作品名 作者名 カップリング
『淡い気持ちと堅い意志』 264氏 -

「…ふぅ。髪型のセットはこれで良し。バッグは、そうね…これにしよう」
鏡の前でクルリと一回転する。
 母親譲りの亜麻色の髪が、目の前をサラッと流れる。
「…髪には自信あるんだから」
私は鏡の向こうの自分に、そっと呟いた。
―数日前、私は小久保君と駅前のデパートへ行く約束をした。
尊敬するお姉様が、無事に就職できたので、お祝いの品を買いに行こうと思ったからだ。
無論、小久保君はアドバイザー兼荷物持ち。
彼は『…いいんじゃないか?別に。それに…お前ん家でパーティーしたろ?』
って言ったけど、私が『別荘』って言葉を口にした途端に『行かさせて下さい。若田部様』って、
頭を下げて頼み込んできた。
あの時の的山さんや天野さんがしてた『何事!?』って目は、少しイタかったけど…。
でも、あの時の小久保君の顔‥ちょっとカワイかったなぁ…。
 「……!?や、やだ!私ったら」
ぼうっとしてたら、鏡に映った自分の顔がいつの間にか赤くなっている。
それに気づいた事による恥ずかしさで、顔は耳まで真っ赤になった。
「……もう…っ」
小久保君ったら、こんな時でも私を困らせるんだから…。
やっぱり、責任取ってもらわなきゃ…ね?

鏡に背を向け、時計を見つめる。
 …!?た、大変!バスが来ちゃうじゃない!
 時計の針は無情にもバスがやって来る時刻を告げていた。
 急がないと、誘った私が遅れてしまう…それはマズい。
 遅刻した私を、呆れた顔をして見つめる小久保君の姿が脳裏によぎる。
 『神様っ…どうかお願いします!』
そう心の中で祈りながら、慌てて靴を履き、太陽輝く青空の元へと飛び出した。
 幸い、私の家からバス停までの距離はそう遠くない。
 「ハァ…ハァ、どうにか‥間に…合ったみたいね…」
炎天下の中、私は全力でバス停に走り込んだ。
 こんなに速く走った事は今までに無い…ええ、断言できる!
 呼吸を整えていると、駅前行きのバスが丁度轟々とうなりを上げてやって来た。
 入口のドアがゆっくりと開く。
 車内の涼しい空気が苦労をねぎらうように迎えてくれた。

夏休み最中の平日ということもあり、車内は所々空席が目立っていた。
後ろ側の席に座って、疲れを紛らわす為に小さくため息を吐く。
 上から降りかかる冷気が心地良い。
 「…うん……寝ちゃ……ダ…すぅ‥すぅ」
バスの座席の柔らかさと細やかな振動が、疲れた私を深い暗闇の世界へといざなっていった。

 「…は…前東…、駅前…口です。お降りの方は…」
 感情のこもらないアナウンスがゆっくりと耳に入る。
私は瞼を開き、料金表の方を見上げた。
次は…駅前東口か。私が降りる予定の駅だ。…なんて良いタイミングだろう!
…他人には些細な事だけど、無性に嬉しくなる時って人間必ずあると思う。
私は、晴れやかな気持ちで料金を支払い、バスを降りた。
 ざわ…ざわ…ざわ…
 人混みがごった返す中、私は急いで小久保君との待ち合わせ場所へと向かう。
 運が良い事に、4つある信号に一つも引っかからなかった。
 ここまで運が良いと逆に気味が悪い。
 もうすぐ待ち合わせ場所に着く。周りを見回して、小久保君を探しながら歩いた。
 …いたいた。
彼ったら、デパートの出入り口でウロウロしてる。
 背の高さ、髪型か見ても間違いない。
「小久保く〜ん!!こっち、こっち!」
彼に向けて大きく手を振ると、彼は私を見つけたのか駆け寄って来た。
「若田部…俺、結構恥ずかしいんだけど…」
「…何が?」
「いや…人前だし」
「…あっ!?ご、ゴメンナサイ…」
彼の言葉に、ちょっと反省。
「…待った?」
「全然。俺も今来たから…」
ウソつき…今来たところなら、何でそんなに汗をかいてるのよ?

