作品名 作者名 カップリング
「彼女はまだ恋心なんて知らない」 ピンキリ氏 -

 アスファルトを、電信柱を、家の屋根を、夜の街全体を、シトシトと降り注ぐ雨が穏やかに濡らしていく。
日中は雲もまばらで良い晴れ模様だったが、夕方から空が澱みはじめ、陽が沈む頃にはすっかりぐずついた天気となった。

「……」
 アヤナはベッドにうつ伏せに寝転がりながら、何をするでもなく、ただ窓ガラスに水滴が当たる音を聞いていた。
時計の針は九時半を少し回ったところ、子どもならそろそろ布団に潜り込もうかという辺りだが、
大人はまだまだ起きていても差し支えのない時間である。
「……」
 アヤナは顔を上げ、ばふっ、とまた枕に顔を埋めた。
一体、何度もその行為を繰り返しただろうか。
別に眠ろうとしているわけではない。
晩御飯を食べてから(ろくに喉を通らなかったが)かれこれ二時間、彼女はこの姿勢のままだ。
予習復習も手につかず、本を読む気にも音楽を聴く気にもなれない。
「……うー」
 彼女は悩んでいた。
戸惑っていた、と言った方が正しいかもしれない。
その原因は、学問でもない。友達関係でも、家庭内問題でもない。
たった一人の異性にある。

 十代半ば、中学三年生。
もう子どもとは言えないが、まだ大人とも言えない微妙な年齢。
「……うう」
 若田部アヤナは、今までに感じたことのない、モヤモヤとした何かに心を侵されていた。

『でもおぶられるのは嫌なのよ』
『いたたたたっ』
『足コキです!』
『さっそく入りましょ』
『二人の息が合わないと、一緒に行くのは難しいよ』
『うぁー』
『あ、それならマサ君だ』
『的山さん浮かれてないで』
『なんかバランス悪くないか』
『私、その…胸にコンプレックス持ってるから…』
『それじゃ運んでやるから背中に乗んな』
『おーい保健委員―――』
『なら問題ないんじゃ』
『もういい!』
『まかせろ』
『ああ…そうね、保健室に行くのはね』
『じゃあオレが腕で抱えてやるよ』
『優しい言葉をかけといて、結局は身体目当てなのねーっ!』
『やっと着いたぞ』
『アンタは適当にサポートして!』
『う、うん…』
『小久保君が嫌とかじゃなくって』
『小久保君ちょっとペース早い…』
『こ…小久保君がいいのなら…』

 アヤナが目を閉じると、今日のプールでの出来事が蘇ってくる。
場面と台詞が順不同に次々と浮かんできては、ぐるぐる渦を巻いて消えていく。

(わからない……)
 アヤナはあの時、全く気にしていなかった。
格好がおかしいとか、ちょっとは思ったけど、拒絶する程でもなかった。
足のケガの痛みもあったし、早く保健室に行かなければと焦っていたのもある。
それに、去年の夏の件もある。
「女として見てない、か」
 アヤナとしては、好都合だったはずだ。
向こうが自分を異性として意識していないのであれば、こっちも変に気をつかうこともない。
事実、同級生の男子の中では、唯一気軽に喋ることが出来た。
「……ふぅ」
 マサヒコはきちんと、自分の顔を見て話をしてくれる。
それも、アヤナには気持ちの良いことだった。
自分の胸が同年代に比べて大き過ぎることに、アヤナがコンプレックスを持つようになった理由のひとつとして、
向かい合った男性が必ず一度は胸の方に視線を落とすことにある。
だけど、マサヒコはそれが無い。
「トモダチ、か」
 肩肘を張らずに、気軽に言葉を交わすことの出来る異性の友人。
アヤナは、それで十分だった。
だったはずなのに。

