作品名 |
作者名 |
カップリング |
「Love can go the distance」 |
郭泰源氏 |
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「…あれ?もしかして…小久保君?」
「あ?あ、若田部…か?」
駅前の書店にふらりと立ち寄った小久保マサヒコは、どこか懐かしい声を聞いて振り返った。
「うわー、久しぶりだね、小久保君。もう…10年くらいじゃない?」
「そうだな…もう、そんなくらいになるのかな」
「中学卒業してから…全然会ってなかったもんね、あたしたち」
「そうだな…そうか、もう10年か…変わったかな、お互い」
「へへっ、少しは大人っぽくなった?あたし」
若田部が目を細め、微笑みながら言う。あの頃の、美人ではあるけれど、
どこか尖った印象を人に与えていた整った顔立ちは変わらないままだけど。
過ぎた歳月のせいだろうか。それは、ひどく柔らかく、穏やかな笑顔だった。
大人っぽくっていうより…すごく…キレイになったよ、とはさすがに言えなかった。
「大人っぽくって…もう立派な大人だろ?25だぜ、俺たち…」
「あ、ひどーい。女の子にトシのことなんて言うモンじゃないよーだ」
「あ…ゴメンゴメン」
軽く謝った後、顔を見合わせると─俺たちは、微笑み合っていた。
久しぶりの再会を、このまま立ち話で終わらせるのも少し名残惜しかったので…。
どちらから言うともなく、駅近くの喫茶店に入った。
「あ…小久保君、一応言っとくけど、あたし営業職とかじゃないからね?」
「?どーゆー意味よ?」
「ホラ。保険屋さんとか…怪しい健康グッズのセールスとか…そういうつもりじゃ、ないからね?」
「別にそんなこと…思いつきもしなかったけど…」
言いながら、思わず苦笑していた。昔っから、割とズバズバものを言う方だったけど。
そのあたりは、大人になって人目を引くほどの美人になった今も、変わらないみたいだ。
「小久保君は?A高卒業してから、関西に行ってたんだよね?」
「ああ。一浪してね。最近まで、向こうにいたんだけど…。異動でさ、戻ってきたんだ」
§
「そっか。確か…同志社だったよね?京都にいたんだ…」
「ああ。若田部は…聖女から…慶応だったっけ?」
「うん。…ふふっ。結局最後まで、天野さんには…かなわなかったな…」
「…そうか、天野は東大だったよね、確か」
「あ…ごめん、そう言えば、小久保君と天野さんって…」
「ん?まあ、別にいいよ。…もう7年も前に終わった話だし」
「でも…羨ましかったな、あたし。あの頃の天野さん、幸せそうだったから…」
「うん…楽しかったよ、あの頃は。お互いに初めて付き合うモン同士だったし…。
あいつも…そんな風に思ってくれてると嬉しいんだけど」
東ヶ丘中の卒業式で告白された幼馴染みの天野ミサキとは、高校の3年間と少しの間、
付き合っていた。色々あったけど、今では本当に良い思い出だ。
ダメになってしまった原因は、俺の方にほとんどあったと思う。
天野が現役で東大に入学して、俺が予備校生になったあたりから、
少しずつギクシャクしはじめて…俺の関西行きが、決定的になった。
遠距離恋愛を続けられるほど、もうふたりともお互いに心が残ってなかったってことだ。
今思えば笑ってしまうほどくだらないことに意地になったりして、結局、別れてしまったのだった。