私が小久保君達と一緒に勉強し始めてから、もう一年を超える。
彼のクセや仕草も少しずつだけど、わかるようになってきた。
…ほら、頭を左手の指で掻いてる。彼が嘘をついた時に出るクセだ。
ウソつきは嫌いだけど……こういう気配りの効いた嘘なら、許してあげる。
 だって、彼は私を気遣う為に…。
「お前…何、ニヤニヤしてんの?」
「‥へっ?べ‥別に、何でも無いわ!」
私は慌てて顔を彼から背けた。
 よりによって…彼の前で……。バカ!バカ!!私のバカァ!!
かぁっと顔が赤くなるのが、目を閉じていてもわかる。
 体がとても熱い。血が沸騰して、細胞が蒸発していくようだ。
「お〜い…って、まあ‥いいや。とにかく、中に入ろう…な?」
「え‥ええ」
彼は慌てていた私をなだめるように、優しく声を掛けてくれた。
 ‥彼の言う通り、落ち着こう。…そう、落ち着くのよ‥私。
 私と小久保君は気を取り直して、お姉様に何を送るかを話し合った。
お姉様は、お酒と煙草が好きだ。
でも、煙草はお姉様の体の事を考えると、本当に渡していいのかと疑問が残る。
そこで彼との相談の結果、ワインを買う事に決まった。
…殆ど私が決めたようなものだけど。

 小久保君…あなた男なんだから、もっと自分の意見をしっかり持ってなさいよ…。

私と彼は、地下の食品売り場へとエスカレーターで下っていった。
2時頃だというのに、そこはたくさんの家族連れや高齢者で賑わっている。
「すごく人いるな…」
「…ええ」
彼も少なからず驚いているようだ。
レジの横を通り、冷凍食品売り場を抜け、お酒の売り場へと向かう。
 途中にあったお中元のコーナーを見て、私は改めて夏の訪れを強く感じた。
 迷いながらも、売り場にはどうにか着く事は出来たのだけど…。
私と彼は未成年なので、今までじっくりと酒という物を見た事が無かった。
「…なあ、若田部‥いくら何でも多すぎじゃないか?」
―200本は軽くあるであろうワイン。
 私はこの中から一本を決めるのだと思うと、気が遠くなった。
私達は、せいぜいワインが赤と白の二色あるということ位しか知らない。
だから、どこ産だのフルボディだの書いてあっても、皆目見当がつかなかった。
「若田部…どうするよ?」
そびえ立つボトルの壁を指差して、彼が呆れて笑う。
「‥そうね、記念に買うから…1〜2万位のがいいかな?」
「それなら、数は絞れるな…よし!」

「!?ちょ、ちょっと小久保君!!」
「俺、味とかわからないから、それ位の値段で見栄えの良いヤツ探すわ。
 俺は右の棚探すから、若田部は左の棚の方頼む!」
 「??えっ…」
彼は私の返事も聞かぬまま、棚にあるワイン達と睨み合いを始めてしまった。

もう…何なのよ!
小久保君ったら、いきなり…。そんな事されたら困……らないか。
むしろ、凄く助かるんだ…うん。
私は彼の突然の行動に、思考が一時マヒしてしまったらしい。
さっきから…いや、今朝から私はいつもの私らしく無かった。
自分で言うのも何だが、どこか冷静さを欠いている。
それは…彼と二人きりだからなのかもしれない。
彼の存在、言動が、私の心をかき乱す。
初めて会った時は…何の変哲も無い只の男子だと思っていた。
それが、天野さんやお姉様達と関係を深めていくうちに
彼の存在が、徐々に私の中で膨らんでいった。
彼は他の男子と違い、ヤラシイ目で私を見ようとしない。
けど、色んな事に私を巻き込んだ。
海や合宿等で起きた事は、忘れたくても忘れられない。
 …後数ヶ月で、私達は離れ離れになる。
 そんなの…イヤだ。
初詣の時に彼の言っていた事が、今頃になって痛いほどわかる。