(何でだろう)
  天野ミサキが彼のことを“マサ君”と呼ぶようになった。
 幼馴染なんだから、別に名前で呼んだっておかしくはない。
 なのに、
(何でだろう)
  彼と同じ保健委員になったのは、委員長の座を天野ミサキに譲ったからだ。
 仕方なく、余り者同士、一緒の委員になっただけだ。
 それなのに、
(何でだろう)
  彼が「一緒に行くのは難しいよ」と言った時、思わず卑猥な想像をしてしまった。
 的山リンコや濱中アイ、お姉様の影響なのだろう。
 そのはずなのに、
(何でだろう)
  腕で抱えてやると言われて、お姫様抱っこを思い浮かべて照れてしまった。
 しかも、それを許す発言をしてしまった。
 それは、
(何でだろう)
  その後の抱え方は彼が悪いと思う。
 でも、腹が立ったのは確かとしても、ぶん殴ってまで怒る必要はあったのだろうか。
 いったい、
(何でだろう)


「何でだろう……」
 いきなり、何故、こんなにも。
(胸の奥が痛いんだろう)

  小久保マサヒコはただのトモダチ。
  普通に話すことが出来る。
 だって、トモダチだから。
  優しくしてくれる。
 だって、トモダチだから。
 特別な異性として見てくれていない。
 だって、トモダチだから。
  特別な異性として見ていない。
 だって、トモダチだから。
  トモダチだから。トモダチだから。
 今日までは。
 明日からも。
 
 なのに、何故、こんなにも。
(胸の奥が痛いんだろう)

  トモダチ、なのに。

「うぅ……」
 アヤナは顔面を強く枕に押し付けた。
『二人三脚と同じ感覚でやればいいのよ』
『こ…小久保君がいいのなら…』
『自分の力で這っていくから、アンタは適当にサポートして!』
 さらに、ギュッギュッとより強く、食い込ませるように押し付けていく。
(あの時は全く気にしていなかったのに……)
 息も出来ないくらいに、強く、強く。
(後になって、今になって、どうしてこんなにも恥ずかしくなるの?)
「……ぷはっ」
 酸素不足で頭がぼうっとしてきたところで、ようやくアヤナは頭を上げた。
そしてすうっと大きく息を吸い込み、空気を肺へと送り込む。
もう一度枕に埋まろうとしてやめ、部屋の入り口の方へと顔を向ける。
「……」
 扉の横の棚の上、そこあるのは水槽。
その中で二匹の金魚が泳いでいる。
ひらひらと、ふわふわと。

(あれ……)
 アヤナは自分が何をしているのか、一瞬理解出来なかった。
「む……むっ……くぅむ……」
 ベッドの上。
うつ伏せの状態で。口を枕に当てて。
(あ……)
 左の手は上着の下に潜り込んで。
その掌は乳房を掴むように。
(な、んで私、こんな、ことを……)
 右手の人差し指と中指が、スカートの中で。
ショーツの上から、敏感な部分を縦に、何度も何度も往復して。
(ダメ、ダ……メなのに、こんな、こんなこと……)
 ブラジャーの上からもわかるくらいに、立っている。
 音が漏れてしまうくらいに、濡れてきている。
(ダメ、ダメ、ダメ、ダメダメ……)

 アヤナは瞳を閉じた。
喉の奥からこぼれてくる声を、枕を堰にして止める。
鼻も一緒に押し付けているため、息が出来ない。
「む……っむ……」
 また、酸素が足りなくなってくる。
目を瞑って真っ暗なはずの視界に、赤やら青やらの色が混ざる。
頭が、喉が、背中が、腹が、脚が、痺れてくる。胸が、心が、苦しくなってくる。
「んー…!んん、んー!」
 苦しさがきつくなっていくのと同時に、両の手の動きも激しさを増す。 
知らぬうちに、腰の位置が高くなっていく。太股が強張り、膝頭に力が入る。
(ダメだよ、私、おかしいよ、何で、何でこんなこと、ダメ、ダメ……ッ!)
「ん!」
 右手の二本の指が、引っかかるようにアヤナの一番敏感な部分を擦りあげた。
「んんはぁ!」
 アヤナはがばっと顔を上げた。
大きく口を開け、思い切り空気を吸いあげる。
だが、痺れは治まらない。否、治まらないのではない。
「こ……くぼ、くん……ッ、くうううっ!」
腰の奥から、電気にも似た別の痺れが代わりに全身に広がっていく。
先程までの苦しさを伴う痺れではない。
連れあうのは、熱くて、甘くて、切ない快楽。

