作品名 作者名 カップリング
『ファーストキス』 長時間座ってると腰にくるね氏 -

手を繋いで、相合傘で帰宅した事もある。
彼の入試の合格発表の日に、腕を組んで写真に写ったりもした。
卒業して春休みに入ってからは、一緒に会える時間も増えた。
でも、決定的なものが欠けてる。
ステップアップ。
即ち、もう一段階、関係を深めたいという願い。
何も、いきなりセックスしようとは思わない。
そりゃあ、最終的にはそういう関係になりたいとは思うケド……。

時折、不安になる。
マサ君は、一度も私に、直接「好き」って言ってくれてない。
そりゃあ、私だって、マサ君にちゃんと告白したのは、子供の頃の結婚の約束の時だけだけど。
でも、私の気持ちは伝わってる、よね?
なのに、マサ君の気持ちが私に伝わらないのは、何で?


「んー、心配し過ぎだと思うけど……マサヒコ君は、ちゃんとミサキちゃんの事、好きだと思うよ?」
かつて彼の家庭教師を務めていたアイ先生はそう言うけれど。
「だってさ、中途半端な気持ちで付き合うような、だらしない男の子じゃないもん、マサヒコ君は」
何で断言出来るんですか?
何で私以上にマサ君を信じる事が出来るんですか?
小さい頃からずっと一緒にいて、想い叶ってやっと付き合えるようになった私が、それでも中々信じられないのに?

「そんな事言うけどさ、アンタの方は、付き合い始めてからは、マサに一度でも『好き』なんて直接言った事あるの?」
そりゃぁ……無い……けど……。
「でしょ?付き合い始めてからもいちいち再確認するように『好き』なんて言い合うカップルは、ただ酔ってるだけよ」
……そんな事、中村先生にわかるんですか?
本気で恋愛なんて、どうせした事ないくせに……。
本気で人を好きになった事が一度も無い人に、「好きなんて言わない方が当たり前」なんて言われても……。

「私はカレシなんて出来た事ないし、ナナコが一番好きだから、あんまり恋愛とかよくわかんないけどー……」
聞く相手を間違えたかもしれない……。
「でもでも、小久保君がミサキちゃんを好きなのは、間違いと思うよ!」
根拠は?
無いでしょ?
リンちゃんなんて、なんにもわかってないくせに……。


日増しに募る不安。
何も悪くない知人や友人達への、八つ当たりにも似た感情。
ただ「好きだよ」と言ってもらえないだけで、何でこんなに心が乾いてくのかわからない。
今までは、言ってもらえなくても平気だったじゃない。
……違う。それは、付き合ってなかったから。
でも今は、付き合ってるんだから、言ってもらえないと寂しい。
……付き合ってる?
これが?
私もマサ君も、子供の頃を除けば、一度も「好き」って言ってないのに?
ただ、手を繋いだだけ。ただ、相合傘しただけ。ただ、腕を組んで写真に写っただけ。
手を繋ぐだけなら、リンちゃんともしてたじゃない。(単行本4巻37ページ)
相合傘ぐらいなら、アイ先生ともしてたじゃない。(単行本4巻81〜83ページにかけて)
腕組むのだって、若田部さんと……。(単行本4巻87ページ)

他の子だってしてる事を、今更したぐらいじゃ、確信なんて出来ないよ……。
だって、「付き合おう」って言って付き合ってるわけじゃないもん。
告白して、OKしてもらったわけでもないもん。
ただ、前よりも会う機会が増えて、前よりも距離が近くなって、ただ、それだけ……。