このまま時が止まればいいのに…。
彼に伝えたいと願うけど、喉に引っかかって声が出ない。
 これが……恋というものだろう。きっと…ううん、絶対。

――そんな事を考えながら、私はワインの並ぶ棚を見た。
光がボトルに反射して、歪んだ私の顔が映り込む。
それは、今の私の心中を物語るに相応しかった。

「若田部、こっちは終わったぞ……おい、若田部‥大丈夫か?」
「‥うん。私も今終わったところ」
「??そうか…。若田部‥あんま無理すんなよ?俺に気を遣わないでいいからさ…」
…彼は鈍い。
 私が誰のおかげで、胸が張り裂けそうなほど苦しんでいると思ってるのだろう。
…そんな事だから、私や天野さんが困るのよ。
 「……はあ」
私の口からため息が漏れた。今までで一番深く、重い。
下がった目線を戻すと、彼がキョトンとした目で私を見つめていた。
「…何?」
「!?い、いや…俺、お前に何か悪い事した?」
「……した。けど、言わない!」
「!??何だよ、それ」
「いいから、ほら、これ持って!サッサと行くわよ!!」
私は照れ隠しに近くにあった適当なワインを手に取り、彼に渡した。

レジで会計を済ませると、時刻は3時5分前だった。

時が経つのは早い。
 私と彼との仲も何事も無かったかのように、時の川へと流されてしまうのだろうか?
 レシートを財布に入れつつ、私はそんな事ばかりを考えていた。
「若田部、エレベーター来るけど…乗るか?」
 彼が指差す先にはエレベーターがあった。
 …確かにここからエスカレーターまでは、少しだけ遠い。
 それに、わざわざ無理して向かう必要はどこにも無い。
「…そうね」
 私はコクリと頷いて答えた。
エレベーターの扉が開き、乗り込む。
乗客は私達二人だけ。
彼がボタンを押して扉を閉めた。
――不思議なくらい静かな密室。
 その緊迫した空気に、自然と鼓動が早まっていく。
彼は私に背を向けたまま、ボタンの前に立ちすくしていた。
「…なあ」
 「何?…小久保君」
「早いな…月日が経つのって」
「…うん」
「後‥半年もしたら俺ら受験して、離れ離れになるんだな…」
「‥そうね」
「…若田部はさ、時間が止まればいいのにって思った事ない?」
「小久保君‥初詣の時もそんな事言ってたわね」
「‥ああ。何て言えばいいのかわからないけど、
 濱中先生や中村先生、ミサキ、的山、それに若田部。
俺…みんなと何時か別れると思うと‥つらくてさ。
 ……ハハッ。何か俺、ガキみたいな事言ってるな」

彼が苦し紛れに笑う。でも、やはりどこか悲しげな目をしていた。
「若田部は、そんな思う事……ない?」
彼は壁にもたれかかった状態で、私に尋ねてきた。
 無論、私もそう思う。
 できるなら…アナタと離れたくない。
 遠回しに口に出そうと思ったが、声帯が竦んで声が上手く出ない。
顔が恥ずかしさで、耳まで赤く染まっていくのがわかる。
呼吸や脈拍が、今までに無いほど早くなったのも感じとれた。

 …ゴウン

そんな勇気の足りない私を嘲笑うかのように、エレベーターが一階に到着した。
私も彼を降りる用意を終え、ドアの前で待っていたのだけど…。

開かない。
どうやら故障のようだ。
困った私達は互いに顔を見合わせた。
「……どうする?」
「ど、どうするって…助けを呼ぶしか無いじゃない!!」
「だよな…」
彼が非常用ボタンを押す。
「はい」
 女性の声だ。
「すみません。エレベーターが止まったんですけど…」
「少々お待ち下さい……はい。え〜モーター系統に、トラブルが発生したようです。
申し訳ございませんが、復旧作業の方にお時間少々かかり…」
「…どの位ですか?」
「…そうですね。多分…」

ガタッ…ガタッ!!……ズン!!!!


大きな音と共に私達のいる密室が揺れ、私はバランスを崩して倒れ込んでしまった。
唯一の明かりが消え、視界が黒く染まる。
 サービスセンターとの連絡も途切れてしまったようだ。
…彼は!?
私は体勢を立て直し、立ち上がろうと試みた。

…ズキッ!

