっていった。 「俺もですよ、はまな……アイ、あー、アイ先生」 「え?そ、そうなの?」 「はい。いつの間にか、好きになってました」 マサヒコはそう言いながら、アイの体をさらに引き寄せた。 アイの右頬と、マサヒコの右頬が触れ合った。 「アイ、先生……」 「マサヒコ、君……」 “先生”と“君”を、互いの名前からはまだ外すことは、なんとなくだが出来なかった。 ドラマや恋愛小説なら、ここでキスを交わすところだったが、生憎と二人にそんな余裕は無かった。 抱き合っているだけで、いっぱいっぱいだったのだ。 「あ……」 アイが何かを思い出したように身をよじり、マサヒコの肩から顔を離した。 「先生?どうか……したんですか?」 「あの……その……」 「?」 「あのね……ミ、ミサキちゃんの……こと」 マサヒコもはっとしたように顔をあげた。 天野ミサキ、幼馴染の女の子。 幼い時から、多くの時間を共有してきた少女。 「マサヒコ君……気づいてるんでしょ?ミサキちゃんが、その、マサヒコ君のことを……」 アイは目を閉じ、俯いた。 「……はい。知っています」 この時、マサヒコはミサキの自分に対する想いに気がついていた。 「私ね、その、前にね……ミサキちゃんに言ったことがあるんだ」 「え?」 「ミサキちゃんのマサヒコ君への恋、応援するよ、って……」 「え……」 あれは二年前の秋の頃だったか、アイはリョーコと一緒に、恋に協力することをミサキに告げたのだ。 「私、私、その……」 アイがさらに頭を垂れた。その声に、また涙が混ざり始めた。 「先生!」 「あ……」 マサヒコは、アイの肩から背中に両手を回し、よりいっそう強く抱き締めた。 腕を通じて、アイの心臓の鼓動がマサヒコの体に伝わっていった。 罪悪感、後ろめたさ、申し訳なさ、アイの心を突き刺しているそれらを中和するように、マサヒコはただ抱き締めた。 「俺が、言います」 「えっ?」 「俺と先生は好きあってるんだって、ちゃんとミサキに言います。……近い、うちに」 「マサヒコ君……むぅ」 まだ何か言いそうだったアイを、マサヒコは自身の唇で無理矢理に黙らせた。 ムードもへったくれも無いファーストキスだったが、ここはそうするべきだと、マサヒコの中の男の本能のようなものが、体を動かせた。 一秒、二秒、五秒、十秒……マサヒコはアイの唇を吸い続けた。 時間が経つにつれ、腕の中のアイの体から、強張りがとれていった。 「ぷはぁ、はぁはぁ」 「はぁ……っ」 いい加減、息苦しくなったところで、マサヒコは唇を離した。 マサヒコとアイ、二人して、抱き合ったまま大きく息を吸い込んだ。 「はぁ、はぁ……お、俺がきちんと言いますから」 「うぅ……で、でも……」 「俺が、言いますから。約束します」 マサヒコは、強い口調でアイに言った。 自分にもしっかり、言い聞かせるように。 「だから、先生……泣かないで下さい」 「マサヒコ君……」 アイが、そっと手をマサヒコの腰に絡め、抱き返した。 「先生……」 「……」 二人は目を閉じ、今度は完全に双方の合意の下、唇を重ねた。 また、強く風が吹いた。 ザザ、という木々と花を擦る音がしたかと思うと、大量の桜の花びらがまた舞い散り、二人を包んだ。 ◆ ◆ あれから、数ヶ月が経った。 あの時の約束は、まだ果たされていない。 忘れていたわけではない。 出来なかったのだ。 『ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ…』 「ああんもう、アイのやついったいどんだけ長電話してるのよ」 マンションの自宅の鍵を開けつつ、中村リョーコは声を荒げた。 仕事が定時で終わったので、晩飯にでも誘おうと思ったのだが、かれこれ一時間は携帯が電話中で通じない。 ハイヒールを行儀悪く足のかかとで脱ぎ散らし、部屋の中へと入る。 「くっそ、こんだけの長電話となると……やっぱり相手は……」 リョーコは検索欄から“小久保マサヒコ”を選び、通話のボタンを押した。 『ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ…』 「あー、こりゃ99%確定ね」 ハンドバッグをソファの上に放り投げ、リョーコは携帯を切った。 「全く、どこのラブラブバカップルだ、あいつら」 他人の恋路にはどうしても厳しくなるリョーコである。 それは、自分が今までにまともな形の恋愛をしていない、ということの裏返しでもあるのだが。 所謂、親密になっていく過程をすっ飛ばして、体と体の結びつきの関係を早いうちに知ってしまったが故に、 甘ったるい、恋人恋人した交際の仕方に、「人間の本性ってのはね」とイチャモンをつけたくなってしまうのだ。 「やれやれ、仕方ない。セイジでも呼び出すか」 『ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ…』 「……マサちゃん」 自宅の自分の部屋で、天野ミサキは肩を落とした。 何度、マサヒコの携帯に電話しただろうか。一時間ほど前からかけているのだが、どうしても通じない。 