作品名 作者名 カップリング
リョーコ14歳/始動 541氏

§ 始動

「はあ、はぁ、はぁ」
リョーコは荒い呼吸をしながら懸命に耐えていた。
心臓がバクバクして、胸が苦しい。
体中に疲労が蓄積しているのがわかる。
だが、ここで止まるわけにはいかない。
(このリズムをキープしなくちゃ、あと少しなんだから)

腕を振り、脚を伸ばし、腰を捻る、一定のリズムで。
前髪が汗で額に張り付く、口の中が粘液でネバネバして気持ち悪い。
頭の芯がボーッとしてくる。
(ああ、来たわ)
体がふわりと浮く感じ、背中から爪先までジンジンする。軽い耳鳴り。
(このまま、どこまでもいけそう)

視野が狭くなり、景色がスローモーションで流れていく。
リョーコは陶然として、この苦行に埋没していった。



「中村! ラスト500mだ。ピッチアップ」
コーチの声が耳に届く、リョーコは足を繰り出すリズムを早める。
長距離陸上選手として大会に出たリョーコは、ゴール手前でついに先頭集団に
追いついた。ランナーズハイのおかげで苦痛は感じない。心臓は悲鳴を上げて
いるが構わず加速する。周囲の選手もピッチを上げた。

「ラスト200m、スパート、スパート」
更にダッシュ、耳元で風が唸る。先頭集団から抜け出しトップに踊り出た。
トラックの最終コーナを疾走するリョーコに、誰も追いつけない。
ゴールがぐいぐいと迫ってくる。
リョーコは勝利を確信した。

その直後のことだった。
足元でグギッと嫌な音がして、リョーコの視界が斜めに傾く。
(え?)
無理なスパートで筋肉が痙攣を起こし、足がもつれて転倒したのだ。
トラック上に倒れ伏した彼女の横を、ライバル達が駆け抜けて行く。
慌てて起き上がり、必死に後を追うが、もう追いつかない。
リョーコは3位でゴールした。


¶
格子窓から斜めに差し込んだ夕日が、畳をオレンジ色に染めていた。
ジャージ姿のリョーコは、柔道着姿の関根に一礼する。

「先生、お願いします」
「中村、昼間の陸上大会で疲れていないか?無理することはないぞ」
「いいの、私が先生に頼んだことなんだし」

レイプ未遂事件の後、リョーコは関根から護身術の指導を受けていた。
自分の身を守れるようになりたい、そういって関根に指導を承知させた。
だが、それは口実。リョーコの本音はもっと別のところにある。

「そうか、では先日の“体さばき”の続きをやろう」
「はい」

関根がリョーコの腕を掴む、リョーコは相手の力に逆らわずに体を横に流し、
脇に踏み込みんで、相手の体勢を崩しにかかる。

「そこだ、手首をとれ」
「はい」
「そのまま背中側へ捻り上げろ」
「はい、、あっ」

リョーコは関根の腕の関節をきめて床に押し倒そうとしたが、突然、足首に激
痛が走り、畳の上に倒れこんだ。

「中村、大丈夫か」
「…痛い」
「どこが痛いんだ?」
「…足首」

関根は、リョーコのジャージの足元をめくり上げた。彼女の左足首の関節が赤
く腫れていた。

「中村、ゴール前で転倒したと聞いたが、これはその時にやったのか?」

リョーコは痛みに顔を歪めたまま頷いた。
関根は道場のロッカーから湿布薬と包帯を取り出し、手早く処置を行った。
柔道部の顧問だけあって、捻挫の対処は手馴れたものだ。

「痛みが落ち着くまで、しばらく横になっていろ。
 足首をこの台に乗せて、心臓より高い位置にくるようにしておけ」

関根はそういって立ち上がりかけたが、袖をリョーコに掴まれた。

「先生…私を一人にしないで」
「わかった。どこにも行きはしない」

関根はリョーコの横に座った。


¶
部活動も終ったこの時間、校内にはほとんど人が残っていない。
先ほどまで道場に差し込んでいた夕日も消え、二人は薄闇と静寂に包まれてい
た。横になっていたリョーコがその沈黙を破る。