刺すような痛みが、右足に走る。
…どうやら、転んだ拍子にひねってしまったらしい。
「イテテ……若田部‥大丈夫か?」
 彼の声が聞こえる。…どうやら無事みたいね。
「…ええ。でも、足を捻ったみたいなの」
「大丈夫じゃないだろ!!待ってろ…よし!」
暗闇に一筋の光が差し込む。
「こういう時に…携帯って便利だよな。若田部、足出して」
光が私の踝に当たる。少し腫れて膨らんでいたものの、大事には至らないようだ。
「よかった…ってあれ?」
突然、電子音が鳴り光が消えてしまった。
「…やっぱ、昨日充電しとけばよかったな」
「小久保君の…ドジ」
「なっ…」
明かりが無いと不安だ。
 私は手探りで、バッグの中にある携帯を探した。
あら?…いつもは、バッグの中の一番上に置いてあるはずなのに。
何度も手を入れ、隅々まで探ったのに見つからない。
…あっ!?
そうだ…行く時慌ててて、入れ忘れたのかもしれない。

「…若田部、お前の携帯は?」
「…あるけど、その……忘れたみたい」
「‥俺より質悪いじゃん」
呆れたような声で彼が呟いた。
…忘れた私が悪いのは、そうだけど。
「そ、そんな言い方って、ないじゃない!!」
思わず、意に反した言葉が出てしまった。
「ゴメン、ゴメン!!俺が悪かった!だから、そんな怒るなよ…」
慌てて謝る彼。
でも、本当に謝らないといけないのは、私の方だ。
何も悪くない彼に、一方的な怒りをぶつけてしまった。
何してんだろ…私。
「…ところでさ、時間できたから…ほら‥さっきの質問の続き。
 時間が止まればいいなってヤツ。返事…まだ聞いて無いぞ?」
 「!?えっ…え〜と…」
私の声が、予想外の展開に裏返ってしまった。
…どうしよう。
もしこのまま伝えたとして、彼の反応が悪かったら。
頭に次々とマイナスの想像が浮かんでくる。
でも、気持ちは言葉に載せないと永遠に届かない。
始まりがなければ、終わりは決して来ないのだ。
心の中にいる、弱虫な私を蹴飛ばす。必要なのは、少しの勇気。
胸に手を当てて、ゆっくりと息を吐いた。
暗闇で彼の顔がわからない分、僅かに安心だ。
「わ…私も……」
ガンバレ、私。

「私も…止まればいいなって‥思う」
「…なんで?」
「それは…小久保君と離れたくないからかな…」
「…ホントか?」
「ほ・ん・と!!」
 ダメだ…体が焼けたように暑い。
「…そうか。何か嬉しいな…若田部がわかってくれて」
穏やかな声で彼が囁いた。

‥私も嬉しい。
 伝えたい事の半分も言ってないけど、今はそれだけで十分だ。
 …彼ったら鈍いから、勘違いしてるけど。
 私の心を、天野さんに勝った時でも得られ無かったほどの充足感が満たしていく。
「‥なぁ?」
「…うん?」
 彼がおもむろに呟いた。
「その…そっち行っていいか?やっぱ…暗いと不安だし」
「…えっ!?」
「大丈夫!ぜぇ〜ったいに変な事しないから!!」
「…ホント?」
「ああ…約束するよ」
暗闇の中をゴソゴソと動く音がする。
感覚だけだが、彼が私の隣に座ったのがわかった。
 彼って…時々子供っぽいところがあるのよね。
 まぁ‥それが彼の魅力の一つなのだけど。
「ふぅ…にしても、早く直らないかな‥エレベーター」
「私達…閉じ込められてから、どの位ここにいるのかしら?」
「‥さあ?……少なくとも、20分は‥いるんじゃないか?」
待てども一向に助けは来ない。
私達は取り留めの無い話をして救助を待ち続けた。

やがて、私達が濱中先生のことを話していた時に
 店の人らしき声がドア越しに聞こえてきた。
「大丈夫ですか?これから動きますけど、暗いままですので気をつけて下さい!
後、ドアを手動で開けますので、少し開くまでかかりますから!」

