作品名 作者名 カップリング
「雨の日のふたり」 郭泰源氏 -

「あーあ、雨か…天気予報もたまには当たるものね…」
委員会の仕事を終えたアヤナは雨空を恨めしげに眺めた後、負け惜しみ気味に呟いた。
学校から至近距離である家までは、走れば5分もかからない。
しかしもしそれを実行すれば、下着までずぶ濡れになってしまうことは確実である。
(…今日に限って誰も来ないわね…そうだ!図書室に行けば…的山さんならまだいるかも?)
リンコのことを思い出し、アヤナが振り向いたそのとき…。
「あれ?若田部?まだ帰ってなかったんだ?」
「あ…小久保君か…」
「?もしかして…傘、ないの?若田部」
「う…うん、そうなんだ…忘れちゃって…」
「そっか…なら…入ってく?」
「え…」
少し躊躇するアヤナ。なにしろお年頃の男女二人で、相合い傘である。
「あ…あの…小久保君、嬉しいけど…」
「?あ、ゴメン。俺とふたりだと…そうだな、そりゃマズイよな」
鈍いマサヒコだが、やっとのことアヤナの言わんとすることを察した。
「う…ううん、小久保君がマズイとか恥ずかしいとかじゃ…ないんだけど…」
「いいっていいって。…なら…ホラ」
「え?」
「?だから、傘貸すよ」
「だって…そしたら小久保君…」
「別に…ほら、ウチ近いしさ。女の子を置いて帰るわけにもいかないし」
「でも…風邪、引いちゃうよ?」
「はは、これでも俺、結構体は丈夫なんだ。じゃ…」
そのままマサヒコは強引に傘をアヤナに手渡すと、雨の中をつっきるように走っていった。
「あ…待って!小久保君!」
§

「?どうした?若田部」
「あの…やっぱり…一緒に帰ろ?」
「?だって、若田部…」
「いいから!もしあんたが明日休んじゃったりしたら、あたしが気まずいのッ!」
最後は顔を赤くして叫ぶように言ってしまうアヤナ。
「?なに怒ってんの?若田部」
アヤナの様子を不思議そうに眺めて…マサヒコはそれでもその言葉に従い、戻ってくるのであった。
「いいから!もう…びしょ濡れじゃない…仕方ないなあ」
怒り口調のまま、アヤナはハンカチを取り出すと雨に濡れたマサヒコの肩を拭いた。
「い、いいよ若田部…そんなことしなくても…」
「ダメ!もう…あたしのせいで風邪引いたら、アイ先生に悪いじゃない」
アヤナは少し背伸びをすると、マサヒコの頭頂部もハンカチで軽く拭った。
(なんだか…俺、母さんに怒られてるみたいだな…)
アヤナの香りが、ふわりと鼻腔をくすぐるなか―マサヒコはそんなことを考えていた。
「これで…よしっと。じゃ傘は小久保君が持ってね?」
「う、うん」
ふたりは相合い傘の状態で、学校をあとにした。
“ざあああ…”
雨は弱まりそうになかった。なぜかふたりは、無言のまま帰路を歩いていた。
(…若田部…なんでさっき怒ったのかな?…でも…いいにおいだったな…)
(小久保君…優しいな…さっきからずっと…傘、あたし側に寄せてさしてくれてる…)
恋に少し似ているが―そこまで成熟していない感情を抱いて―ふたりは黙々と歩いていた。
「あの…小久保君?」
家が見えてくると、ようやくアヤナが口を開いた。
「なに?」
「家に少し寄っていってね?濡れちゃったでしょ?」
§

