作品名 作者名 カップリング
『未知との遭遇』 ミセリ氏 ミサキ×マサヒコ

第2話 ちいさな恋人<前編>

俺は生まれて初めて大学という場所に足を踏み入れていた。
キャンパスマップとにらめっこしながら人ごみの中を進んでいく。
ついこの前まで中学生だった俺にとって、大学という場所はとてつもなく広く複雑な構造であった。
「C1棟……C1棟……あっ、あれか」
ようやく目的地を見つけそこに足を踏み入れる。
一時限目の授業が行われる205号室には、既に十数人の学生が集まり雑談に花を咲かせていた。
見知らぬ“知り合い”に声を掛けられるのを恐れ、目立たぬように教室の隅に座ってノートを広げる。
「ワケわかんねぇ……」
ノートには資本主義経済の歴史について――だと思うが――実に汚い文字で書き綴られていた。
それを読んだところで、まったく何の知識もない今の俺が理解することは困難極まりない。
しかし、意地でも理解せねば単位はない。
俺はレベル3で魔界まで来てしまった勇者のごとく窮地に陥っていた。

そもそも俺が自分の大学のことをまったく知らないのにはワケがある。
まずはそこから語らなければならないだろう。
この2日前、2010年4月24日土曜日に俺はその記憶、人格のすべてが自身の5年前のものに巻き戻っていた。
あるいは5年前の精神だけがこの時代にワープしてきたと言うべきか――どちらがより真実に近い言い方なのかはわからないが、
とにもかくにも俺からはここ5年間に得た知識が一切失われていたのだ。
無論パニックに陥ったが、その後土日の2日間で下宿しているアパートや実家に残っていた記録や資料を
徹底的に調査し、どうにかこの2010年の自分が置かれている状況を理解することができた。

まずビッグトピックは中学卒業と同時に幼馴染の天野ミサキと交際を始めたことだ。
それまでの下積みが長かったためか、俺たちはすぐに一線を越え、さらにはそのことが両家の両親にいきなりバレてしまった。
ここであろうことか親たち(主に母親)は、2人の交際を認めるどころか婚約にまで強引に話を進めてしまったのである。
結局高校卒業、大学入学から程なくして俺たちは入籍に至り、現在は親元を離れ新婚生活2年目に突入している次第である。
とはいえ所詮は大学生。卒業までは子供をつくらないことを条件に親の仕送りとバイト代で生活しているに過ぎない。
ちなみに5年前当時の友人であった若田部アヤナは芸名彩那として芸能界デビュー。
的山リンコはファッションデザイナーになるため専門学校に通っているという。
また、中村リョーコは現在なんと“豊田リョーコ”と名を変え地元の高校にて化学教師の職に就いているらしい。
そして濱中アイ先生は――きわめて不自然なことに――何の手がかりも得られなかった。
他の連中は保管してあった手紙などを見ればすぐにわかったのだが、なぜか濱中先生のその後を知る材料はどこにも見当たらなかった。
それどころか中学時代に俺と2人で撮影した写真などの品々も綺麗さっぱり消え失せていた。
俺の家庭教師をやっていたことを示す証拠すらない。
まるで、そんな人はいませんでしたとでも言いたげに。
あまりの不可解さに、嫁さん(しっかし違和感あるなこの言い方……)に濱中先生の事を聞こうとしたのだが、
なんとなく浮かんだ嫌な予感に阻まれ実際に尋ねることは出来なかった。

教壇では大学教授と思われる男が熱弁――と言うにはあまりにだるそうな声だけど――を振るっていた。
俺はそれを片っ端からノートにとっていく。
言っていることは半分も理解できなかったが、記録さえしておけばテストの時も何とかなるだろうという算段だった。
もっとも最初の数分間は、この教授は黒板に何も書かないという事実に気付かず書き逃したのであったが。
必死で手を動かしているうちにどうにかこうにか終了のベルが鳴った。
俺は脱力して大きく息をつき机に伏せる。
心は中学生、大学の90分授業はどうにも長すぎた。
この一時限目だけで全精力の半分以上を消費した気がして、これからの大学生活に対しお先真っ暗な気持ちになった。

