作品名 |
作者名 |
カップリング |
「ユレルキモチ」序章 |
ナット氏 |
− |
「ねえ、小久保君」
「なんだ?若田部?」
「今日、うちに寄って行ってくれない?」
6限目の授業が終わり、みんなが帰りの支度をしているころ、アヤナはマサヒコに声を掛けた。
「別に、いいけど。」
この日はアイが来る予定も無く、一人で勉強する予定であった。
机の中にしまってある教科書類をカバンへと入れ、アヤナと教室を出た。
学校からアヤナの家への5分間、2人はほとんど言葉を交わさなかった。
と言うより、マサヒコが話しかけても、アヤナは「ウン」や「そうね」などの一言で終わってしまっていた。
その表情は何か思い耽り、上の空、何か考えているようであった。
若田部邸へつき、マサヒコはアヤナの部屋へと案内された。
広さにしては家全体がやたら静かである。
この日もアヤナ以外の家族は誰も居ないようだ。
次第に足音が近づいてきて、扉を開けた。
アヤナは紅茶を持って、マサヒコへと振舞った。
もともと部屋に満ちていた女の子の甘いような匂いに紅茶の香りが混ざり合った。
マサヒコは紅茶を口へと運んだ。紅茶特有の風味が口いっぱいに広がる。
「うまいな、この紅茶」
「そう、ありがとう」
やはり返事ひとつで会話が止まってしまう。
マサヒコはもう一口紅茶を口へ運び、再び話しかけた。
「なんで今日俺を来させたの?」
「・・・・・・」
沈黙が続く。アヤナはうつむいてしまっていたが、マサヒコはそんな姿を、見つめ続けた。
数分の沈黙のすえ、ようやくアヤナは顔を上げた。
「あなたの好きな人って、誰?」
「えっ!!」
その発言にマサヒコは持っていたカップを落としそうになった。
「やっぱり天野さん?」
マサヒコの頭にミサキの姿が映る。
今まで考えたことが無かった。たしかに自分の周りには女性が取り巻いている。
しかし誰一人恋愛の対象としてみたことが無かった。
だがミサキはどうか。ただの幼馴染なだけなのだろうか。
考えたことが無かった。だがミサキが居ないということも考えたことが無かった。
昔から一緒に遊んで、高校までずっと学校が一緒で。確かに家庭教師をつける前、やや疎遠だったこともある。
だが今は同じクラスで毎日あって、一緒に勉強して、時には共にはしゃぎ、昔のように一緒に居ることが多い。
また、ミサキをライバル視し、中村を崇拝する若田部も最近一緒に居ることが多い。
2年の時の夏休み以来、仲がよくなった。
みんなと接するうちに最初のうち感じていた性格の角も最近はずいぶんと丸くなった。
そうしているうちにアヤナへ好意にも似た感情があるのは確かである。
『俺が好きなのは・・・』
「やっぱり、彼女なのね・・・」
マサヒコが沈黙していたらアヤナが口を開いた。
「え、い、いや・・ その・・・」
マサヒコは口をこもらせた。アヤナの問いかけに否定するか、しないか。
ミサキのことを好きなのかそうでないのか。
「・・・私、彼女といろいろ勝負してきたわ。
テストも、金魚すくいも・・・
そして今は、あなた争奪戦。」
アヤナはマサヒコの顔を見つめた。
マサヒコの心臓はドクンと大きな脈を打った。そして鼓動が高鳴っていく。
「あなただって天野さんの気持ち、気付いているでしょ?」
マサヒコ自身、そのことにはうすうす感じていた。また自分自身もミサキをそう思いはじめていた。
だからアヤナの問いかけに即答できなかったのだろう。
マサヒコの中にひとつの答えが出始めていた。
『俺が好きなのは、』
その思いが固まろうとしていたとき、アヤナの言葉は続いた。
「けど、この勝負、絶対負けたくないの。
私だって、あなたのこと・・・ こんなに男の人のこと思ったあなたが初めてで・・・
彼女に比べてあなたと過ごした時間の長さにハンデがあるのは分かってる。
でも私は、あなたの事が好きなの!」
アヤナは顔を真っ赤にし、目に涙を浮かべていた。
ミサキのマサヒコに対する気持ち、またマサヒコがミサキの事をどう見ているか。
アヤナはそういうのを分かりながら、今日マサヒコをどんな気持ちで家へと呼んだのか。
再び気持ちが揺れ動く。先程決めかけていた答えは、また崩れ始めた。
小さいころから一緒に居たが、遠まわしにしか気持ちを伝えないミサキか、
出会ってからの時間はミサキに比べ短いが、面を向いてはっきりと気持ちを伝えたアヤナか。
いままでの人生においてこれほど悩んだことがあっただろうか。
マサヒコは自分の優柔不断さに腹が立った。
「・・・・若田部、すまない」
「えっ・・・・」
『すまない』この言葉が告白をした人にどれだけ悲しさを与えるのだろう。
彼は天野さんを取った。
そう頭が理解し、ワンテンポ遅れて頬に涙が伝う。
「うっ・・・ うう・・・・」
「ちょ、若田部!」
部屋を出て行ってしまいそうだったアヤナの手をマサヒコは懸命に掴んだ。
「離してよ!」
「若田部!違うんだ!」
「なにが!」
「さっきのすまないはそういう意味じゃないんだ。
その、なんていうか、気持ちの整理を付けたいから1週間だけ時間がほしいんだ。」
アヤナは言葉を理解し、その場にへたり込んだ。
「・・・ひっく、ひっく」
一度流れ出した涙はなかなか止まらない。マサヒコはアヤナにハンカチを手渡した。
渡されたはんかちで涙をぬぐった。
「・・・一週間」
「え。」
「待てるの、一週間だけだからね。」
「ああ、それまでに気持ち、決めてくるよ。」
「それまでこのハンカチ、私が預かっとく。」
そういいアヤナはぎゅっと握った。
「それじゃ、またな」
「ん」
部屋を出て行くマサヒコをアヤナは軽く手を振り見送った。