「ふふ。でも…初恋は実らないってさ、哀しいけれど…本当なんだね」
「あはは、そうかな。…でもなんで、嬉しそうなんだよ、若田部」
「ふふっ。だってさ…今だから言っちゃうけど…小久保君、あたしの初恋の人だったんだから」
「へ?う、嘘だろ…」
「ほ・ん・と・だ・よ。あたし結構さ、ラブ光線とか送ってたのに、
小久保君…ぜんっぜん気付かなかったじゃん」
「それは…だってさ、言ってくんなかったら、俺だって気付かねーよ」
「ふふ。そのあたりさ、小久保君って…昔と変わんないまんまだね」
「成長してねーってコト?どういう奴だったんだよ、その頃の俺」
「だ・か・ら・そーゆー奴だよ」
§
俺たちは、また顔を見合わせて笑った。
「でさ、小久保君。さっきからちょっと気になってたんだけど、その指輪って…」
「ん?ああ…。まだ入籍はしてないんだけどね。婚約だけで…」
「うわー、おめでとう、そうなんだ!?」
「ああ、ありがとう。はは、なんか照れるね、こーゆーの」
「で、お相手は?どんなひとなんですか?」
「ん…若田部も、よく知ってるひとだよ」
「え?まさかアイ先生と…禁断の」
「なんじゃそりゃ」
俺は吉本新喜劇ばりにコケた。
「あー、ひどーい。先生が見たら気を悪くするよー」
「ははは、今思えばアイ先生も美人だったよな」
「じゃあ…まさか…的山さんと…」
「…あったりー」
「うわああ…ホント?すごいねー、全然…気付かなかったよ。で、きっかけは…」
「うん…ほら、リンコさ、現役で同女だったろ?…先に京都にいたからさ。
下宿もたまたま近くて…。いろいろと、町のこととか教えてもらってるうちに…なんとなくさ」
「ふ〜ん…京都で育んだラブ・ストーリーってわけですか?」
「そんな、格好いいもんでもないけどね」
「的山さんか…意外だったな…あ、でもリンちゃんも…小久保君のこと、
好きっぽかったから、彼女だけは初恋成就させたんだね…」
「イヤ?そんなこともねーだろ?リンコと俺、高校一緒だったから知ってるけど…。
高校時代はさ、あいつ、他に付き合ってた奴がいたみたいだし…」
「…か・わ・ん・な・い・ね・小久保君!」
「なな…なんだよ、若田部…いきなりおっきな声で」
§
「全然、気付かないんだもんね、女の子がそういう風に思ってても…多分ね、
小久保君って…自分が思ってる以上に、モテてるんだよ?」
「そんなこと…ないだろ?ま、まあさ、そういう…若田部さんはどうなわけよ?
もう、嫌になるくらいにモテまくって、言寄る男をバッサバッサと斬りまくって…」
話がどうにも妙な方向にいきそうなので、思わず相手に振ってしまう俺。
「ん〜…これがねえ、適当な相手がいないってゆーか…」
「全く…世間の男はどこに目をつけてるんだろうな、こんな美人で性格も良くて家事もできる子を」
「ふふ。お世辞でも…嬉しいよ、小久保君」
まんざらでもなさそうな顔をして、若田部がふわりとした笑顔を浮べた。
「ところでさ…小久保君?まだ…天野さんと、会い辛い?」
「いや?俺は平気だよ。あいつがどう思ってるかはわからないけど…」
「うん…あたしと天野さんさ、今でも…たまに会ったりしてて…この前もね、
あの頃のみんなで、また会えたりしたらいいねって…言ってたんだ」
「へえ。なんだかんだで、仲良くなったんだな、天野と」
「うん…それでさ、どう?ミニ同窓会みたいな感じで?
