作品名 |
作者名 |
カップリング |
『ふたりの距離』 |
75氏 |
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誰もいなくなった自室で、静かに溜息をつく少年がいた。
溜息の原因はひとつ――つい先程までこの部屋にいて一緒に勉強をしていた少女。
少年の名は小久保マサヒコといい、少女の名は――
自分に好意があるんじゃないかと意識し始めたのは、家庭教師のアイが自分の家に出入りするようになってからのことだったか。
それとも、クラスメイトのアヤナが自分をダシにして彼女に火を付けた時か。
それとも、同じくクラスメイトのリンコがコンタクトを落としたために手を繋いで送って行った時か。
それとも、一緒に物置に閉じ込められた時か。
それとも、それとも、それとも――違う。彼女が昔から自分に好意を持っていてくれたことは知っていた。
彼女の好意から目をそらし、ただの友達、ただの幼馴染としか見ていない振りを演じ続けたのだ。
自分が彼女を好きなのかがわからない。
彼女を好きなのか、単にカラダが目的なのか。
中学に入り、アイが家庭教師になってから自分の周囲に女っ気が増えた。
それぞれがそれぞれなりに「女性」を意識させることがある。
ほんの一時間前もそうだった。
『私のことも‥‥名前で呼んで‥‥』
その場をなんとか逃げることができたのは偶然に過ぎない。
あと数センチ、二人の距離が近ければ何をしていたかわからない。
柔らかく暖かな手、胸元から覗く鎖骨、ほんのりと赤みがかった唇、自分をまっすぐ見つめる瞳――思い出すだけでどうにかなってしまいそうだ。
幼馴染なんだと頭に言い聞かせても体は言うことを聞かない。
思い出すだけでマサヒコの分身は鎌首をもたげ始めている。
同じ家の中――それも隣の部屋に彼女はいるというのに。
もしも他に父親なり母親なりが家にいてくれたらそんな気にはならないに違いない。
しかし、今現在この家にいるのは自分と彼女の二人きり。その事実が分身に力を入れた。
寝ていることを確認し、自室でパジャマのズボンを下ろす。
そういえば、牛柄のパジャマだった。
胸の大きさをコンプレックスに感じているようだが、パジャマの上からは女らしい体つきが見てとれた。
白い肌が湯上りのせいか、わずかに熱を帯びて赤くなっていた。その肌のすべてを想像してしまうマサヒコを誰が責められよう。
以前二度ほど見た下着――のさらに奥。いまだ見たことのないしなやかな肢体を想像し、マサヒコは分身を握る。
男にしては華奢な手の平の中で分身は見る見るうちに大きくなり、男を象徴する。
幼馴染を汚したくない思いはあるが、幼馴染を汚す背徳感にも似た思いも同時に存在していた。
汚したくない――そう思いつつも手は動きをやめない。
マサヒコの年齢なら仕方のないことだ。
想像の中で牛柄のパジャマを脱がそうとしたとき、ドアが控えめにノックされた。
「!!」
「マサちゃん‥‥起きてる?」
「ど、どうした‥‥?」
慌ててトランクスとズボンを上げ、中にしまいこむ。
「入ってもいい?」
「あ、ああ。どうぞ」
おずおずと入ってきたのはたった今マサヒコが性の対象にしていた少女。
「静か過ぎて眠れなくて‥‥」
「は?」
「普段はお父さんが起きてるから物音するんだけど‥‥今日は誰もいないでしょ?」
「ま、まあ。俺らしかいないし」
「でね、よかったらなんだけど、一緒に寝てもらえないかな‥‥って」
あまりにも突然な申し出。
男と女が同室で寝る――それが何を意味するかわからぬマサヒコではない。
今の自分では何をするかわからない。
断わろうとしたのだが、
「ダメ‥‥かな?」
不安そうな表情で決意は固まった。自分を抑えればいいだけの話だ。
「別にいいけど、一緒の部屋ってだけで寝れるのか?」
「多分眠れると思う」
「ならいいけど。誰にも言うなよ? 特にあの二人に知られたら大変だからな」
「うん。――そうだ、口臭いって言われたことは言おうかな」
「意外に執念深いな」
「そ、そんなことないよ」
「そうか?」
「ホントだもん!」
同じベッドというわけにもいかないというのはさすがの二人もわかっている。
隣室から客用の布団を用意したのだが、
「私がベッドだなんて悪いよ」
「気にすんなよ」
「でも、マサちゃんのベッドなのに」
「オレが使っていいって言ってるんだから」
「いいからいいから」
「でも‥‥」
「遠慮するなよ、幼馴染」
マサヒコにしてみれば何気ないセリフ。
しかし、少女にとって「幼馴染」の三文字は何よりも大切な言葉だった。
「ありがと、マサちゃん」
「あ、ああ」
嬉しそうな少女の一声に胸が高鳴る。
赤くなっているかもしれない自分の顔を隠すために部屋の電気を消した。
しんとする一室。
好意を寄せる少女と鈍感を演じる少年。
もしも少女が自らの想いを打ち明かせば。
もしも少年が好意に気付いていると言えば。
どちらにもチャンスはあった。だが、どちらも後一歩が足りなかった。
結局、どちらも動かないまま時間は流れ、いつしか寝息が聞こえてきた。
真っ暗になった室内で一つの影が動いた。
「高校入学するまではこの関係でいさせてくれよな」
寝ている少女に向かい、静かに己の胸の裡を明かす。
「今はまだみんなでワイワイやってたいからさ」
普段、呆れながらもツッコミ役に回っていたマサヒコの静かな独白。
受験生だからこそ、いつもの六人でいつものように呑気でいたい。
多少ふざけすぎるきらいはあるものの、ギスギスした関係よりはずっといい。
「その‥‥これは‥‥そのお詫びってことで‥‥」
眠る少女の頬に、静かにやさしくキスをした。眠り姫にキスをする王子のように。
「うー、恥ずかし」
暗闇の中でもわかるほど顔を真っ赤にしたマサヒコは恥ずかしさを隠すかのように乱暴に布団の中にもぐった。
だが、マサヒコは気付いていない。
性の対象でしか見ていないのでなく、彼女に恋心を抱いていることに。
その表れが、やさしいキスだということに。
翌日。
「処女なんだから“あっちの口”のニオいくらい覚悟しときなさい!!」
「マサヒコ君デリカシーないよー」
「アンタらも相当ないよ」
いつもの二人組にツッコミを入れるマサヒコ。
「余計なこと言うなよ‥‥」
「マサちゃんが口臭いって言わなきゃよかったじゃない」
「『マサちゃん』?」
しっかりと聞いていた家庭教師が一人。
「昨日まで『小久保君』だったのが一晩で『マサちゃん』に代わった?」
ニヤニヤと笑みを浮かべたのはリョーコ。
「さあ、詳しく聞かせてもらおうじゃないか。お二人さん」
「余計なことを言うなって」
「あはは、ごめんね〜、マサちゃん」
なおも大昔の呼び方をする幼馴染を振り向いて、マサヒコは叫んだ。
「ミサキ〜!」
おしまい