幸いにしてその日はもう一つの授業だけで終わりであった。
学食でランチを取り自分の妻の手料理とのあまりのレベルの違いに感動しつつ気合を入れなおす。
あと半分。
折り返し地点を通過したマラソンランナーのつもりで教室に入って行ったが、
ベルが鳴っても学生も教授も誰一人現れなかった。
さすがに不安になり何度も資料をチェックするが、この教室に間違いない。
悩んでいても仕方がないので俺はさっさと帰宅することにした。
大学ってこういうことが良くあるんだろうか。

帰り道の途中、携帯電話の着メロが鳴った。知らない曲だったがおそらくこの5年間に出た曲なのだろう。
操作方法は昨日マニュアルを読んで覚えていたので慌てることなく対処する。
液晶画面の表示は“的山”だった。
「もしもし?」
「あっ、小久保くーん。ねえねえこれから会わなーい?」
間違いなく的山リンコの声だった。俺の知っている当時となんら変わらない、緊張感のかけらもない声。
「これから? 二人でか?」
「当たり前だよ。ねえ空いてる?」
ちょっと困った。仮にも結婚している俺がホイホイ他の女の子と二人で会っていいものなのか。
まあでも的山だしな……。俺はそう納得した。

「いいぞ別に。どこで?」
「やったー、それじゃあいつものとこで30分後にね」
それだけ言ってすぐプツッという音がした。
「あっちょっ、ちょっと待て! いつものとこってどこだ!?」
そう叫んだところで聞こえてくるのは電子音ばかり。泣く泣く的山の携帯に掛け返し
場所のことを聞き出さなければならなかった。
もちろんその行為に的山が不思議がったことは言うまでもない。

5年と言う月日が的山リンコをどう変えたのか。ミサキや若田部の変化ぶりを思い出し、
それをあれこれと想像していた俺は、運命のいたずらに愕然とするしかなかった。
なんっにも変わっていない。
足の先から頭のてっぺんまで5年前の中学生時代そのまんまであった。
強いて言うならメガネのデザインが変わっているように見える。
しかし当時ですら幼い顔立ち、未熟な体型だった的山リンコは今になってなお完全無欠のロリータのままであった。
仮に彼女と今の俺が並んで歩いていたとして恋人同士に見えるか?
否、良くて兄妹、悪けりゃ援助交際であろう。
「ひっさしぶりー小久保くーん♪」
俺に気付いた的山は小さく飛び跳ね元気に手を振る。その姿は――きわめて失礼ではあるが――
背伸びしておしゃれしているお子様にしか見えなかった。
そしていざ近づいてみると、記憶していたよりはるかに小さい。
もっともこれは的山が縮んだのではなく俺がそれだけ大きくなったということだろう。

「お前、昔と全然変わってねーな」
これも友達のよしみ、遠慮なく思ったままを口にした。すると的山は頬を膨らまして上目遣いで俺をにらみつけた。
「ひっどーい、そういうことは言わないって約束だよ?」
一瞬焦ったが、的山が本気で怒っていないことは口調から明らかだったので笑ってごまかすことにした。
「ああごめんごめん。で、これからどうするんだ?」
「んっとねえ、とりあえずご飯食べにいこ」
「昼飯食ったばかりなんだけど」
「こないだできたラーメン屋さんがおいしいって聞いたんだー」
俺の言葉にはまったく耳を貸さず的山は早足で駆けて行った。
ちょっとカチンと来たが、的山だから仕方ない、と納得して後についていった。