もちろん、リンちゃんと小久保君のお祝い会も兼ねてさ…」
「あ…いいかもな。多分、リンコは喜んでくれると思う。アイ先生なら…年賀状のやりとり程度
だけど今でも続いてるし…でも、中村先生に連絡取れるかな?んと…リンコなら知ってるかな?」
「ふふふ。お姉様なら、あたしが連絡つくわ」
「?そっちとも切れてなかったんだ、若田部?」
「まあね。お姉さまについちゃー、とっておきの話があるんだから」
「んなこと言われたら、ますます断れねーな」
「じゃ…決りね。今度良かったら、いろいろと時間とか決めてさ、
小久保君今は実家に戻ったの?なら、そっちに連絡するけど?」
「ああ。でも一応…携帯番号も、教えておくよ…」
§
喫茶店を出ると、既に町は夕方から夜になろうとしていた。
「じゃあ、またね、小久保君。楽しみにしてるから」
「うん…。今日は、楽しかったよ、若田部。俺も…楽しみにしてる」
俺たちは、少しの間微笑みあったあと、お互いの家の方向へ向いて、歩いた。
歩き出して数分ほどたった頃…突然、後ろから俺の腕を、誰かが取った。
「?わ、若田部?どうした?なんか、忘れ物でも…」
「ごめん。ウン…、ちょっと、忘れ物…」
急いできたのか、しばらく息を吐いていた若田部は、
少し息を整えると、俺の耳元に口を寄せた。ひどく、甘いにおいがした。
「ねえ?小久保君?…あたしね、まだ…処女なんだ」
小さい声で…でも、はっきりと若田部はそう言切った。
「へ?」
瞬間、頭の中が真っ白になる俺。
「うふふ。それだけ。じゃ・あ・ね」
若田部は、そう言うと、悪戯っぽい笑顔を浮べて、足早にその場を去っていった。
ヒールがアスファルトを削るカツカツという音…それがやけにはっきりと俺の耳に響いていた。
(あれ?なんか…これって…昔…どっかで…)
俺は、昔どっかでこんな場面に会ったような気がして…その場でしばらく呆然と立ちすくんだ。
(ふうう…でも、結局…言っちゃったな)
鳩が豆鉄砲を食ったような、って感じの表情で小久保君はこっちを見てた。
(ふふふ…もう、10年以上も前なのにね…)
そう、10年も…前の話。あたしたちは、中学のクラスメイトだった。
そして、あたしは彼─小久保マサヒコ君に恋をした。
忘れるはずもない。あたしの、生れて初めての、初恋。
彼に惹かれるようになったのは、いつからだっただろう。
2年生の頃は、当時ムキになって張合っていた天野さんと良く一緒にいる男の子、
という程度の認識でしかなかったと思う。ふたりが幼馴染で、仲が良いってのは、
見ていても解った。そして、天野さんが彼にそれ以上の感情…。
恋心、を抱いていたってコトに、気付くのにそう時間はかからなかった。
あたしはと言えば…そりゃ、顔は確かに女の子みたいに可愛いけれど、
優しいだけ…もっと言えば、どこか頼りないような感じのする彼のことを、
異性として意識することなく、ともだちとしてしか思っていなかったのが正直なところ。
でも、夏合宿とかで…彼の優しさに触れるうち、少しずつだけれど、
あたしの中の気持が揺れ動いていったのだと思う。
当時周囲にいた、あたしのことを外見や成績でしか判断することの無かった男たち…。
それは、同級生であれ、先生であれ─に比べて、いつも自然体であたしに接してくれていた
彼のことをいつしか好きになっていてしまったのだった。
「若田部?ああ、あいつさ、性格きつくて悪そうだけど…。
おっぱいでかいし、顔はキレイだからさ。一回ぐらい、お手合せ願いたいっつーの?」
放課後の教室で、男子連中がこんな馬鹿話をしてるのを外で立聞きしたことがある。
瞬間、あたしは頭が沸騰して─思わず、ドアに手をかけたのだけれど…。
間をおかず、彼の声が聞えてきて、その手を止めた。
§
「お前ら…いい加減、やめろよな、そういう話」
「お!小久保さん、さすがモテ男は違いますねえ〜。シモネタはお嫌いっすか?」
「いや…そういうんじゃねーよ。たださ…若田部は、確かにとっつきにくとこあるけど…。
結構良いやつだし、それに、家事も得意で家庭的なんだぞ?」