キス……してもらえたら、信じられるかなぁ……。


「……ミサキ?」
マサ君が私の顔を覗き込んできた。その瞬間、私は苦悩の世界から現実に引き戻された。
「どうしたんだよ、ぼーっとして。……ため息なんかついて」
「う、うそ?私、ため息なんてついてた……?」
気づかなかった。最悪だ。彼氏の前でため息なんて……。
俺と一緒にいてもつまらないのかなって、マサ君の事だから、そのぐらいの事は考えそう。
マサ君、結構お人よしだから、何でも自分の責任として捉えちゃいかねない。
特に、私との関係の中では……。
またやっちゃった。こうしてマサ君を心配させるのが、今週だけで何度あったか。
付き合い始めて一週間。
最初の一週間がこんなんじゃ、マサ君だって、私の事、興味失くしちゃうかな……。

じゃあ、私がいけないのかな……。
私がこんなだから、マサ君、楽しくなくって、だから一度も「好き」って言ってくれないのかな……。
最近、自分が子供っぽくなった気がする。
それでも、ねぇ……お願い……。
甘えさせてよ……マサ君……。


「あら、ミサキちゃん。今日もデート?」
「お邪魔します、あばさん。あの……マサ君は?」
「あらぁ、そんな他人行儀な呼び方やめて、お義母さんって呼んでくれれば良いのに。
 あの子なら、まだ寝てるわよ。ったくしょうがない子ねぇ……」
「いえ、良いんです。待ち合わせまでまだ1時間あるのに、私が押しかけちゃってるだけですから。
 ……こういうの、迷惑かしら……」
「そんな事気にしなくて良いのよ。男なら、デートの待ち合わせには15分は前に着いておくべき!
 この時間になってまだ寝てるようじゃ、どうせ待ち合わせにもギリギリでしょう。あいつが悪い」
おばさん……未来のお義母さんに勧められるままに、私は二階へと上がった。
こっそりとドアを開けると、マサ君がベッドの中ですやすやと寝息をたてていた。
「マ・サ・君っ」
寝ている彼の頬を指先でつついてみる。
これだけでも、今の私からしてみれば、結構勇気が必要だった。
「ん〜……あと5分……」
待ち合わせピッタリの時間に駅前に到着しておけば良いわけだから、
確かにあと5分程、睡眠時間に余裕はあるけど……。
しかもその待ち合わせ時間は、駅前で落ち合う事が前提になっている。
今日のように直接部屋におしかけてしまった場合、時間などもはや関係無い。
つまり、今焦って彼を起こす必要は無いのだけれど……。

私は、彼を起こす事を諦めた。代わりに、彼の寝顔をじっくり拝ませてもらう。
思えば、彼の寝顔を独り占め出来るなんて、幼稚園の時以来かも。
あの頃は、たとえ好きな相手でも、寝顔がどうとか考えた事なんて、なかったなぁ……。


もう少しこのまま寝顔を見ていたかったのだけれど、目覚まし時計の音に邪魔をされた。
「ふぁあ……あー、よく寝た……」
鏡に写った寝起きの顔が本当の自分、なんて歌詞の歌を、昔聞いた事がある。
寝起きの彼の顔は、それほど気分が良さそうじゃなかった。
何で?ねぇ、どうして?今日は、私とデートの予定だよ?嬉しくないの?
……でも、私だって、起きてから、デートの予定を思い出して思わず笑ってしまうまでのほんの一瞬、
少しだけどタイムラグはあったもんね。案外、寝起きなんて皆こんなもんかも。

「……は?ミサキ、お前なんで俺の部屋に……」
「あ、えと……お義母さんが……」
しかし、おかあさん、という響きを、単純に「お母さん」として受け取った彼は、素っ頓狂な切り替えしをしてきた。
「お前のお母さんがどうかしたのか?」
「あ、いや、マサ君のお母さんがね……部屋にあがって待ってて良いよって」
「あぁ、そういう事か……っていうか、早くねぇ?お前来るの。つーか駅前で待ち合わせだったような……」
「え、その……えへへ、待ちきれなくって」
あぁ、やっぱり私、マサ君の事好きなんだなぁって思う。
会わない時はあんなに不安なのに、会って話してると、思わず顔がほころんじゃう。
そう、大丈夫。きっと大丈夫。
今みたいに、こうして会話さえしていれば……一人で悩みの世界に没頭しなければ……
不安にかられてマサ君の前でため息ついちゃう事も、他の人を鬱陶しく感じる事もきっと無い。
ねぇ、だから……ずっと一緒にいてよ……マサ君……。

