あまりに無謀なこの企画!
あくまでも最初にお断りしておきますが、短歌のえらい先生や作者様の意図はまるで無視して、
KARI−RINGの私的見解による解説だということを肝に銘じてからお読みください。
ほらね、あの、短歌読む経験値が少ない人にも分かりやすい解説を目指して…ごにょごにょ
違う、なんだこりゃという苦情はBBSにて承ります…
(わーーーん、関口さんごめんなさい―――、石投げないで―――)


夏の日の石の河原を素足にて歩くがごとき後悔がある NHK歌壇:尾崎左永子先生選
後悔にもさまざまな種類があるが、この歌から読み取れるのは、誰しも子供の頃経験しただろう足の裏に焼け付くような熱さを感じる、そんな後悔がある、ということである。やむを得ずそこを通らなくてはいけない何かがあったのだろうか。

淡路島海渡る橋見守りて今宵も瞑(ねむ)れ須磨の関守 NHK歌壇:佐佐木幸綱先生選
本歌取りである。百人一首で有名な「淡路島通う千鳥の鳴く声にいくよねざめぬ須磨の関守」を前提として読むと、古の人が見た淡路島と、現在の淡路島の姿を比べている面白さがとくに引き立つであろう。昔は鳥しか自由に渡れなかった海峡を、今では橋で自由に行き来できるという、誰もが知っているが気にとめもしないことを切り取った歌である。

ひとひらの紅葉川面に舞い落ちて流されてゆく恋の行く末 NHK歌壇:安永蕗子先生選
美しい日本の秋、川の上にせり出した枝から一片の紅葉が舞い落ちた。きれいだ、とか、秋だなあ、とかそういう感慨も勿論大切なことだが、その紅い葉が流されていくことに自分の恋を重ねあわせ、不安にゆれる心を見事に表現している。

主(ぬし)のなきフルートはただ置かれいて無音で歌え秋風の歌 NHK歌壇:岡井隆先生選
フルートは人の手にとられてはじめて音を立てる楽器である。しかし、そのフルートは、そこに存在するだけで奏でるであろう音を人に想像させることのできる楽器でもある。もちろん、音など立てないが、秋の日に見つけたそのフルートが郷愁を呼び覚ます様を第4句「無音で歌え」が見事に引き出している。

バーテンの背後に立ちし棚の上(へ)に夢の数だけボトル並びぬ
LPのテナーサックス叫びつつ並ぶボトルを眠らせぬ夜
灰皿のたばこのけむり宙に消え思い出せない会話の結末
バーの椅子立ち上げるとき人はみなもう一度だけ明日を待ってる
短歌研究:馬場あき子先生選
連作である。人には言えないけれど胸のうちに秘めた苦しいものがある夜にどうしようもなくなってバーに足を向けてみた。アルコールの強い酒をあおっていくうちに、だんだんと胸の中にこだわっていたものが小さなものに感じられて、その椅子を立ち上がるときには自分なりに結論を出すことができている。1首でも勿論秀逸な歌だが連作だからこそ、余計に最後の1首が効いている。

一つづつまた一つづつ街の灯が消えゆくがごと種(しゅ)は減りゆきぬ NHK歌壇:尾崎左永子先生選
街の灯が消えていくところは誰しも目にする日常の光景である。残業をした夜は、周りのビルの明かりがだんだんと消えていく様を見てため息をついた経験のある人も多いのではないだろうか。その街の灯は、当然、最初はなかなか消えない。あちらが消えたら、しばらくしてこちら、とぽつりぽつりと消えていく。しかし、それも深夜近くになると加速度的に急激に消えていく数が多くなる。そんな風に、種が減ってきている、と歌っている。

街灯に照らされて雪何本も斜線でビルを抹消している @NIFTY:短歌フォーラム
関口氏のお歌の中で私がもっとも好きな歌の一つ。暗い空から投げつけられるような激しい雪が降っている夜、街灯に照らされたそこだけ雪の軌跡が鮮やかに浮かび上がっている。その背後には無機質を象徴するかのようなビル。ますます激しくなる雪の軌跡がまるでビルを抹消しようとしているかのようだという、美しいが少し虚無感を漂わせる光景が見事に再現されている。

水滴は氷柱となって凍りつつまた太くなる殺意、いくつも @NIFTY:短歌フォーラム 歌合2000 5番勝負(大将戦)
短歌フォーラムの歌合2000にておおトリをかざった歌。「水」というお題に殺意を持ってくるという斬新なアイディアが光る。しかも、その殺意は一気に胸にあふれてくるものではなく、ほんの少しずつ水滴となって胸の中にたまっていき、それが解消されることなく凍り付いて、だんだん限界近くなっていくという静かな狂気を孕んだ歌である。

