眼、見ざるを浄と為す




 「ごーくーうっ」
 「こぉーきゅーきゅ?」






           <3>






空が茜色に染まる頃。
非常識かつ非日常が毎日の彼らだが、その中でも実に奇抜でピントのずれた珍事に、激昂した三蔵はさっさと自衛の為に考えることを放棄し、悟空とジープを外へ放り出した。
と、いうより――不甲斐ない自分に嫌気がさして飛び出したジープを追って出た悟空――二人を家から締め出したのだが。
裏庭の納屋の前で しゅん と細身の体を蹲らせて落ち込む八戒の後姿が切なくて、悲しかった。

そこで、悟空は考えた。

今までだって普段から喋れなくてもどうにかこうにか意思は通じていたのだけれど、悟浄が何気なく言ったあの一言に希望を見たような気がして、悟空はやる気満々。
滅多に使わない根気と保護欲と頭脳を引っ張り出し、「ジープ、人となって人語を介す」講座の教官に志願した。

が、しかし。

 「こっ」=悟浄
 「きゅいっきゅ」=三蔵サン

現実はそんなにうまくいくはずもなく。
どんなに頑張っても、八戒になったジープは言葉が話せなかった。
一生懸命悟空の真似をしても、擬音紛いの発声しかできないのだ。
 「大丈夫だよ、ジープ!絶対、話せるようになるって!!」
どこか ほわん としていて頼り無げな姿形は八戒のジープに、悟空は無責任なエールを送って励ますしかない。





そんな悟空の応援はありがたいけれど、実のところジープは困っていた。
まず。

長い腕は、動かしても羽ばたかないから飛べない。
二足歩行は高さが増して(普段はもっと高い空を飛んでるクセに)怖い。
大好きな三蔵を怒らせてしまった。
大好きな悟空には要らぬ努力をさせているし。
大好きな大好きな八戒の役にたちたいのに、今は困らせて熱まで出させてしまった。
空回りしている自分に、歯痒いばかりで癇癪を起こしたくても、これは八戒の体。
――好きで‥大好きで堪らない‥‥悟浄が大好きな「八戒」の体だ。

悟浄の世界は、全て八戒を中心に回っているから‥‥、だからジープは八戒至上主義で、自分にとってはライバルだと悟浄は思い込んでいる。
それ自体は確かに間違いではなのだが、ジープにとって八戒は大切な「ママ」であって‥本当に好きなのは―――



 「ジープ‥?」
 「きゅい!」

いきなり考え込んだジープに、悟空は声をかけた。
 「ジープ‥もしかして、喋りたくない?」
悟空の問いかけに、ジープ(でも見た目は八戒)は ぶんぶん 首を振って「なんでもない」と答えた。



話したい。
言わなくてもわかってもらえるけれど、言葉でしか伝えられないことがあるから。
―――言葉で伝えたいことが、たくさんあるから。



 「まだ頑張れるか?頑張るか?」
 「ぴぃっ」
ジープ(しつこいけど外見は八戒)は うん っと大きく頷いた。
 「よっし!」
悟空も大きく頷き返した。




     ◇◆◇◆◇


 

ひんやりとした感触が心地好かった。
優しい仕種で頬を撫でられ、嗅ぎなれた匂いに誘われて眼を開ければ、

 「目ぇ覚めた?」

優しい声と共に目元に触れてくる柔らかい感触。

   (‥あれ‥僕、寝ちゃっ‥て‥?)
 「きゅ・・・?!」

ガバッ

悟浄の名を呼ぼうとして自分の口からでた「音」に驚き、勢いづけて起き上がった八戒は眩暈に襲われてまたベッドへ逆戻り‥‥‥する前に とすん と抱きとめられた。

 「無理は禁物。熱、あるんだぜ?」

口元にあてがわれた湿ったガーゼから、水滴が喉に滑り込んでくる。
冷たい触感に促され、随分渇いていたらしい喉が こくこく と何度も水を干していく。
潤う喉と同時に視界がはっきりと‥混乱していた思考が定まってきて――思い出して――そして‥ゆっくり自分の体を見て確認する、その事実。

