作品名 作者名 カップリング
『ラブレター』 ピンキリ氏 -

「小久保君おはよー」
「ああ、おはよう」
「おはよう」
「おはよう、小久保君」

 いつもの朝、いつもの挨拶、そしていつもの面子。
何とも平和な風景だが、この直後、たった一枚の紙切れが、
四人を混乱と恐怖のどん底に叩き込むことになろうとは(※1)、一体誰が想像し得ただろうか。

 ※1:幾分表現が誇張されている部分があります。

 マサヒコは自分の下駄箱のボックスから、上靴を取り出した。
「?」
 ひらり、と紙のようなものが落ちていくのが目に入る。
自分の上靴の下に隠してあったのだろうか?
マサヒコは条件反射的にそれを拾い上げた。
それは、一般にダイヤモンド型と呼ばれる白い洋封筒だった。
封緘にピンク色のハートマークのシールが貼られている。
「こ、これって」
 もしかして、所謂ひとつの―――。
「ハッ!?」
 マサヒコは背筋に殺気を感じ、振り向き、そして固まった。
ミサキが、口を真一文字に結んで、自分の手元を、正確には手の中の封筒を凝視している。
周囲の空間が何やら歪んで見えるのは、果たしてマサヒコの気のせいか否か。
アヤナは何時の間にやら、数メートル程離れた柱の陰に退避しており、
震えながら、恐怖と興味が入り混じった表情でマサヒコ達をうかがっている。
三者三様の中、リンコだけが、いつもと変わらぬ口調で一言。
「うわぁ、ラブレターだぁ」

 歪みが弾けた。
そして、マサヒコは見た。はっきりと見た。
ミサキの体から、白いオーラのようなものが立ち上るのを。

 マサヒコは全く授業に集中出来なかった。
チクチクと刺さるように背中に感じる視線が原因だ。
恐る恐る振り返れば、そこにはミサキが、“笑っているけど笑ってない”顔でじっとこちらを見ている。
アヤナとリンコに助けを求めようとしても、腫れ物に触るのは勘弁とばかりに露骨に視線を外されてしまう。
(な、何だってんだ)
 ラブレターなんぞ、一度も今までに受け取ったことも無ければ、書いたことも無い身の上。
思春期真っ盛りの少年にしてみれば、期待と不安に胸をドキドキさせるべきところだが……。
(……怖い、怖過ぎる)
 何故こんなにミサキに睨まれなければならないのか。
(わからねー、わからねーよー)
 期待のキの字の欠片も無く、ただひたすらに不安のみがマサヒコの心に沈殿していくのだった。

「ほほぅ、恋文を貰うとはマサもやるもんねー」
「わ、わっ、見せて、見せてよマサヒコ君」
 出来ることなら、放課後すぐさま家に逃げ帰りたかったマサヒコだったが、
何分にも家庭教師のある日とあっては、そうもいかない。
それに、終了のチャイムと同時にミサキにべったり背後にくっ付かれたのでは、何をか言わんや。
「……はぁあああ」
 帰宅の道すがら、眼鏡の女子大生にはからかわれ、幼馴染には鋭い視線で突付かれ、
自身の家庭教師とクラスメイト二人からは好奇の目を向けられ……。
その辛さは、針のムシロのまた従兄弟くらいはあるだろうか。
「……はぁあああ」
 溜め息をいくらついたところで、自宅への距離が遠のく訳で無し。
一歩一歩ごとに確実に、小久保邸は近づいてくるのだ。
無情だが、物理的法則は曲がりはしない。
「ほぉら、マサ、暗い顔してんじゃないわよ。こりゃ喜ぶべきことよ?」
 そう言いながらリョーコがマサヒコの背をバンバンと叩く。
その顔は、楽しくてしょうがない、といった感じだ。
(アンタ、人事だと思ってからに……)
 マサヒコは抵抗するでもなく、俯き加減で歩をノロノロと進める。
その爪先を、黒猫の親子がテクテクと通り過ぎていく。
頭上では、ギャーギャーとカラスが飛び回る。
「……ああ、そう言えば」
 マサヒコは不意に思い出した。
(今日は13日で金曜日だったっけ……)