その店は確かになかなかの味だった。
そこそこ腹は膨れていたが、不思議と食が進む。これをミサキの料理と比べれば、
向こうがいかに奇跡のまずさであるか理解はたやすい。そう考えると自然と肩が落ちる。
「んん〜おいしかった。よし、腹ごなしもできたし、そろそろ行こっか」
無邪気な笑顔を浮かべて的山が立ち上がった。
「じゃあ私は先に外行ってるからねー」
「あ、おい的山、勘定は!?」
俺の静止など的山にとってはそよ風ほどの効果もなく、そのまま退場していった。
「俺が全部払うのかよ……」
まったくもってあのマイペースさは変わっていない。
かくして俺は的山の消えた出口を恨めしくにらみつけるのだった。

「なあ的山。この後どうする気なんだ?」
さすがの俺も、的山がただラーメンを食うために俺を呼んだのではないであろうことはわかる。
もっとも体よくおごらされただけと言う可能性も否定できないのだが。
それに対する的山の反応は実にあっさりとしたものだった。
「なにって、エッチに決まってるでしょ」
「……は?」
今的山が何を言ったのか、一瞬で理解することは困難だった。
いや、言葉の意味は判るが、それが的山リンコから発せられたと言う事実に戸惑うより他はなかった。
バッターボックスに立つ俺に対しピッチャーの的山がラグビーボールを投げてきた、といった趣きの場違い感。
「ほらボケーっとしてないで早く行こうよ。ねっ」
言うが早いか的山は俺の腕を掴んで引っ張った。
路地に入り少し歩くと、右手にはやたらと派手な建築物。
「LOVER OCEAN」と書かれた看板が堂々とそびえ立っており、
入り口の横には休憩と宿泊それぞれの料金が仲良く併記されていた。
「んー。いまいち気に入らない外見だけどここでいいか」
的山が向かっているその建物は、どう見ても大人の宿泊施設――早い話がラブホテルだった。

「あー……あのね的山くん?」
このままこいつのペースに流されるわけには行かない。
地雷原に足を踏み出す子供を目撃した駐在兵にも似た使命感に駆られ、強引に的山を引き止めて振り向かせる。
「なに? ひょっとして小久保君私のこと飽きちゃったの? そんなぁ、ひどいよぉ……」
的山は大好きなぬいぐるみを投げ捨てられた小学生のような顔でうなだれた。
俺の腕を掴んでいる手には精一杯の力が込められている。もっともそれでも微力ではあったが。

「あ、飽きたとかじゃなくてそういうことじゃなくて俺は結婚してるのであって……」
「えー! 小久保君が今更そんなこと言うなんて信じられなーい」
的山リンコから次々と発せられる衝撃発言の前に、俺は頭が宇宙遊泳を始めそうになった。
何やってんだ、この時代の俺は……。
「悪い物でも食べたの? あ、でもそれなら毎日食べてるから今更影響なんかないよね……」
的山は相当ひどいことを言っているがそれに突っ込む気力は今の俺にはない。
「いやまあ、あれだよ、あれ。そろそろ俺も落ち着かなきゃなー、なんて考えてみたり」
俺としてはそれでこの事態を収拾しようという腹だったのだが、しょせん中学生の頭ではそこが限界だったようだ。

「しよ」
「……おい」
俺を見つめる的山の表情は恋する乙女のそれになっていた。大きな瞳は一途に俺の目を覗き込み、口は半開き。
若々しい少女の匂いとあいまって恐るべきコンビネーションで俺の理性を攻め立ててくる。
「ね、しようよ。いいでしょ? ダメなら……」
的山が後ろを向き大きく息を吸い込んだのを見て、俺は自分にもはや選択肢がないことを悟った。
「わかったよ……」
そう言ったとたん的山は俺に飛びつき歓声を上げた。
「やったー、小久保くん大好きぃー!」
何が大好きだよ、断ってたらどうするつもりだったんだよ……。
的山はステップを踏みながら俺の腕を引っ張り薄ピンクの建物の中に引きずり込んだ。
いまや身長180センチにまで成長した俺が、高校生にすら見えない特級ロリータの手で
ラブホに連れ込まれる姿は、滑稽を通り越してもはやブラックジョークの類であったろう。


後編に続く

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