作品名 |
作者名 |
カップリング |
ツーショット ミサキ編 |
ピンキリ氏 |
ミサキ×マサヒコ |
(やっぱりおかしい)
学校からの帰り道の途中、マサヒコは隣を歩くミサキを見てそう思った。
ボーッとしていると言うか、反応がワンテンポ遅れると言うか。
とにかく、いつものミサキでは無い。
(朝は普段通りだったような気がするんだけどな・・・)
最初は『女の日』かとも思ったのだが、それとも違うようだ。
(聞いてみた方がいいかなぁ)
しかし、本当にアノ日だったりしたら、こんな街中で聞くのはミサキに対して失礼だし、
それに下手すれば殴られるかもしれないと思うと、なかなか思い切って尋ねることが出来ない。
マサヒコが一人であれこれと考えている間にも、ミサキの変調は段々と目にあきらかになってくる。
頬に赤みが差し、息も少し荒い。上半身も小刻みに揺れているようだ。
(・・・よし、聞こう)
マサヒコは心を決めた。
「あのさ、天野お前―――」
赤信号で立ち止まったのを機に、ミサキに声をかける。
・・・ポフン。
「どこかおかし―――って、オイ!な、なんだ?」
突然、ミサキがマサヒコの胸にもたれかかって、否、倒れかかってきた。
マサヒコは咄嗟に手を出して、ミサキの肩を支えるように抱え込む。
「ふしゅう〜」
「腐臭?」
いや、冗談を言っている場合では無いようだ。マサヒコの腕の中のミサキは、明らかに力が無い。
それに、掌を通して熱っぽさも感じる。
「天野、もしかしてお前・・・風邪か?」
「・・・う〜〜〜・・・。!?あぅ、ゴ、ゴメン・・・」
自分がマサヒコの胸に顔を埋めているのを知り、驚いて離れようとするミサキ。
が、やはり足元が覚束無く、ヨロリと後ろにふらつく。車道へ踏み外しそうになるミサキをマサヒコはあわてて引き寄せる。
「馬鹿、しんどいなら無理すんな」
「・・・で、でも」
ミサキの顔がさらに熱っぽくなる。状況はどうあれ、『マサヒコに抱きしめられている』のだから。
マサヒコだって少し顔が赤い。理由はともかく、『ミサキを抱きしめている』のだから。
信号が青になった。
「と、とりあえず早く家に帰ろう」
マサヒコはミサキの肩を支えるようにして歩き出す。ミサキは何かを言いかけたが、結局マサヒコを頼ることにした。
行き交う人の視線を感じながら、二人は寄り添って横断歩道を渡る。
マサヒコは時々へたりこみそうになるミサキを何とか支えながら、天野邸へとたどり着いた。
チャイムを押すが、邸内から反応は無い。
「あっ・・・そうか」
ミサキのことで頭がいっぱいになってしまって失念していたが、町内会の婦人の集いで昨日から温泉旅行に行っているのだ。居るわけがない。
「小久保くん・・・私の鞄の横のポケットに鍵が入ってる・・・」
「お、おう」
言われた場所から鍵を取り出し、扉を開けて中に入る。二人で何とか階段を登り、ミサキの部屋に辿り着くと、マサヒコはミサキをベッドに寝かせた。
女の子をベッドに連れて行き横にさせるというのは、字面だけ見れば色っぽいシチュエーションなのだが、この場合はそうではない。
連れて来られた方は風邪のため苦しそうにしているし、連れて来た方は人ひとりを支えて歩いてきたためへとへとになっている。
マサヒコとしては腰を下ろして一休みしたいところだが、そういうわけにもいかない。
(冷やす物と・・・薬が要るよな)
「天野、薬箱どこだ?それとアイスノンとか冷凍庫にあるか?」
「えっ、そんな、そこまでしてもらわなくてもいいよ、小久保君・・・」
ここら辺りミサキの心中は複雑である。