 ちなみに、彼の後ろで厳しい顔をしている少女が、
小さくも同じように、溜め息を時々ついていたのだが―――誰ひとりとして気づいた者はいなかった。

ここは小久保邸、マサヒコの部屋。
マサヒコ、ミサキ、リンコ、アヤナ、アイ、リョーコの6人が囲んでいるのは、
机でも教科書でもノートでも無い、ただ一枚の洋封筒。
無論、ただの封筒でないのは、封じ目のところのハートのシールで一目瞭然である。
所謂、古今東西、最もオーソドックスな形のラブレターというヤツだ。
「さて、まずは開いてみないとね」
 リョーコが厳かな声で言う。
だが、表面とは裏腹に、実際はおもしろがっているのはバレバレだ。
「ねぇねぇ、早く中を見ようよ」
「ラブレターなんて始めて見るわ」
「わーい、楽しみ〜」
「…………」
 アイとアヤナはラブレターがどんな代物か興味津々といった態であり、
リンコも多少ズレてはいるものの、関心を持っているのは間違いない。
ただ、ミサキだけが黙ったままで、じっとマサヒコを見つめている。
「さぁ、マサ」
 マサヒコはリョーコに促されるままに、封筒を手に取った。そして大きく息を吐く。
この状況では、逃げたって隠れたってもう無意味だろう。覚悟するしかない。
シールに爪をかけ、ゆっくりと引き剥がして……。
「って、天野……?」
 マサヒコは最後までシールを剥がすことが出来なかった。
ミサキが、その手を押さえたからだ。
「な、何だ?」
 マサヒコはミサキの顔に目をやる。
そこには、さっきの刺々しい表情は無い。むしろ、悲しそうに見える。
そして、見開かれた大きな目が、ゆっくりと潤んでいく。
「……ダメ」
「え?」
「開けちゃ、ダメ……」

 ミサキの態度の変わりっぷりに、マサヒコは驚いた。
今日半日、射るような視線でずーっと睨んでいたと言うのに、今は全然違うではないか。
「い、いや、天野、開けなきゃ中の手紙を読めないし」
「……ダメェ……」
 ミサキは左右に首を振る。同時に、ポロポロと零れた涙が頬を伝っていく。
呆然とする一同。ミサキは何故このようなことをするのだろうか。
その理由を知っているのは、この部屋にいる人間ではミサキ以外に2人―――。
「……はっ!おおーっとぉ!」
「わわっ!?」
 背後からの大声に、マサヒコは飛び上がった。
「わかった、わかったわミサキちゃん!」
 突然のフォローを入れたのは、リョーコではなくて、何とアイだった。
「三年生だと言うのに色恋事にウツツを抜かして学業が疎かになって」
「成績が段々と落ちて受験も失敗して高校浪人になって」
「人生が嫌になって家出してアテも無く路地裏を彷徨って」
「アブないオジサンにぶつかってオイコラ兄ちゃんちょっと待てやって言われて」
「服汚れてもうたやんけクリーニング代出してもらおか何あらへんやとナメとんのか」
「ほなしゃーないのう無理にでも出してもらおか何やコイツ財布持ってへんで」
「オイお前家教えろや何ィ教えたないやとええ度胸しとるやんけ」
「お前らやってまえかまへんヘイ兄貴わかりやしたオラオラボコッバキッドカッ」
「ほれ最期や往生せいやでドラム缶にコンクリート詰めで東京湾にジャッポーン」
「……ってなるのがミサキちゃんは心配なのねっ、委員長として、幼馴染として!」

 一気呵成にまくしたてると、アイはミサキの両手を取ってブンブンと振り回す。
「そうなのね、そうなのねっ、ミサキちゃん!思わず泣く程心配してるのよねっ!」
 その暴風のような勢いに押されたのか、涙目のままコクリと頷くミサキ。
「そんな、いくら何でも、もも」
 アイはビシーッと人差し指を突き出して、アヤナの舌をストップさせると、
普段の二倍程の速さと大きさの喋り方で、その突っ込みを封じ込めにかかった。
「ね、アヤナちゃん、あなたが委員長だったらそう思わない?ね?ね?」
「へ?いや、その」
「思うわよね、ね?」
「はあ、あの……風紀が乱れるとは思います、けど……?」 
 アヤナは腕を組んで考え込んでしまった。
普段の彼女であれば、「それは飛躍させ過ぎです」と突っ込みからのコンボで冷静に否定していただろうが……。
あのおっとりとしているアイが、強い口調で迫ってきたので、思考の歯車がどこか狂ってしまったようだ。
「ね、リンコちゃんもそう思うよね?」
「ふわわー、怖いですねぇ」
 怯えたような表情で点頭するリンコ。
さすがは極上天然娘、何の疑問も抱かずに今の話を一発で納得してしまった。
「先輩もそう思いますよね?」
「……アイ、あんためちゃくち」
「思いますよねっ!」
「…………」
 リョーコはやれやれという風に手を肩をすくめると、「ハイハイ」と頷いた。
珍しくアイに押し切られた形だが、先にフォローを入れたのは実際アイなのだから、文句を言うには立場的に苦しい。
それでも、頷いた後に小さい声で「何で関西弁でヤクザで東京湾なのよ」と突っ込みを入れたのは、
負けず嫌いというか、天邪鬼なリョーコらしかった。