ガタン!ウィ−ーン…

機械独特の、低い起動音が上から聞こえる。
「やっと…抜け出せるな…」
彼が安心しきった声で話し掛けてきた。
「…うん」
もうちょっと…このままでいたかったけど、仕方ないよね…。
「若田部…ほら‥」
 「!!?」
彼が私の手をいきなり握りしめた。
驚きのあまり振り払おうと手を動かしたが、彼は離そうとしない。
「ななな何するのよ!?」
私は気が動転して、彼に悲鳴に近い声で叫んだ。
「何って…お前、立てないんだから立たせてやろうと思って…」
彼が、私の反応に焦ったように答えた。
…そっか。私、立てないんだった。
「ほら‥これ持って」
彼が、回想途中の私の手にワインを抱えさせた。
ドアがゆっくりと開く。
久々に見た光は眩しくて、私は目が眩んでしまった。
「しっかり持っとけよ…」
彼の声が聞こえた途端、私の首と膝裏に何かが当たる感触がした。

次の瞬間、私の体が宙に浮いた。
俗に言う、お姫様抱っこの状態だ。
「いやぁっ!!は、恥ずかしいから下ろして!!」
 私は声を荒げて彼を睨んだ。
でも、体を彼に委ねている為に抵抗らしい抵抗が出来ない。
 それに、あんまり動くとワインが落っこちてしまう。
「一応…この前の反省を踏まえてんだけどな‥」
……!?
彼の言葉が動揺していた私に、ある事を思い出させた。

――水泳の授業の時、私はうっかり足を捻ってしまい、
保健委員である彼と保健室へ向かったのだけど、
手押し車の体勢で行く処を豊田先生に見られ、要らぬ誤解をされてしまった。
後でよくよく考えると、あの体勢はマズかったと思う。
 …誤解されて当然の格好だもの。

「私…歩けるから、小久保君いいわよ…おろして」
内心…彼の優しさがとても嬉かったけど、見知らぬ人々が私達の姿を
どんな目をして見るのかわからないという、不安感も募っていた。
「…けが人は無理すんなよ。…おっ!!若田部、開いたぞ!」
「…きゃっ!?」
彼は私を両腕に抱えながら、冷房の効いたフロアへゆっくりと歩き始めた。
「申し訳ございませんでした。お客様…お怪我の方は?」
「俺の方は特に…彼女が捻挫しただけです」

そう言って、彼が私の顔を見つめた。穏やかで優しい笑顔。
…きっと、世界中で小久保マサヒコただ一人にしか出来ない笑顔。
彼の瞳に映る私の顔が、次第に虚ろになっていく。
それと同時に、周りのものがぼやけ始め、今はもう‥彼しか見る事が出来ない。
…彼が誰かに頭を下げている。謝ってるのかしら…。それすらわからない。
薄れゆく意識の中で、彼の凛々しい顔だけが記憶に残った。


――気がつくと、私は自分の部屋のソファーで横になっていた。
「おっ…目が覚めたか。…おはようございますお嬢様。ご気分はいかがですか?」
体を起こし、声のした方を向くと、彼がドアの前に立っていた。
「…なんてな」
クスリと笑う彼。
 ソファーに近寄り、飲み物が入ったコップをテーブルに置いた。
…あら?
コップが3つあるけど、私と彼の他に誰か来てるのかしら…。

ガチャッ

「マサヒコ君、お待たせ…あっ!!アヤナちゃん目が覚めたんだ!」
ああ…濱中先生か。
「リンゴ剥いたから、アヤナちゃんも食べてね」
先生がリンゴを載せた皿をテーブルに置いた。
……山盛りってところが、濱中先生らしいわね…。

私達はリンゴをつまみながら談笑に興じた。
「そういえば…どうして濱中先生が、ここに?」
「ああ…俺がお前運んでる最中に、偶然会ったんだよ」
「そうそう。それでマサヒコ君、女性の物を勝手に触る訳にはいかないからって
私にあなたの家の鍵をバッグから取り出させて、家に入ったのよ」
「…そうだったんですか。ごめんなさい、小久保君。私…迷惑かけたでしょ?」
「いや…若田部軽かったし、結構楽だったけど」
「ダ、ダメよ!マサヒコ君!!…女の子に体重関係の話しちゃ」
「!?えっ…あっ…ご、ゴメン若田部!!」
「いいわ…気にしてないから」
「へっ…?なんだ‥いつもの若田部なら、怒って俺を叩くはずなのに。
 どうした?何か悪い物でも食べたのか?何なら俺、薬取って来ようか?」
「…バカ」
 「ん?何か言ったか?」
「…バカって言ったのよ!このバカ!!」
「…それでこそ若田部だ。元気になったみたいだな。
 ‥んじゃ、もう遅いし俺帰りますから濱中先生…後、よろしくお願いします」
「うん、もう遅いから気をつけてね」
「…わかってますよ」
彼はソファーから立ち上がると、私達に一礼して部屋から去っていった。

