遠き記憶に  関口健一郎氏





問ひつめてまた問ひつめて海風が小さき我に向ふ真冬よ

やまびこが逃げ出したるごと山々は雪に埋もれて雲に埋もれて

のと鉄道は、第三セクターが経営する能登半島を走る鉄道である。    

捨て猫と赤き灯を曳く終電車尾を持つものはいつも愛しき

幸せの暗証番号忘れたり 吹雪は今宵も列車に当たる

口下手な漁師の太き両腕に手繰り寄せられ日脚伸びゆく

はじめての能登のをみなの笑みのごとはにかみながら春は来にけり

春のある日、思い立って、のと鉄道に乗る。    

同行はリュックサックといくばくか疼きの残る過去(すぎゆき)各一

    始発・七尾駅

野に遊ぶ列車は我と学生と春の光で満席となる

とりかへしのつかぬ一言 枕木は我の過去へと遠ざかりけり

    和倉温泉駅

熱き湯は海の底にてなほ熱し 飼ひ慣らし得ぬ願望ひとつ

少しだけ太りし我が抱きたる退嬰なりや幸福なりや

いくつもの幼き恋を見送りし固き背もたれややすり切れて

我が意志は枉げられてをり 山あひに単線列車は左へ右へ

肉体の孔のひとつはたましひがときをり逃ぐるためにあるらむ

    能登鹿島駅。昭和七年、駅の開業を祝い、ホームに桜が植えられた。

見上げをる我の視線にまとはりて花びらは落つひとひらごとに

    穴水(あなみず)駅

ふりがなのやうな幼子ぬくぬくと母の胸にて眠りてをりぬ

猥雑に根を地の中に埋めゆきぬ草の匂ひは若さの匂ひ

何もかも許されさうな春の陽よ いまひとたびの惰眠を我に

枯れ野には人を拒みし蔦うねり深層心理のごとく乱れて

    沖波駅

さざめきも我に届かぬ遠き波我とは違ふ人生(ひとよ)も乗せて

    古君駅

いくたりの翁と媼の細き手を支へてこしやくすむ手すりは

    矢波駅

ヂーゼルの音響せて走り出づ光陰よりもややゆつくりと

    波並駅

あをぞらに並び飛びをる帰る鳥いのちの列は常に直線

    藤波駅

青春の終はりは静かたとうれば昼の港の烏賊釣り船の

懸命に切符を握りしめてゐる幼き者の心揺らして

過ぎゆける風になびきて雪柳能登を選びて能登に散りゆく

    宇出津(うしつ)駅

行き違ふ列車がホームに入り来ぬ 青春に我と入れ替はる者

窓際の会話は続く年表に書かるることなき歴史の中で

飛び交はし列車の上をゆく鴎もはや私を待つこともなく

    羽根駅

制服の高校生は降車せりこの日限りの風の中へと

    九十九湾小木駅

怺へ得ぬ心が帰る庭として水のほとりは何も聞かずに

我などは見へぬごとくに常緑樹見てこしものを語らずにをり

    トンネルには、ひらがな一文字の符号が「いろは」順に付けられている。

トンネルの壁を伝ひて水流れ浅き夢見しごとく瞬く

乗る者のなき駅にまた停車せり待たるることの喜びもなく

抱き止むる腕やはらかし 午後の海陸(くが)を包みて離さぬままに

    恋路駅

憧れはつのりゆくほど曲がりつつ軋みつつ坂をよじ登りつつ

手のひらは幸乗せるには小さすぎ妖精抱くには大きすぎたり

夢ばかり見てまどろみたる席の上目覚むるときは既に中年

春風に攫はれてゆく雪女郎梢のしづくに影を残して

日が翳る列車の中に黙しつつ誰もが孤りとなりて座れり

    珠洲駅

来し方の出会ひと別れひとつずつ真珠の淡きひかりのごとく

字足らずの短歌のごとき若き日の残りはありや終着駅に

  終点・蛸島駅

俄雨降り始めたり庇はるることなく濡るる無人駅にて

回送の列車は発ちてホームには我の影のみ置きてゆかるる

    穴水駅・蛸島駅間は、平成一七年三月に廃線の予定。

風のみが通へる道になりてゆく鉄路は遠き記憶の中に

この国が笑顔の国でありしころ列車はいつも待たれていたり

並びつつうち寄せてゐる波だけが変はらぬままに変へ得ぬままに

現世(うつつよ)は神の箱庭小さきまま命はいつも咲き続きをり

我の持つこころが私の起点にて私は未だ私ではない

赤く錆びはじめたレールふたすじはそれでも未来とつながっている










2005年1月11日

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