「マサヒコ君もそう思うよねっ!だから、ここは開けないで……」
 マサヒコはよく、“主体性が無く周囲に流され易い現代っ子”と評される。
いつもの彼なら、突っ込むのが面倒くさいという理由もあって、「そうですね」と半ば呆れながらも同意していただろう。
「……マサヒコ君?」
 しかし、今のマサヒコは違った。
アイに対し、神妙な面持ちで首を横に振る。
「やっぱオレ、開けますよ」
「マ、マサヒコ君?」
「今までこんなもの貰ったことも書いたことも無いから……わからないんですけど……」
 マサヒコはゆっくりと言葉を続ける。
「開けて、中を読んで、誰が書いたのかを確認してから……断るなら断るってしなきゃ、いけない気がするんです」
「マサヒコ君……」
「そうしなきゃ、失礼じゃないですか。人間として」
「…………でも」
「こういうのって、逃げちゃ……ホントは逃げたいですけど……ダメだって思うんです」
 アイの気勢が急速に萎んでいく。マサヒコの言っていることは正論だ。
ラブレターを書いて渡すのは、中学生にとってみればよっぽど勇気がいる行為だろう。
それは、マサヒコ同様、ラブレターに縁が無かったアイにもわかる。
それを無碍に扱うことは出来ないというのもわかる。
しかし、ミサキの想いを知っている人間として、素直に主張を撤回してよいのだろうか。
その迷いが、最後の「でも」という言葉になって、外に出た。
「開けます」
 さっきのアイ以上の強い語調で、はっきりとマサヒコは言い切った。
もう、アイも他の誰も、口を挟むことは出来そうにない。

「だから、天野……手をどけて」
「…………」
 ミサキは数秒躊躇った後、目を閉じて、腕に一度だけ力を込めてから、そっとマサヒコから離れた。
「ゴメンな」
 謝る必要は無いのだろうが、マサヒコは謝った。
何故だかわからないが、そうしなければならないと思ったからだ。
「じゃ、開けます」
 ペリペリ、とシールが剥がされていく。
誰かがゴクリと唾を飲む音が、部屋に異様に大きく響く。
「便箋が……一枚、入ってる」
 マサヒコはそれを取り出すと、丁寧な手つきで開いた。
皆がマサヒコの背後に集まり、文章を読もうと首を伸ばす。

『突然、こんな手紙を出してすいません。

 ご迷惑かとも思いましたが、もう自分の気持ちを押さえることが出来ません。』

「……」
「可愛い字だねー」
「押さえることが出来ない、って何かオオゲサね」
「先輩、もうちょっとそっち寄って下さい、よく見えない」
「……アイ、あんたさっきは開けちゃダメとか言っといて、今はそれかい」
「あの、頭の上に肘乗せるのはやめてくれませんか、中村先生」

『入学式の時に一目お会いして以来、ずっと先輩の姿が頭から離れません。

 今まで、こんな気持ちになったことはありませんでした。』

「………」
「ねぇねぇ、アヤナちゃん、これって」
「一目惚れ、って言うやつなのかしら」
「先輩、ホントに一目惚れってあるんですか?」
「少なくとも私は経験無いわねぇ……されたことはあるけどさ」
「いや、頭に肘を……うわおっ、だからって胸乗せんじゃねーっ!」

『好きです。

 大好きです。

 つきあってほしいです。』

「…………!」
「うわあ」
「ス、ストレートね」
「先輩、これ……」
「こりゃ完全にホの字みたいね。マサー、この色男めっ、うりうり」
「ぐふっ、体重かけんな、重いっ、ぐわ、み、耳に息吹きかけるなぁーっ!」

『お返事は今すぐとは言いません。

 でも、ぜひ聞かせてください。お願いします。

 待っています。』

「……………」
「あれ、ここまでなんだー」
「案外短いのね、私、もっとこーいうのって長々と書くものかと思ってたわ」
「先輩、マサヒコ君……」
「えへへへへ。さ、どうすんの、マサ?あんたは」
「ふう、やれやれ……。と、取り敢えず差出人に会ってみないことには断るも何も」

