作品名 作者名 カップリング
「0.01%」 郭泰源氏 -

「ママ〜、朝ご飯できたよお〜」
ベーコンの焦げる香ばしい匂いの中で、二階のママの部屋にあたしは声をかけた。
でもしばらくたっても…返事はない。やれやれ、という仕草をしたあと、
ママの部屋に向かおうとすると、朝ご飯の準備を手伝ってくれていたパパが、
まあまあ、という表情であたしに言った。
「ここんとこふたりとも忙しくて遅かったからな…。少し、ゆっくりさせてあげてくれよ、アヤナ」
「ん、もう…パパは、ふたりを甘やかしすぎだよ。特に最近」
「ん〜そうか?」
頭をかきながら、パパが答える。仲が良いのもわかるけど、
これくらいはキチンとしておいてくれないと、困る。
「そうだよ…『どんなに忙しくても、朝ご飯はみんなで食べる』ってのがウチの決まりじゃん」
「ま、それもそうだけど…」
そう言って、少し困ったような顔をする。でもあたしはそういうパパの困った顔が結構好きだ。
ウチに遊びに来る友達が、パパを見ると、みんな“若い”とか、
“かっこいい”って言ってくれるのがあたしの密かな自慢でもあるのだ。
「まあ…でもさ、アヤナ。あと5分ぐらいなら…いいだろ?」
でも優しすぎるのは男の人としてちょっとマイナスだと思う。
「じゃあいいけどさ…あたし、学校ギリになっちゃうから、先に食べるよ?」
「そうか。じゃあ、ふたりで食べるか」
パパとふたりだけで食べる朝食ってのも実はここんとこ多い。
「「いただきます」」
カリカリに焼いたトーストに、同じくらいカリカリのベーコンエッグ、
プチトマト3個にヨーグルト、それにミルク。いつものウチの朝食だ。
パパはミルクの代わりにコーヒーを飲んでいる。
お茶みたいに“すすっている”って感じじゃなくて、自然に、上手に、
“飲んでいる”って感じのパパのコーヒーの飲み方があたしは好きだ。

友達に良く「アヤナはファザコンだよね」って言われるけど。
ガサツで下品なクラスの男子なんかよりパパの方が、今のあたしは断然いい。
「ゴメンな、アヤナ。来年は高校受験だってのに、結局、家事を分担させちゃって…」
「いいんだよ、パパ。だってママはさ、あたしを育てるために、
お仕事お休みしてたんでしょ?これぐらい平気だよ。
それにあたし、ママと違って家事は結構、得意だしさ」
「こらこら。ママと違って、は余計だぞ、アヤナ」
「へっへー、パパ、笑いながら言っちゃ、説得力ないよ」
あたしたちは顔を見合わせて笑った。それでも、あのママがあたしが生まれてから
幼稚園に入園するまでは専業主婦をしてくれていたのだから、感謝はしている。
パパはそれについて、何も言わないけど─結構最初は大変だったらしい。
なにしろ、家事に関してはパパの方がよっぽど器用で要領が良いくらいなのだから。
「ごちそうさまでした…じゃあ、パパ、あたし、行くね?」
「ああ…悪いけどさ、アヤナ。その前に、ママの部屋に行って、声だけかけてきてくれるか?」
「うん、いいよ」
食べ終わった食器をシンクに浸すと、ママの部屋へと向かった。
“コンコン”
「ママ〜、もう…朝ご飯、冷めちゃうよ〜」
少し荒っぽくドアをノックして、あたしは言った。でも、返事は…ない。
もう一回、と思って小さく拳をつくってドアをノックしようとした瞬間─。
“ガチャ”
ゆっくりと、ママの部屋のドアが開いた。