けど、そんな私の、無言の懇願に気づかず、マサ君は部屋を出て行く。
「ちょっと待っててくれ。朝飯食ってくるから。適当に部屋でくつろいでて良いよ」
置いてかないでよ……。
そりゃ、私はもう、朝ごはん食べてきたけどさぁ……。
せめてテーブルに座って待ってるぐらい、良いじゃない。
でも、そうするとお義母さんが気を遣ったりするだろうから、無理強いは出来ないけど……。


「あれ?ミサキちゃんは?」
「あぁ、部屋で待たせてる」
「はぁ?あんた何やってんのよ。女の子を待たせるなんて。せめてミサキちゃんと一緒に降りてくれば良かったのに」
「いやでも、あいつもう朝飯食ってきてるだろうし」
「関係無いの、そんな事。軽いデザートぐらいなら出せるし、あんたの横に一緒に座らせていれば良いじゃない」
ドア越しに、階段の下、一階のダイニングから、マサ君とお義母さんの声がかすかに聞こえる。
お義母さんが私の心を代弁してくれるたびに、切なくなる。
部屋で待たされるくらいは瑣末な事なのに、あぁ、わかってくれてる人もちゃんといるんだなぁって、
ただそれだけの事で、急に切なさが増して、嬉しいけれど、寂しくて……。
一番わかって欲しい人は、あんまりわかってくれてなさそうで……。
リンちゃんやアイ先生や中村先生も、私の気持ちわかってくれてなくて……。
あぁ、いやだ。少なくとも待たされてる事に関しては、リンちゃん達は何も関係無いのに。
またこうやって、すぐリンちゃん達に、心の中で当り散らそうとしてる。
私って、嫌な女だなぁ……。
若田部さん、若田部さんなら、こんな私を、叱ってくれたかなぁ……。

「お待たせ、着替えるから、ちょっと部屋の外で待ってて……ミサキ、どうした?」
朝ごはんを食べ終えて部屋に戻ってきたマサ君が、私の顔を覗き込もうとした。
私は、マサ君の勉強机の前にしゃがみこんで、俯いて、声を殺してすすり泣いていた。
見られたくない。泣き顔なんて。またマサ君を、心配させちゃうもの。

……え?
私、彼を心配させるのが、そんなに嫌なの?
良いじゃない、少しぐらい心配させたって。
マサ君だって、いつも私を不安にさせてるじゃない。
私、マサ君が大きな口をあけて笑ってるところ、あんまり見た事無い。
私、マサ君がみっともないくらい大きな声で鳴いてるところも見た事無い。
マサ君が本気で怒ってるところも、本気で悲しんでるところも見た事無いのよ?
そういうの、周りの人から見れば、掴み所が無い、って言うんだよ……。
そんな人を根拠も無く信じ続ける事って、難しいんだよ?
本音が見えないんだもん。
ねぇ、私の気持ち、わからないでしょ……?


良いや、もう。思い切って、好きなだけ心配させちゃおう。今日ぐらい、一度ぐらい。
ごめんね、マサ君。許して、神様。
私は、涙ではれた顔を、マサ君に向けた。
その途端、マサ君は困ったのか、呆れたのか、混乱したのか、よくわからない、いろんな感情の混ざった表情になった。
何で泣いてるんだ?そう言いたげな彼の目。
私は、畳み掛けるように呟いた。
「私……マサ君の事がわかんない……」
「ミサ……」
「マサ君は、私と、少しでも長く一緒にいたいって、思ってくれないの?何で私を一人で待たせようとするの?
 マサ君がご飯を食べ終わるのを、横でずっと眺めて待ってるのは駄目なの?」
そんな事で泣いてるのか?と言いたげな彼の口の動き。
けれど、さすがにそれを言うのが躊躇われるのか、彼は言いかけた口を閉じて、無言のまま私の横に座っていた。