電話をして、どうにかなるものではないと、ミサキ自身もわかっている。 それに、本気で事の経緯を問い質したければ、家が近いのだから直接訪ねていけばいいだけの話だ。 「……これだけの長電話……やっぱり、相手は……」 ミサキは検索欄から“濱中アイ”を選び、通話のボタンを押した。 『ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ…』 「……やっぱり、アイ先生、なのかな……」 ベッドの上に上半身を投げ出し、ミサキは携帯を切った。 「マサちゃん……」 小さい頃から、ずっとずっと、一番近くにいるものだとばかり思っていた。 だけど、今は違う。家はこんなに近いのに、歩いていけばすぐの距離なのに、どうしてこんなに遠いのか。 告白出来なかった自分が悪いのか。気づいてくれなかったマサヒコが悪いのか。 応援すると言っておきながら、マサヒコを奪っていったアイが悪いのか。 「……マサちゃあん……」 机の上には、聖光の夏の課題で、唯一残った読書感想文のための原稿用紙がある。 小学校、中学校を通じて、夏休みの残り少ないこの時期に、手をつけていない課題があるのは始めてだ。 「一緒に、本を読もうと思ってたのに……」 マサヒコは読書が好きではない。他の課題はともかく、読書感想文だけは手こずるはずだ。 それを見越して、一緒にやろうと最後まで取っておいたのだが……。 「もしもしセイジ?あんた暇?あー、あーそう、ふんふん、あー、うっさい、これ命令、今すぐ家に来い、以上」 一方的な電話を一方的な内容で一方的にまくし立て一方的に切る。中村リョーコの真骨頂だった。 「さて、これで酒の肴……もとい、飯の相手が出来た」 先程までの不機嫌はどこへやら、鼻歌なんぞを歌いながら、リョーコは冷蔵庫を開けた。 ハムにチーズ、魚肉ソーセージなど、それこそ酒のツマミにはなるが、ご飯のおかずになりそうな具材はなかった。 一番下の段、ボトルケースにはぎっしりとビール缶が詰まっている。 はっきり言って、若い一人暮らしの女性の冷蔵庫の中身ではない。 「ありゃりゃ、さて……どーしたもんかね。……ん?」 リョーコは何かが聞こえたような気がしてリビングに行き、窓の外を覗いた。 いつの間にか、空はどんよりと雲っていた。さっきは空耳ではなく、雷の音だったらしい。 「あれ、またか。最近、ホント多いわね……夕方からの雨って」 ピカリ、と雲が光り、続いてゴロゴロという音が、今度ははっきりとリョーコに耳に届いた。 「そうか、もう八月も終わりだし」 コキコキと首を左右に振ると、リョーコはまたキッチン、冷蔵庫の前へと戻った。 ビール缶を一つ取り出し、タブを開けると、とりあえず一口、ゴクリを飲んだ。 「これからは台風、嵐の季節ね」 『ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ…』 「まだ……通じない」 ミサキは携帯を切り、目を閉じた。 もしかして、このまま永遠にマサヒコと電話が通じないのではないか。 錯覚とはわかっていても、その恐怖にミサキはブルリと体を震わせた。 「あ……」 カーテンの隙間をぬって、眩い光がミサキの半身を照らした。 直後、天を裂くような大きな音がミサキの鼓膜を叩いた。地面が少し、轟音で揺れたような気もする。 「また、雨……。最近、多いな……」 ミサキはカーテンをそっと開けると、空を見た。 昼間は晴れていたのに、今はすっかり曇っている。 「……」 そのまま、空から下の方へと目線を移す。その先にあるのは、マサヒコの部屋の窓。 灯りが点いている。いるのは確実だ。 「……マサちゃん」 こんなに近いのに、顔を出してくれれば、「おーい」って呼べる程近いのに。 「……」 ミサキは手の中の携帯電話を、強く握り締めた。 「……アイ先生……マサちゃん……」 どうして、こんなにも遠く感じるのだろうか。 自分のせいなのか。 マサヒコのせいなのか。 アイのせいなのか。 「く……ううっ」 ポトリ、とミサキの手から携帯が絨毯の上に落ちた。 かくり、と膝をつき、頭を垂れる。 「痛いよ……苦しいよ、マサちゃん……」 モヤモヤとした何かが、心臓のすぐ横辺りで蠢いている。 黒くて、痛くて、辛くて、苦い。 「あ……っ」 その衝動に押されて、ミサキの手は自分を慰めるために動き始めた。 最近は、いつもこうだ。アイとマサヒコの関係を知ってからは、いつもこうなのだ。 表現し難い、悲しい、自暴自棄に似た性欲。何の意味も無い行為なのはわかっている。わかっているけど。 泣きながら、涙を流しながら。心の傷が、だんだんと深さを増していくのを感じながら。 乳房を、乳首を、そして女性として一番敏感な部分を、ミサキは弄る。 暴れようとする獣を、必死になだめるように。 泣きながら、涙を流しながら。 マサヒコと、アイのこと思って。 また雷が大きく鳴った。 数秒後、ポツ、ポツと、雨が窓を叩き始めた。
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