「い、いや別にいいよ。これぐらい」
「ダ・メ!お茶くらい出すから…からだを温めていくの!」
強引にマサヒコを引っ張り込むと、アヤナは急いで家に上がり、奥の方へと走っていった。
「お〜い若田部、そんな慌てなくても…」
声をかけるが、どうもアヤナの耳には届いていないようだ。ぼんやりと、アヤナを待った。
「はい、小久保君」
アヤナが大きめのバスタオルを持って戻ってきた。
「あ…さんきゅ。でも…いいのか?」
「いいから…髪拭いたら、あがって?今、お湯沸かしてるから…」
「う…うん、じゃ悪いけど遠慮無く…」
マサヒコを客間に通すとアヤナはそそくさとキッチンへと向かい、
ティーポットとティーカップを用意して丁寧に紅茶を淹れはじめた。
(キレイだな、若田部…)
ただ紅茶を淹れているだけなのだが、さすがに良家の子女といったところか。
その優美なしぐさに、マサヒコは思わず見とれてしまっていた。
「はい、小久保君。あ、確かミルクなし砂糖なしのストレートで良かったよね?」
「ああ、ありがとう。…良く覚えてんな…」
カップを受け取ると、マサヒコはゆっくりと紅茶を口に運んだ。
「…美味い」
「ホント?良かったあ」
マサヒコの言葉を聞いて、ホッとしたようにアヤナが微笑む。
その笑顔は普段よりずっと自然で、無防備で―ほんの少し、幼い感じがした。
「何回か若田部んちでごちそうになってさ、思ってたけど…。
なんでこんな美味しいの?やっぱり高い紅茶を使ってるからなの?」
「…ふふ、ざ〜んねん。これ、そんな高級品じゃないよ?ふつうの紅茶の葉だよ?」
「へえ。じゃあ、若田部が上手なんだな。すごいな、若田部は」
§

「そんな…たいしたことはしてないの。ポットとカップをあらかじめ温めておくことと、
きちんと葉っぱが開ききるまで待つこと。このふたつを守れば、美味しい紅茶になるから」
「ふ〜ん。でもスゲーよ、若田部は。勉強も出来て、運動も出来て、家事も万能だもんな」
「そ…そんなこと」
「おまけにお嬢様だし、美人だしな。はは、こりゃクラスの野郎どもが夢中になるわけだ…」
「…小久保君?」
「はい?」
さきほどまでのほんわかとしたムードはどこへやら…。
突然、アヤナの視線がキツくなったことにマサヒコは軽くびびっていた。
(あら?やっべ、俺なんか地雷踏んだ?)
「誰?」
「…誰って…」
「だから、男子の誰が…そんなこと言ってるのッ!」
「い、いや…誰ってわけでもないんだけど…男連中で話したりするとさ、
変な意味じゃなくだぞ?若田部っていつも人気あるっつーか…」
「人気があるって…どうせ…みんな…」
そう言ったきり、黙りこむアヤナ。その表情は怒ったようで、悔しそうで…それでいて悲しそうだった。
「?なあ若田部、人気あるって…そんな嫌なことなのか?」
(どうせ男子なんてみんな…あたしの胸しか見てないんだ…)
アヤナのコンプレックスだった。この手の話題になると、ついこんな態度になってしまうのだった。
「…若田部?あのさ、嫌なこと言ったんなら謝るけど。
若田部のことをいいなと思ってる奴らはさ、外見とかだけに惚れてるわけじゃないと思うぞ?」
「え?」
「さっきも言ったけど若田部にはさ、自分で思ってるより
たくさんいいところがあるから…だから好かれるんじゃないか?」
「そんなこと…ない」
§

「いや、そうだろ?今日だって、こんな風に俺にわざわざお茶まで出してくれてるし。優しいじゃん」
「それは…」
珍しく、会話でマサヒコの方がアヤナを押していた。
「俺もそういうの鈍いほうらしいから、わかんねーけど。
中にはさ、真剣な思いで若田部に惚れてる奴もいるんじゃないか?」
(…小久保君は…)
ずるい、とアヤナは思った。さっきもそうだったけれど―
マサヒコは、ごく当たり前のように人をほめる。それがいつも自然で、下心がなくて…。
気がつくと、アヤナの心の固く閉ざされた部分をほぐしてしまうのだった。
去年の夏のときも…あの大雪の日も…そして、今日もそうだった。
そしてなによりずるい、とアヤナが思うのは―そんな風に言っておきながら、
マサヒコ自身はアヤナのことを確実に友人としか見ていない、ということだった。
「…ありがとう、小久保君…あのさ、話は変わるんだけど…聞いてもいい?」
「?なに?」
「この前からさ、天野さん…小久保君のこと、名前で呼んでるよね?マサ君って…」
「ああ…はは、あいつとはほら、幼なじみだろ?なんか久しぶりに名前で呼びたいらしいんだ」
「…そうなんだ…でも…」
「?」
(でも…きっと…天野さんは…)
別の思いを抱いている、とアヤナは思った。
「ねえ?小久保君…ならさ、あたしがそんな風に呼んでも平気?」
「へ?」
「だから…マサ君とか呼んでも大丈夫?」
「へ?って大丈夫もなんも…別にいいけど?でもちょい恥ずかしいかな…」
そう言って、はにかんだような微笑みを浮かべるマサヒコ。
(…やっぱり、ずるい)
§

