自分が考えついたオソロシイ考えが口に出すのもはばかられるようなものであったとき人はどうリアクションするのか
「八戒、八戒、八戒!!返事しろよ、八戒!!!」
…うるさいなあ。
朦朧とする意識の中で、まず自覚したのはその言葉だった。誰かが自分を呼んでいる。
「八戒、こら、返事しろ!ナニ人治して自分は倒れてんだよ!!」
うるさいな、ともう一度八戒は思い、口の中がじゃりじゃりしているから今とても返事をする気分になれないんだと一人悪態をついた。
「八戒―――――――――!」
もう少し寝ていてもいいだろう、と八戒は思った。激しく気を放出した今の彼の身体は本当にうんともすんとも動いてくれず、もう少し体力の回復を待つ必要性は十分にあった。
寝ている間に―――気を失っている間、というには八戒のプライドが邪魔をしているようだ――何かが起こって、事態は急展開したっぽいことはぼんやりとした意識の中ででも理解できた。全身がずぶぬれで、自分は横たわっていて、そしてそれだけしかできない自分が死んではいないのだから。
そんなことを思っていた八戒は、自分の身体がふわりとしかし乱暴に持ち上げられる感触を味わった。
なにするんですか
抗議の声をあげかけた八戒は、しかしその腕がやたらと心地よく自分を包んでいることに気が付いた。
逞しい骨ばった腕が、肩を、足を、膝を、包んでいる。
その腕がやたらとここちいいので、八戒は抗議することを取りやめ、再び全身を脱力させることに決めた。
その直前、うっすらと眼をあけて見上げた視界には燃えるような紅い色がいっぱいに広がっていた。
「ぴぃっ、ぴぃぃぃぃっ」
なんで鳥の鳴き声が聞こえるんだと思ってから、八戒は、それが自分たちと共に暮らしていた白い(おそらく)爬虫類の声だと気づいた。
右手を持ち上げて、その爬虫類の喉をくすぐってやろうと八戒は目を開けた。しかし、その行為はとなりから突然発せられた声によって中断させられる。
「…気が付いたか」
ぶっきらぼうな声の主が誰であるのかなどということは一瞬にして八戒にはわかった。
「さ…んぞ……」
自分の発した声があまりに弱弱しく悲しく、八戒はびっくりしてまだ少しじゃりじゃりいっている口の中の唾を横を向いて吐き出そうとした。
しかし、身体は鉛のように重く、全く自分の意志を無視してぴくりとも動いてはくれなかった。
「バカか貴様は。なにが嬉しくて身体中の気を残らず放出するなんてくだらねーことやったんだ」
ぱち、ぱち、と焚き火がはぜる音がする。
ジープは悲しそうな表情で、八戒の白い滑らかな頬に自分の頬を摺り寄せた。
「貴様、自分の状況をよく考えてから行動起こせ。いいか、貴様はあの変態野郎に押しつぶされて骨格も内臓も大ダメージを受けていた。それくらい自分でもよくわかってるだろう。そのダメージから回復するには貴様自身の気力が一番重要だ。そんなこと俺に言われなくても百も承知だろうけどな」
ぱち、ぱち。
焚き火のはぜる音は間断なく聞こえ、時折赤い火の粉が乾いた濃紺の空を背景にその存在を主張する。
「後先考えて技をだしやがれ。貴様に倒れられるのが一番迷惑だ」
それは大変ごもっともであるのだが、三蔵にだけは言われたくないと八戒は思い、(後先考えていない代表選手は三蔵あなたでしょうと心の中でとりあえず毒づいてから)何か返事をしようと思ったが、どうせ口もしびれてうまく声を出せないこともわかっていたので、八戒は特に返事をしなかった。
「あーーーーーーーーーーーーっっっ、八戒、気が付いた!!!」
どさり、ちゃぷり、と重いもの(おそらく水)をおく音がして、元気のよい声が八戒の真上にふってきた。
「よかったわ。いつまでも目を覚まさなかったら奥の手を使おうと思ってたのよ」
もう一度どさり、ちゃぷん、と重いものをおく音がして、柔らかな女性の声が後に続いた。
そりゃ今目を覚ましておいてよかったと心から八戒は思った。天地開闢のときから存在しているといっても過言ではない如意棒なんぞに奥の手等使われた日にはどんなオソロシイものが八戒を待ち受けているかわかったものではない。
悟空が覗き込む金色の瞳が八戒の目の前にあった。八戒は無理に微笑んで見せ、悟空を少しでも安心させようと努めてみた。この金晴眼の持ち主には不必要な心配をかけたくない、と八戒は思う。それは当然最高僧に関しても心境としては全く同じで、できる限り弱ったところとかそういうところは見せたくはなかった。心配されるのもいやだったし、弱みを見せるのもなんだか負けている気がして許せなかったのだ。
それなら、残りの一人には?