『1年3組 松中ノブコより

               3年2組 大久保ヒロヒコ先輩へ』

「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」

『              3年2組 大久保ヒロヒコ先輩へ』

「………………フゥ」
「あははは、これって隣のクラスの人だー」
「大久保って、あの野球部でキャッチャーやってる、相撲取りみたいな体格の男子よね」
「せ、先輩、マサヒコ君……」
「……つまんねー、何だこのベタな展開は。さっきまでの盛り上がりを返せっつーの!」
「……ホントにやれやれ、だな……コレ……」


 問題の封筒は、もう一度きちんとシールで封をされ、
マサヒコが責任を持って本人の元へ渡しに行くことになった。
 皆一気に力が抜けてしまい、とてもこれから勉強する気にはなれず、
別の日に埋め合わせをすることを決め、解散とあいなった。

 何はともあれ、騒動は一応の決着をみた。

 アイとリョーコは、リンコとアヤナを送り届けた後、
夕食を食べるために、商店街脇のファミリーレストランを目指して歩いていた。
「ねぇ、アイ……」
「はい、先輩?」
 不意にリョーコが、アイに話しかけた。
「アンタ、優しいね」
「なっ、何ですか突然!」
 突然の賛辞。動転したアイは、照れたのか頬が真っ赤になる。
「あんな形で、ミサキちゃんの想いがマサに伝わっちゃうのを、防ごうとしたんでしょ?」
「……」
「恋愛経験ゼロのアンタにしちゃあ、見事な機転よね。話の内容はデタラメだったけど」
 アイはコクリと頷いた。そんなアイを見て、リョーコは微笑んだ。
ファミリーレストランのライトアップされた看板が、コンビニの向こうに見えてくる。
「ミサキちゃんが、伝えたい時に、伝えたい場所で、伝えられたらいいと思って……」
「そうねー……」
「男の人を好きになったことが無い私が言うのも、おこがましいですけど……」
「……」
 アイも、リョーコに微笑み返す。
「告白って、本人がきちんと準備して、一所懸命な気持ちで、するものだと思うんです」
「あのラブレターを書いた女の子も、考えて悩んで、勇気を振り絞って書いたに違いないもんね」
「はい」
 二人はファミリーレストランのドアを開け、中に入る。
混む時間帯だが、それでも少し空席が残っているようだ。
「よし、今日は私がおごってやる。遠慮せずに何でも頼んでいいわよ」
「え、ホントですかぁ?」
「600円以内で」
 ずっこけるアイ。ケタケタと笑うリョーコ。
そんな二人に、営業スマイルのウェイトレスがメニュー片手に近づいていった。

「ふぅ……」
 ミサキは学習机に突っ伏して、大きく息を吐いた。
皆と別れ、小久保邸から戻ってきて一時間。
何をするでも無く、ずーっとこの体勢のままだ。
 ラブレター。
朝、それと思しきモノをマサヒコが持っているのを見た時、ミサキは体中の血が沸騰する錯覚に襲われた。
「はぁ……」
 マサヒコは際立った美形というわけでも無いし、背もそれ程高くない。
顔立ちは整っている方だが、若干線が細く、男らしいという印象もあまり与えない。
探せば、全国どこにでも居るような少年だ。
 マサヒコのことを好きなのは、自分だけ。
マサヒコの良さをわかっているのは、自分だけ。
ミサキはずっとそう思っていた。否、思い込もうとしていた。
「……」
 ミサキは顔を上げると、目の下をティッシュで拭いた。また、何時の間にか泣いていたのだ。
マサヒコを好きな女の子が、自分以外に本当に居るかもしれない。
居たとしたらどうなのか。その子がマサヒコに告白してしまったら、どうなのか。
今回はただの間違いということで、笑い話ですんだ。
だけど、次もしあるとするならば、それが本当にマサヒコに宛てたものならば、どうするのか。

 ゴチャゴチャとした気持ちが、心の奥底から噴き上がってくる。
振り払ってしまいたい。しかし、纏わりついてくる。
「……んっ」
 ミサキの右手が、自身の左胸へと伸びる。
そして、服の上から膨らみを数度、それほど力を入れずに撫で擦る。
手を止めると、布越しに、自身の鼓動が感じられる。
それが一回鳴る度に、ない交ぜの感情が、体中の隅々に流れていく。
「……あ……」
 左手の人差し指を、股間に持って行き、上下にゆっくりと動かしてゆく。
ショーツの一部分が、徐々に湿っていく。
「く、ああ、ッ……」
 腰の辺りが痺れ始め、それは両の手の動きが激しくなるにつれ、
さっきの感情と同じように、体全体に広がっていく。
「ふ、あ、う、ああ……ああッ!」
 その痺れが、頭と爪先まで及び―――ミサキはイッた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 快感の後に来るのは、虚しさと静けさ。
心臓に大きなトンネルが開き、そこを風が吹き抜けていくような感覚。
「ふぁ……マサちゃん……」