「ん……はぁ……っ」
 つーっと、アヤナの開かれた口の端から、唾液が枕へと垂れ落ちた。
「くふぅ……」
 膝から力が抜け、ゆっくりと腰が下がっていく。
枕に頭を沈める。今度は顔を横に向けて。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 アヤナも、木石ではないのだから、当然エッチなことにもそれなりに興味はある。
自慰も、回数こそ少ないだけで、しないわけではない。
だが、それは“何となく”という、漠然とした性の欲求の発露みたいなものであり、
特定の誰かを思い描いて行為をすることはなかった。
「はぁ……ふぅ……」
 段々と呼吸も落ち着いてきた。
体を包んでいた熱い波も、徐々に引いていく。
「……はぁ」
 自慰をした後に、必ず心に覆いかぶさってくる後悔に似た不道徳感。
「……ど……して」
(私、イク時に小久保君の名前を口にしたんだろう)

 アヤナはのっそりとベッドから身を起こした。
「べっとりしてて、気持ち悪い……」
体、特に首筋と太股、脇腹が汗で濡れている。
それに、べたつきはもうひとつある。
「……」
 スカートの中に手をやり、ショーツを足首の方へ下ろしていく。
取り去って、持ち上げてみると、股の部分が汗とは違う液体によって透けているのがわかる。
「シャワー、浴びてこよう」
 アヤナは立ち上がって、扉へと向かった。
(流そう、流さなきゃ)
 音を立てないように、静かに階段を降りる。
(流してしまおう、何もかも)

  そう、流してしまえばいい。
 汗も。
 戸惑いも。
 恥ずかしさも。
 後悔も。
 何もかも。

 アヤナは服を脱ぎ、バスルームに入ると、シャワーのコックを捻った。
お湯が勢いよく飛び出し、アヤナの体を打つ。
多少熱いようだが、アヤナはあえて浴び続けた。
(流してしまえば、いい)

                  ◆                       ◆

「おはよう、若田部」
「おはよー、アヤナちゃん」
「おはよう、若田部さん」
 朝、学校の教室。
いつもの面々、いつものあいさつ。
「……おはよう、的山さん、天野さん。……小久保君」
「?」
 マサヒコは怪訝そうな表情をした。「小久保君」の部分だけ、やけに声が上ずっていたように感じたからだ。
「どーしたの、アヤナちゃん。風邪でも引いてるの?」
 リンコも直感でおかしいと思ったようだ。
「い、いいえ。何でもないわ」
「そう……」
 心配そうな顔をするリンコとミサキ。
「ま、また後でね」
 アヤナはそう言って、三人の横をすり抜けた。
途中、マサヒコの方へ視線が行きそうになるのを必死で堪えて。
「あっ、若田部!」
「ひゃい!?」
 まさに席に座ろうとした瞬間、アヤナは後ろからマサヒコに声をかけられた。
予想もしていなかった一撃に、体が跳ね、脛の横で思い切り椅子を蹴倒してしまう。
「わ、若田部!?」
「な、何よ、こきゅびょきゅん?」
 さっきよりもさらに高い声でアヤナは尋ね返す。
「こ、こきゅびょって……じゃなくて、お前、大丈夫なのか?」
「へ?」
「いや、だから……あれから何ともないのか?」
 アヤナは一瞬、何を問われているのかわからなかった。
(大丈夫?何ともない?それって……あ!)
「足だよ、足。それに、今椅子に当たったんじゃないか?」

 アヤナは、説明出来ない感情が心の底から沸き上がってくるのを覚えた。
嬉しさでもない、恥ずかしさでもない、喜びでも感謝でもない。
それらが、混ぜこぜになったかのような感情が。
「う……」
 そしてそれは、体の外へと出て行こう出て行こうとする。
涙へと、形を変えて。
「う……うっ、グスッ」
「わ、若田部?え、え?」
 マサヒコは驚いた。
足は大丈夫か、と聞いただけなのに、何でこの少女は突然泣き出すのだろう?
「あー、小久保君がアヤナちゃんを泣かしたー!」
「いや、違っ、それは」
 リンコとミサキは怒ったような面持ちでマサヒコへと迫る。
「マサ君!どういうこと、これは!?」
「オ、オレは足のこと聞いただけだって!」
「若田部さん……泣いてる……。小久保君、ヒドイ人……」
「と、戸川まで!だーかーらっ、オレは何もしてねーっ!」
 あたふたとするマサヒコ。
アヤナが泣いているという現実に、どうにも分が悪い。
実際、弁解しているように見えてしまう。
「あー、わかったーっ!」
 リンコが教室中に響き渡るような大声をあげた。
「昨日、アヤナちゃんを保健室へ送っていく時に何かしたんだー、小久保君!」