そういえば、その残り一人が見えないことに八戒はようやく気づき、きょろきょろとあたりを目だけで見回した。
その様子を目ざとく如意棒は見つけ、膝をかがめて八戒の顔を覗き込み、1つため息をついて、解答の一部を提示した。
「沙悟浄はダメよ。取り込み中」
「……?」
八戒の頭の中にぐるぐると疑問が渦巻き、その渦が突然一定方向に向かって流れ出した途端、八戒はようやく悟浄と錫杖がセットで姿を見せていないことに気がついた。
取り込み中。
取り込み中の悟浄。
そしてそこにはいない錫杖。
「あ…のバカ…ご…じょ……!」
勢いよく起き上がろうとしてさほど勢いよくも起き上がれなかったがとりあえず上半身を起こした八戒を、如意棒と悟空が慌てて押さえつけた。
「ダメだよ八戒!!まだ絶対におきちゃダメだ!」
「ナニやってるの猪八戒。あなたのダメージはこんな短時間で回復する程度のものじゃないわ」
「で…も」
(ああだからどうして口がうまくまわらないんだ。あのバカ悟浄、まさかあんないたいけな錫杖に手を出して今ごろ二人で……!)
心臓がやけに激しく脈を打ち、ぴくりとも動かない右手を持ち上げようとして八戒は完全に失敗した。
この場にいないのは。
悟浄と、あのかわいらしい愛くるしい悟浄のために精一杯戦った、錫杖。
「悟浄なら大丈夫だから、なっ、八戒、休んでくれよ」
悟浄ならそりゃ大丈夫だろう。
ナニが大丈夫かといって子供は守備範囲外といっていたが趣旨を転向したのだろうか。落とせそうにない如意棒にさっさと見切りをつけ――――――
ばくばく、と心臓は痛いほど鼓動を重ねている。
痛い。痛い。痛い。
「これ以上手間かけさせないで。猪八戒。倒れてるのはあなただけじゃないんだから」
それでもなお納得せず起き上がろうとする八戒の両肩を押さえつけて、如意棒が眉根を寄せてはっきりといった。
「……え?」
「錫杖はまだ意識すら取り戻せないの」
八戒と焚き火をはさんだ向かい側にはもう一つ寝床がしつらえられていて、そこには、眼も口も固く結び閉ざされたままの錫杖が横たわっているという。
あれ……?
おかしい。
と八戒は思った。
自分のなぞめいた思考回路がさっぱりわからなくなってしまった。
どうして悟浄と錫杖がいっしょにいないというただそれだけのことで短絡的にアホみたいなことを考えてしまったのだろうか。
もっとも悟浄の前科を考えればおかしくはないということは自分を正当化させるためだけに必要な考え方であって、常識的に考えてそう思うなんてことはありえないはずである。
確かに頭に血が上っていた。
見境もなくなっていた。
しかし、自分のそのあまりにあまりな考えに八戒は自分で顔を赤らめるしかなかった。
くだらない。
バカか自分は。
あまりにあんまりな(もうこういうよりほかにいいようがない)自分を恐ろしいほどののしって、仕方がないので八戒はもう一度眼を閉じて眠ることにした。
取り込み中だ、という悟浄がナニの取り込み中なのだろうと、少しだけ八戒は考えた。