「先生、質問」
「なんだ」

「彼女はいるの?」
「な、な、なんだそれは」

「いないの?」
「どっちでもいいだろう」

「ふーん、いないんだ。もてるタイプじゃないものね、先生は」
「ほっとけ」

日頃、他人対してクールな態度をとるリョーコだったが、今日は饒舌だ。

「ファッションセンスは最低だし」
「あのなー、男は外見じゃないぞ」

「貧乏そうだし」
「男は、外見でも金でもないぞ」

「じゃあ、何?」
「男の価値は、強さと優しさだ」

「先生…恥ずかしい台詞禁止」


柔道部顧問にして生活指導担当の関根は、生徒にとっては煙たい存在だ。
あの事件の夜までは、リョーコにとってもウザイ教師の一人に過ぎなかった。

「あの時、私を見捨てないって言ってくれたよね」
「ああ」

「私、それを聞いて嬉しくて泣いちゃった」
「…」

「あの時の先生、地味にカッコ良かったよ」
「ガキのくせに、おべっかつかうな」

関根はリョーコの頭に手を置くと、くしゃくしゃと髪をかき混ぜた。
彼らしい照れ隠しだった。こういう不器用さがリョーコには好ましく思えた。
こうやって構って貰うのが嬉しい、だが気持ちとは裏腹な言葉を口にする。
それがリョーコの照れ隠し。

「やめてよ、髪が絡まるでしょ!」

「ああ、ガキはそうやって文句たれてるほうが良いな。
 さて、捻挫の痛みも治まったなら、帰るとするか」
「うん」

「立って歩けるか?」
「んー、ちょっと無理」

「仕方ないな、車で家へ送ってやる」

関根はリョーコの腕を肩にかけると、ひょいと背負い上げた。
リョーコは関根の肩にぎっしゅとしがみついた。
関根の背中から伝わる無駄に高い体温が心地よい。
リョーコは幸せな気分に浸ったが、関根に完全に子供扱いされているようで、
少々気に入らない。

「先生」
「ん?」
「私のおっぱい、背中で感じる?」


¶
街路灯のオレンジ光が次々と射し込み、車内を這い回っては出てゆく。
その動きが妙に艶かしい。リョーコはその様子をじっと眺めていた。
隣で関根がハンドルを握っている。

先ほどのおっぱいネタは、関根に軽く流されてしまった。
別に困らせたかったわけではない、少し女として意識してもらいたかった。
軽く動揺してくれれば、リョーコの淡い恋心はそれで十分満たされたはずだ。

だが、関根の答えは「中村、逆セクハラはいかんな」だった。

(もー、どうしてこんなに鈍いのかな。いい加減に気付いてよ)

リョーコが関根から護身術の個人指導を受けるようになって二ヶ月。
生徒に人気があるわけでもない関根に、接近する女子生徒は他にいない。
普通なら、勘付いて当然ではないだろうか。

このままでは駄目だ。リョーコはもっと積極的に出ることにした。

「先生、ラジオ聞いてもいい?」
「ああ」

関根がカーステレオを操作すると、ヒットチャートを紹介するDJの声が車内
に響いた。

『いよいよ冬本番、
 リスナーの皆さんも恋人とロマンチックな週末を過ごしていますか?
 それでは今週のリクエスト第一位、WHITE LOVE by SPEED 』

流れる曲を聴きながら、リョーコが問いかける。

「果てしない雲の彼方って、どんなところかな」
「青空が広がってるだろうな」

「天使がくれる出会いって、どんなのかな」
「俺はキリスト教徒じゃないからわからん」

「もー、ロマンスのカケラもない返事ばっかり。サイテー」
「ただの生徒を口説いても仕方ないだろ」

リョーコの気持ちを知らない関根としては無難な返事をしたまでだが、
言われた方にはショックな返事だった。

(私、ただの生徒でしかないの?)


¶
別に、関根と深い付き合いをしたいわけではない。
彼と呼ぶには歳が離れすぎているし、性的な関係など論外だ。
お互いに少し意識し合うプラトニックな関係になれたら、それで十分。

だから、一人の女性として意識してもらおうと、色々やってきた。
だが関根にとっては、女性どころか特別な生徒でさえなく、ただの生徒。
あまりの現実にリョーコは凹んだ。

「中村、おまえの家に着いたぞ」
「…」
「また、足が痛みだしたか?」
「…別に」

関根は訝しい表情でリョーコを見る。
先ほどまで、はしゃいで、おっぱいネタで逆セクハラまでしていたのに、突然
ふさぎこむとは。女生徒は扱いにくい。関根はそう思った。

一方、リョーコは完全に落ち込んでいた。

(どうして私は、こんな人が好きなんだろう)