「……マサヒコ君行っちゃったけど、いいの?見送りに行かなくて…。
 お礼‥まだ言ってないんじゃないの?」
先生が心配そうな顔をして、私に呟いた。
 …リンゴを頬張りながらだけど。
「…そうですね。まだお礼もはっきり言ってませんし、行ってきます!」
考えた後、そう先生に告げると、私は急いで階段を降り彼の後を追った。
…今さらながら、我が家は広い。
やっとのことで追いついた時には、既に息が上がっていた。
「!?若田部…どうした‥そんなに急いで?」
玄関を開けようとしていた彼が、驚いた表情をしてこちらを見ている。
「そのっ…今日は……ありがとう」
「ハハハ…。律儀だなぁ、若田部は…足捻挫してんのに走ってお礼言いに来るなんてさ。
…何度も言ってるけど、気にすんな。それより、今度中村先生に今日買ったワイン
持っていこうぜ。ワインは紙袋に入れたまま、お前の部屋のテーブルの下にあるから。
それじゃあ…俺行くから。お大事に」
その言葉を最後に、彼が玄関の扉を開けて外へと出た。
 辺りはもう暗く、一、二番星が空を彩っている。
扉が閉まり、夏ならではの生暖かい風が私に当たった。
門戸の開く音が遠くから聞こえる。…もう、外に出たんだ。

鍵を閉め、部屋に戻ろうと後ろを振り向くと、そこに濱中先生が立っていた。
「先生…どうしたんですか?」
「…ねぇ、アヤナちゃん。マサヒコ君の事…好きでしょ?」
…流石は先生‥お見通しか。
「…ええ、私は…小久保君の事が好きです」
私は素直に白状した。
 …天野さんや的山さんには気まずくなるから相談出来ないけど、
 濱中先生位ならわかってくれるだろう…たぶん。
「…そっか。でも‥大変よ?
 マサヒコ君は鈍いし、ライバルにはミサキちゃんもいるし…」
「……構いません。私‥彼を好きになった時点で、覚悟してましたから…」
…そう。覚悟は出来ている。チャンスは後、約半年だけ。
それまでに‥このモヤモヤした気持ちを全て、彼にぶつけよう。
大丈夫……私ならできる。例えどんな結果であれ、きっと受け止めてみせる。
「そう……じゃあ、ライバルが一人増えるんだ…」
「ええ…天野さんには悪いんですけど…本気ですから」
「ううん…ミサキちゃんもだけど…」
先生が首を横に振る。
「…誰ですか?ひょっとして的山さん?」
 「…ううん」
また先生が首を横に振る。
……まさか!?
「…それって」
「うん…私」

予想通りの回答だったけど、やはりショックは隠しきれない。
 言葉を発しようと口を開いたが、声が出なかった。
「アヤナちゃん…これはミサキちゃんには内緒ね?」
人差し指を唇に当てて、先生が呟いた。こんな状況でも顔は笑顔だ。
 …これが、大人の余裕というものなのだろう。
「…わかりました」
私は黙ってコクリと頷いた。
…きっと彼女のことだ。知ったら泣き出してしまうだろう。
「…それじゃ、私も帰ろうかな。アヤナちゃん…これからは
 ライバルになるけど、よろしくね。私…負けないから」
そう言うと、先生は右手をすっと出してきた。
―言わなくても意味はわかっている。私も黙って手を差し出した。
「…正々堂々ねっ!」
「はい!」
堅く握手を結ぶ。

…絶対に負けない。天野さんにも、濱中先生にも。
最後に笑うのは…私なんだから。

濱中先生が帰った後、私は部屋で窓から見えた淡く輝く月にそう誓った。

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