何分ぐらいそうしていただろう。
私はただ、声を殺して泣いていた。
彼はただ、私の横で、私と同じように体育座りで、私が泣き止むまで黙っていた。
十分が過ぎた頃、私はようやく涙をぬぐって、もう一度彼の顔を見た。
「もう……大丈夫か?」
「ん……ごめんね、いきなり泣いたりして。こんな……しょうもない理由で……」
怒られるかなって、思った。怒られる事を、期待した。
いっそ呆れられても、哀れまれても構わない。
怒るなり呆れるなり哀れむなり、兎に角本気で感情をあらわしてくれれば、
それで生まれて初めて、彼の本気の表情が見られると思ったから。
けど、私に向けられた彼の表情は、そのどれでも無かった。
悲しそうな。寂しそうな。ホッとしたような。でもやっぱり悲しそうな。


どうして、そんな顔をするの?
「ごめんな、ミサキ……俺、お前の気持ち全然わかってなくて……」
マサ君が、少しだけ私の服の袖を、握ってきた。
「だから……お前が泣き止むのを、待つ事しか出来なかった。女を泣き止ませる方法なんて、知らないから」
そう言うマサ君の目は、少しだけ潤んでいた。
「初めて知ったよ……待たされるのって、キツいな」
そう言って、少しだけ体を、私の方に近づけた。ほんの、少し。
「ごめんな。俺、いつも不安で……こんな事言うのはみっともないってわかってるんだけど、
 ほら、俺ミサキに、一度も直接、好きって言ってもらえた事、無いし……。
 だから、ミサキと顔を合わせるのが、時々辛い時があって、だから……さっきも……」

そうだったんだ。不安なのは、私だけじゃなかったんだ。
彼が私に好きって言ってくれないのと同じ。私も、彼に好きって言ってなかった。
私と同じ不安を、彼も抱えてたんだ。
マサ君は、私を待っててくれた。私が泣き止むのを、待っててくれた。
いつも私が待たされる側だと思ってたけど、違ったんだね……。
マサ君も、私の言葉をずっと待っててくれたんだ。
私がマサ君の言葉を待ってたのと、同じように……。
ひょっとしたら、付き合ってる恋人同士は誰だって、最初はこんな風に不安になるものなのかもしれない。
それを踏まえた上で、中村先生は「付き合い始めてからもお互いに好きって言い合う人は滅多にいない」って
教えてくれたのかもしれない。
まさか、あの人がそこまで読んで発言していたのかどうか、わかららないけど……。

「ねぇ、マサ君」
「な、何?」
「キス……しても良いかな?」
「え……」
沈黙が流れた。彼が戸惑ってるのがわかる。
掴み所が無いって思ってたけど、今なら……彼が戸惑ってる事ぐらいなら、はっきりと、私にもわかる。
「あの……俺の方からも、お願いして良いかな?」
「なぁに?」
「……キス……させてくれ」


待ってるだけじゃ駄目なんだよね。
自分から、行動しないと。
望みがあるのなら、自分の口ではっきり言わないと。
さだまさしだって、こう言ってたじゃない。
相手に求め続けていくものが恋……与え続けていくものが愛、だって。
甘えるだけじゃ駄目だったんだね……ごめんね、マサ君……ありがとう……。
私は、そんな教訓と、マサ君との初めてのキスの味を、同時にかみ締めた。
「ん……何か、マーガリンの味がする……」
「あぁ……さっき、パン食ってきたからかな」
「ふふっ、何だかおかしい」












因みにファーストキスの味とは、直前に食べた食べ物が腐敗し、一部発酵したものの匂いが
消化管を立ち上ってきたものに過ぎないのだが、彼らがその事を知る日が来るのか否か。

終了です。

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