冷静に考えてみると、関根のどこに惹かれるのか自分でも良くわからない。
容姿、人格、体格、いったいどこに魅力があるのか。

リョーコはよろよろと車を降りると、関根の肩を借りて自宅の玄関先まで歩い
ていった。財布から鍵を取り出し扉をあける。室内に灯りはなかった。

「こんばんは、東が丘中の関根です。お嬢さんが怪我をされたので…」
「誰もいないわ、先生も上がって」

関根はすこし躊躇したが、足を痛めたリョーコを玄関先に放り出して帰るわけ
にもいかず、靴を脱いだ。


¶
リョーコは関根を居間に座らせ、キッチンに向った。
足首はまだ痛いが、体重をかけずに壁伝いに歩くなら問題ない。

ダイニングテーブルの上に、母親からのメモを見つける。
浮気相手との週末旅行、戻りは日曜の夕方の予定。そういう内容だった。
リョーコは読み終えると、メモをクシャクシャに丸めてゴミ箱に投げ入れた。

「先生、何か飲む?」
「いや、親御さんが帰ってくる前に引き上げさせてもらうよ」
「…誰も、帰ってこないわ」
「は?」

リョーコは冷蔵庫の中からビール缶を取り出すと、関根に向って投げた。

「先生、ほら」
「わ、うおっと」

関根はギリギリ間に合い、両手でキャッチした。そして手にした缶を見る。

「おいおい、酒を飲んだら車で帰れないだろ」
「泊まってもいいよ」
「ああ、それなら、、、、って、おい!」
「私、着替えてくる」

そう言い残して、リョーコは自室に消えた。
居間に残された関根は、手元のビール缶を眺めていた。

(いかんな、だが…)

サントリーモルツ、彼の好みの銘柄だった。誘惑に負けて関根は缶を開けた。

(まあ、一口ぐらいならいいだろう)


¶
結局、関根は3つ目の缶ビールを開けていた。
気付けば夕食も振舞われることになっていた。

独身の一人暮らしの男にとって、こういう家庭的な雰囲気は無碍に出来ない魔
力がある。手料理は女が男に向って放つ最終兵器だ。リョーコは本気で勝負に
出ようとしていた。

(私を女として認めさせなきゃ)

リョーコはキッチンに立ち、手際よく料理を仕上げていく。

「先生、もうすぐ出来るから取りに来て」
「ああ」

リョーコはフライパンでカリカリに炒めたベーコンに、茹でたジャガイモを加
え、塩胡椒で味付けをする。ジャーマンポテト完成。

「お、なんだか美味そうだな」
「でしょ」

上機嫌のリョーコは、出来上がった料理を皿に取り分けると、関根に渡して運
んでもらう。レタスのサラダ、ジャーマンポテト、ボイルソーセージ、ガスコ
ンロのグリルで軽く炙ったフランスパンとコーンスープ。

(絶対に美味しいんだから、食べたら驚くわよ)

良い出来だと思った。先ほどまでの沈んだ気持ちは完全に吹っ切れていた。


¶
食事の後は、おしゃべりタイム。

「先生は、彼女が欲しいとは思わないの?」
「欲しいけど、縁がなくてね」

「彼女いない暦はどれくらい?」
「3年ぐらいかな」

「へー、前はいたんだ。彼女とはエッチもした?」
「そりゃ、したさ」

酒が入っているせいで、関根も口が軽くなる。

「じゃあ、その後はエッチしていないの?」
「あー、彼女とはそうだな」

生徒に対して、風俗で抜いているとは言えない。

「彼女なしで寂しくない?」
「人肌が恋しいこともあるよ」

「やっぱりそうよね」

リョーコは頬杖をつき、関根を正面から見つめる。
プラトニックとかヌルイことはやめて覚悟を決めた。

「ねぇ、関根先生」
「ん、何だ中村?」
「私とエッチしよう」

リョーコは、最高の笑顔を向けてそういった。


¶
さすがに関根も、まずい事態になっていることを自覚した。
生徒宅で酒を飲み、生徒からセックスに誘われている。

「中村、何をバカなことを言っているんだ」
「本気よ」

「頭を冷やせ、俺も帰る」
「お酒が抜けてないのに運転したら犯罪だよ」

「タクシーを拾うさ」
「嫌よ、帰っちゃ嫌」

リョーコは目に涙を浮かべて訴える。

「中村、いったいどうしたんだ。今日は変だぞ。生理の日か?」

関根は、オヤジギャグで誤魔化して、一連の会話をなかったことにしたかった
が、本気のリョーコには逆効果だった。リョーコは関根をキッ睨んだ。

「ああ、もう!先生なんか、大嫌いっ!」

関根の服を指差し、
「ジャージ姿が嫌い!」

足を引き摺って近寄り、
「汗臭いのが嫌い!」

関根の額に指を立てて、
「無神経なのが嫌い!」

リョーコは、よろけるように関根に抱きついた。

「こんなに嫌いなところだらけなのに…大好き…大好きよ」

(END)

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