 「きゅううぅぅ〜・・」

 「落ち込むなって」
がっくし、項垂れる小さな体は悟浄の膝の上。
風通りのいい2階の1室らしく、鮮やかな夕焼けが窓から差し込んできて目に眩しい。
 「眩しいか?」
僅かに顰められた表情から察した悟浄は、ジープを抱いたまま窓辺へ行き、カーテンに手をかけた。

   (あ‥)

つい数刻前には虹をみることのできた窓の向こうに、一瞬見えたのは「八戒」。
悟空と楽しそうに笑っているのは、確かに「自分」だった。
八戒(でも今はジープ)は息を呑んだ。
その僅かな体の震えに気付かぬ悟浄ではない。

 「三蔵が追い出しちまったんだよ」

シャッ と勢いよくお世辞にも遮光性が良いとは言えないカーテンを閉じれば、室内が薄いオレンジ色に変色した。
 「見ものだったぜ〜?三蔵が八戒にハリセンかますなんざよ。いつものお前にハリセンできねーからって、ありゃ、絶対確信犯だな」
 「‥‥‥」
俯いたままの八戒を、悟浄はベッドへ寝かせてやった。
とはいうものの、体は小龍なのだからシングルベッドの真ん中に ちょん と丸まっている。
その横に腰掛けて、悟浄は ちょいちょいっ と項垂れる細い首を指で擽った。
心地の良い‥そんな軽い接触ですら、今の八戒には情けなく感じられる。
それは悟浄がジープを甘やかす時にするクセだからだ。
ちり と胸の奥が痛んで、八戒は体をさらに丸めて小さくなった。

 「あのさー」

火を点けたばかりの煙草を灰皿に押し付け、小さく小さく消えてしまいそうなほど小さく丸めて強張った体を、悟浄はそっと抱き上げた。
そして、尚も逸らそうとする瞳を追いかける。
 「落ち込むな、気にするな、ってのは無理そーだから、言わねーけど」
 「ぴ・・っ」

返事をしようとして八戒は口を抑えた。
といっても、ジープの体で「口を抑える」動作は、当然、両翼を口元にあてがうこととなり、危うく悟浄の腕の中でジープは仰け反って、
 「おおっと」
慌てて悟浄は抱き直した。

 「‥‥っ」
何か言おうとして口篭る。
この声は自分の声ではない。
悟浄が触れているのも、抱いているのも、「自分」ではないのだ。



 「八戒」



ぴくん と肩(正確には片翼)が震え‥そっと長い首が持ち上げれる。



 「そんなに嫌がっていたら、ジープに悪いぞ?」
 「‥‥‥‥」
 「大丈夫だって、すぐに‥には、どーか判んねーけど、何んかの拍子に戻るって」


合わされる視線。
綺麗な紅の双眸に映るのも、円らな紅い双眸。
瞬時に歪められる表情に、悟浄は慌てて笑って見せた。

 「いーじゃん?それまでずーっと俺が傍にいるなんてって、ラッキーvって、思っとけば?」

 「ぴーっ、ぴーっっ、ぴぴーっっっ」
   (悟浄っ、悟浄っっ、悟浄っっっ)

普段から肩や頭に乗ったり噛み付いてきたりすることはあっても、小龍の姿のジープが抱きついてくることなど滅多になくて、悟浄は抱き慣れないその小さな体を潰さないよう傷めないよう、優しく抱き締めた。
そして、腕の中で震える小さな背中を宥めるように心を込めて撫で摩り‥気付かれぬよう‥溜め息を吐いた。




 「しっかし―――どーやったら元に戻せんだろーね〜〜?」




まだつづくの?




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