「あー、ごめんね、アヤナちゃん。昨日はふたりとも遅くってさ…」
「あ、若田部おばさま?昨日は、ママと一緒の部屋だったんですか?」

「んー、そうなの。…次の仕事の資料、なかなかまとまんなくて。
…めんどくさくなっちゃってさ、ミサキちゃんの部屋で一緒に寝ちゃった。」
完全に、寝起き状態のおばさまが顔をのぞかせた。
「ま、そんなことはいいから。おはよ、アヤナちゃん」
そう言って、おばさまはあたしをゆっくりと抱きしめ、頬にキスをした。
「んー、良い匂いねえ、アヤナちゃんは」
おばさまの抱きしめ方はすごく優しくて、気持ちいい。
「こらこら、若田部。うちの大事な一人娘に、変な趣味を覚えこませるなよ」
「だ・か・ら、向こうじゃこれが挨拶なのよ、マサヒコ君…それとも、君にもしてあげようか?」
「遠慮しとくよ…。アヤナも、早くしないと学校に遅れるぞ」
「はーい」
おばさまとパパとママは、中学生の頃からの友達で、おばさまとママは
高校も一緒の親友同士だ。女の子が生まれたら、その子には、
お互いの名前を付け合おうね、と約束してて─、あたしの名前は、「アヤナ」に決まった。
「ふふふ。照れちゃって、可愛いよね、マサヒコ君」
そう言ってにっこりと微笑むおばさま。その表情を、あたしはうっとりと眺めていた。
本当に、女のあたしからみても、ドキッとするくらいにきれいな人だと思う。
ママだって、クラスの子たちからは若くて美人だって言われるけど─。
おばさまのきれいさは、また別のきれいさだ。
「おばさまの笑顔って、ヨウエンですよね」
「ヨウエン?…ああ、妖艶か。難しい言葉知ってるのね、アヤナちゃん。ありがとう、誉めてくれて」
そう言って、もう一回おばさまは笑った。
こんなにきれいで素敵な人から、名前をもらったあたしはマジで超ラッキーだ。

大学院を出た後、ママと同じように司法試験をパスしたおばさまは、
しばらく東京の法律事務所に勤めていたらしい。でも、おばさまいわく、
「セクハラ野郎と、お局様だらけの世界」、にうんざりしてアメリカに渡り、
企業関係の法律事務所に就職して、バリバリやっていたらしいのだけれど─。

「ねぇ、アヤナちゃん、フランス男とだけは、恋に落ちちゃダメよ」
「?なんでですか、おばさま?」
「フランス野郎はね、確かに最初は優しくて、口も上手いんだけれど─。マザコンなのよ、
それも最低の。あんなのに比べたら、下半身だけで考えてるイタリア男の方が100マシ」

そんなわけで、法律事務所の同僚だったフランス人と離婚したおばさまは、
日本に帰ってきた。国際結婚に猛反対されて、勘当同然だった実家には帰れるはずもなく、
ひとり暮らしでもしようか、と考えていたところに、ちょうど夫婦で法律事務所を立ち上げ、
独立したうちの両親が、パートナー兼同居人になることを提案した、というわけだ。
ほんの赤ん坊だった頃に、二三度会っただけのおばさまだったけど─。
子供がいないうえ、名前が同じためか、とにかくあたしを可愛がってくれた。
本当は、「お姉様」って呼びたいのだけれど、おばさまから、
「よしてよ〜、逆に恥ずかしいって」
と言われてしまって、「おばさま」と呼んでいる。
「じゃあ、おばさま、キッチンに朝ご飯の用意はしておきましたから…」
「いつも悪いわねえ、アヤナちゃん。うふふ。愛いやつ、ういやつじゃ」
そう言って、楽しそうにあたしの頭を撫でるおばさま。
「あのな、若田部にアヤナ。本当に、もうすぐ遅刻…」
「わかったよ、パパ。じゃあ、行ってきま〜す」
あたしは、少し名残惜しかったけれど、家を出た。

「ふふふ。本当に、良い子に育ったね、マサヒコ君?」
「ん…おかげさまでな、若田部」
「冷めた言い方だねえ。あたしなんて、アヤナちゃんのことが可愛くて可愛くてさ。
もうね、最近、アヤナちゃんのために生きてるって感じがするくらいだよ?」
「…おおげさだな、若田部。おまえだってまだ全然イケてて若いんだから、
次の恋とか、ないのかよ?ほら、千葉事務所の西岡君、おまえに夢中だっていう話だし…」
「あははは。男はこりごりよ、ホンット。でもさ、ちょっと傷つくよ、それ?」
「?どーゆー意味よ?」
「だ・か・ら。初恋の人にさ、色恋関係心配されてる三十半ば過ぎの女って…結構、惨めだって話」
「またおまえはワケのわからないことを…」
そう言って、ぷい、とマサヒコ君は横を向く。照れている。相変わらず、正直なひとだ。
でもそのはにかんだ横顔に、あの頃のあたしは参ってしまったのだった。
「ま、それはともかくさ…ミサキを起こしてやってくれよ。朝ご飯、冷めちゃうからさ」
「ウン。じゃあ、ミサキちゃん起こして、すぐ下にいくから…」
「ああ…頼むわ」
そう言って、マサヒコ君は下に降りていった。女の子の部屋には、許可が下りない限り、
たとえミサキちゃんの部屋といえども絶対に入らないのが彼らしい。
「ミ・サ・キちゃん!ほら…朝ご飯だよ!」
あたしは、まだ気持ちよさそうに寝息をたてている彼女の顔に、枕を押しつけた。
「…ぶっ、???あん、もう…アヤちゃん、もう少し優しく起こしてよ〜」
寝ぼけ眼のミサキちゃんが、抗議する。その表情が、やっぱりアヤナちゃんによく似ていて…。
あたしは、たまらなく愛おしくなって、彼女を抱きしめた。
「あ、アヤちゃん?」
「ごめんね、ミサキちゃん」
「なにが?」
「図々しくさ、居候なんてしちゃって…」