「な」
「な」
「な」
「「「なんだってーっ!?」」」
 教室は騒然となった。
蜂の巣突付いたような、という表現がぴったりだ。
「おい、小久保お前……」
「若田部さんに何かしたの?」
「とんでもねえ奴だな」
「だーっ、違う!」
 マサヒコは抵抗した。
彼にしてみれば、何故アヤナが泣き出したのか皆目見当がつかない。
見当がつかないのに、何でこんなに責められなければならないのか。
「そんなに言うなら若田部本人に聞いてみろ!オレは何もしてねー!」
 その一言で、皆の注目がマサヒコからアヤナへと移る。
「わ、若田部さん?あの、あのね?」
 ミサキが先陣切ってアヤナに尋ねる。
心なしか、声が震えている。こちらも、今にも泣き出しそうだ。
「き、昨日……保健室まで行く時、な、何か……その、マサ君と何か、あったの?」

「うう……グスッ、そ、れは」
 アヤナは首を横に振ると、事の次第を説明しようと口を開いた。
だが、涙のせいか何なのか、声が上手く外に出なかったようで―――
「こく……君が……ヒクッ、一緒……イク、抱え……後ろから、足……グスッ、持ち上げて……ハ、ハして、保健室、でイ、た……」

「小久保君が息が合わないと一緒に行くのは難しいからって抱えようとしてくれたけど、恥ずかしいから
後ろから足を持ち上げてもらって、ハイハイするような格好で保健室まで行った」
 ……アヤナとしてはこのように言いたかったわけなのだが、
ところどころ涙声で途切れたり小さくなったりで、皆の耳にハッキリと届かなかった。
 そして、断片から皆が推測したアヤナの台詞は次の通り。
「小久保君が一緒にイクからって抱えてきて、後ろから足を持ち上げられてハァハァして保健室でイッた」 

 一瞬の静寂、そして……大爆発。
「マサ君!何で、どうして、嘘、嫌、そんな、うわあああーん!」
「小久保君卑猥!」
「ヒドイ……若田部さんかわいそう……」
「小久保!お前自主しろ!今なら法律がちょっとは守ってくれる!」
「スケベ!女の敵!極悪人!」
「小久保ぉお前見たのかぁ、わ、若田部の、あ、アレを見たのかぁッ!」
「小久保君見損なったわ!そんなに悪い人だとは思わなかった!」
 罵声を浴びせられる、こづかれる、胸倉を掴まれる、蹴られる、引きずり倒される。
マサヒコは文字通り揉みくちゃにされた。
「ああああ、あああああああ、あああああああー」
 洗濯機の中で回されたらこんな感じなのだろうか、とマサヒコは麻痺しかけた頭で考えた。
「ああああ、何でこんな、あああああ、ことに、あああああー」

 暴動寸前、いや暴動そのものの状態のクラスメイトを横に、アヤナはまだ涙を流していた。
「違う、小久保君は悪くない」と何度も言おうとしているのだが、言葉が出てこない。
もし話せたとしても、今の皆にはとても通じないだろうが。
(ああ、ゴメンなさい、小久保君……トモダチなのに、とんでもないことになっちゃって……)

 トモダチ。
 今のアヤナは、マサヒコのことをそう思っている。
本当にそう思っているのか、それとも思い込んでいるのか。
心の奥底の、自分の素直な気持ちに気づくのか、気づかないのか。

「ああああ、あああああああ、オレ、悪い奴なのかなあああ、あああああー」
「うう、グスッ、うううっ、うう〜」
 少なくとも、当分はトモダチのままの関係でいそうである。
それがどう変わるかは、神様、そしてアヤナ次第ということだ。

「あああああ、ああああああー」
「グス、ゴメンね、小久保君」

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