六千の耳が戦(そよ)ぎしコンサートホールに響くピアニッシシモ NHK歌壇:岡井隆先生選
6000人いや、3000人もの聴衆を集めることのできるコンサートホールと、その腕の持ち主はなかなかいるものではないだろう。そして、その耳がその音を捉えようと緊張した静かな時間、ピアニッシモという最小の大きさの音でさえ響き渡る。結句だけでどれほどすばらしい演奏だったのか容易に想像できる歌である。

辞令持つ我の背後で春闌けぬ廊下を渡って机を超えて 短歌研究
春の訪れとともに転勤の季節がやってくる。そろそろ転勤という辞令を待っている作者の背後では春が自らを誇りながら、もしかしたら作者が2度とそこで春を迎えることがないだろう廊下や机を駆け抜けていく。さわやかな印象を与える歌である。

日出づる処の我は日没する処のケントにEメール書く 短歌研究:馬場あき子先生選
遣隋使で小野妹子は手ずから文を持っていかなければならなかった。それが、現在は自宅にいながらにしてしかも、果てしなく日没方向のケントにEメールを瞬間的に送ることができる。対比の対象の斬新な切り口が目を引く作品である。

ネクタイと決済とともにたわむれる苦い遊びを仕事と言おう NHK歌壇:佐佐木幸綱先生選
男性はネクタイを締めて仕事をすることを強いられ、いやでもやる気がなくてもつらくても山ほど作者を待つ決済におぼれそうになる。そんなときには、せめてそれを苦さをふくんだ遊びとしてとらえられないとかなり疲れてしまうものではないだろうか。言おう、と決意する作者の前向きだけれども少々あきらめを含んだ言葉が印象的な作品。

ミスコピーしたる紙束積み上げぬ君に届かぬ言葉のごとく NHK歌壇:尾崎左永子先生選
ミスコピーの紙は、そのまま捨てるにはもったいないから、すぐにその辺に裏紙として積み上げられていく。しかし、有効に活用される分量よりもミスコピーの生産のほうが過多に陥ることが多い。君に届かない言葉、届けられない言葉もいつかのために取っておくが、それを使えるということは滅多にない。

筆跡も笑顔も知らぬミカからのEメール見てほほえむ夕暮れ 短歌研究:馬場あき子先生選
手紙といえば、その筆跡からいくらか相手のことは想像できるものだ。それが、最近ではEメールという電子媒体で、パソコンにすでに指定されているフォントで相手の文章を受け取ることが非常に多い。誰かから手紙がもらえるというのは、いつの時代も嬉しいものだが、笑顔はともかく筆跡も知らないEメールでの嬉しさは儚い嬉しさなのだろうか。それとも、それすら知らなくてもメールを受け取れるということに対する喜びなのだろうか。

電源を切りしパソコンこの星にあまた置かれし箱に戻りぬ 短歌研究:馬場あき子先生選
パソコンという道具は急速に身近なものになってきた。実際便利で、体が自由にならないときにも瞬時に情報を手にいれることができる。しかし、それも電源が入っているときだけのこと。電源が供給されなければ、少し重い、少し複雑な形をしたただの箱となるだけだ。「あまた置かれし」という言葉が、最新の道具を古びた昔からある「箱」にスムーズに結びつけている。

一塊のレア・ステーキを切る我の本音のごとき紅き断面 NHK歌壇:尾崎左永子先生選
外側は固くこげて、本音への手がかりをみせることはないレアステーキに、ひとたびナイフをいれれば、そこから紅い本音が否応なしに目に入ってくる。当り障りのない関係を保つためにまとう鎧の下には、ふつふつとたぎる本音が隠されているのだろう。

夕焼けと大吟醸と君の笑み我を優しく染めてゆくもの 秋田市主催「和歌と酒のフェスティバル」入選
作者が表彰式に秋田市まで呼ばれてサービスたっぷりのスピーチを披露した作品。酒がテーマ。自分の心を満たしていく、夕焼け、うまい酒、そして君の笑顔を並列に配置し、それらがすべて自分の中に優しく染みとおる様子を表現している。夕焼けに染まる1枚の絵が目の前に浮かび上がってくるすばらしい歌である。


関口健一郎氏 自選20首




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