「そんなこと、ないよ…」
ミサキちゃんは、そう言うと、にっこりとあたしに微笑んだ。
「ううん…実家から見放されて、途方に暮れてたあたしに声かけてくれたの、
ミサキちゃんだけだもん。それに、マサヒコ君に、アヤナちゃんも…。あたしは失敗しちゃったけどさ。
家族っていいな、って思えるようになったよ、おかげで。ありがとう」
「ふふ。何言ってるの。あなたももう、家族じゃない、アヤちゃん」
“コンコン”
「若田部〜、ミサキ〜、頼むから…朝ご飯、食べてくれぇ〜」
部屋の外から、心底情けなさそうなマサヒコ君の声がした。
「ふうう…なんだか、最近夫婦の役割が逆転してるような気がするのよね…」
そう呟きながら、ミサキちゃんは身支度をする。なんだかんだ言って、
マサヒコ君の前では絶対にだらしないカッコをしないのだから、この夫婦は面白い。
「あ、ゴメンね〜、マサヒコ君〜。じゃあ…あたし、先にご飯食べるよ?ミサキちゃん…」
「あ、うん…」
“ガチャ”
「ゴメンね、マサヒコ君…ミサキちゃん、も少しかかりそうだから…あたし、先にいただくわ」
「ああ…しっかし、しょうがねーな、ミサキの奴…」
階段を下りる、あたしの後ろに並びながら、マサヒコ君はブツブツ言っていた。
なんだかその様子がすっごく可愛くて…。つい、からかってしまった。
「うふふ。マサヒコ君にも、悪いことしてるよねえ、あたし」
「?何がだよ?」
「だってさ、あたしが来てから、確実に減ったでしょ、夫婦のラブ?」
「…おまえなあ」
もう今年で37歳で、子供もいるというのに、耳たぶまで赤くなるマサヒコ君。うぶなひとだ。
「マサヒコ君さ、我慢できないときは、あたしで良ければ、いいよ?あ、なんなら3Pとか…」
「…似てきたな」

「え?」
「おまえ、なんだか最近リョーコさんに似てきたぞ」
「ふふふ…似てくるよ、そりゃ。だって今じゃほんとにお義姉様なんだもん」
あたしが中学生の頃、みんなと一緒にちょくちょくあたしの実家に出入りしていた
お姉様こと、中村リョーコさんは、いつの間にかお兄ちゃんと仲良くなってしまって…。
気がつくと、と言う感じでお兄ちゃんと結婚していた。今では、実家の中で唯一のあたしの味方だ。
「ま、それはともかく…朝ご飯、片づけてくれよ。そろそろ、俺らもギリだぜ?」
「ん…わかった」
あたしを追い越してキッチンに向かうマサヒコ君の背中が、あの頃よりも…。
思ってたよりも…ずっと、ずっと、大きかったことに気付いて…。
あたしは、その背中に、思わず抱きついていた。
「??わ、若田部?どうか、したか?」
「ううん、ごめんね、何でもないの…。ねえ、マサヒコ君?」
「な、なに?」
「あたしから言うのもなんなんだけど─、大事にしてあげてね、ミサキちゃんと、アヤナちゃんのこと」
「う、うん…できる限り…いや、できる以上に、頑張るよ、俺」
素直に答えるマサヒコ君。彼の背中は、おっきくて、あったかくて、心地よかった。
もしかしたら。そう、0.01%もない、確率だったかもしれないけれど。もしかしたら─。
この背中を手に入れてたのは、あたしだったのかもしれない、なんてあたしはそのとき思っていた。

END

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