 ミサキは考える。
他の女の子と自分を比べ、有利な点はあるだろうか、と。
スタイルに関しては、悔しいことながら、分が悪い。
顔については、相対的な問題なので、簡単に論じられないが、
東が丘中学には可愛い子が多く、安心は出来ない。
性格その他色々を見てみるに、大きなアピールポイントを、自分は持っていない。
強いて言うなら、成績が良いことはプラスに作用するかもしれないが、それとて決定的なものではない。
 幼馴染という関係、それは確かに強力なカードかもしれないが、今の時点では、逆に足枷になっている。
何故ならば、あまりに存在が近すぎる為、マサヒコが自分を恋愛対象として見てくれないのだ。
 そんな状況で、どうマサヒコにアプローチすれば良いのかわからない。
それに、マサヒコが受け入れてくれなかったら、どうなってしまうのだろう。
怖い。怖過ぎる。だから、前に進めない。ただ、今の位置で足踏みを繰り返すだけ。

「……」
 ミサキは息を整えると、タンスから新しいショーツを取り出し、穿き替えた。
そして、ペタンと絨毯の上に座ると、さっきまで伏していた学習机に目をやる。
その一番下の棚の奥に、あるものが入っている。
自分が書いた、マサヒコ宛てのラブレター。
それらを渡すことは、おそらく無い。
だけど、捨てることも出来ない。
「……ふぅ」
 マサヒコまで、あと何歩の距離があるのだろう。
深い溝、高い壁、それらがどれ位立ち塞がっているのだろう。
「……」
 あの松中という女の子は、一体どんな思いで文章を書いたのだろう。
“もう自分の気持ちを押さえることが出来ません”ということは、相当に悩んだのだろう。
フラれるかもしれない、いや、そもそも読んでくれるかさえもわからない。
それでも、彼女は、ラブレターを書いた。そして、下駄箱に入れた。
直接渡そうとしなかったのは、きっと怖かったからに違いない。
「でも……偉いよね、行動に移したんだもの」
 ここでウジウジとしている自分に比べ、彼女は何倍も勇気のある人間だ。
「私も……」
 今はまだ、出来ない。
でも、何時か、必ず、きっと。
「伝えなきゃ」
 そう、あの女の子のように。
「あなたが、好きだ、って」
 棚の中のラブレターは、想いの数。
それを、無駄にしてはならない。

「ミサキー、晩御飯のお皿、並べるの手伝いなさーい」
 階下からの母の声に、ミサキは立ち上がった。 
「はーい」
 言葉を返し、ミサキは右手を、再び左胸にあてた。まだ少し、ドキドキしている。
深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻そうと試みる。
「すぅ、はぁーっ」
 大分、気分が楽になってきた。
「すぅ、はぁーっ」
 明日からも変わらぬ態度でいこう。
今日のような騒動はそうそう何度もあるまい。
自分のペースで、落ち着いて、その時まで、勇気を貯めて。
「今、降りるーっ」


 ……早朝六時半、クラブの朝練よりも少し早く、一人の少女が校門をくぐった。
正面入り口に誰も居ないのをチェックすると、音を立てないようにして、目的地へと素早く歩いていく。
向かった先は、3年1組の男子の下駄箱。
少女は背を伸ばし、上から順に名前を確認してゆき、やがてひとつのボックスへと辿りついた。
鞄からピンク色の洋封筒らしきものを取り出すと、もう一度ボックスの名前をしっかりと確認し、
息を大きくひとつ吐き出して、ボックスの中の上靴の下に滑り込ませた。
そして左右を素早く見回し、逃げるような足取りで一年生の教室の方へと去っていった。
少女が洋封筒を入れたボックスに書かれている名前、それは―――。

「小久保君おはよー」
「ああ、おはよう」
「おはよう」
「おはよう、小久保君」

 いつもの朝、いつもの挨拶、そしていつもの面子。
何とも平和な風景だが、この直後、たった一枚の紙切れが、
四人を混乱と恐怖のどん底に叩き込むことになろうとは(※2)、一体誰が想像し得ただろうか。

 ※2:表現は適切なものを使用しています。

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