「っほほほぉ〜。てことは、小久保選手の本命は若田部アヤナで決定ってことっすか?」
「ばーか。俺程度の男じゃ、相手にもされねえよ」
「クラスいちのモテ男、小久保氏が相手にされない!ってことは俺らにもチャンスが…」
「ま、もちろんお前らも相手にされねーと思うけど?」
「あらら」
相手に、なんて…全然、するよ。むしろ、なってよ…。
あたしは、自分の中で突然湧きあがってきた感情をコントロールできずにその場で立ちつくしていた。
このとき、初めて自分が小久保君のことを好きなんだとはっきり意識したのだから、
当時のあたしってのも相当のビギナーちゃんだ。
そして、それにやっと気付いたってのに、あたしは彼に行動らしい行動も起せずにいた。
それは、天野さんに対する微妙な遠慮みたいなものが含まれていたと思う。
天野さんは、あたしにとって、常に競い合っていたけれど、
初めてできた心の内を明かせる友人だった。
彼女の一途な思いは、本当に、見ていてもこっちが切なくなるくらいだった。
10年以上彼のことを─本当に、彼のことだけを─思い続けていた、彼女。
そして、中学の卒業式に、天野さんが告白して、ふたりが恋人になったのを見て─。
あたしは、後悔しながらも、これで良いんだ─良かったんだ─。
そう、自分に言聞かせていた。それから同じ聖女に進学して、
あたしと天野さんはどんどん仲良くなっていった。
─でも、彼女が嬉しそうに小久保君とのことを語るのを見るたびに、
あたしの胸の奥底にずしり、と重いなにかが沈んでいったことは、多分彼女も気付かなかっただろう。
§
高校時代、何人かの男の子と付き合って…。ときには天野さんたちとダブルデートをしたりもした。
でも─あたしの心の中にはずっと、小久保君がいた。
今思い出しても、あの男の子たちには悪いことをしたなと思う。
だって全員、名前さえ思い出せないくらいなのだ。
あたしは、どの男の子を見ても、どこかで小久保君の面影を重ねていた。
彼みたいに、はにかんだ笑いを返してくれない。彼みたいに、ぶっきらぼうな優しさを見せてくれない。
いつもあたしは小久保君と彼らを比べていた。
どうしても、どんなに好きでも、手の届かない、ひと。
あたしにとって、小久保君は、そんなひとだった。
大学に入って、あのふたりが別れたと聞いたとき─。
あたしは、今なら…もしかしたら…。そんな、淡い期待を持ち続けた。
だけど、やっぱり天野さんに対する遠慮と、そしてあたしのなにかがそれを止めていた。
大学に入ってから、素人モデルみたいなことをやっていた理由も、
もしかしたらどこかで小久保君の目にとまるかも、連絡が来るかも、という、
今思えばバカバカしくなるくらいに涙ぐましい恋心からだった。
結局、恋愛らしい恋愛を経験することもなく…あたしは社会人になった。
仕事は結構忙しくて面白かったし、声をかけてくる男を適当にいなす術も覚えた。
でも、あたしの心の中にはずっと小久保君が住み続けていた。
そして今日、彼をあの本屋で見つけたとき─。あたしは本当に、心臓が止りそうになった。
あのときと変らない、繊細そうで整った顔立ち。そしてあの頃より随分伸びた身長。
とにかく自然に振舞おうとしていたけれど─。
心臓は、ずっと破裂しそうなくらいに16ビートを刻みっぱなしだった。
はにかんだような笑顔、そして笑ったときに目元にきゅっとできる笑い皺。
あの頃のまま、その全てが愛おしかった。
(でも、まさか…リンちゃんにとられちゃうなんてな…つくづくさ、あたしって…)
あたしは、そう思いながら苦笑してた。
§
(最後まで…結局、告白らしい告白もできないまま…終わっちゃって。
…やっと今日、言うことができたと思ったら、「処女じゃないんだ」だもんね…。
はは、なにやってんだろ…あたし)
でも、なぜかあたしはものすごく気持ち良かった。
ずっと引きずってた、あたしの中の何かを、やっと振り払うことができた─そんな気持ちだった。
(よし!いい仕事して…いい男見つけて…いい恋、するぞ!)
あたしは、そう思ってひとつ伸びをした。体中から、力が湧いてくるような気がした。
END