マサヒコにこれ以上迷惑をかけてはいけないという気持ち、マサヒコにもっと頼りたい、側に居て欲しいという気持ち、二つの相反する思いが同居している。
ただ、風邪をダシにしてマサヒコに甘えるのは良くないという考えが、『迷惑をかけてはいけない』側に天秤を傾かせた。
ベッドから起き上がり、自分で薬を取りに行こうとする。が、上手く体を起こすことが出来ない。
「ほら見ろ。病人はおとなしくしてろ、バカ」
言葉はぶっきらぼうだが、ミサキと違って、マサヒコの気持ちは簡潔だ。すなわち、『病人には親切に』。
マサヒコはミサキに改めて薬箱と冷やす物の場所を尋ねようとしたが、やめた。自分の家に戻って探した方が勝手がわかるし、
何よりこういう状況とはいえ、人様の家の薬箱や冷凍庫をガサガサとひっくり返すのは気がひけたからだ。マサヒコらしいと言えばマサヒコらしい思考ではある。
「ちょっと家に戻って探してくるよ。それまで待ってろ」
そう言って微笑み、マサヒコはミサキの部屋から出て行った。
階段を降りる足音を聞きながら、ミサキは枕に頭を乗せた。もう迷惑をかけたくないという気持ちは無い。
マサヒコのさっきの微笑みが消してしまった。ミサキは嬉しかった。その微笑みが、好意のそれではく、厚意から出たものであっても。
マサヒコが優しくしてくれる。今はそれで充分だった。
マサヒコは家の薬箱を覗いてみたのだが、
胃腸薬や痛み止め、絆創膏に湿布、包帯、消毒液などが少しあるだけで、肝心の風邪薬が見つからない。
本来なら常備薬の筆頭として必ず一家にひとつは在るべきモノなのだが・・・。
母にその辺りを今すぐに問い質してみたいところではあるが、
楽しいことが大好きな母は当然温泉旅行に参加していて家には居ない。
大方、以前使った後に補充を怠ったというところだろう。
(困ったな・・・)
実際のところ、ミサキをベッドまで連れていった後に、「それじゃおとなしく寝てろよ」と引き上げることだって出来たはずなのだが、
マサヒコの思考回路にはその選択肢は存在しなかった。面倒くさがりではあるが、薄情ではないのだ。
他人が困っていて、自分の力が必要と感じた時は、打算無く素直に援助の手を差し伸べることが出来る。
マサヒコ本人は自覚していないが、その自然な優しさこそがミサキを惹きつける最大の要因なのだろう。
(ん〜・・・薬を買いに行くって言っても金あまり持ってないし・・・。天野の家を探すか、やっぱ?)
マサヒコは自宅で薬を探すのをあきらめ、アイスノンだけを持ってミサキの部屋へ戻った。
「スマン天野、薬無かった。取りあえず冷やすものだけ持ってきたから、頭の下に敷けばいいよ」
「・・・ありがとう、小久保君・・・」
マサヒコはアイスノンを渡した後、ふと疑問に思って尋ねた。
「なあ、お前・・・いつ頃から調子悪かったんだ?朝は普通だっただろ?」
「・・・起きて学校へ行くまでは何ともなかったんだけど・・・三時限目辺りで気分が悪くなってきちゃって・・・」
マサヒコは呆れたという風に肩をすくめる。
「何だよ、だったら保健室へ行くなり早退するなりすれば良かったのに」
「うん・・・でも我慢出来なかったわけじゃないし・・・最後の英語の時は本当に調子が悪かったけど、もう少しで下校だからって思って」
「そこで無理してもっとひどいことになったらどうすんだよ?実際下校途中に倒れそうになったわけだし」
そう言われてミサキは熱で火照った頬をさらに赤くする。マサヒコに抱き抱えられたことを思い出したのだ。
「・・・うん。ゴメンね、小久保君。あの時助けてくれて・・・ありがとう」
「いや、別に・・・」
マサヒコも照れたように少し俯き、頭を掻く。