昔から、ベタベタとした人間関係なんて嫌いだった。
ガサツで自分のことしか考えられない父親や兄のような男という生き物も嫌いだった。
そしてそれ以上に―その男に依存して生きている、母親のような女が一番大嫌いだった。
だからアヤナは誰よりも努力した。そしてそれはいつの間にか自分にとって重いものになっていた。
だが、目の前にいる少年は自分のそんな心の重石をひょい、といともたやすく軽くしてくれた。
(男なんて好きにならないし、恋愛なんてしない。あたしは男に頼らない。そう思っていたのに…)
アヤナは、微笑みを浮かべたままのマサヒコを見つめていた。
リンコやアイみたいな人間は理解できる。ミサキもそうだ。だから、好きになれなかった。
中村は同じ種類の人間の匂いがした。だから、好きになった。
マサヒコは…初めはただ優しいだけの男の子だと思っていた。誰にもいい顔をして、
八方美人で、自分というものがなくて…。だけど…今、アヤナは…。
(欲しい)
切実に、そう思った。オモチャをねだる子供のように、そう思った。
(天野さんなんかに…渡さない。あたしは、小久保君が…欲しい)
アヤナは自分の心の奥から湧いてきた感情をはっきりと自覚した。
本当はあの夏祭りのときから、そう思っていた。生まれて初めて他人を―異性を、欲しいと思った。
「…?あのさ、もしかして若田部…怒った?」
「ううん…怒って…ないよ?」
「そっか。ゴメン、俺、なんか偉そうなことばっか言っちゃってさ。
あ…雨も弱まってきたみたいだな。そろそろ帰るわ」
「ウン…傘借りていってね?いつ返してくれてもいいから」
「ああ…わりいな…」
玄関まで、アヤナはマサヒコを見送りに来た。
「でもさ、若田部は…もっと楽しんだほうが良いって思ったのは、本当だぜ?
俺らまだ中学生だし…これからどうなるかわからねーもんな?恋とかだけじゃなくてさ」
「そうだね…そうかもしれないね、マサ君」
§

「!はは…いきなりそう来るかね、若田部」
「ふふ…今度からそう呼んで良いって…言ってくれたんだもんね?」
にっこりと、笑顔をつくるアヤナだが、その笑顔は―。
(あれ?今の若田部の笑顔…誰かに…似てるような?)
マサヒコはその表情を見て、なぜかぞくり、と背筋に冷たいものが走るような思いを抱いていた。
無邪気な笑顔ではない。獲物を見つけた肉食動物のような、獰猛な目をした笑顔だった。
「じゃ…じゃあな若田部。今日は…ありがとうな」
わずかに生じた動揺を隠すように、マサヒコは言った。
「ううん、こっちこそ本当にありがとう…ねえ、マサ君?」
「?なに?若田部?」
「あたしたち、まだ、どうなるかわからないんだよね?」
「?だろ?まだ中学生だし…ガキでもないけど、大人でもないしな」
「恋だってするかもしれないもんね?どうなるかわからないんだよね?」
(たとえばじゃなく…あなたとね。そう、あたしが恋をするのは…あなたと、だけ)
そう思いながら、再び笑顔をつくるアヤナ。
「?ああ…かもな。じゃ…若田部」
アヤナの妙な口調に少し気味悪くなったマサヒコは、足早に若田部邸をあとにした。
(?…あ、わかった)
しばらく歩いて、マサヒコは思い出した。アヤナのさっきの笑顔が誰と似ていたか。
(メガネだ…)
中村がなにか悪巧みを思いついたときの―ロクでもないことを考えているときの、笑顔だった。
(でも…なんで若田部の笑顔と…似てたんだ?ふたり、顔立ちとか全然似てないのに…)
そんなマサヒコの姿を、アヤナは自宅の2階からじっと見つめていた。
「ふふ…ありがとうね、マサ君。あたしの…本当の気持ち…気づかせてくれて」
呟きながら、にっこりと微笑んでいた。やはり、中村に良く似た笑顔だった。

                          END

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