思わず採った行動であり、最善の対応だったとは思うが、改めて考えると結構大胆だったかもしれない。
しばし、微妙な間が空間を支配する。お互いに何故か気恥ずかしくて目を合わせることが出来ない。
そのままの体勢で一分弱が経過した後、先に沈黙を破ったのはミサキだった。
「あの・・・小久保君」
「な、何だよ」
「・・・・・・服、着替えたいんだけど・・・・・・」
さっきよりさらに顔を朱に染めて、消え入りそうな声で呟くミサキ。まだ彼女は制服を着たままだった。
「お、おう。わかった」
腰を上げてマサヒコは部屋から出て行く。途中で屑籠を蹴倒しそうになったのは御愛嬌だ。
パタン。
ドアを閉めると、マサヒコは反対側の壁に寄りかかり、大きく息を吐く。
幼馴染、ご近所、クラスメイト、仲の良い・・・友達。今までミサキを「女」として意識したことはあまり無かった。
だが。
倒れそうになるミサキを受け止めた時に掌に感じた、柔らかい感触。
支えるようにして連れ立って歩いた時に鼻を擽った、髪の匂い。
そして、「ありがとう」と言った時の、はにかんだような、微笑んだような表情。
それらを思い出すと、何とも表現し難い気持ちになってくる。
(・・・まいったな)
それは彼が初めて、天野ミサキという幼馴染を本当の意味で異性として意識した瞬間だった。
マサヒコはドアに目をやる。その向こう側ではミサキが制服を脱ぎ、パジャマに着替えているだろう。
刹那、マサヒコの心にモヤモヤとした何かが走ったが―――ブンブンと首を振って、それを振り払う。
(薬をどうにかしないと、な)
マサヒコは階段を、出来る限り音を立てないように努め、降りていった。
しかし、薬をどうにかしようというものの、まずもってどこに薬箱が置いてあるのかわからない。
子どもの頃何度か遊びに来たことはあるが、そんな細かいところまで覚えているわけではない。
よしんば覚えていたとしても、昔と今とでは物の配置が違い過ぎる。
(うーん、どうしよう)
首を捻りつつ、ダイニングに来て周囲を見回してみる。
と、真っ暗なテレビ画面に写った自分の姿、そしてその胸ポケットから見える携帯のストラップ。
(そうか、天野のおばさんに聞いて―――)
確かめればいい、と思ったが、すぐにマサヒコはその考えをあきらめた。
風邪程度で連絡して余計な心配をかけるのはどうかと思うし、さらに言えば旅行中なので電話に出るかどうかもわからない。
(薬は天野に後で聞くしかないか)
薬の事はひとまず置いておくとして、後は食べ物だ。
思えば、ミサキは給食も全く手をつけずに残していたような気がする。
例え本人に食欲が無くても、体力を保つためには食事は欠かせない。
病人食と言えばお粥だが・・・、ミサキ本人に作らせるわけにはいかず、
何よりフラフラの状態の彼女が作ればいつも以上にとんでもない味になるのは確実、そんなものを食べればさらに悪化間違いなしだ。
もちろん、マサヒコとてお粥ぐらいは作れないこともないが、何分普段料理などしない身だ。今ひとつ自信が無い。
マサヒコは脳内で、こういった場合頼りになりそうな人物の検索を行ってみる。
お互いの母は先程のような理由で却下。
当然ご近所のおばさん連中も同じ理由で却下。
お互いの父は仕事中なので却下。
男友達は対象外なので却下。
そうなると残りは限られてくる。その中で一番優先順位が高いのは―――。
マサヒコ半瞬悩んだ後、携帯のアドレスから「濱中アイ」を選んでコールする。
だが。
『只今おかけになった電話は現在電波の届かない場所にあるか電源が切れており・・・』
思わず天を仰ぐマサヒコ。
これでアイに頼るというカードは無くなった。
残る手札は、
「的山リンコ」
「若田部アヤナ」
「中村リョーコ」
の三枚のみ。
(・・・・・・ふぅ)
しばし考えて、マサヒコはその人物へ電話をかけた。
プルル・・・プルル・・・ピッ。
『はい、もしもし?』
「あ・・・もしもし、小久保マサヒコですが・・・」
『アンタが私に電話なんて珍しいわねー、何か用なワケ?』
マサヒコが選んだカードは中村リョーコだった。
手札の中では一番年上だったし、以前風邪引きアイにねぎ味噌湯を作ってあげたことも覚えていたからだ。
・・・もちろん、その直後の座薬の件もあったので一抹の不安が無いでもなかったが・・・。
マサヒコはとりあえず、手短かに用件を話す。
『ほーほー、そりゃ大変ね』
「それでですね、この場合はやっぱり何か作ってあげたほうがいいんでしょうか。アイツ今日は何も食べてないみたいだし」
『その前に正確に熱を計るために直腸に体温け』
「早く教えろ」
電話の向こうでリョーコが舌打ちする音が聞こえる。しかしマサヒコは冗談に付き合うつもりはない。
『んー、ここはやっぱりお粥なんだろうけど』
「けど?」
『風邪と言えばアレに決まっているじゃないの、太古の昔より受け継がれてきた伝統の特効薬、玉子酒!』
「・・・真面目に答えてくだ」
『真面目よ。アルコールは血行を良くする効果があるし、糖分やアミノ酸もも含まれているので栄養的には申し分ないわ』
「・・・」
『卵の方は栄養の説明の必要なんて無いでしょ。ちなみに、市販されてる風邪薬の成分の中には卵白の酵素を精製したものがあるのよ』
『作り方だって難しくないわ。日本酒を火にかけてアルコール分を適度に飛ばし、よくかき混ぜた卵をゆっくり垂らしながら混ぜる』
『あんまり急ぐとトロリとしないから気をつけること。最後に砂糖を少々入れて、程良く温めれば出来上がり。わかった?』
「・・・はい」
『素直でよろしい』
「・・・ありがとうございます」
リョーコに相談して正解だったようだ。リョーコに感謝するマサヒコ。
「で、寝かせてあげなさい。そいで寝たところでパジャマ脱がせて襲っ』
プチッ。ツーツーツーツー。
感謝は一瞬だけだった。
作るとなったら天野邸でやるべきだろう。他所様の冷蔵庫を覗くのは気が引けるが、
手間と時間を考えると自宅に戻ってまでやる必要は無い。マサヒコはそう判断した。
冷蔵庫から卵を取り出す。冷蔵庫の横の棚で『清酒・鬼嫁』とラベルの貼られた日本酒を見つけることも出来た。
あとはリョーコに言われた手順通りに作るだけだ。マサヒコは気合を入れてコンロに向かった。
「・・・出来た」
マサヒコの目の前にはコップに入った―――
「と、思う」
玉子酒、らしきもの。リョーコにゆっくりかき混ぜろと言われたにも関わらず、
若干急ぎすぎたようで溶き卵のようになってしまっている。
「味はどうなんだろう」
当然マサヒコは未成年なので堂々とお酒なぞ飲んだことは無い。
が、作った本人として最低でも味見はしておくべきだろう。
別のコップに少しだけ移して、口をつけてみる。
「・・・よくわからん」
酒の味を知らないので当たり前ではあるが。
正直、決して美味しくはない。むしろ不味いかどうかのファールライン上という感じだ。
まあ、一口試してみて不味いと感じたらミサキもそれ以上は飲まないだろう、と考えて、
マサヒコはコップを持って階段を上がっていった。
トントン。
ドアをノックする。
こーゆーのはやはり礼儀というものだ。
「入っていいか?」
ドアの向こうから、いいよという返事が返ってくる。
マサヒコが部屋の中に入ると、パジャマに着替えたミサキがベッドの上で座っていた。
(ん?)
マサヒコは何か違和感を感じた。ミサキの雰囲気が少し違うような・・・。
「あ」
髪だ。いつもはおさげにしている髪が今はおろされている。目線はそのままに、数秒の間。
「・・・どうしたの?」
「い、いや何でもない」
珍しくてじっくりと見てしまった、何て言えるわけがない。
「こ、これ玉子酒作ったんだけど、飲んでみるか?不味いかもしれないけど」
「えっ・・・私に作ってくれたの?」
「ああ」
ミサキは嬉しさのあまり涙が出そうになった。
家まで運んでくれただけでなく、心配してくれて玉子酒まで作ってくれた。あのマサヒコが。
「・・・ありがとう」
コップを両手で大事そうに受け取る。ツンとしたアルコールの臭いが鼻を突く。ミサキももちろんお酒を飲んだことは無い。
ゆっくりとした動作でコップを持ち上げ、少量を口の中に含んでコクリと飲んでみる。
「美味しいよ、小久保君」
嘘である。マサヒコが自分の為に作ってくれたのだ。不味いなどと言えるわけがないし、言いたくもない。
「いいんだぞ、残しても」
マサヒコは一度味見してみて美味しくないのを知っているし、ミサキが玉子酒を口にした時に表情を少し歪めたのも見ていた。
「ううん、本当に美味しい」
ミサキは首を左右に振ってそう言うと、ニッコリと微笑む。
何となく照れくさくなってマサヒコは視線を逸らし、窓の外を見る。小さな雲が幾つか浮いている。
「お、俺ちょっとキッチン片付けてくる。色々調理器具使ったし」
・・・使った道具など鍋とお椀意外に無いのだが。
ミサキもあれ以上は飲まないだろう。
さっきは美味しいと言ってくれたけど、本当は不味いはずだからきっと残すはずだ。
鍋を洗いながらマサヒコはそう考えていた。
しかし―――不味かろうが何だろうが、ミサキが残すわけがないのだ。マサヒコが作ったものを。
洗い物を終え、マサヒコはもう一度ミサキの部屋へと向った。
自分が出来るのはもうここまで。後は家族に任せよう。
母さんか父さんが帰ってくるまでゆっくり寝てろ。そう声をかけて帰るつもりだった。
トントン。
ドアを叩く。が、反応が無い。
(もしかして、寝ちゃったのか?)
それならいいのだが、確かめずに帰るわけにもいかない。「開けるぞ」と言って中を覗く。
ミサキは、さっきとまったく同じ体勢でベッドに腰掛けている。固まったように動かない。目もトロンとしている。
「ま、まさか」
マサヒコはミサキに寄って、コップの中を見る。
「お、お前飲んじゃったのか、全部!?」
美味しくないのに無理して飲まんでも―――と続けようとしたが、出来なかった。
ミサキが突然、抱きついてきたからだ。
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「なっおいどうしたちょっとしっかりしろ待て@▲:」
マサヒコ、あまりのことにちょっとパニック。
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふ、マ・サ・ちゃーん」
妖しい笑いとともに頬を摺り寄せてくる。
ドターッ。
勢いに押されて後ろに倒れてしまうマサヒコ。そして上に跨るミサキ。
「うふっ、うふふふふっふふふふふふふふ」
マサヒコの顔を両手で包み込むように挟むと、そのまま愛惜しむように撫で擦る。
事ここに至って、マサヒコは完全に理解した。
(コ、コイツ酒に滅茶苦茶弱えー!!)
ミサキの愛撫は続く。
マサヒコの耳を擽るように触ったかと思うと、髪を指で絡めてから梳く。
やがてもう一度頬を両手で挟みこんだかと思うと、目を閉じて顔を近づけ―――。
「って、おわあああっ!」
固まっていたマサヒコが全力で上体を起こし、アメリカザリガニのように後ろに引いて壁際に逃げる。
ストン、という感じで尻餅を着くミサキ。
「お、お、お、落ち着けっ!天野!」
「・・・・・・」
ジーッと自分の下から逃げた少年の顔を見つめるミサキ。
首を斜めに傾げて、蕩けるような微笑む。
「うふっ、うふふふっ、うふふふふふふふ」
四つん這いになって、猫のような動きでマサヒコに近寄っていく。逃げる間も無くマサヒコは詰め寄られてしまう。
ミサキは覗き込むように顔をマサヒコの正面5センチ前まで近づけ、
「ねぇ、マサちゃん・・・」
ペロリと舌で上唇を舐め、色づいた声で囁く。
「『天野』じゃなくって・・・名前で呼んでよぉ・・・」
ミサキの息がマサヒコの鼻にかかる。熱い。
「なまなまなま、名前っておま、おまおま」
マサヒコはもうマトモに考えることも答えることも出来ない。
「うふふ、やだぁマサちゃん・・・『なま』に『おま』だってぇ、うふふっ卑猥ぃ〜」
いつもの泣きながらの『卑猥よ!』とまるで違う。別の意味で凄まじく怖い。
クスクスを妖艶に笑うと、ミサキはマサヒコから体を離す。そしてパジャマのボタンに手をやると、上からひとつづつ外していく。
「どっ、どわーっ!」
ヤバイ。もう完璧に強烈に最悪にヤバイ。マサヒコは弾かれたように体を起こすと、ドアのノブに転げるように手を伸ばした。
ガシッ。
・・・が、あと数センチで届かなかった。恐る恐る振り向むくと、猫科のハンターと化した少女が足首をしっかりと捕まえていた。
パジャマの前が肌蹴ていて、白い、清楚な感じのブラジャーに包まれた胸がマサヒコの視界に入る。
小振りだが、うっすらと朱が差していて異様に艶かしい。
(うわわわわわわわわ)
もうちょっとどころではない。マサヒコは完全にパニック状態に陥った。
脛、太腿、腰、とミサキの手が上に登ってくる。同時に体もマサヒコに圧し掛かるように被さってくる。
「うふふ・・・マサちゃあん・・・」
くねくねと腰を動かし、再度跨ると、胸元まで伸ばした手をシャツのボタンにかける。
プチッ、と第一ボタンが外される。続いて第二ボタン。マサヒコの鎖骨が覗く。
そこで手を止めると、ミサキは顔をマサヒコに近づけていく。
ゆっくりと、しかし確実に距離を詰め、唇と唇がもう少しで触れそうなところまできた。ミサキがほうっと息を吐く。
「ねぇ、マサちゃん・・・私、マサちゃんのこと・・・」
ミサキの唇がマサヒコを絡め取―――ろうとしたその時、
・・・ポフン。
(・・・・・・・・・・!?)
マサヒコの胸に顔を埋めるミサキ。
「ふしゅう〜」
「・・・俘囚?」
冗談・・・ではない。マサヒコは胸の上に視線を向ける。頬の赤さは先程と変わらないが、穏やかな表情、閉じられた目。
「すぅ〜・・・ふゅ〜・・・・」
寝息がマサヒコの耳に届く。
ミサキ、エネルギー切れ。
「はぁ〜〜」
マサヒコは体から力が抜けてゆくのを感じた。
疲れた。もの凄く疲れた。寿命が三年は縮んだ気がする。
頭のてっぺんから足のつま先まで、疲労感と脱力感の波がマサヒコを包む。
が、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。マサヒコはミサキが起きないのを確認すると、
ベッドまで抱き抱えて運んでいく。仰向けに乗せて布団をかけようとしたが、
そこでまだミサキの胸元が肌蹴たままなのに気づく。
(う・・・どうしよう)
どうしようも何も、ほったらかしには出来ない。胸やお腹が出たままでは風邪が悪化してしまう。
マサヒコは溜め息をつくと、ボタンをかけるべくパジャマに手を伸ばし―――。
バターン。
「おーい、ミサキちゃん大丈夫ー?お見舞いに来たよーっ」
マサヒコは今までの人生の中で一番冷たい汗が背中に流れるのを感じた。
いつチャイムが鳴らされたのか。気づかなかった。気づくわけなかった。
ギギギギギギ、と顔を壊れたブリキ人形のような動きでドアの方に向けると、
「あ゛」
ああ、そこには。
濱中アイ。
中村リョーコ。
的山リンコ。
若田部アヤナ。
「・・・・・・・・・」
冷や汗を流す一人に、固まる三人、ニヤつく一人。誰がどれかは言うまでもあるまい。
「アハ♪こりゃまた」
ニヤつく一人が楽しげに笑う。
(・・・お前か)
お前が皆に知らせたんだな。やっぱり、やっぱりお前なんかに電話したのが間違いだった!
「ご、強姦ー!?」
「濡れ場ー!」
「風紀が乱れてるわぁぁ!」
「いいねー、ヤルじゃんヤル気まんまんじゃん」
ああ、世界なんてこの瞬間に滅んでしまえばいい。罵声(?)を浴びつつ両の目から滝のように涙を流すマサヒコ。
その横で、幸せそうな表情で眠る少女が一人。
「ムニャ・・・うふふ・・・マサ、ちゃん・・・」
F I N